Super Science Fiction Wars 外伝

東京空中戦 -Battle of Tokyo.-

H-Part.


6月12日 
ソビエト連邦 ペドロパブロフスク・カムチャツキー ソビエト海軍基地

さて、東京にて安全保障会議が行なわれていたのと丁度同じ頃、遥か遠く離れたソ連領では以下のようなやりとりがなされていた……。

「だからさっきから言っているじゃないか。僕は別に精神がおかしいわけでもないし嘘を言っているわけでもないんだ!何度言えば信じてもらえるのかなぁ……はぁ……」

ヤン・ノイマンはこの状況になってから何百回目になるかわからない溜息を深々とついた。
シャロンが「心に入ってくる」様な感覚にとらわれ、その言葉に惑わされるままイサムへと銃を向けた次の瞬間、目の前が赤く染まり気を失った。

そして次に気が付けば、なぜか雪上車の中で介抱されていたのである。

介抱してくれた者によると、自分は見渡す限りの雪原に一人で気絶していたというのだ。

だが、そんなことは自分を尋問している存在に比べれば大したことではない。
自分を見つけ、古臭い飛行艇に乗せて延々とここまで連れてきた存在がなぜ、「熊」なのか。

そして、その「熊」が鼻の曲がりそうな安っぽいオーデコロンの匂いを漂わせ、ロシア訛りの英語をしゃべっているのか。

「で、だ……ヤン・ノイマン君だったかな?この報告書によると、君は前任者と更にその前の担当者にも全く同じ事をしゃべっているわけだ」
「ああ、そうだよ。事実が事実なんだから当然じゃないか。嘘を言っても仕方が無いだろう……」

その熊……。
ご丁寧に濃いカーキグリーンのソ連軍軍服をしっかり着こみ、少佐の階級章を付けた熊は外見に相応しい?張りのあるバリトンで聞いてくる。

「ここに書かれている事が事実だとすれば、君はエデンという星からやってきたがシャロン・アップルなる女性に幻を見せられて味方のパイロットに銃を向けたところで気を失ったとあるがね」
「そうさ、そのとおりだよ。あんたの言っていることは大雑把だけど、よく読んでもらえば僕が宇宙人じゃないってわかるだろう」
「大変面白い妄想だ。わが国が世界に誇るSF映画のネタに使えるかもしれん。女性に幻を見せられて誘惑されるのはいただけないがね」
「だから、妄想じゃないって言っているだろう!あんたも同じこと言うのか!もううんざりだよ……」

またか、またこのやり取りかとヤンは呆れる。

思えば最初の尋問を受けたときからこうだった。

自分も言葉を話す熊という存在に驚いたが、得体の知れない相手に拷問などされてはたまらないと事実をありのままに話したがまったく信用してもらえなかった。
同じ事を何度も話すうちに、相手がこちらの言葉に耳を傾けてくれるようになったと思ったら、担当者が入れかわり全てが振り出しに戻る。

そんなことをもう3回は繰り返しているのである。

「そうは言っても、君の身分を証明するのは倒れていたときに着ていたあの奇妙な服ぐらいしかないのだよ。あの服の機密性がやたら高い理由はわからないが、あれだけでは証拠にならん」
「だからあれは……もういいよ……はぁ」

あれは宇宙服だと説明しようとしてヤンは諦めた。

最初、彼等に今がいつごろかと聞いた時は1960年代らしいと言われた。
なぜ「らしい」のかというと、この世界では1年ほど前に時空融合なる現象が確認されソ連でも地域によって60年だったりそれ以降だったりでまるで日時が異なるということらしい。
今は、彼等にとってはいささか不本意ながら極東の島国である「日本連合国」が制定した新世紀という年号を使用しており、その通りなら現在は新世紀2年とのことだった。

もし1960年代だったら確か人類が宇宙に出るかどうかという時代で、宇宙服なんて一般には知られてないはずだ。
目の前の熊が宇宙服の構造など知っているとは到底思えなかったのである。

「君がSF作家であれば有意義な時間だったのかもしないが、私にすれば現実と妄想をごっちゃにしている様にしか思えん」
「だから、もうこれまで何度も……」
「こっちとしては、街中で妄想を振りまかれても困るのだよ。このままなら君をシベリアの強制キャンプへと送ることになるだろう」
「そんな、いくらなんでもむちゃくちゃ……」
「それぐらいでいいだろう、少佐。あとは私が引きうけよう」

取調室のドアが開くと同時に新たな声が聞こえ、悲鳴に近いヤンの言葉を中断させる。
ヤンが振り返ると、そこには高級そうなスーツを纏った壮年の男が二人いた。

それも久しぶりに見る「人間」の男だ。

一方、尋問を担当していた少佐は声の主とは別の男から何か言われたかと思えば、椅子から飛び上がるように立ち上がると直立不動で敬礼をしてみせる。
その様子から、それなりに地位のある人間なんだろうとヤンはぼんやりと思った。

「同志少佐、ご苦労だった。この人物については今後我々が身元引受人となる」

と、その男は恐縮した面持ちで退室する熊に代わり、ヤンの前に立った。

「まずは自己紹介させていただこう……。私はイオシフという者だ。勿論通称だがね。そして、彼は私の部下であるスミノフ」
「スミノフです。以後よろしく……」

それぞれイオシフ、スミノフと名乗った二人を前にして事態が飲み込めないヤンはただただ首を縦に振るだけだった。

イオシフと名乗った男は、ヤンの向かい側に座ると口を開く。 

「この国に来て『人間』を見るのは初めてかね?」
「い、いやそうでもないよ。ただ、毎日顔を会わす相手が熊ばかりでうんざりしていたんだ」

まだおっかなびっくりな様子のヤンを見て、イオシフは苦笑しながら話を続ける。

「ふむ、そう思うのも当然だろう。だが、悲しいかなこの国の人間は殆どがあの様な姿をしていてね。我々のようにまともな姿をした人間は少数派なのだよ」
「そ、そんな……」

改めて突きつけられた衝撃的な事実に、ヤンは椅子からずり落ちそうになる。
やっとまともな人間に会えたかと思えば、なんと自分達が少数派の存在だったとは……。

「だが、安心するといい。我々が少数派であるのはこの国の中だけの話だ」
「え、そ、それじゃあ他の国には普通の人間がいるのか?」
「ああ、そのとおり。むしろ世界全体で見れば熊の姿をした人間は少数派だよ」
「な、なんだそうだったのか……よかった……」

イオシフの一言を聞いて、ヤンは安心したのか椅子に座り直し額に浮いた汗をぬぐう。
一方のイオシフは、その様子を見てヤンが平常心を取り戻しつつあるのを確認し、本来の目的を果たすこととした。

「さて、そろそろ本題に入らせてもらおう。ヤン・ノイマン君、先ほど言ったように今を以って君の身元引受人はこの私となった。今後、君の身分はこの私が保証することとなる」
「え、ああ確かにそんなこと言ってたけど、なぜ急にまた……?」
「疑問はあるかもしれないが、少なくとも君にとって悪い話では無いと思うがね。そう……今すぐ君をここから出してみせれば信用してもらえるかな」
「ほ、本当に!?可能ならすぐにでも出してくれ!もう独房暮らしはこりごりだったんだ!」

ここから出られるという一言、それを聞いた瞬間ヤンは驚くと同時に眼前の男が救いの神にすら見えた。

軍人ではなく一介のエンジニアでしかない彼には、一ヶ月間に渡るここでの暮らしがあまりにも過酷だったのは言うまでも無い。
三度の飯は出ていたし、夜中に襲われるような危険性はなかったが、風呂へはまともに入れず外から吹き込む風の冷たさは耐え難いものがあったのだ。

「どうやら、ここの暮らしには相当参ってたらしいね。いいだろう、君をここから出してあげよう……ただし条件がある」
「条件って?」 
「それはここを出てから話すとしよう。行く先はまだ教えられないが……。スミノフ、彼の私物を渡してやってくれ」 
「どうぞ、こちらを」

そういって、スミノフはヤンに包みを差し出す。
中には没収された筈の宇宙服と拳銃が入っていた。

「念のため、拳銃の弾は抜かせてもらったよ。万一のこともあると思ったのでね」
「こ、ここから連れ出してくれるのにそんなことするわけないだろう!ところで何時出られるんだ?もうここはこりごりなんだよ……」
「そう急かすものじゃない、すでに建物の外へ車を待たせている。では、行こうか」

イオシフに促されたヤンは、取調室を出ると二人の後をついていく。
途中何人かの熊とすれ違ったが、呼び止められることもなく建物の外へと出られた。

「これに、乗れというのか?」
「乗り心地は多少我慢してもらうことになるが、私も同じだ。君の新たな門出を祝うドライブを楽しもうじゃないか」

建物の前に停まっていたのは、一見すると冷凍車の様な大型トラック。
ヤンは助手席にでも乗るのかと思ったら、荷台の側へと乗るように命じられた。

冷凍食品扱いかと心の中で思いつつ、内部に入ってみて彼は驚く。
荷台の中は旅客機のファーストクラスを思わせる豪華なシートが並び、バーカウンターや映画鑑賞を楽しむ大型テレビが備え付けられてたからだ。

「ご覧のように、わが国の水準としてはかなり贅沢な設備を備えている。とりあえず、座りたまえ」

まだ驚きを隠せないヤンは、イオシフに言われるとすぐ間近のシートに腰を下ろす。
車内電話でスミノフが「出発しろ」と命じた直後、トラックは走り出した。

そのエンジン音を聞きながら、ヤンはようやくこの地から離れられるのを実感すると共に外の様子が伺えないことに不安をあらわにする。

「目的地に何があるんだ?」
「我々が持つ拠点の一つさ。まずは一杯どうかね」

イオシフから差し出されたグラスを何度も肯きながら受け取るヤン。
グラスに満たされたウォッカを口に含み、その度数のきつさに驚きながらも自分があの窮屈な生活から抜け出せたと改めて実感した。

「どうやらアルコールには慣れてないようだね。まぁ、目的地への到着はまだ先だ。それまで我が国の国策映画『ヨーロッパの解放』でも楽しむといい」
「そ、それより聞きたいことがあるんだけど、そのあなた達は見ず知らずの僕をあそこから出してくれた上、身元引受人にまでなってくれたんだ?」

あの海軍基地から出られると言われたときは舞い上がっていたものの、ヤンの言っていることはもっともな質問だった。
普通ならば頭がおかしいと思われていて、それも会った事も無い人間を助ける者などそうそういない。
なにより、眼前の男がそのような事をする奇特な人間にも思えなかった。

「ふむ、どうやら我々が君とこうして出会うまで何があったか説明した方がいいだろう。そもそもの発端は……」

そう言うと、イオシフは自分達がヤンと出会うまでの出来事を話し始めた。

事の始まりは、ソ連がヤン・ノイマンを回収した前の月に遡るが、その前にソ連の国内事情について記す。

時空融合の直後はマリネラ経由で世界各国の情報を得るなど外交面で出遅れたソ連だったが、内政面では一部強引な手法を用いながらも短期間で国内の安定化を果たした。

その後、エマーン商業帝国や中華共同体との接触を経てマリネラの手を借りず、独自に外交を行なっていくこととなる。

中でもソ連の名を世界に知らしめたのが、新世紀元年の夏から秋にかけて行なわれた日本連合との外交交渉と、平行して行なわれた難民輸送作戦「エクソダス」であった。

ソ連はこの時、シベリア鉄道の優先使用権を日本連合に与えたのに加えて、北方四島と千島・樺太の極東領土にロシア太平洋艦隊の大部分を日本連合へ譲り渡している。
そしてこれらの件と引き換えに獲得した膨大な量の援助物資は、早ければ1年以内に飢餓状態となるソ連の国民を救い、更に現体制への信頼を揺ぎ無いものとした。

同時に「エクソダス」での積極的協力は、周辺国に対するソ連の印象を良いものとするのにも一躍買ったのである。
それは、ソ連という大国が活性化すると同時に、かつての領土を取り戻すという野心の切欠にもなったのだが……。

ソ連という国は、帝政ロシアの時代から「不凍港」を得ることを目的とした侵略戦争を幾度か引き起こしていた。
ヨーロッパ側の領土における港の多くは、北海あるいはバルト海に面しており、冬には流氷に閉ざされてしまう。
直接海に面した凍らない港もまた、南側に面した港も黒海の奥であり、大西洋へと出るには多くの他国の領海を通らなくてはいけない。

その、時空融合後は数少ない不凍港であるオデッサも、ウクライナ及び「統合歴世界」より出現したドラグノフ連邦という他国のものとなり、ソ連は他国への「海の出口」を完全に失っていたのだ。

国力としても最盛期の1960年代より現れたソ連が、この状況を黙って見ている筈がなかった。
「エクソダス」に協力したのも、東欧地域に出現した旧ドイツ軍をはじめとした勢力が丸ごと東欧諸国に味方した際、東欧侵略における最大の障壁になりうると予測し、それを少しでも殺ごうという目論見が有ったのだ。

時は流れて、新世紀2年4月。

アメリカが南米のムーとの戦いに国力を傾注している頃、ソ連はカムチャッカ半島より更に北のチュコート半島からベーリング海峡を越えてアラスカ州へ上陸後に内陸を調査・偵察するという作戦を実施。
一見すると無謀な計画であったが、マリネラやエマーン、日本連合経由で入ってくる情報からアメリカの国内情報を得る機会は今しかないと判断した結果実行されたのである。

人員は全て「普通の」人間から選抜され、アメリカ領深くを偵察するべくそれなりの物資が投入されることとなった。

丸一ヶ月に渡る調査は、危険を冒して行なっただけの価値はあり、アメリカが既に全体主義化しつつあることやカナダ、メキシコの現状を垣間見ることが出来た。
そして、この作戦の帰還途中にアラスカの雪原で倒れていたヤンを調査隊が偶然発見し、回収したというのが現在までの流れである。

「君は運がいい。あの時我が国の調査隊が回収しなければあのまま凍死していただろう。実に幸運と言うべきだ」

イオシフは、ヤンをアラスカで回収したことをぼかしながら報告書にあった内容を思い出しつつ話す。

「もっとも、その後は暫らくの間不便を強いてしまったがね。我々がもう少し君の事を知っていればこのような目にはあわせなかったものを」
「そ、そうだ!すっかり忘れていたけど、どうやって僕のことを知ったんだ!?」
「そう驚くことじゃない。君が尋問を受けた時の調書と先ほど返却した私物がこちらに回ってきたのだよ。特にあの宇宙服を見たときは驚かされた」
「あんた……いや、イオシフさん。あれが宇宙服だってわかるのか!?」

宇宙服という単語を耳にした瞬間、ヤンは驚きのあまり手にしていたグラスを取り落としそうになった。

無理もない。発見されてから没収されたあの宇宙服が何であるかをわかる人物は尋問を担当した者たちの中には一人もいなかった。
だが、目の前の人物はあれの名称をさらりと言ってみせたのである。

「私の知っている宇宙服よりさらに高度で洗練されたデザインの宇宙服……。あれを持っているというだけでも、君が特別な人間だということがわかるよ」

イオシフの出身時代である1990年代初頭のソ連/ロシア製宇宙服といえば、1960年代に研究されていた月着陸計画のスピンオフとも言える設計のもの。
別名「着る冷蔵庫」とも言われていたものであった。

ガガーリン時代の宇宙服に比べれば洗練された物だったが、ヤンの着ていた宇宙服はそれが出来損ないのガラクタにしか見えない程、洗練されコンパクトに纏まっていたのである。

そこでイオシフは一度話を切ると、傍らにあったファイルを手に取った。

「君の尋問に先立って身体検査や精神鑑定が行なわれているが、この結果を見る限り君が正常な精神状態であることは明らかだ。どうやら精神鑑定が必要だったのは尋問を担当した彼等だったみたいだね」

ジョークを混じえたその一言は、ヤンの警戒心を解くこととなる。

「それなら……あなたは、僕の言うことを信じてくれるのか?」
「ああ、少なくともこの私は君の証言がまぎれもない真実だと思っているよ。ヤン・ノイマン君」

その一言が決定的なモノとなったのだろう、ヤンは緊張の糸が切れたかのごとくおいおいと泣き出した。
まさか、自分の言葉を信じてくれる人がいたとは思わなかったのだろう。

(どうやら、私が証言の全てを信じたと思っているみたいだな……。まぁ、今はそう思っているのが幸せだろう)

おいおいと泣き続けるヤンを前に、イオシフは心の中で冷ややかに言ってみせる。

調書を見る限り、彼は間違いなく真実を話しているのだろう。
だが、イオシフはその証言が必ずしも「この世界」では真実にならないと思っていた。

例えば、彼は自らの出身地を「惑星エデン」と述べているが、自分の世界はおろかこの60年代から出現したソ連でもエデンという名の天体は発見されていない。
グルームブリッジ34という恒星系に存在しているそうだが、残念ながら11.6光年も先にある恒星系の「惑星」まで確認できる望遠鏡等今のソ連には有る筈もなかった。
つまりエデンの存在が証明されない以上は彼の証言を全て真実と認めることは出来ないということになる。

(それは、私自身の経験に基づくことだからね)

そう、今のソ連で大部分を占める熊人の世界から来た軍人やクレムリンの重鎮は自分の名はおろか、ソ連情報部を築いたアラロフの孫であることすら知らなかったのだ。

おかげで融合当初は随分と苦労させられたとイオシフは当時を思い出しつつ苦笑する。

(しかし、あのマリネラという小国から来た使者が私の命を救うだけでなく、かつての地位を取り戻す役に立つとはね……)

融合直後、自分達がソ連崩壊後の世界から来たことを証明する為、クレムリンへと証拠となる機密文書を渡したイオシフだったが、クレムリン側も当初はそれを信用しなかった。
それどころか機密文書とソ連崩壊の情報は、日本連合の放送と同様謀略と考えられた上に、イオシフ自身も拘束されてしまったのである。
このままでは最悪死刑、運が良くてもシベリアの強制収容所行きかと思っていたところで、ある出来事が彼を救うこととなった。

新世紀元年の7月に行なわれたソ連とマリネラ王国との国交樹立、そして同時に行なわれたされたブレジネフ書記長とマリネラの全権大使である間者猫との会談。
この時マリネラ側から「ソ連崩壊後に公表された機密文書」がソ連側へと提示されたが、これはイオシフがマリネラとの国交樹立以前にクレムリンへ提出したものとほぼ同じものであった。
ただし、イオシフのそれは質量共にマリネラの持ち出した文書を上回るものだったが……。

いずれにせよ、マリネラとの一件で当初謀略と思われてた文書に再びスポットが当てられ、イオシフと彼の部下は改めてクレムリンの上層部から話を聞かれることなる。
結果、イオシフは極めて短期間のうちに復権を果たしただけでなく、現在はソ連にとっての非常に重要なブレーンとして重要視されていた。

現在のイオシフは表の役職こそ、元の世界と同様戦略ミサイル軍の少将という地位にあるが、実際にはクレムリンの重鎮達にとっての私的な相談役という地位にある。
なにしろ、今のソ連国内では貴重な「ソ連崩壊後の世界から来た人間」であり「国の内側から、ソ連の問題点を客観的に分析できる人物」なのだから重用されるのも当然かもしれない。

無論、ブレジネフ以下クレムリンの重鎮達もイオシフが極めて野心的で危険な人物であることは承知している。
しかしそれを差し置いても、彼の指摘により史実で共産主義のイデオロギーを優先して行なわれた幾つかの政策や事業を撤回・修正したことでソ連の内情は短期間で改善されたのも事実だった。

具体的な例を挙げるなら、20世紀最大の環境破壊と呼ばれるアラル海の開発計画は白紙に戻され、フルシチョフ政権下で実施され見事失敗した農業政策の結果、非栄養化した農地は土壌改良の対象となった。
物流のシステム見直しも行なわれ、それまで入手困難だった一般消費財が低品質ながらも極めて安価で簡単に国民の手に入るようになり、労働者の生活水準も向上していくこととなる。

また、禁制品を扱った業者に対しては、国内外の人間を問わず徹底的な取締りと物資の没収が行なわれ、同時に闇経済の排除が行なわれた。
取り締まりの摘発対象には、有力家にシェアを奪われたエマーンの弱小商人も含まれていたが、それでも利益を求めるエマーン商人はソ連との取引から手を引く気配がない……。

さて、ここで話を今現在に戻す。

未ださめざめと泣いているヤンを見ながらイオシフは彼を今後どうするか考える。
この若者の言葉に嘘は無い……だが、その言葉そのものが役に立つとは思えない。

だが、ヤンに利用価値があるのは確かだというのはイオシフも認めるところだった。

(彼は調書によると、エデンでは航空機の技術者だったとある。それも宇宙空間を飛行できる優れものだ……)

宇宙空間を飛行できる高性能航空機、と考えた所でイオシフの脳裏に東京での一件がよぎる。

(まさか、な……)

日本連合の巧妙な情報操作も有って、新宿での一件は騒動の規模にも関わらず全貌を把握できていない。
手に入っているのは東京のソ連大使館から送られてきた事件後数日分の新聞記事と、専門家が見ればCGによる改竄が明らかに判るTV中継を録画したDVDだけだ。

もし、事件での戦闘機が彼の作った或いはそれに近い物であった場合、真の姿を見抜く事が出来るかも知れない。
イオシフはあえて、賭けてみる事にした。

「そうだ、君に見せたいものがもう一つ有ったんだよ」

そう言うと、イオシフは傍らに有ったリモコンを取り出しTVの電源を入れ、DVDを再生する。

車内が暗くなると共に大画面の液晶TVに映し出される東京上空で繰り広げられる戦闘機の空中戦。
それは、泣いているばかりと思われたヤンの目を釘付けにするものだった。

巧妙な編集により肝心な部分はCGやノイズで改竄され、あるいはカメラ視点の転換により隠されているが、東京に突如出現したとされる戦闘機の驚異的な動きに目を奪われるヤン。
ニュース映像の時間は5分ほどの短いものだったが、彼はそれをリピート再生し、時にはコマ送りして見続ける。

「どうやら、満足してもらえたようだね。それで、次に見て欲しいのはこれだ」

暫らくしてTVを消し、リモコンをイオシフへと返すと次にヤンが見せられたのは事件の新聞記事だった。
正確には元の記事と内容をロシア語、英語に訳した文書付きのものだが。

その一つ一つに目を通していくヤンの姿を見てイオシフは自分の勘は外れてなかった考える。

(だが、ここからが大事だろう)

ヤンが航空機エンジニアだったといえど、調書にあったのはあくまで「航空機」とあるだけだ。
軍用機のエンジニアという保証はどこにもない。

もっとも民間機のエンジニアだとしてもその技術と知識は利用価値が十分あるだろうが。

そこまで考えて、イオシフは記事を読みふけるヤンに言葉をかける。

「ああ、記事を読んでいるところで悪いが、日付の通りその騒動が起こったのは日本連合時間で5月30日……君が回収された日の午前中だよ」
「え、あ、確かにその日だ……」

イオシフの言葉にヤンは驚いた顔で日付の部分を見る。
どうやら、日付には全く気付いてなかったらしい。

その様子を見て、やはりと思うイオシフ。
日付に気付かない程記事の内容に注目しているということは、恐らく東京での一件が彼と何らかの関連があるに違いない。
こちらが出せる情報は全て見せてやったので、あとは彼の知識に頼ることとなるだろうと考えたイオシフは、ヤンに質問をぶつけることとする。

「これで、こちらの出したものには全て目を通してもらったわけだが、あと一つこれらの記事には無い情報を話しておこう」
「なんです?」
「東京での騒動におけるこれらの戦闘機にはもう一つ噂話があってね……何でもこの内の2機は人型に変形したそうだ。事の真相は確かめようがないがね」
「人型に……!?」

ヤンの驚いた表情を前にイオシフは、これで間違いなく当たりを引いたと確信した。

「随分な驚きようだね。さて、君に聞いてみたいことがあるのだがいいかね?」
「え、ええ答えられる範囲でならば」
「いい心がけだ。では、先ほど見せた映像と記事から噂話の件が真実と思えるかね?君の航空機エンジニアとしての知識を見込んで聞きたいのだが」
「この映像だけではなんともいえませんが……」

もう一度TVのニュース映像を見ながら、質問に答えようとするヤン。
2機の内の1機が見せるすさまじい運動性能は、確かに自分が開発に携わったYF-19を思い出せる。
だが、巧妙な編集とCGによる改竄の為に機種の外見を見ても、これがYF-19であるとは言い切れなかった。

「これだけの運動性能を持つ機体なら、人型に変形しても十分実用に耐える強度を持っていると思いますよ」
「ほう……なるほど」

だからこそ、ヤンは自分が持つ知識の範囲内で解答することとした。
迂闊な回答をすれば、それこそ命に関わるかもしれないのだ。

その一方でヤンの心中は、間違いなくこの3機の戦闘機はYF-19と21、そしてゴーストX9だと言う確信が半ば出来つつあった。
それでも、イオシフから受けた説明で引っかかる部分があった為、自分が知っている機体だとは言わなかった。

なにより、撮影された場所が場所である。
マクロスシティ上空ではなく第一次星間大戦で壊滅した東京での出来事であり、もしかすれば全く別の機体という可能性もあるのだ。
流石のヤンもここまで場所が変わっていたのでは、100%の確証が持てなかった。

そして、虫の知らせと言ったらよいのか、ヤンの勘はまだイオシフに真実を話すべきではないと告げていた。

「君なら、これに対抗可能な機体を作れるのかね?」

当たりを引いたな、と感じ取ったイオシフは、念のためにカマをかけてみる。

「出来ます……。と言いたい所ですが、今のソ連では無理でしょうね」

ヤンは今のソ連が1960年代を中心にしていると聞いた時点で、対抗できる機体を設計できても作ることすら困難だろうと判断していた。
人が音速を超えて飛ぶのがやっと当たり前になったばかりの頃である、YF-19のような機体を作る技術どころか理論すら無いだろう。

それを聞いて、イオシフもそうかと頷かざるを得なかった。
このような高性能機は喉から手が出るほど欲しいが、技術力も基礎工業力も足りないとなっては、またエマーンとアメリカに頭を下げなければならなくなる。
彼自身はそれでも一向に構わなかったが、それだけはクレムリンが避けたがっていた。

だが、同時に現在東欧諸国と戦争中であるソ連が高性能の機体を欲しがっていたのも事実である。
5月半ばの開戦から既に一ヶ月が経過したが、ルッチェランド攻略後に“囮”として開始された空爆作戦は大きな損害を出していた。

東欧連合軍が運用する航空機……「未来」のソ連・ロシア製戦闘機Su-27シリーズやスウェーデン製のJAS39グリペンに対するキルレシオは10:1と言う看過できないレベルにあった。
上層部は早急にソ連国内で残っているSu-27を使えるようにしろとせっついている。

が、「熊人」のパイロットが乗りこなせるように機体を改造するのは困難であり、新しく機体を作るのは土台間に合う筈がない……とイオシフは思っていた。
ましてや東欧連合のSu-27の中には電子機器をはるか未来からバルカン半島に出現した二国……レギウム共和国とドラグノフ連邦製の物に換装し、性能を大幅に向上させた物が出てきている。

どう見ても勝ち目はなかった。

今のところ陸戦に関してはルッチェランド攻略後、一度進軍を停止しており、近く開始される大規模侵攻作戦で“赤いスチームローラー”による浸透戦術を、実施する予定である。

だが、制空権を握られてしまえばスチームローラーもいずれ停止せざるを得ないだろう。
それどころか、囮として行なっている作戦で本気になると損害も馬鹿にならなくなる。

多数の目標をロックオンし、さらにそれをこちらの想定をはるかに超える長射程AAMで迎撃できる東欧連合機に対して、ソ連軍は数で押し切ろうとしている。
が、先日レギウム首都ソルグレンへの爆撃を目指して飛び立った最新鋭爆撃機Tu-95で編成された戦略爆撃隊が黒海上空にて東欧連合機の長距離AAMと地対空ミサイルによって「魔女の大釜」と呼ばれる程の大損害を出してしまった。

ここに到って上層部は、囮作戦の損害が戦略全体の軌道修正すら引き起こしかねないと戦略爆撃機を後方へと下げることになる。

(いささか高い授業料だったがこれで上層部も頭が冷えたことだろう。それに、囮作戦としての任務は十分果たしたのだからな。さて……彼の頭脳と技術をどうするかは拠点に到着後、決めるとしよう)

ヤンの回答に満足したイオシフは、遥か遠くで行なわれている戦争の動向を思いつつ今後のことを考える。

幸いなことに、今の拠点は融合前から自分が身をおいていた場所なので、政府も実体を知らない為ある程度自由に動くことが出来る。
問題は最新のコンピュータや工作機械をどこから入手するかだが、それについては思案のしどころだった。

(アメリカとエマーンは技術水準では申し分ないが、この際除外だ。日本連合も優れた技術力を持つが、融合前と異なり情報機関に気取られる可能性もある……。中華共同体も技術水準は高いがこちらの技術から逸脱した部分が多い)

どうするかと考えた時、ある都市の名が浮かぶ。

(やはり、鍵となるのはロンドンかもしれんな)

あそこは、報告によると当初カナダか或いは豪州へと都市丸ごと移転する予定があったが、結局残留が決まったとのことだった。
今ではマリネラの協力を得て、エマーンとアメリカの貿易取引を仲介し、大きな利益を上げているとの報告もある。

アメリカやエマーンから直接買い付けるのは無理でも、ロンドンを介して入手すれば容易い筈だ。
クレムリンにとっても面子は立つに違いないとイオシフは考える。

(こちらからは、不足しがちな物資を融通してやればいい。だが、マリネラはこの件で埒外にしておく必要がある)

そこまで考えた彼の頭に浮かぶのは潰れ餡饅を髣髴とさせる怪生物……もといマリネラ国王の顔。

(あの国王は外見こそまことに醜いが、行動力は有り余るほど持っており加えて金に汚い人間との話だ。知られようものなら、それこそ足元を見られるだろう)

だがロンドンなら間違いなく、いやアメリカの不穏な動きを見れば確実にこちらの思惑を知った上で話に乗るだろう。

過去の歴史を振り返れば、米ソ冷戦の時代にイギリスはアメリカの一人勝ちを好ましくないと思っていた為、裏からジェットエンジンや原爆の技術をソ連に流した事がある。
そして、時空融合後の世界が冷戦の時代以上に混沌としていることも、こちらの有利にはたらくのは間違いない。

横を見ると、ヤンは疲れたのかシートに身を預けて眠っている。

(ふむ、やはり疲れていたか。目的地はまだ遠い、眠ってもらっている方がこちらには好都合だよ。今のうちに色々と手を打たせてもらおう)

そう思うと、イオシフは車内の無線電話を手に取り何処かに連絡を取り始めた。

新宿で起こった出来事の当事者が知らぬところで、思いもよらぬ策謀が動き出そうとしている事実を知るものはまだいない……。

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