Super Science Fiction Wars 外伝

紋別奪還作戦「トッカリ」

Fパート


新世紀3年8月28日 0610時
北海道紋別市沖合 第一司令艦隊指揮下 第11護衛隊

紋別奪還を目指す陸の戦いが既に終焉に到るカウントダウンを刻む中、洋上における戦いはこれから最高潮を迎えようとしていた。
海中から迫りくる謎の存在――通称“UNKNOWN”――が従来の潜水艦とは明らかに異なる能力を発揮し第11護衛隊がこれを迎撃せんとしていたからである。

最初の一撃は確かにUNKNOWNへダメージを与えていたが、撃沈したと思った所にあらわれたもう一つの反応に護衛隊は混乱する。
しかし、既にゾーンダイク相手にも多大な戦果を挙げてきた彼等の事、その混乱も短時間で収束しすぐ様迎撃態勢に入った。

『全艦アスロック1番から2番、トラックナンバー2-0-0-1から2-0-0-3へサルボー(斉射)』

「最上」に座乗している吉川隊司令からの指示が届く。

「CIC聞いたか、アスロック1番2番をサルボー。復唱は必要ない」

全速に近い速度で航行中のため揺れる艦橋で、阿倍野はCICの砲雷長に指示を飛ばす。
今回トッカリ作戦に参加している第11護衛隊の島風型4隻は全て、4発だけ「スペシャル」と呼ばれる改修型07式垂直発射式対潜ロケット(アスロック)を装備している。
80ktと言うとんでもない速度で接近する小型潜水艦3隻を相手にするには、この「スペシャル」が必要と言う判断であった。

超音速で飛翔し対潜哨戒機やヘリコプターによるリアルタイム誘導が行われる07式アスロックから逃れられる潜水艦はまず、居ない。
かつてこれのテストに立ち会ったアメリカ海軍の将官は「まるでサジタリウスの矢だ」と称している。
融合世界においても量産体制に入ってから約半年。屠ったムスカの数は100頭単位に達していた。
だが、その07式を持ってしても迎撃できないほどの高速潜水艦が現実に現れようとしている状況を見て、試作されたものが「スペシャル」だった。

「VLA解放。『スペシャル』発射します」

幾分するまでもなく「島風」の艦体中央部に設置されたMk-41Mod3.型VLSが開き、2発の07式垂直発射対潜ロケット……「スペシャル」が発射されたことを伝える振動と轟音が艦橋にも伝わってくる。

「距離、20マイル。アスロック01から08、目標A(アルファ)との会合まであと15秒。ターミナル誘導ステージに入ります」

音速を超えて飛翔したアスロックは目標を追尾するP-1と最上から発進したSH-60K、さらに島風が搭載しているQSV-1「ファルコン・アイ」がサーチしたデータを基にした未来予測位置が近づくと共にブースターを切り離し、通常の07式であればパラシュートを使い減速するところをバリュートを開いて通常より早い速度で水面に落下すると弾頭を切り離した。

その弾頭は、巨大な空気の泡を作るとそれを纏ったまま通常の短魚雷をはるかに超えるスピードで目標を追いかけ始める。
「スペシャル」がスペシャルたるゆえん……このアスロックの弾頭となっていたのは、「シュクヴァル」だったのである。

シュクヴァル……冷戦末期にソ連軍が開発した超高速魚雷のことである。
スーパーキャビテーションで発生する巨大な泡を身にまとい、水中航行体としては非常識とも言える高速で敵を追いかける。




日本連合に恭順した「人の世界」のソビエトやロシアの海軍艦艇が装備していたシュクヴァルは日本連合によって解析され対高速潜水艦戦の切り札となるべく、アスロック弾頭としての短魚雷版が開発されていたのだ。

「着水地点から目標までの距離2マイル。アスロック01,02,05.トラックナンバー2-0-0-3に照準。03,04,06.2-0-0-1に照準。07,08。2-0-0-2に照準」

正体不明の小型潜水艦3隻の速度は80kt。対するシュクヴァルは弾頭から射出された時点で50kt。最終的には200ktにまで達する。
敵が振り切らなければ確実にこの「スペシャル」で葬れるはずだ。

そのはずなのだが、なぜか阿部野は不安感に苛まれていた。
疳の虫が騒ぐとでも言うべきか、確実に倒せるはずの敵がこうも無防備に突っ込んでくるというのは疑惑の念を抱かずにいられないのだ。

不安を部下に気取られないように気を付けながら、阿倍野は彼しか今のところはコンタクトを取れない存在に心の中で話しかける。

「『島風』。お前のセンサーで何かわかるか?」

パッシブソナーなどで入ってくる情報はある程度「人の知覚」で理解できる範疇に情報は整理されてしまう。
だが、彼女であればセンサーが拾った「生」の情報から人がわからない何かを感じ取れてるかもしれない。そういう気持ちがあったのだ。

『……この速度であってもあり得ないぐらいノイズがひどいよ。これってふつうの潜水艦の形してないんじゃないかな』
『……そうか。「はくりゅう」から何か聞けたか?』

第一報を知らせてきた『りゅうおう』型潜水艦3番艦『はくりゅう』は新型のビジュアライズソナーを搭載している。
本来ならロレンツィニセンサー搭載の「りゅうおう」が居ればより正確な映像を得られるところだが、贅沢は言えない。

『ううん、解らない。シルエットだけだと「ものすごくごつごつした潜水艦」だってことはわかるんだけど……』

島風の言葉に阿倍野は、件の潜水艦が癖のあるノイズを出しているという情報を思い出す。

『何と言ったらいいのかな、鳥……翼広げたペンギンって言うか、エイって言えばいいのか…そんなのが飛んでくる感じ』
『ペンギン…?エイ?』

島風……正確には島風の「船魂」の言葉を聞き、阿倍野は今自分たちに接近してくる存在が普通の潜水艦では無いという事を直感的に悟った。

『ありがとう、島風』

そう伝えると、阿倍野は戦術コンソールから副長である吉岡大尉の方を向く。

「副長、主砲の弾薬、マガジン一つだけAPに換装しておいてください。もしかしたら砲撃戦になるかもしれません」

通常、島風に装備されている127mm速射砲は近接信管を装備した対空榴弾を即応マガジンに搭載している。
だが、時空融合後、怪獣や重機動兵器による揚陸阻止作戦を考慮して戦車砲用のAPFSDSを改良した速射砲用APFSDSが開発されていた。

島風にもこれが百発ほどではあるが、搭載されている。
『ペンギンみたいな』という言葉を聞いた際、阿倍野の脳内に浮かんだのは『上陸用機動兵器』というイメージだった。

潜水艦としても運用可能な上陸制圧兵器を研究している……と言う話を以前、陸自に居る友人から聞いた事があったのだが『ズゴックみたいなのでも作ってるのか?』と冗談めかして聞いた阿倍野に、その友人は顔は笑って居たのだが目は真剣だった。
現にドールズこと陸自の第二空挺機動大隊が用いている『パワーローダー』は潜水艦から発進し、短時間だが水中を移動して上陸することも可能と阿倍野は知らされていた。
現に今回の作戦ではDoLLSが潜水艦から発進し上陸作戦を行なっているが、機密の関係からその技術が伏せられていた為、阿倍野がその事を知る由もない。

潜水艦としても高性能な上陸機動兵器というのはパワーローダーよりも高度な代物であるが、もし件の潜水艦が上陸機動兵器であった場合対艦戦闘能力が皆無とは思えない。
場合によっては「人型兵器」である可能性も考えられるのだ。

「砲室聞こえるか、マガジン3を徹甲に換装。急げ!」

そこまで思考をめぐらした阿倍野のそばで、吉岡がインターコムに向かってどなる声が聞こえる。

「間もなく魚雷、着弾します」

CICから砲雷長が連絡してくる。予想到達時間は過ぎていたが、どうにか魚雷は敵を捕捉したようだ。

「命中、トラックナンバー2-0-0-3並びに2-0-0-1爆砕音確認、撃破確実」

その言葉に、艦橋は一瞬沸き立つ。

「待ってください、トラックナンバー2-0-0-2。ノイズ急激に増大。魚雷を……ダメだ、音が大きすぎて解らん!」

パッシブソナーを担当するCICの水測長が悲鳴を上げる。アクティブソナーや磁気探知も魚雷の爆発で発生した泡の振動で役に立たない。

「落ち着け!雑音が消えるまで警戒を緩めるな」

爆発音、気泡がはじける音、水の流れが乱れる音。
音が飽和し、聴覚を占拠して荒れ狂う。

スピーカーにつなげてあった曳航式パッシブソナーが伝える水中の音が収まっていくにつれ、艦橋とCICに緊張感が高まっていく。

『トラックナンバー2-0-0-2、健在!浮上してきます!』
「狼狽えるな!」

CICから水測長の悲鳴が聞こえた。阿倍野はパニック寸前となっているCICを一喝すると、手すきの乗員に対不審船戦闘の準備をさせる。
幾分もなく、救命胴衣にヘルメットをかぶった司厨班や航空機整備班が手にM2機関銃やパンツァーファウスト3、はては(赤い日本からの鹵獲品である)RPG-7を持ち、ばたばたと甲板に出る姿がブリッジからも見えた。

『目標、深度20ヤード。あと30秒で浮上します』
『浮上予想位置は?』

あくまで冷静さを通した阿倍野の態度に、水測長も落ち着いたようだ。

『本艦から見て右舷前方、2時の方向。100ヤードです。浮上まであと20秒!19、18、17……』

水測長がカウントダウンを開始する。
ブリッジのモニターに映るソナーの情報は、今浮上してきている物体の詳細をおぼろげながら伝えている。

巨大な翼を広げた、異形の鳥。
阿部野はこの場に居る僚艦3隻にも通信を入れると、指示を出す。

「全艦主砲、予想浮上位置に照準。弾種徹甲でカウント3と共にサルボー!」

その言葉に島風のブリッジからも見える位置に居た「山雨」と「夏雨」が主砲を旋回させるのがわかった。

「10……9、8、7、6、5、4……」

水測長が3をカウントした瞬間、島風の主砲が咆える。

轟音と共に砲弾が水面をたたき、沸き上がった水が霧となって舞い上がる。
その中をひときわ巨大な水しぶきとともに、「それ」は姿を現した。

「目標、浮上!……でかいっ!」
「総員衝撃に備えろ!つかまれぇっ!」

水測長が悲鳴に近い声で叫ぶ。
阿倍野も艦長席の肘掛を握りしめ、目を見張った。

翼のように見える流線型の巨大なアームを展開した、人と鳥と魚をグロテスクに張り合わせたような印象を与えるシルエット。
大きさそのものは20メートルもないはずなのだが、ブリッジの窓から見えるそれは異様に大きく見えた。

『フォックス2スタンバイ、ファイア!』

最上艦載の『海鳥』が装備していたハープーンを発射することを伝えてくる。
幾分もなく白い航跡を引いてミサイルが二発、飛来する。

だが、その「怪物」はミサイルの飛んでくる方向に頭を向けると「口」を広げ、獣じみた咆哮と共に「光るなにか」を放った。
その直後に爆発音が二つ、鈍く響く。

「今のは……ビーム兵器?」
『違うよ艦長、あれ……水みたい』

島風の言葉に、阿倍野は件の「怪物」の武器が何かを理解した。

ウォータージェットカッター。
通常は金属などの加工に用いられる金剛砂などの研磨剤を混ぜた水を超高速で発射するものだが、それを武器として搭載してくるとは想像もつかない手である。
水圧カッターは至近距離でないと意味をなさないはずだが、よほどの超高圧なのだろうか?

とりあえず言えるのは目の前に居る化け物を早急に倒さない限りは自分たちのみならず、今紋別市攻略を行なっている陸上の味方部隊も危ないという事だけだ。

『『島風』聞こえるか、こちら『最上』!今からキュウマルを4発発射する』

吉川司令からの通信が聞こえる。

「全艦、牽制をかけろ!」

島風をはじめとした駆逐艦の主砲が再び咆え、127㎜APFSDSが幾度も命中する……。
が、しかし。

「艦長、あれを見てください!」

カメラ内蔵の電子双眼鏡で弾着観測をしていた吉岡大尉がカメラの映像をスクリーンに投影する。
そこには、背中にできた破孔からピンク色の液体が流れ出し、損傷個所の修理を行っている「怪物」の姿があった。

「……自己修復機能(ダメコン)付きかよ……。司令、ハープーンは撃つだけ無駄です。中止を」

阿倍野は前半は独り言として、後半はマイクを握り、最上に居る吉川司令に伝える意思で喋る。
同時に、最初の魚雷による攻撃で撃沈したと思ったら復活するという融合前の常識的では考えられない事態にも納得していた。

(あの様な装備を有しているなら一度の攻撃では沈まないのも道理だ。だが……)

奴をどのようにして倒すか?と阿倍野は艦長席のコンソールに表示された情報を見る。
ソナーのデータから察するに、下半身は二足歩行方式となっている。
多分に脚に集中砲火を食らわせれば戦車砲よりは強力な駆逐艦の主砲だ、撃破は不可能ではないはず。
だが、問題はどうやって上半身だけを水面に出して浮かんでいる奴の弱点を突く?

「砲雷長、魚雷は使えるか?」

『島風』は改装前の61cm5連装魚雷発射管に比べるとコルトパイソンとデリンジャーの差だが、HOS-303三連装短魚雷発射管を2基装備している。
最新鋭の12式短魚雷を装備した3段構えの対潜戦闘を旨とした装備なのだが、今目の前に居る敵の弱点に叩き込める武器としては、唯一に思えた。

「大丈夫です、やれます」

希望を取り戻した、と言った心境なのか幾分力強い砲雷長の返事がCICから聞こえてくる。

と、その時だった。

「艦長!奴の背中が……」

吉岡が悲鳴に近い声を上げた。
「奴」の背中が複雑に開き始めていたのだ。
双眼鏡内蔵のカメラの画像は、その背中に見える「もの」の正体をも伝えている。

「両舷全速で退避!対空防御?チャフとフレアも忘れるな」

島風が猛然とダッシュした瞬間、「奴」の背中から爆炎が上がり、多数のミサイルが発射される。

ECM、チャフ、フレア。ありとあらゆるソフトキルが作動して各艦に向かうミサイルを躱そうとするが、ロックオンされた4発が島風に向かってくるのがわかる。

「シースパロー、斉射(サルボー)!」

艦中ほどに設置されたVLSから、2セル分8発のシースパローESSMが発射される。
さらに前後のCIWSも作動、濃密に張られた弾幕にミサイルが飛び込み、爆発する。

「ミサイル、すべて撃破……艦長、『山雨』が!」

「怪物」を挟んで反対側に居た「山雨」からのデータリンクが消滅していることをコンソールは示していた。

「『山雨』!こちら『島風』阿倍野だ、大丈夫か」

思わず阿倍野は通信に向かって叫ぶ。

『……こちら『山雨』、音尾です。メインマストに被弾、レーダー並びにデータリンク損傷。乗員に負傷者発生してますが艦体には損傷なし。戦闘継続はなんとか……』

幾分もなく、『山雨』艦長の音尾少佐から通信が入る。メインマストがやられたというのは戦闘能力が大幅に落ちたという事になる。

移動しているうちに、『山雨』の姿が島風のブリッジからも見えてきた。
『山雨』の箱型マスト……改装を受けた「島風型」共通のそれが半分ほど吹き飛び、装備されているはずのアンテナはほとんど無くなっている。
見てくれとしては小破だが、戦力的には大破と言って良い損害だ。

(奴は……!)

山雨が小破したのは気になるが、今は「奴」をどうにかせねばならない。

「目標、ジャンプしました!」

一瞬耳をつんざくようなジェットエンジンの音が響いたと思いきや、「奴」の巨体は宙を舞う。
周辺を包囲していた島風ら4隻を飛び越え、全体を見回す位置に居た「最上」の方向に向かっていく。

「奴は最上を殺るつもりか……!」

最上の艦橋とCICは、蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。

「シースパロー、主砲斉射!奴を近づけさせるな!」
「面舵一杯!バウスラスター作動!、逃げろ、とにかく逃げろ!」

その中で、吉川は一人冷静に戦術コンソールを見つめると、艦長の大泉大佐を呼ぶ。

「CIC、吉川だ。艦長、飛行甲板に奴が乗っても最上は大丈夫か?」
「短時間なら大丈夫かとは思いますが…」

突拍子もない質問に、大泉は戸惑いながらも答える。
その言葉に、吉川は満足そうに笑うと答えた。

「あれだけのデカブツ、しかも二足歩行兵器だというのなら、それこそ陸にあげて足払いでもかけてやればいい」

吉川の言葉に、大泉はポンと手を打つ。

「艦長、奴が降りたタイミングに合わせて急回頭をしてみるのはいかがでしょうか?」

吉川の言葉を聞いて、CICに居た砲雷長の中村悌次 大尉が大泉にアドバイスする。
中村はかつて吉川が艦長を務めた駆逐艦「夕立」の水雷長でもあり、吉川との付き合いは自衛隊出身の大泉より長い。

「最上」は大改修によりバウスラスターを装備している。
ガスターボエレクトリック推進と合わせて改装前であれば信じられないような急加速・急旋回・急停止も可能になっており、太平洋戦争当時のクルーからするともはや別の艦となった感じがするとぼやく者も多い。
だが、その鋭敏な機動性なら「向こうずねに足払いをかけてやる」ことも不可能ではないように思えた。

「“奴”の重心は相当高いと思って間違いはない。イチかバチか賭けてみようじゃないか」

吉川の言葉に、大泉は思わず爆笑しながら頷く。

「了解しました……奴の動きは?」
「当艦の進行方向に対して右舷3時の方向、距離1万ヤード。あと1分弱で会合します」

レーダーの画面上では、島風以下の駆逐艦の包囲網を抜けた「奴」が跳ねるようにして移動してくるのがわかる。

索敵オペレータの回答を聞いた大泉は、ブリッジクルー全員が驚くべき指令をくだした。

「面舵15。速力落せ。奴を1番パッドに着艦させる」

一瞬ブリッジとCIC、どちらもが水を打ったように静かになったと思いきや、一斉に驚き……いや罵声に近い声が上がった。
だが、大泉の言葉がそれを黙らせた。

「敵はすぐそこまで来ている。今行動をしないと俺達は死ぬぞ?非常識な作戦だが、相手も非常識な以上理屈は意味がない」

ざわついたブリッジが黙ったのを確認すると、大泉は言葉をつづける。

「誘導装置作動。ミートボール(着艦誘導信号灯)点灯。腰振って誘ってやれ」

航空機誘導班が一斉に動き出すのを見て、吉川がインターホン越しに笑う。

「よく言った、大泉君。なかなかどうしてキモの座ったところを見せてくれたな」
「冗談は全て終わってからにしましょうや、司令。来ます!」

冗談に答える暇はない。
ブリッジに直接響いてくる轟音が全ての音に乱入し、言葉を奪う。
だが、最上はわずかに右に曲がると速力を落とし、意図して「奴」を誘う。

「目標、高度120m。減速しています」

オペレータが報告してくる。
飛行甲板に降りてくれれば意図通り行くが、前甲板に降りられてしまったら良くてブリッジ要員に戦死者が出るだろうし、最悪は轟沈だ。
えてして軍人ってのは自分の命を賭けにする可能性は有るのだが、これは一世一代の賭けに大泉は思った。

「左舷バラストタンク、ブロー」

コンソールの画面に左舷のタンクから排水されていることを示すアイコンが灯り、地面が多少右に傾く感覚。

『来い……馬鹿野郎』

誰ともなくそんな言葉が聞こえる。
意識を一つにできたわけではない。
だが、お前のようなふざけた敵に殺される筋合いはない。

死ぬのはお前だ。

それだけはこの場に居る人間すべての意思であった。

巨体が空気を切り裂き降りてくる轟々という音が聴覚を支配し、それ以外のすべての音を駆逐する。

「来ます!」
「総員、対衝撃姿勢!手近なものに掴まれぇっ!」

CIWS作動、両用砲が咆える。
艦体すべてを揺るがすような地響きがとどろく。

前甲板には奴の姿はない。
だが、大きく右に傾いた視界の先にある影で何が起こったかを理解できた。

「右舷飛行甲板に大重量反応……奴が……着艦しました!」
「アンカー降ろせぇ!右舷全速!おもぉーかぁーじ」

ガスタービンがひときわ甲高く咆え、それまで減速状態にあった最上は着底した錨をひきずりながら猛然とダッシュし、さながらドリフトする車のように艦体を大きくスライドさせつつ右に傾く。
艦橋の右舷側の窓が全て海面で占められ、距離が限りなくゼロに近づく。
まさか自分が戦艦ドリフトするとはな……と横殴りのGに耐えつつ大泉がつぶやいた瞬間、ひときわ甲高い咆哮と間抜けな印象すら与える音を残し視界が開けると同時に右舷から爆発したように水しぶきが上がった。

「目標……右舷10ヤードの海面に……転落しました!」

必死につかまりながらも監視を怠らなかった大泉が報告する。

賭けに勝った。
吉川は内心つぶやく。

戦術コンソールにマスト先端設置のカメラから入った画像が映る。
見るとまさに尻もちをついたペンギンと言った風体で大の字になった「奴」の姿が有った。

「バウスラスター作動、取り舵一杯。右舷魚雷発射管用意!」
「取りぃーかぁーじ!」

最上はそのまま艦体を軋ませ、左にスライドして「奴」との距離を取る。
砲雷長の中村が右舷にある魚雷発射管の発射指示を出すと同時に、吉川は「奴」を追跡している島風以下三隻に指示を与える。

「魚雷発射用意、目標は当艦の手前20ヤード。各艦3発ぐらい撃ち込め!」

直後、標的である「奴」が体勢を立て直すより早く島風と僚艦の夏雨と秋雨が短魚雷を、更に主砲を立て続けに放つ。
「3発ぐらい」というのはかなりアバウトな表現だが、第三次ソロモン海戦の際に「どんどん撃て」と命じた事のある吉川の命令に突っ込みを入れる者はいない。

まだひっくり返ったままである「奴」にそれらは次々と命中し、海面上に炎と煙を生み出す。
それらが晴れたあとには、もはや修復不可能な損傷によりその外殻を変形させた「奴」の姿があった。

「これで決着だな……」

スクリーン上に映し出された「奴」の姿を前に阿倍野は呟く。
あの兵器の正体が何なのかは戦闘後の調査待ちとして、損傷した山雨の状況を確認する。

その山雨からは「航行に支障なし、戦域を離脱する」との通信が入ってきた。
同時に最上の吉川隊司令からは山雨の護衛に秋雨をつけて送り出す旨の指示が出された。

少なくともこれで海上の戦いは終わった。
ここからは陸が主戦場になるだろう。

だが、現在展開する護衛艦群の出番が終わったわけではない。
既に上陸した部隊を援護し、支援の砲撃を行なうという大任が残っている。

吉川司令からは「調査中の護衛を頼む」との通達も出される。
山雨と秋雨が戦線を離脱する以上、最上のディフェンスは島風と夏雨のみだ。

そのあとも島風と夏雨は最上周辺を警戒し続けたが、最上からは副長を隊長とする調査隊が出て「奴」を調べているようだ。
最上艦載のヘリ群は順次着艦、補給の上再度警戒のために離艦することを繰り返している。

と、この作戦の旗艦となっているLCC-01「赤城」から通信が入る。

「撃破した対象の収容のため、『すおう』を送る」

網走に待機していた多用途支援艦――ASM-4302『すおう』――が対象……「奴」を回収するために来るとのことだ。
さらに秋雨と山雨に代わり、すおうの護衛についていた第9護衛隊から護衛艦が二隻、第11護衛隊に臨時で編入されると通達が入る。

それから30分ほどして、南南西にいくつかの艦影が見えた。
すおうと第9護衛隊の護衛艦たちだ。

「……できるだけ同じ名前の艦艇同士は一緒の艦隊に入らないようにするはずだったんだがなぁ……」

第9護衛隊から臨時編入される艦の名を見て、思わず阿倍野はぼやく。

島風の隣に現れたのは島風より一回りは大きな、巨大な煙突が目立つ護衛艦。
舳には「DDG-172」の表記が有る。

そう、臨時で第11護衛隊に編入される二隻の護衛艦は夕雲型2番艦、DDE-1463「巻雲」とDDG-172、はたかぜ型護衛艦2番艦「しまかぜ」だった。
しまかぜは第9護衛隊旗艦だったはずだが……と思うが、トッカリ作戦を前にして旗艦はDDH-1431「大淀」に移されていたことを思い出す。

(いや、大淀が来るよりは良かったかもしれないな)

作戦前、室蘭港で大淀の船魂と話した事を思い出した阿倍野は軽く頭を振る。
もし島風と大淀の船魂が何か話す事があれば、自分が大淀の艦内で短い時間過ごした時の事――特に別れ際に交わした一歩間違えれば誤解されかねない会話――を島風が知ったらどんな顔をするか。

そんな事を思い視線をしまかぜから反らすと、阿倍野に負けず劣らずあんぐりと口を開けた少女の姿が有った。
そう、「島風」の船魂である。

「紛らわしいなぁ……」

島風の言葉に、思わず阿倍野も苦笑する。
まさかここに来て「しまかぜ」と作戦を共にするとは思わなかった、と言うのが島風の感情なのだろう。
さらに言えば横須賀での大改装により艦体がストレッチされ、機関部も一新したことで改装前と比べて大幅に性能向上したのに加え非常に攻撃的なデザインとなった「しまかぜ」の姿を前にしているのだから。

いや、それよりも艦橋に座って手を振っている少女の姿を見れば驚くのは当然だろう。

「やっほー、『しまかぜ』見参~。初めまして『ぜかまし』ちゃん」

能天気なその声に阿倍野は思わず腰砕けになりそうなのを手すりにつかまって必至で耐えるが、島風は島風でなぜか腹を立て、その少女の方を指さして怒鳴る。

「だっ、だだだだ誰が『ぜかまし』よ!」
「えー、だってその連装砲ちゃんの浮輪に『ぜかまし』って書いてあるしー」

そう、「夏雨」を除く島風型の船魂の付帯物?とでも言えばいいのか解らないが、改装前の島風型駆逐艦が装備していた12.7cm連装砲塔を模した『ゆるキャラ』のようなロボットとも生き物ともつかぬ存在……島風曰く「連装砲ちゃん」のうち一体は救命ブイを思わせるストライプ柄の浮き輪を装備しており、そこに艦名をひらがなで右横書きにしているのが特徴だった。

確かに右横書きにした「しまかぜ」を戦後生まれ世代の常識的な感覚で左から読めば「ぜかまし」である。
思わず納得してポンと手を叩く阿倍野にも島風は思いっきり脱力してコケる。

「艦長も納得しないでよ!」
「いや、言われてみれば確かにな……」

島風はこめかみに青筋を浮かべ、もはや「逆ギレ」の域に達している。
しまかぜの船魂の外観もまた、島風を怒らせているようである。

しまかぜの船魂の容姿は、遠目に見れば服装の色の違いなどを除けば島風とそっくりである。
だが、服の中身は大きく違っていた。

もともと露出度の高い際どいいでたちだが、島風型の場合は見てくれは15歳程度でスレンダーな体つきも有ってそれほど「卑猥」な印象はない。
だが、しまかぜは端的にいってしまうと島風がそのまま成長すればこうなる……とでも言えばいいのかグラビアアイドルが務まりそうな、艦形を反映した細身だが出るところは出た見事な体つきをしていた。
余裕を感じさせる表情もますますそれを強調している感がある。

「……まさかこんな子だったなんて……」

ブリッジの床に崩れ落ちる島風を見ながら、阿倍野は苦笑する。

だが、次の瞬間島風が取った行動には凍り付いた。

「FCS、ルート権限確保。システムログ改竄並びにダミー信号表示および全火器管制把握確認。ハープーンセーフティかい……」

うつろな瞳かつ無機質な口調で突如危ないことを呟き始めた島風の後頭部を、阿倍野は思わず「ゴッ」と音がするほどの勢いで殴る。
いつものように「おう゛っ!」と奇妙な声を上げて頭を抱えてうずくまる島風に、阿倍野は手に鈍痛が走るのを耐えながら口を開いた。

「何味方に攻撃しようとしてる、お前は」
「あう……」

島風がやらかそうとしたことはどう報告していいのかわからない大問題だが、船魂が艦載電子機器の管理権限を自在に奪い、IFFすらパスしてしまえると言うのも驚きだった。
これをうまく活かせば無人戦闘艦も作れるんじゃないだろうか?と阿倍野はふと考えたが、その考えは通信が入ってきたことを伝える船務長の声に遮られた。

「艦長、『しまかぜ』から通信です」
「わかった、こっちに回してくれ」

しまかぜの艦長は、阿倍野の防大での先輩にあたる人物が務めている。
時空融合以来顔を合わすことはあまりなかったため、かなり久しぶりの再会だ。

通信画面のスクリーンに士官の顔が映し出される。
襟と肩に中佐の階級章を付けた精悍な顔立ちの人物だ。

「お久しぶりです。加茂先輩」
「阿倍野君か、元気そうだな」

阿倍野が敬礼すると、加茂と呼ばれた人物も見事な敬礼を返す。

「しばらくそっちの指揮下に入る。吉川司令にもよろしく頼む」

加茂の言葉に、阿倍野が了解しましたと答えながら、内心ほっとしていた。

とりあえず、加茂らしまかぜのクルーにはこちらがロックオンしようとしていた事は知られてないようだ。
だが、この事実は報告しようにも記録が残ってないうえに前代未聞の事態であり、どこかで相談しないとまずいように阿倍野は感じていた。

幸い、加茂は阿倍野の特異な能力を防大時代から知っているため船魂とコミュニケーションが取れると言っても驚かないはずだ。
加茂と近いところに居るうちに相談しよう、と阿倍野は内心つぶやいていた。

「だーかーら『ぜかまし』じゃないって言ってるじゃない!」
「まぁまぁ、ご愛嬌みたいなものじゃない『島風』ちゃん」

阿倍野と加茂が話している頃、外では島風としまかぜの船魂がそれぞれの艦橋の上で話していた。
それを最上や夏雨、しまかぜと共に増援へ加わった巻雲の船魂が様子をうかがっている。

だが、どちらも服装は色を除けばそっくりで体格が異なるだけであり、誰がどう見ても気の良い姉にからかわれる妹の構図にしか見えない。
しかも、しまかぜは島風の名前をちゃんと分かってて「ぜかまし」と呼んでいるので島風は頬を膨らませて怒っていた。

「巻雲さん……。しまかぜさんってああいう性格なの?」

表情の変化が解り難い夏雨が珍しく唖然とした表情でそばに居るワインレッドのジャンパースカートを着た小柄な眼鏡の少女……巻雲の船魂に問う。

「やっぱりバブル期生まれだからですかねぇ……。巻雲も正直言ってついていけない所有ります」

そういいながら巻雲は特長とも言えるぶかぶかの甘えんぼ袖を振り回して答える。

ちなみに近代化改装された巻雲の外見は島風型のそれに比べるとかなり大人しいモノとなっている。
シーレーン確保用に対潜を主眼とし、対空能力を従としているのは島風型と同じだが搭載している装備は現実的なレベルに収まっていた。
127mm主砲を搭載し、FCS-4と対空ミサイル、高性能ソナーに加えて対潜用アスロックを収納するVLS、CIWSを搭載している点は島風型と同じだが、ファルコン・アイの離発着能力は有していない。
これは、改装期間の短縮により早期の戦力化が求められた為でもある。

もっとも夕雲型駆逐艦は開戦直後から大戦後半にかけて建造・竣工した為、時空融合直後に竣工状態で出現した夕雲や巻雲といった前期竣工艦と、朝霜、沖波、清霜といったドックや船台で建造途中のまま出現した後期竣工艦では別物というぐらい違いがある。
具体的には艦体のストレッチに全幅の拡張、機関のシフト配置などであるが、島風型の大改造に比べるとまだ大人しい位だ。

むしろ、しまかぜの方が島風型並みの大改装が施されている為にその外見は横須賀でドック入りする前と比較して非常に洗練されたスタイルになったと言える。
艦体のストレッチと機関の改装によりその速度は大幅に増しており、先代たる島風に匹敵する40ノットを発揮可能となった。
運動性能も向上しており、島風型程では無いが同サイズの護衛艦では他の追随を許さないスペックとなっている。

火力も増強されており、主砲を換装して火器管制もターターDからFCS-3へ変更し、メインのミサイルランチャーをMk-41VLSへ更新した事で対空性能は後継と言えるあきづき型に匹敵し外観は島風型の拡大版みたいな姿になっていた。
しまかぜの船魂が島風のそれより見事な体つきになるのも当然なのかもしれない……。

「だいたいお姉さん面しないでよ、私の方が先輩よっ!」

島風は人差し指をビシッとしまかぜに突きつけた。
戦時中に竣工した島風と戦後のしまかぜでは明らかに島風が「大先輩」である。
加えて火器や電子装備のスペックは別としても島風は海軍の最速艦として知られる著名な艦であり、しまかぜはせいぜい30ノットの凡庸な護衛艦。
それらを含んだ上での「先輩宣言」である。

だが、その言葉にしまかぜの方はにやりと笑みを浮かべ、首を振った。

「私は就役してから3年ほどたって現れてるから、艤装中で現れたあなたより年上になると思うんだけど?」

この言葉に、島風は「ぎゃふん」と思わず口に出したっきり絶句する。

そう、島風をはじめとした島風型8隻のうち、第11護衛隊を構成する前期型4隻は太平洋戦争中の昭和18年前後……いずれも就役してない艤装中の状態で現れていた。
きちんと「艦籍」をもって就役したのは時空融合以降であり、まだ1年も経ってないことになる。
それに対してしまかぜは乗組員の証言、艦内記録簿や装備の状態から1991(平成3)年の時点から出現したことが解っており、1988年の就役から3年が経過している。

しまった、日本海だったか。
どうしようもない事実を突きつけられて再び崩れ落ちる島風に、第11・第9護衛隊の構成艦らは何と言って良いのやらわからない表情で見守るしかなかった。

余談だが、護衛艦「しまかぜ」はもう一隻時空融合で出現しておりこちらは1987年に竣工し翌年のリムパック88へ参加する際、時空融合に遭遇しその後は第二次太平洋調査艦隊に参加している。
こちらのしまかぜは紋別の奪還作戦に参加していないが、この作戦に参加してこの場に居合わせていれば船魂はやはり苦笑していただろう。

そうこうしているうちに最上から連絡が入り、「奴」がすおうに収容されたという報告が入った。








「ハッチ開けろ!」
「反撃を想定しろ!撃たれる可能性もあるぞ!」

すおうの甲板上に固定された「奴」に接近した調査隊は小銃や拳銃を手にしながらその機体へ上がるとコクピットハッチの部分にバールを差し込み強引に開放しようとする。
僅かな抵抗があったかと思うと、次の瞬間にはハッチが大きく開き更にもう一つの扉が現れる。

「さて、顔を拝ませてもらうぞこのクソッタレ野郎……」

内側に存在した扉は本来なら電子ロックにより簡単には開かない筈だったのだろう。
しかし、既に電源が落ちていた為かひずみの生じた扉の隙間にウインチがひっかけられこれまた強引に開かれる。

恐る恐る調査隊がコクピット内を覗き込むと、そこにはメインモニターとコンソールに上半身をめり込ませたパイロットの姿が認められた。
首が有らぬ方向に曲がっており、一目で事切れているのがわかる。

「こいつはもう死んでいるな……」
「勇敢な敵兵だ。丁重に葬ってやろう」

パイロットの遺体を運び出す傍らで、別の隊員が映像を撮影する。
映像は単純に記録されるだけでなく技研にリアルタイムで送られ、技術者による解析も並行して行なわれるらしい。




場所は変わって東京の防衛省技術研究所。
その一部門では夜明けから喧騒が絶えなかった。

上陸そのものは成功し、作戦もいよいよ日本連合側の勝利が確定しつつある状況だったが、海上で撃破したという謎の機体についての情報が送られて来たからだ。
当初は、所謂「新種」という事で誰もが興味津々という感じだったが、ある人物がその映像を見た時状況が変わった。
その人物は「なぜこれがこんな所に!?」と驚きの声を上げた事を切欠に話は徐々に大きくなり、同時にそれらは技研が総力を挙げて手を付ける対象となったのである。
同時に、その人物はすぐさま事の詳細を作戦行動中の艦隊に伝える様命じられた。

その技研から連絡が入ったのは、すおうの甲板上で行なわれた簡単な調査が終了した頃である。

「あの機体を知っている者がいるだと?」
「はい、アメリカからの亡命者で技研に招聘されている技術者です。通信つながっていますがどうします?」
「出してくれ。話を聞こう」

調査隊の隊長を務める第11護衛隊参謀の吉田大尉が通信用のディスプレイ前に座ると、そこには四十は過ぎているがどことなく「青年」と言った方がしっくりくる雰囲気を持ったメガネの白人男性が映っていた。

「貴方があの機体について知っているのか?名前は、確か……」
「僕の名はハル・エメリッヒだ。呼びにくいなら、そう“オタコン”と呼んでもらいたい」

男性の“オタコン”というあだ名に思わず笑いそうになるのをこらえた吉田は、部下から受け取った簡単な調査結果で口元を隠しながら話を続ける。

「とりあえずストレートに聞きますが、あれは一体何なのです?水中を高速で航行し上陸能力を持つ機体など我が国の特機……スーパーロボットでもない限りそうそう存在しません」
「あれは……RAY(レイ)だよ」
「RAY?それがあの機体の名前なのですか?」

初めて聞く単語に吉田はオタコンに改めて問う。

「正確にいうと『メタルギアRAY』。メタルギア……核砲撃用二足歩行戦車を攻撃するためのメタルギア亜種。と言った所だ」
「な!?」

オタコンの口から出た「核砲撃」という言葉に吉田は声を裏返してしまう。

「ああ、日本人の核アレルギーは相当なものだったね。すまない……」

二足歩行する核弾頭で砲撃する戦車……と言うのも突拍子もない発想だが、「メタルギア(金属の歯車)」と言う名前の響きが吉田の感情に引っかかった。

「お気になさらずとも結構です。詳しい話は東京に戻ってから聞くとして、あのRAYという機体は貴方にも多少関係があるということでいいのですね」
「そうだね。RAYの前身と言うべきメタルギアREXの開発を行なったのは僕だからね」
「なんと……」

まさか、目の前の人物があの機体に直接ではないにしろ関わっており同時にそれを当たり前に話すとは。
その事実は吉田を更に驚かせた。

「しかし、なぜRAYが日本連合に……いや、役に立たないから放出したと考えればいいのか?」
「どういうことです?」
「ああ、RAYは元々第三世界の国々にあるメタルギアに対抗するべく合衆国海兵隊が開発した物なんだ」

次々と語られる衝撃的な事実に吉田はただ息を呑むばかりであった。
同時に、この件は自分の手に余るどころか国家間の問題にまで発展しかねない事だというのも理解した。
そして吉田は、この会話が記録されているのと同時に秘匿回線を用いたものであると確認し、吉川への通信をつないだのである。

「艦隊司令の吉川です。エメリッヒ博士。あれはアメリカの兵器だと言うのですか?」

最上のCICにも中継されていて理解していたのだろう、通信が繋がれたと同時に吉川はオタコンに事実の確認を行う。

「貴方は……」

通信に映った顔を見て、オタコンが驚いた顔を見せる。
吉川は戦史に残る「著名人」であり、オタコンがその顔を知っていたとしてもおかしくはないだろう。
肖像写真と違い、今は「DDH-1451 MOGAMI」の文字と錨マークをモチーフとしたイングシニアが刺繍された濃紺色のアポロキャップをかぶっていたとしても。

驚いたオタコンだったが、口調を改めて答える。

「はい、吉川大佐。間違いなく私の世界のアメリカで開発されたものです」

オタコンの言葉に、吉川は眉を寄せて考えこむ表情を見せる。
アメリカ製の兵器で編成された部隊が日本連合の内戦に介入……しかも、日本連合側の艦隊を攻撃した。

この事実は吉川をして鼻白ませるものが有った。
吉川はさらにこの会話を赤城へ転送することを指示する。

最低限、司令部の指示を仰がねば行けない。

「艦隊司令……いや、これは統合幕僚本部でも持て余す問題になるぞ」

吉川は主席参謀の小林少佐にぼやくように言った。

アメリカの兵器が日本連合の「内戦」に関与したというのは大問題だ。
新世紀2年を境に日米安保が崩壊していることは周知の事実だが、それとこれとは別の話である。

この時点で国際問題に発展してもおかしくはない。

だが、この時点で吉川や吉田はもちろんオタコンもある事を失念していた。

RAYが高性能であろうと、どこまで行っても兵器は兵器である。
設計図があれば工作精度次第でオリジナル以上の物を他者が開発する事も可能であり、調査次第では更に意外な事実が判明するかもしれないという事に。




同時刻 紋別沖
統合作戦指揮艦 LCC-01 赤城 作戦司令室

一方、衝撃的な報告がもたらさせた赤城ではこの情報が早くも作戦視察の為に乗り込んでいた山本五十六 海幕長の知るところとなっていた。
陸上防衛軍についても上陸作戦の指揮に乗り込んでいた斎藤三弥 北部方面軍司令官を通じて東京の統合作戦本部に伝えられている。
本来なら現場の指揮官を通じて作戦司令部にようやく伝わる話が、この段階で既に中央である連合政府に伝わる事となったのだ。

「これは安全保障会議の最重要課題だな」

3次元ディスプレイに映されたオタコンことハル・エメリッヒ博士の言葉を聞き、山本は珍しく渋い顔を見せて唸る。
時空融合の初期から日本連合の重要機密に関与してきた彼にとっては、その情報がどれほど危険であるか瞬時に分かったのだ。

「我々だけで事を片付けては問題ですよ、山本閣下。まぁ詳しい事は内調に任せるしかなさそうですけど……」

斎藤が頭をかきながら答える。
昨年の技研騒動、お台場騒擾事件もそうだが、単純に他の国家の工作員や国際テロ組織が行うにしては異常な事件が起こっている。
アメリカ製兵器……だからと言って米軍が直接手を下しているとは限らない。

「秘密結社やPMCを統合した何らかの組織が有る」

そういう結論は有るが、その「何らかの組織」の姿は全くわからないのだ。

「今、吉川君と話している技術者の身元を確認してくれ。東京に戻ったら早速安全保障会議に出てもらうことになるかもしれん」

山本の指示を聞いた参謀が最上とすおうの両方に連絡をとる。
この後、安全保障会議に呼ばれたオタコンの口から語られた言葉に会議のメンバーは驚愕するのだがそれまた少し先の話である。

「さて海の上は片付いたとして、陸の戦いはどうなるかだな……」

最上とすおうへの連絡が取られる一方、山本と斎藤は戦況がリアルタイムで映し出される大型ディスプレイに目を向ける。
戦況図を見る限り、紋別への進軍速度は落ちてないが先ほどの件もある様にどこでどんな罠が待ち構えているかまだわからない。

そのすぐ近くでは艦隊司令官の山口多聞 中将が各艦への指示を飛ばしている。

「砲撃可能な艦は上陸部隊の掩護射撃を続行しろ!くれぐれも味方を巻き込むなよ!」
「各空母より艦載機発艦します」
「よろしい。制空権がこちらの手にある以上は対地支援を出した上で後の事は陸さんに任せる!」

山口が命令を発した後、山本達の方に振り向くとその言葉に山本と斎藤が頷き、再びディスプレイ上の戦況を見つめる。
味方の損害は小さいものの、あらゆるデータが数値として処理されるのを見て山本は改めてこれが現代戦というものかと思う。
自分が士官候補生の時代に「日進」へ乗艦して重傷を負った日本海海戦の頃とは何もかもが変わってしまったと。
同時に人間がどれほどの英知を以ってしても戦争を続けている事実も実感する。

(あるいはそれが生物の持つ闘争本能ゆえか)

いまだに敵司令部が有る紋別市内の私立大学校舎に白旗が揚がったという報告はない。
既に紋別奪還部隊の主力は市街地に突入しており、市内の制圧は時間の問題だ。

にもかかわらず市街地を放棄せず各地で抵抗している事から導き出される結論は……。

「連中玉砕する気かあるいは何か隠し玉があるに違いないな」
「可能性はありますね。各部隊に市街地では敵の動きに注意せよと伝えましょう」

そう言った斎藤は無線機で奪還部隊の司令部と連絡をとる。




同じ頃、紋別奪還を目指す陸上防衛軍はいよいよ敵司令部への突入を果たそうとしていた。
その先鋒には上陸作戦の先鋒として橋頭堡を確保したDoLLSの姿もあった。

「正面にバリケード!対戦車壕も確認!」
「連中にとってもここが最終防衛線というわけね……」

市街地の確保・制圧は予想以上の早さで簡単に進んだが、司令部が移されていた山側の落石町にある元大学キャンパスへのルート確保が難題であった。
林に囲まれた高台から打ち下ろす形で砲撃が可能なため、鈍重な多脚砲でも射界を確保できる。
多脚砲の122mm榴弾等小石が当たるようなものだと言えど、あまり気分のいいものではない。

ましてやこちらは市街への影響を避けるように命じられているのに対して、平気で市街地を巻き込む砲撃を加えてきていた。

「セル、LOSATは?」

火力支援装備のフォックス4…セルマにヤオは確認する。

「あと6発有りますが、撃っても足りませんよ」
「航空支援に頼るしかないか……」

コクピットの情報装置を用い、現在対地ミサイルを使える航空部隊が無いか確認する。
対地ミサイルが有れば、あとはこちらで誘導を行う事も可能だし最低限の被害であの糞忌々しい多脚砲や自走砲を破壊できるはずだ。
ヘリ部隊も考えたが、司令部近辺を守る対空砲火は濃密でヘリのミサイルの射程ではヘリパイロットの命が有ったものではないだろう。
ヘリの天敵とも言える対空自走砲2K22ツングースカの姿も複数確認できており、アパッチやヘルハウンドでもつらいのは確かだ。

「赤い日本」の陸軍装備リストには存在しないはずのこの装備がなぜ有るのか謎だが、赤い日本と異なる世界で北海道に上陸したソ連陸軍部隊が現れていたここともわかっており、その部隊の装備していたものが赤い日本に編入されていたのだろうか。
対空車両の中でも厄介な存在ではあった。

「いい加減終わらせて風呂でも入りたいところだしね……。Shrike1聞こえるか、こちらSilver1。支援爆撃を要請する」

対地誘導弾を装備していた艦攻隊の一小隊を見つけると、即座に連絡を取り位置と誘導コードのやり取りを行う。

同時にセルマとエイミーにミサイルとリニアキャノンでツングースカを可能な限り破壊するように指示を出す。
対空兵器を沈黙させた後で空爆、さらにヘリと連携する形で突入するというシナリオがヤオの脳内で出来上がっていた。

幾分もなくヤオが作戦開始指示を出すと同時に適切なポイントを取っていたエイミー機の狙撃がツングースカを2両ほど瞬く間に沈黙させ慌てて攻撃しようとする装甲車や甲脚砲の群れもまとめてセルマ、ミリィ機のリニアキャノンとミサイルが粉砕していく。

と、その爆音にかぶさるようにして通信が入る。

「Shrike1よりSilver1。待たせたなお姫様!白馬の騎士とは行かんが悪魔の助太刀参上だ」

と、CVN-101「信濃」(大和型三番艦改装の方ではなく、とある時間軸で90年代に日本がアメリカより購入したニミッツ級空母)艦載のF-4が放った対地誘導弾6発のブリップがヤオ機のモニタに表示される。

「THX、Shrike1。マギー、誘導作業頼むわ」

即座にミサイルの誘導権限をマーガレット機に移すと、すでにロックオン済みであった高台の上の多脚砲にそれまで明後日の方向を向いていたミサイルが伸びて行く。
と、立て続けに破裂音が響き多脚砲が次々と爆発、擱座していくのが見えた。
これで市街地に面した側の6機の多脚砲は沈黙した。たとえほかの地域の砲を移動させるにしても時間がかかる……即ち。

「ホワイトホール、スタンバイ。シルバーリーダーより全機、一気に敵のど真ん中突っ込むぞ!」

ヤオはすばやく命令を下す。

「目標ポイントはV(ヴィクター)1.総員、突貫!!」

オーバーブーストを作動させたヤオのX-7がジャンプすると同時にほかの機体も一斉に跳躍、約数百Mの距離の間に広がった敵兵力と数十Mの高低差を飛び越える。
降下姿勢に入ったヤオは視界に入った自走砲の一機を捕捉すると、その主砲の機関部に向けて02式重機関砲(スマートガン)の引き金を引く。
3点バーストで放たれた48mm高速弾は次々と自走砲の機関部に命中、周囲に居た兵士や装甲車を巻き込んで盛大な爆炎を上げる。
同様に重機関砲装備だったフェイス機も自走砲や甲脚砲を何両か破壊し、ポイントV……件の大学キャンパスの駐車場をスクラップ置き場に変えていた。

ヤオ機は着陸すると同時に、ガスタービンの音を響かせて襲い掛かってきたサベージにリニアキャノンの猛射を浴びせかけ沈黙させるとその機体をひっつかみ敵陣に向かって放り投げる。
エントランスの前に陣取っていた部隊は火を噴いて飛んでくる巨大な物体に恐れをなすが、逃げ出すこともできずにサベージの爆発に巻き込まれる。

と、ヤオ達が突入した地点とは校舎を挟んだ向こう側……裏庭にある地点からヘリのエンジン音が聞こえてきた。
音紋照合、赤い日本が装備しているMi-8ヒップだ。

「Silver5、う……」

エイミーに飛び上がったヘリの狙撃命令を出しかけてヤオは思いとどまった。
そのMi-8は白旗を掲げていたからだ。

さらに敵司令部から全域通信が走る。
今から離陸するヘリを攻撃してはいけない、と。

負傷者か、あるいは非戦闘員が乗っているのか。
どちらにしても白旗を掲げたヘリを撃墜しては問題だ。

だが、エイミーのM800をはじめセルマ機とミリィ機のミサイルがヘリをロックオンしているさなかその白旗を掲げたMi-8に炎を引いた弾丸が何発か命中し、爆発する。

「な……に……?」

ヤオ達をはじめ支援に到着しつつあったほかの陸自部隊、布陣を立て直そうとしていた北日側部隊のどちらも爆発炎上、墜落するMi-8を茫然と眺める中再び全域通信が北日総司令部……今ヤオ達の前にある建物の中から放たれる。

『今この通信を聞く日本人民共和国並びに日本連合すべての将兵諸君に告ぐ。私は日本人民共和国陸軍、紋別方面駐留部隊司令代理直江少佐である』

その全域通信を聞き、ヤオは即座に司令部への転送をマーガレットに指示する。
それも紋別港に接岸した「筑後」の司令部だけではなく、「赤城」へも。

「直江……?」

前もって知らされていた情報では赤い日本側の司令と言う情報ではあったが、先行して潜入していた工作員(クロルデン)曰く8月末頃に解任され、以後の行方は不明とのことであった。
だとしたら今、この時点で出てきたのは一体何なのか?

『先ほど我々は一機のヘリを撃墜した。同時に紋別方面の司令部を再度掌握した上で事の真相を暴露せねばならない』
「真相だと?一体何を……?」

通信の内容に誰もが首を捻る。
この時、司令部の内部を見る事が出来たなら頭の回る者は何が起こったか察することが出来ただろう。
マイクの前に座る直江の周囲にはAKやRPG7を手にした彼の部下が、先刻までそこの主であった者達を拘束していたからだ。

『まず話すべきは先ほど撃墜したヘリについてだ。あのヘリには紋別方面駐留部隊の司令官及び幹部将校が乗り込んでいた』
「なんだと……」
「奴は上官を撃ち落したというのか!?」

ある者は驚愕し、またある者は憤慨しながらも直江の放送を聞き続ける。
それは赤い日本の将兵も同様なのだろう。
砲火の放たれる音が止み、静寂が訪れていた。

『だが、重要なのはここからだ。彼等は当初の防衛計画を捨てて自らが投降するまでの時間稼ぎとして前線の兵を捨て石にした!』

それはあまりにも衝撃的な一言だった。
あのヘリに乗り込んでいた者の思惑など分かるはずもなかった。
だが、真相は想像より更に上を行くものであり、同時に直江の行動について納得させられるものでもあったからだ。

「つまりあのヘリは保身の為に投降するつもりだったということか!」
「なんて連中……撃ち落したくなる気持ちも分かるわね」

直江からの通信を聞いてDoLLSの面々もそれぞれの感想を口にする。
確かに彼らの中には交戦中背を向けて逃げようとする者が皆無だったわけではない。
だが、戦場を預かる指揮官クラスがいとも簡単に逃亡ないし投降する為に前線の部下を置き去りにするのは見下げ果てた行為だ。

『それでも我々将兵が捨て石になるならまだ我慢出来よう。しかし、彼らは恥知らずにも紋別の市民を巻き添えにするつもりでいた!』
「!!」

その放送を聞いた者は誰もが衝撃を受けただろう。
市民を巻き添えにするとはもう道連れ戦法といったレベルの話ではない。

赤い日本側の防衛計画に「人間の盾」計画というものがあるというのは、脱走してきた兵士による証言で日本連合の側でも既に知られていた。
そういった民間人を巻き添えにした戦法を使うとすれば紋別や網走辺りでの事になるというのも予想されていたのである。

ヤオ達は先もって情報をつかんでおり、さらにDoLLSが加わったのも人質開放の意図が有った。
だが、はっきりと北日側がこの事実を詳らかにするというのは想定外もいいところだ。

「どう思います?あの様子だと演技とは思えませんが……」
「連中も一枚岩ではないという事ね。多分、直江は反対したのよ」
「結果として解任されて姿を消す事になった。そんなところでしょうね」

ヤオの予想は、おおよそ的を射ていたが事実と異なっていたのは直江が姿を消したという点だった。
直江は指揮官としての地位は剥奪されたが、それまでの功を認められて防衛戦においては前線配置という「温情処置」で済まされていたのである。
それは結果として、彼がこの作戦中に前線から取って返し司令部の指揮権を奪還する遠因になったのだが……。

『駐留部隊の司令官と幹部が投降し、日本連合の主戦力が紋別の司令部中枢に到達したのを見計らって市内に毒ガスを無差別散布する……これが彼等の策だった……』

聞こえてくる直江の声には怒りが混じっている。
恐らく彼自身にはそれなりの策があったのだろう。
それらをつぶされた挙句に代案として出されたのが事実上の「玉砕戦法」だったというのは怒り狂うもの無理はない。

「人間の盾は我々の目を逸らす為のものだったのか?」
「有り得る話しだ。連中とてバカではない以上見破られる事を前提で二善三善の策を練っていてもおかしくないだろう」
「そして連中の外道を止めたのはやはり連中の中にいた者だったか……」

放送を聞く者は誰もがそれぞれの感想を口にする。
同時にどんな戦場にも人情というものは存在するものだと認識した。

「……高純度のサリン、VXガス……しかもプロパンボンベに擬装してたとは、酷い真似ね」

同じころ、その全域通信を聞きながら市街地の情報を集めていた第一空挺師団空挺偵察隊の草薙素子少佐は紋別市内各所で見つかった複数の化学兵器の情報を見て溜息をついていた。
一応は義体である自分は高濃度のサリンにさらされても短い時間であれば大丈夫だが、この街にとらえられていた多くの住民、そして赤い日本将兵らはほぼ全員が生身の人間だ。

この事実が全国に知れ渡ったらどうなるか。
一斉に「北日討つべし」に情勢は傾くだろうと素子は思っている。

彼女の出身世界では同じころに第3次非核大戦などが有ったため発生してなかったが、1995年3月19日……史上最悪のテロ事件であるオウム事件が発生していた世界が多数を占めるこの融合世界では市街地での毒ガスと言うのはそれだけで有象無象のトラウマを刺激される人間が圧倒的だろう。

彼女の視線の先にはカメレオン装甲を市街地用のグレーへ変色させた人型兵器……DoLLSのパワーローダーの姿が有った。
センサーを利用して化学兵器のボンベを可能な限り確保し、化学防護中隊が来るまで待つ算段だ。

『これが全てだ。例え上層部が許可しても我々は民間人を巻き添えにする外道の策は看過しない。30分後に改めて軍使を送る。以上だ』

放送が終わっても戦闘が再開することは無かった。
誰もがこの地におけるあまりにも呆気ない戦いの終わりにすぐ反応出来ないかの様だった。

「ブラフでは無い様ね。終わったか……」
「連中の軍使が来るかどうかね……ん?」

DoLLSの面々は待機状態のまま時が流れるのを過ごしていた。
だが、X-7のいや日本連合側の通信データに割り込みが起こったのはその時である。

それまで住宅のプロパンガスボンベに擬装されているという情報を元に、市街地のビルに設置されているガスボンベを片端から調べ、重量で高圧タンクを中に仕込んであるかどうか判断するという非効率的な真似をしていたのだが、マップ上の市街地の中に黄色い点が次々と点灯していく。

「これってまさか……」
「すぐ確認します……この状況で平文のメール?」

送り主が誰なのかは送信主のアドレスから容易に想像がついた。
誰もがそのメールに書かれている内容に注目する。
書かれていたのは「紋別市内の各所に毒ガスを充填したボンベを配置したデータを送信する。これを参考に毒ガスの無力化を行なわれたい」という内容だった。
その内容が間違いないと判明するのはその無力化作業が完了してからの事である。

しかし、同時に投降の意思を示した赤い日本の残存軍についても武装解除と身柄の確保は早急に行なわれた。
命令を受けた上陸部隊は司令部への道をそれまでより速度を上げて進軍を再開する事となる。
もはや敵からの反撃は無かった。




同じ頃、赤い日本の司令部でも戦いの幕引きに向けての準備がなされていた。

「終わりましたね」
「ああ、これでこの地における戦いは終焉だ」

放送を終えた直江は自らの副官である上杉と共に、軍使を送り出す準備をしていた。
既に人選は終わっており、あとは日本連合の側を納得させるだけの「証拠」を持たせるだけである。

「しかし、これを忘れるとは連中相当慌てていたか」
「自らの手ではなく、部下に後始末を任せるつもりだったのでしょう」
「面倒くさがりな連中ならば有り得る話ではあるな」

苦笑する二人の前には毒ガス散布による皆殺し作戦の計画書とタンクの配置図が無造作に置かれていた。
これらのコピーを軍使に持たせれば十分だろうと二人は思う。
直江達がこの書類を発見したのは偶然からだったが、結果としてこれらが彼等の行動に正当性を持たせることとなった。

「恐らくは踏み込まれる前に書類を焼却するつもりだったのだろうが、詰めを誤ったな」

書類を発見した直江が抱いた感想はそういうものだった。
確かに数の上で有利な敵への対策として毒ガスを用いるというのは手段としては間違っていない。
しかし、民間人を巻き添えにするなら話は別だ。
単に人道から外れた手段というだけではなく「戦後」を見据えていない。

直江も「人間の盾」という手段を考えていたが、それは日本連合をけん制する為のブラフとしていた部分もある。
本当にやるという段階になった時、果たしてそれが出来たかどうかは今でも彼の中で答えは出ていない。

そうしている間に、多数の車両が迫ってくる音が聞こえてくる。
どうやら南の連中が来たらしい。

「では、行くか」
「そうしますか」

直江と上杉は互いの顔を見合わせると投降の為、外へ向かう。
二人の後に、ここまで生き残った他の将兵も続く。

(出来る事なら10年は粘ってやりたいところだったがな)

直江が心の中で呟く。
それはある意味彼の未練であり願望だった。




新世紀3年8月28日正午。
紋別奪還作戦「トッカリ」は、紋別市で抵抗を続けていた「赤い日本」の守備隊が降伏しその組織的抵抗を終えると同時に完了した。
これにより、赤い日本の実行支配地域は大雪山と天塩山の周辺へと縮小。
同時に海上への窓口を喪失する事となる。

しかし、日本連合にとって勝利の美酒に酔っている暇は無かった。
人類全体の脅威であるゾーンダイクとの戦いに備えるのは当然であるとして、今回の戦いでは看過出来ない幾つもの情報を得る事になったからである。

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