5月末の首都圏における一連の揺り戻しとそれに伴う事件――後に“首都圏上空事件”と称される――は、各方面に波紋を広げた。
それは日本連合だけではなく、既に述べられた通り当事者の与り知らぬところにまで影響を与えたのである。
ここでは、事件に関わった人々のその後について記すことにしよう。
6月30日
東京都新宿区市谷町 防衛省庁舎A棟 航空幕僚監部
新宿上空の揺り戻しに始まり、首都圏一帯を巻き込んだ一連の騒動から既に一ヶ月が過ぎたこの日。
その騒動の中心から近いところにいたある人物の処遇が決まろうとしていた。
「忙しい中、呼び出して済まなかったな」
その人物――藤堂拓馬二尉――を百里基地から呼び出した神田空幕長が、彼にかけた言葉が先の一言だった。
「そのお言葉、前回も仰ってましたよ。幕僚長」
一方の藤堂は、いきなり呼び出されたものの緊張する様子もなく、この前出頭した時の事を思い出し言葉を返す。
神田の方はその一言に苦笑しながらも藤堂に椅子を薦めると、話に入った。
「本日貴官を呼んだのは他でもない、5月末の首都上空で起きた騒動時の行動に対する処遇についてだ。藤堂“一尉”」
「長期間の地上勤務が終わったと思ったら、昇進というのが処分の内容というのは初耳ですが?」
新たな階級で呼ばれた藤堂は、怪訝な表情で上官の顔を見る。
同時に彼は、新宿上空での揺り戻し現象からここまで一ヶ月間の事を思い出していた。
揺り戻しで出現した無人機を同じく出現した2機のパイロットと共同で撃墜した後、基地に帰還した彼は上官や同僚から「よくやった」という賞賛の言葉で迎えられた。
だが、それだけでは終わらず一時間も経たないうちに、長期間の地上勤務を命じられる事となったのである。
当初は、出現したパイロットに攻撃タイミングの命令権を現場の判断で与えるという、越権行使に対する処分だと誰もが思った。
一方で藤堂は、「責任は取る」と言った以上こうなる事を覚悟していたが、命令を発したのが神田空幕長直々だったことに驚かされた。
更に翌日、防衛省からの命令に従い藤堂が出頭すると、待っていたのは神田を始めとする空自の幹部クラスが多数。
彼はそこで、今回の地上勤務命令が越権行使に対する処分ではなく、前日の揺れ戻し現象時に無人機と交戦した際の詳細な報告を提出する為の“猶予期間”であると説明を受けた。
同時に、彼の乗っていたF-15は戦闘時のデータを収集する調査の為、分解され飛行不可能な状態になっていることも知らされたのである。
「君があの無人機相手にF-15で生き延びられた。そのことが重要なんだよ」
神田の言葉に、藤堂は怪訝な顔をする。
確かに、F-15とは隔絶した運動性能と火力を持つ件の可変戦闘機でも手こずる相手に「生き延びた」事は驚異なのかもしれない。
が、それがこの長期の地上勤務命令となんの関係があるのだろうか。
「あの戦闘時、君はF-15の性能を100%…いやそれ以上に引き出していたと言えるだろう。なにせ君の機体はもう少しで空中分解してもおかしくない程だったからな」
そういいつつ、神田は一枚の写真データを藤堂に見せる。
それはF-15の主翼歪みゲージの写真だったが、ゲージの数値はあと少しで限界値に達するところを指していた。
現役パイロット当時、F-4ファントムの性能を150%引き出した男とも言われた神田が感嘆した口調の前に、藤堂は内心驚きながらもそうでしょうか、と理解出来ないような顔を見せる。
彼にしてみれば、あの時は戦友達を離脱させる為に愛機の性能を出し切ってみせたのは事実だが、ナデシコのエステバリス隊が駆けつけてくれなければ撃墜されていたのも事実だった。
そんな自分が幕僚長から直々に呼び出された上に、ここまで賞賛されることに首をかしげたのも当然と言えるだろう。
「疑問に思うのも無理は無い。だから、今はあの戦いで生き延びたという事実が注目を集めている事だけ覚えていてくれればいい」
「そうですか……」
その様子を察した神田は改めて、今回藤堂が生き延びた事の重要性を強調するが、彼自身はそれよりも自分がまた戦闘機に乗って飛べるのかが気がかりだった。
「そんな顔をするな。安心しろ、地上勤務が終わればまた好きなだけ飛べるんだ。それに、今後はその空戦技量が更に重要となるのは間違いない」
暫らくはシミュレーターで錬度を維持しておけと笑ってみせる神田。
その何やら楽しそうな表情を前にして、藤堂は眼前の上司が自分に何かを任せようとしているのを理解した。
結局、その後は報告書の作成と提出するべき部署についての説明を受けて基地に戻ることとなった。
これで当分は、報告書の作成とシミュレーターでの技量維持の退屈な日々が続くかと思っていた藤堂だったが、それは思い違いだったことを知ることとなる。
それから日を置かずに、藤堂は報告書作成の間を縫ってGGGへ出向き自分が交戦した無人機の残骸を直に見るという貴重な体験をした他、同時に出現した可変戦闘機のパイロット二人と顔をあわせる機会を得ることとなる。
更に、2機の可変戦闘機についてその性能を報告会に先立ってある程度知るといった貴重な経験も出来た。
政府、自衛隊の関係者が参加しての報告会にも、実際に交戦したパイロットの一人として参加を求められるなど、退屈どころか充実した日々を過ごす事が出来たと言える。
そして、時間は今現在に戻る。
藤堂の言葉に対し、神田はデスクから二冊のファイルを取り出すと、それを彼の前に差し出す。
「昇進には理由があってな。君にはそのファイルにある計画と関連部署を任せることとなった。読んでみたまえ」
「『部外秘』『極秘』……このようなものを小官が見ても本当に宜しいのですか?」
「かまわんよ。君にも関係のあるものだ」
表紙に押されたスタンプの文字に一瞬躊躇った藤堂だったが、神田に促されたこともありそのファイルを開き中に目を通す。
「はい、それでは……『SR-X計画』『新技術研究開発・実用化部門設置に関する計画案』……これは一体なんなのです?」
いぶかしむように質問する藤堂の表情と口調を見て神田は席を立ち、藤堂のそばに歩み寄る。
「藤堂一尉。この先は防機の範疇であり、君にまだアクセスする権限はない。それでも聞くかね?」
真剣な神田の言葉と表情に、藤堂は自分がのっぴきならない状況にやって来ていることを悟った。
彼が覚悟を決めた表情で頷くのを見ると神田は自分の席に戻り、改めて口を開く。
「時空融合から一年、日本連合を取り巻く状況が一変したのは君も知っている通りだ。日米安保体制は完全に崩壊し、君の出身世界にいた『赤い日本』との内戦状態になるなど、我が国を取り巻く状況は『自分でやらなければならない事』が多過ぎる」
神田の言葉に、藤堂は頷く。
藤堂もマスコミを通じてではあるが、アメリカの侵略者に対する緊張感からの全体主義化と日本を蔑ろにするかの様な姿勢。
日米関係の冷却化を感じ取ってはいた。
「まさか……ですが……」
藤堂が今一つ理解できずに放った質問に、神田は頷くと話を続ける。
「政府外交筋は将来的に、日米国交が断絶する可能性も有るとすら考えているんだよ」
一瞬、藤堂は心臓に冷たいものが刺さったような感触を覚える。
日米国交断絶……ということは……。
「アメリカ本土やムー拠点。もっと近い可能性でいけば、南極のゾーンダイク軍拠点……。こういった敵対する存在の拠点への偵察を可能にする戦略偵察機の開発が昨年末から進められている」
と、神田は『SR-X計画』と書かれた書類を指さす。
戦略偵察機……それも極秘で開発するとなれば、おそらく米軍のSR-71を上回る高性能偵察機となるであろう。
いや、多くの平行世界では軍事衛星の発達によって無用の長物となった戦略偵察機という代物を新規開発するのならば、偵察任務に加えて空戦時の性能も重視される機体を開発するに違いない。
「幕僚長。小官にその開発チームへ参加しろということなのでしょうか?」
少々飛躍した結論にも思えたが、藤堂はあえて口にだす。
神田はその言葉に、口元にニヤリと言った感じの笑みを浮かべると、大きく頷いた。
「そうだ。君があの無人戦闘機“ゴースト”との戦闘で見せた空戦技量は新型機開発を行なう上でなくてはならないものだ。もっともそれはもう一つの計画とも関係しているがね」
「この『新技術研究開発・実用化部門設置に関する計画案』とあるファイルですか?」
もう一方のファイルを手に藤堂は、神田に聞き返す。
「ああ、それは『航空技術検証班』という名前で設立される新部署についてのモノだが、同時にそこが君の新たな配属先になると共にSR-X計画の推進が最初の任務となる」
「なるほど……。しかし、この部署に与えられた任務がSR-X計画だけとも思えませんが」
「よく解っているな。『航空技術検証班』はファイル名にも有る様に、時空融合で出現した新たな航空技術を実戦で運用可能かを検証する他、新しい戦術を生み出す事を目的としている。そう、具体的に言うなら無人兵器への対抗戦術だ」
「無人兵器への対抗戦術」という言葉に藤堂は一瞬ハッとなり、神田の顔を見る。
「もうわかっただろう。君が今日ここに呼ばれた理由が。性能面で圧倒的に劣るF-15であの無人戦闘機の攻撃をかわして生き延びたという『戦闘経験』と『実績』が求められているんだよ」
と、神田は喋り疲れたのか、一旦デスク上においたコーヒーをすすると、藤堂の方を向き直る。
そして更に、あの2機の戦闘機を解析し、SR-Xのみならず今後我々が開発運用する航空機に応用していくためのデータ取りも任務の一つとなるだろう、と続けた。
「まさか……あれに乗れるんですか!?」
神田の言葉に、藤堂は思わず立ち上がり声を上げた。
戦場となった首都上空と報告会で見た2機の可変戦闘機。
あれに実際乗ってみたいと思うパイロットは少なくなかったのである。
「今すぐ、というわけではないがね。まだ暫らくは『パンドラの箱』にしまい込まれたままだ。むしろ、あれに乗っていた二人のパイロットが大きな理由だ」
「確か……イサム・ダイソン中尉とガルド・ゴア・ボーマン技師でしたか、彼等とはGGGで会った事がありますが」
二人の顔を思い出し、出会った当時のことを思い出す藤堂。
最初はどのような人物かと思っていたが、実際会って話してみると自分達とそう変わらない普通のパイロットであったことに驚かされた。
また、ダイソン中尉からは無人戦闘機との交戦に際して攻撃命令の許可を出したことについて随分と感謝されたのを覚えている。
「そう、彼等二人については客員パイロットとして主に技研とSCEBAIへ出向してもらうこととなるが、彼等の正式な所属が航空技術検証班となる」
当初、二人の所属をどことするかについては、空自と特自が最終候補に残ったが、本人達の希望で空自が身元を預かることとなった。
二等空尉待遇での客員パイロットとして、この新部署に配属させることが近く関連各所に通達される予定となっている。
「つまりそれは……」
「藤堂一等空尉、貴官に命じる。航空技術検証班の主任パイロットとしてイサム・ダイソン及びガルド・ゴア・ボーマンの両テストパイロットを監督せよ」
「……っ!?」
それまでと打って変わった雰囲気の神田が発した一言に思わず面食らう藤堂。
すぐには反応できず、言葉に詰まってしまう。
だが、間髪いれずに神田から次の一言が飛んでくる。
「藤堂一尉、返答は?」
「……つ、謹んで拝命します!」
「よろしい、貴官ならそう言うと思っていたよ」
その一言に、思わず頭をかいて一本取られましたと言う藤堂。
恐らく、拒否してもいずれはこの命令が来ると思っていたが、恐らくより確実な形で命令を受けさせるため神田はこのような手を使ったのだと理解した。
「貴官が所属する部署だが、他のスタッフについてはほぼ選定が終わっている。今後、人員は必要に応じて増えていくからパイロット部門のトップとして上手くやってくれ」
「了解しました」
この後、藤堂は既に他のスタッフが集まっている会議室の一つに通されることとなった。
そこには、既に聞かされていた二人の他に彼の弟、藤堂輝男の姿があって更に驚くこととなるのである。
7月31日
東京都墨東区押上 東京スカイツリー
揺れ戻し出現から二ヶ月も経ったある日、イサム達三人は揃って東京スカイツリー展望塔内にあるバーにいた。
当然、飲みに行くことが目的だったのだが、もう一つの理由があったからだ。
「んじゃま、俺達三人の七年ぶりの再開を祝って……」
「約束どおりの乾杯といくか」
「そうね。それじゃ……」
「「「乾杯!!」」」
グラスを軽くぶつける音が鳴る。
「少し遅くなったが、ようやく約束が果たせたな」
「仕方が無いんじゃねぇの?何しろこのところ忙しかったからよ」
時空融合に巻き込まれる前、マクロスシティ上空にて約束した「3人で飲もう」を果たす為にやって来ていたのだ。
どうせなら東京を一望できる場所が良い、と言うことになり、開業間もない東京スカイツリーの中にあるバーを選んだのであった。
東京スカイツリー……またの名を新東京タワーと呼ばれるこの塔、帝都区に隣接した墨東区がおおよそ1980年代~90年代を出自とする世界であったのに対して、このタワーは2010年頃の世界から竣工直前の状態で現れたのだ。
その後、融合後の情報網再整備等に合わせた改修が行われ、融合から一年が過ぎてようやく開業の運びとなっていた。
その事自体はイサム達にはあまり関係ないが、眼下に広がる東京の光景は、彼らにとっても「異世界」であることを改めて認識させる物があった。
足元に広がる1990年代から2000年代初めの墨東区と、隅田川を挟んで広がる帝都区エリアの明るさの違い。
そしてその先に広がる丸の内や新宿のビル街から溢れる光。
しばし見とれていた彼らだが、新宿の方に目をやっていたイサムは黒ビールを飲み干すと、おもむろに口を開いた。
「なぁ、俺達がここに出現した訳……なんとなくだけどわかったぜ」
その言葉に怪訝な顔をするガルドだが、イサムの視線の先にあるものを見てあぁそうかと言う顔を見せる。
「あぁ……アレか」
「アレって……何の事?」
勝手に納得言った顔を見せるイサムとガルドに、ミュンは判らないと説明を求める。
「アレだよ。ほら、新宿の方向」
イサムの指さす先にあるものを見て、ミュンも思わず納得した。
新宿ビル街の中で、特長的な二股に分かれたビル……。
丁度二つのタワー部分の照明が消えており、街の灯りとライトアップに照らされて黒々としたシルエットをさらに強調していた。
「都庁……ね」
「そっくりだろ?ああしてみるとマクロスに」
マクロスシティの中央部に人型形態……強攻型で鎮座しているマクロスの高さは1200メートル程あるのに対して都庁本庁舎はその四分の一程も無い。
が、その印象はマクロスシティで繋留されているマクロスを思い出させずにはいられないものがあった。
「偶然とは言え……妙な現れ方をしてしまったものだな」
ガルドも苦笑しながら水割りを口に運ぶ。
「この先……どうなるのかしらね」
ミュンの言葉に、イサムは軽く笑うとバーテンダーからハイボールを受け取りながら答える。
「なるようにしかならんだろうけどよ、とりあえずは今を一生懸命生きていくしかないんじゃないか?」
元の世界から完全に切り離されてしまった3人。
だが、この世界も決して生きにくい訳ではない。
「お、メシが来たぜ。食おう食おう」
ウェイターが運んできた料理の匂いが鼻をつく。
まずはこれからの為にも栄養だ栄養。
と笑いながら3人は酒と料理を楽しもう、と考えを切り替えるのであった。
店を出たイサム達は、これから浅草の神谷バーにでも行くかと話していた時であった。
スカイツリーから東武業平橋駅へつながっている広場に、なぜか複数の警官がいたのである。
「あ、そこの人!危ないから下がっていてください!!」
周辺を警戒していた機動隊員に呼び止められてしまい、とりあえずその場に足をとめたイサム達だが、次の瞬間警官の上にあった窓ガラスの爆ぜる音に、思わず後ずさりする。
と、ガラスの割れた窓から一つの人影がこちらに向かって落ちて来る。
が、次の瞬間「逃がさん!」という鋭い声とともに、割れた窓からロープらしきものが飛んでくるとその人影に器用に巻き付いていく。
動態視力に優れたイサムには、その巻き付いたロープがいわゆる「亀甲縛り」の形に結ばれていくように見えた。
「おい……まさか……」
イサムの脳裏に、このような場所でそんなことが出来そうな存在の名前が浮かぶ。
だが、口には出せない。
やがてロープが絡みついた男の体は空中で宙づり状態で制止したかのように見えた。
と、続けて割れた窓から新たなる人影が飛び出して来る。
「げ……あいつは……!」
予想通りの存在の出現に、思わずイサムは叫ぶ。
「あの時の新聞に載ってた……」
ガルドも判ったらしい。
「「「変態仮面……!」」」
3人の声が見事にハモる。
変態仮面らしき人影はイサム達の前に「ズンッ」と言う音を立てて降り立つと、なぜかその場に寝転がる。
「…………」
宙づりにされた男と変態仮面は丁度正対する形になっており、男を縛ったロープは途中に有る空調用パイプに引っ掛っている。
そして、ロープのもう一端は変態仮面の手に握られていたのだ。
「必殺変態流秘奥儀 『決死のバンジージャンプ』!」
変態仮面はそう一言叫ぶと、手に握っていたロープを放す。
当然、男の体は加速度をつけて変態仮面の股間目がけて墜ちて行く……が、その顔が股間に触れる直前でブレーキがかかり、見事に静止する。
「うわぁっ!」
と思いきや、再びロープが引かれ、男の体は宙に上がっていく……とまたもやロープは手放され、また男は顔が変態仮面の股間に触れるか触れないかの位置まで落下する。
「ひぃっ!」
それを10回以上は繰り返したのだろうか……すでに男は焦点の定まらない目をして涎をたらし、もはや抵抗する気力も失っているようだった。
「エ、エヘヘヘヘ……う、ふふふふふふふふふ……キャハッ」
「地獄へ……堕ちろ!」
と、変態仮面は一言言い放つと手に持ったロープを放した。
股間ギリギリの所でつりさげられていた男の顔は、今度は本当に変態仮面の股間にめり込む。
「成敗!」
男の顔がスリングショット状になったビキニブリーフに固定されてしまった状態で変態仮面はやおら立ち上がると、状況終了とばかりに構えをとり、決め台詞を放った。
「……」
あまりにもあまりだ、と言える変態仮面の捕物劇に、イサム達は心地よかった酔いも一気に醒めてその光景を茫然と見守るしかない。
と、変態仮面はなぜかこちらに視線を向ける。
「これは失礼しました。特にそこの女性の方……大丈夫でしたか?」
やたら紳士的な姿勢で近づいてくる変態仮面だったが、ミュンは見てしまったのだ。
おいなりさんを。
自分のパンティを盗まれたと言う記憶と、目の前でちまき状になっている変態仮面のイチモツ。
その二つが合わさった瞬間、ミュンの脳内は真っ白になった。
「ふっ……」
イサムが奇妙な声のした方を向くと、なんとミュンは白目をむいて倒れ込んでいた。
「お、おいミュン!しっかりしろって!」
イサムは倒れ込んだミュンを抱きかかえ、ガルドは変態仮面に詰め寄ろうとする。
「よくやった……と言いたい所だが、駄目じゃないか一般市民を巻き込んでは。しきじょ……じゃなかった変態仮面君」
「た、隊長さん。申し訳ありません、驚かせるつもりは無かったのですが……」
笑いながら、明らかに戦場をくぐって来た人間特有のキレのある動きをした偉丈夫が歩いてきた。
半ば忘れ去られていた機動隊員が思わず最敬礼したのを見て、この場を抑える機動隊かSWATの人間と検討を付けたガルドは、とりあえず変態仮面に掴みかかろうとするのをやめ、その男に向き合う。
「あんた、この変態の上官か何かか?」
険呑な空気を漂わせるガルドを見て、隊長……新命龍明は苦笑しながら一歩引き、頭を下げる。
「申し訳ない、私は『ERET』の指揮を担当している者です。ただ今上のテナントに銃器を持った強盗が立て篭もったという話が有りましてね……。それを彼が突入・制圧してくれたのですよ」
釈明と事情を説明され、さしものガルドもとりあえず身を引く。
その時、犯人の男と共に落ちてきた銃器がガルドの眼に入る。
銃器……それも床に落ちているものはSMGの代名詞ともいえる銃の一つ、UZIだった。
そんなものを持った奴がここに入り込んでいたと聞いて、ガルドは内心ぞっとしないものを感じる。
だが同時に、SMGを持った男を身一つで事前に制圧してみせた変態仮面の実力に、いささか馬鹿に出来ないものを感じ取ったのも事実だった。
そうこうしているうちにミュンも気を取り戻したため、新命と別れ浅草に行くため東武線へ乗りこんだイサム達であったが電車の中で、ガルドは思わず呟いていた。
「イサム……人間ってのは馬鹿に出来ないな……」
「ガルド……変態仮面の事か?」
イサムの言葉に、ガルドは黙って頷く。
「やめてよガルド……嫌な事思い出しちゃうじゃないの……」
座席に座ったミュンはいささかげんなりとした表情のまま、上目遣いでガルドを見る。
今回変態仮面が覆面として被っていたパンティは自分のものではなく、薄いピンクで上の辺りに「Aiko」と言う文字が入ったものであったが、それでも自分の下着を盗んだ犯人とはち合わせた後味の悪さが残っているのだ。
「う……すまん。だが、あのような光景を見ると印象に残ってしまってな」
「それに、あいつ外見の割に礼儀正しかったぜ。案外あの仮面の下は紳士だったりしてな」
「もしかして『変態という名の紳士』ってやつなの?それでも私は嫌よ……まったく」
なぜかミュンの脳裏に、スクール水着を着て女物の靴下を口にくわえた漫画チックなクマの姿が浮かぶ。
有る意味、「変態」と言う点では近しいと言えなくもない。
一方、3人が電車内で話していた同じ頃……。
「ぶえっくしょい!」
変態仮面こと色丞狂介は、状況も終了して新命達と別れようとしていたところで盛大なクシャミを放つ。
「どうした色丞、夏風邪でも引いたか?」
ERET隊員の一人が、笑いながら狂介の肩を叩く。
最初は変態仮面のサポート任務と聞いただけで嫌な顔をしていたERET隊員たちも、根は真面目な狂介の性格もあって一ヶ月以上過ぎた今となっては「弄り甲斐のある弟分」として見ている者も多かった。
「いえ、なんか誰かが噂したみたいな気がしたんですよ……。それじゃあ、僕は帰ります。お休みなさい」
「おう、気をつけろよ」
頭を振りつつも、狂介はERET隊員を乗せた装甲マイクロバスを見送り、帰宅の途に着いた……。
「まぁ、この先早々顔を合わす事もないだろ」
電車が浅草駅に近づいた所で、イサムはミュンをなだめるように言う。
窓の外には、1920年代の風景として出現した帝都区の町並みが見えている。
「そう思いたいけど……。なんか嫌な感じ」
ミュンはそう言うと、こめかみを指先でほぐすように揉み、溜息をつく。
「まぁ、浅草で飲んで忘れようぜ。明日も暇なんだしな」
「そうだな、せっかくの酔いも醒めてしまったし……。飲み直しといこう」
陽気にふるまう二人の気づかいに気づいてか、ミュンも軽く笑い、座席から立ち上がった。
100年以上昔の街角で楽しむのも良いだろう。
また、忙しい日々がまた巡ってくる。
イサム達はVFのテストで東京を離れることになるだろうし、自分も新しい職場での仕事がようやく軌道に乗りつつある。
帰れる時が来るまで、今を一生懸命に生きていこう。
そう思い彼女は浅草駅のコンコースをくぐり、街に繰り出した。
だが、この数年後3人は再び東京をめぐる大きな騒動に巻き込まれ、その際に変態仮面とまたも関わりあいを持つ羽目になるが、それは別の話で語られる事となる。
……さて、ここで時間は安全保障会議の前後にまで遡り、事件の時シャロンと接触したルリ(大)はあの後どうなったのかについて記すことにしよう。
6月10日 11:00
静岡県富士市 SCEBAI構内 SCEBAI付属病院
公聴会があった翌日、ルリはようやく退院を迎える事となった。
病院へ迎えに来ていたサブロウタの運転する車に乗り、やたらと広大なSCEBAI構内を走りながらルリは憂鬱な表情で窓の外を眺めていた。
体調は完全に持ち直した。
精神的にも大したことはない。
が、彼女の中であの時の事がしこりとなって何処かにつかえていた。
シャロン・アップル。
あの時、自分にアクセスしてきた彼女の存在は一体何だったのだろうか。
関係者のレポートによりルリもその正体については聞かされている。
だが、それだけではない「何か」がルリの心の中でシャロンの存在を忘れさせないでいるのだ。
今まで、マシンチャイルドである彼女は「勘」と言う事に関してはあまり重視していなかった。
だが、今回ばかりは電脳空間での出来事に「勘」と「推論」で当たらねばいけないようにしか思えないのだ。
「サブロウタさん……」
途中、特機を輸送するトレーラーが通ると言う事で構内信号により車が停車した時、ルリはぼそりと運転席のサブロウタに口を開いた。
「どうしました?艦長」
トレーラーはトレーラーでも、量産型グレートマジンガー試作機を運び込む日通の巨大なトレーラー故、速度は極めて遅く、停止してから1分以上経過したのにオレンジ色の巨体は目の前をふさいでいた。
「シャロンとは……一体何だったんでしょうかね」
ルリの言葉に、サブロウタは顔をしかめる。
「俺も良く判りません……。今回出現した戦闘機のパイロット達から聞いた事をまとめても、艦長が体験されたことは説明つかない所がありますからね」
トレーラーが一台通り抜け、誘導作業をしていた警備員が誘導灯で「行って良い」と合図を送る。
サブロウタはそれに軽く手を挙げて応え、再び車を発進させた。
「ただ、シャロンに関してはゴーストのAIが破壊された時点で消滅した可能性もあり得るそうですからね。今後出てこないとは思いますが……」
だが、ルリはそうは思えなかった。
「シャロンは、いなくなって無いと思います」
妙に確信を持ったルリの言葉に、サブロウタは思わずブレーキを踏みこみ車を止めてしまう。
車のほとんど無いSCEBAIの構内道路でなければ、追突事故を起こしかねない状況だ。
「艦長……?」
思わずサブロウタはルリをまじまじと見つめる。
「シャロンに接した時……AIの疑似人格に接したのとは明らかに違いました」
サブロウタの戸惑いの目線にも動じず、ルリは言葉を続ける。
「オモイカネとも違う……ということですか?」
ルリは頷く。
「むしろ……IFSを介して人とつながった時の感覚に近かったですね。しかも、これは報告していなかったのですが……」
通常、専用アンプを介さないと視覚・触角変換されることはないはずのIFSを介した感覚がシャロンにアクセスした瞬間、すべてを感じ取ることが出来ていたことを話す。
そして、シャロンが自分の心を「犯す」ような行動をしていたことを。
「艦長……」
サブロウタはもう、二の句が告げられないと言った顔をする。
「シャロンは、生きています」
生きています。
その言葉は、サブロウタにとどめと言える打撃を与えていた。
呆気にとられているサブロウタと目線を合わせないようにしながら、ルリははっきりとシャロンへの「怒り」の感情を意識していた。
自分のプライドを傷つけた彼女を、許さない。
17年間生きて来て、初めて認識した「倒さねばいけない敵」。
同時に、それにサブロウタやハーリー達を巻き込んでいいものかと言う迷いもある。
その悩みを悟られないように、ルリはそろそろ出発しないとプロスさんに怒られますよとサブロウタに笑いかける。
サブロウタもまた、時計を見て帰社予定時刻に間に合わなくなるとあわててアクセルを踏みこみ、ルリが一瞬気を失う程の急加速でナデシコGCR本社への道を急ぐのであった。
-同じ頃- SCEBAI構内 ナデシコGCR専用ドック。
ナデシコ級2隻は、今回の事件では艦体に大きなダメージを受けることがなかった。
しかし、ナデシコBのオモイカネが逆クラッキングを喰らい、メモリ領域に重大なダメージを受けている可能性がある事、未知のウィルスプログラムをシャロンに仕込まれた可能性がある事。
この二点から、艦体そのものはミッション終了時の通常整備であったが、オモイカネを中心とした艦内電子機器類に関しては念入りなオーバーホールが行われていた。
そんな中、ナデシコBの第二電算機室。
ここはオモイカネがハードウェア的に何らかの損害を受けた際に、データ・システムのバックアップを行うとともに艦内機能の維持に用いられる第2コンピュータが設置されている。
規模としてはオモイカネのバックアップに用いられることを前提として、同等のハードウェア構成となっている。
が、普段オモイカネはこのハードウェアの存在を認識することが無く、乗員も存在は知っていても意識することはない。
そんな第2コンピュータのメンテナンス用に設置された液晶モニタの一つに突如として電源が入ると猛烈な勢いで文字が流れ出す。
ISAMU ISAMU ISAMU ISAMU …
ISAMU ISAMU ISAMU ISAMU …
ISAMU is Not Found.
Search for RURI.
"Search for RURI."の文字が浮かんだ次の瞬間画面は乱れ、次の瞬間には電算機室のホロディスプレイが一斉に表示されると、その画面に緋色の髪をした女性を映しだす。
「ルリ……」
画面の中の女性はそう一言つぶやくと、再び姿を消した。
再び画面は何も映さなくなり、やがてホロディスプレイも消え去る。
沈黙に包まれる第2電算機室内のモニタに、一言だけ文字が浮かんだ。
RURI.
<感想>