作者:Ver.7さん
新世紀1年6月上旬
南極調査隊の行動内容が大枠で決まった(「そうや」物語・後編(機の章) をご参照ください)。
その内容を考えると、現在仮宿舎で各世界の南極に関する情報を収集、分析を行っている隊員(そうやと共に転移してきた初期メンバー)だけでは対応できない部分が出てくることが予想された。
そのため各メディアに南極調査隊、隊員公募の公告が出た。
以下にそれに応じた人々の事を記す。
新世紀1年6月某日
東京都練馬区諫坂町 練馬区役所 諫坂町出張所
この出張所は特殊な任務を帯びている。
それは、町の備品として登録されている(人工無能)R・田中一郎を管理し区の水道局や土木課に人型汎用土木作業機器として貸し出す事である。
その構成要員は、所長:山田、技術指導員:鳥坂、事務員:大戸島、備品:R田中一郎、技術顧問:成原成行(非常勤)
実質上の要員は3名で、はっきり言って暇な部署である。
雨の日なんかは、する事がないのでコーヒを啜りながら新聞を読むことから始まる。
「むむっ、これだぁ〜」
「所長、鳥坂及び、Rは、今から外出してきます」
「うむ、雨が降ってるから気を付けていくように」
「時間(定時の意味)までには戻るんだぞ」
「了〜解であ〜る」
「Rッ!!轟天号を用意せい」
「外は雨ですよ、風邪ひくじゃないですか」
「風邪ひいたらご飯が食べられなくなるじゃありませんか」
「貴様、ロボットだろうが、風邪なぞひくのか?」
「なんですか?」
「風邪をひくのか?と聞いておる」
「・・・だれが?」
「貴様だって言うておろうが!!」
「私ですか?、私は、アンド「喧しい、黙れ、却下だ!!」です」
「とにかく出かけるぞ、さんご、後は頼む」
「行ってらっさ〜ぃ」
その後も同様にマヌケな会話と関節技の炸裂が少し続くが省略。
その2人が轟天号に跨って行き着いた先は、同町内、有限会社「春風組」事務所である
ここで春風組に関して補足説明をしておく。
春風組は凸凹建設の傘下に入っていたが、時空融合の際に親会社が消滅。
自宅、及び社員寮が集中して存在する練馬区諫坂町が全体として移転してきたので構成要員に欠員が無く、皆元通りの職に就きたかったので資金を出し合い有限会社として立ち上げ直した会社である。
また、その構成要員は殆どが春風高校、土木研究会の出身である。
その後、資本金の追加を行い株式会社「春風組」となる予定である。
ちなみに、現在の社長は、なぜか任侠道に憧れた土方で、社内的な役職名がそっち系になってたりする。
「島崎、島崎は、いるか?」
「若頭なら、さっき資材置き場で見ましたよ、内線で呼び出しますんで暫くお待ち下さい」
「・・・もしもし、例の大将がおなりですやよ、・・・へい、応接で待ってもらいます・・・」
「すいやせん、もう暫くしたら上がって参りますんで、コチラの応接室でお待ち下さい」
「うむ、よかろう、コラッRッ!!キョロキョロするんじゃない」
「おや?イルカさんは何処に・・・」
「ええぃ、とにかく来い」
−間−
応接室
新聞を拡げその一角に有る記事を指しつつ。
「どうだ島崎、この話一口乗らんか?」
「でも先輩、ようやくうちの組の仕事が軌道に乗りかかってるのです」
「今、作業員をそっちに割いたら、今後の住宅建設の需要に応えられないじゃないですか」
「貴様、今までの恩を忘れたとでもぬかすのか?」
「それは、それ、これはこれです」
「行きたいのは山々ですが、荷が重すぎるように思うのれす」
いきなり開く応接室の扉、そして。
「話は聞きかせてもらったぜ、おう島崎、ここらでチョイと男になってこいや」
「親分、でも・・・」
「島崎、うちの社訓はなんだ、言ってみろ」
「はい、現場を選ばず迅速確実です」
「というわけだ、たしか、今は区役所の鳥坂さんだっけかな」
「島崎を含めて10人の島崎組、好きなように使ってくれや」
「でも、大丈夫ですか?」
「ばかやろ!!」
「今は、技術力と知名度を上げることを考えろぃ」
「大手は全部手を引いたようだし、南極なんて滅多に行けないところだからな」
「それにほら、研修期間中と実際の行動中の給料は国が保障してくれるって書いてあるしな」
土方社長・・・結構イロイロ考えての発言の様です。
「うむ、それでは春風組有志一同ということで南極調査隊の方に参加申し込みをしておくぞ」
「宜しくお願いします」
これが南極調査隊民間協力者第1号「春風組」の参加に関する顛末である。
ちなみにR君は、「Rッ、供をいたせ」の一言で決定され、汎用人型土木機械として、南極調査隊に参加が決まった。
もちろんながら、その操作責任者として鳥坂先輩も随行するのは、言うまでもないことである(もっとも本人は、従軍カメラマンのつもりであるが・・・)。
後日、諫坂町出張所
「ねぇ鳥坂先輩、南極調査隊の仕事って危なくないんですか?」
「さんごよ、私を誰だと思っている、多少の危険は、覚悟の上だぞ」
「いや、R君は大丈夫かな?と思って・・・」
「わたしなら大丈夫ですよ」
「なにせ、お父さんがイロイロと協力してるとのことなのです」
「いやそれも不安要因の1つなんだけどな〜」
「でもどんな風に協力してるんだろ?」
「良い質問だ小娘!!このネジ、一見して普通のネジだがな・・・」
突然現れさんごに太さ6mm長さ30mmほどのボルトを手渡す成原博士、そして懐より赤いボタンが付いた小箱を取り出す。
それを見て直感的に窓の外に投げ捨て、伏せるさんご
一瞬遅れてポチ・・・スパン!!乾いた音が鳴り響く。
「と、このように自爆機能をもったN式ボルトは調査船の爆砕ボルトとして十分に役に立ってるぞ」
と一人腕を組みウンウンと頷いている
「やは、これはお父さんではないですか」
「はかせ〜、今日は、非番の日じゃないんですか?R君は、昨日メンテナンスを受けてますし」(あまりに迷惑なため一月のうち26日間程が非番とされている・・・ま、非常勤だし・・・)
「また、ネジがあまってるとか・・・」
「はて?」
「む!、おー、おー、おー、おー、ようし思い出した!!」
「轟天号の部品を試作品の爆砕ナットにしておいたでな、以後気をつけるやうに」
「では、諸君、失礼した」
「あ、帰っちゃった、何しに登場したんだろ?」
「最近お父さん忙しいようですから、恐らく散歩ではないでせうか」
「で、Rよ、昨日のメンテでネジの交換とかしておらんだろうな?」
「あい、昨日は関節に油を注してもらっただけですよ」
「宜しいっ、以後ネジの交換だけは不許可であ〜る!!」
(賢明な判断である)
ちなみに轟天号は、警視庁の整備課に勤務し、埋立地でレイバー相手に日夜奮闘している某2人組みを激務の間に無理からに呼びつけ、ボルト・ナットの総取替えを行った事を付記しておく。
かくして、公募に答えた様々な世界(時代・環境)から非凡な才能を持った人々が、企業や個人として集まり特殊ボランティア要員(就業時は、臨時特別国家公務員の資格が付与される)として登録されていった。
調査隊に参加したのは、特殊ボランティア要員の中から厳正なる試験をうけ選抜されたメンバーである。
なお、一部学生の参加者がいたが、彼らに関しては海外研修(留学)と云うことで各所属校から許可を受けている。
その時の条件として、同行する学術メンバー(主要メンバーである南極調査の発起人の博士や、水原夫妻を含め、日本を代表するような学者が同行予定)に船内で講義を受け、レポートを学校に提出、後日単位を認定ということで学校をクビにならずに調査に同行できるよう配慮された。
また、今回の航海中に講義を受けた学生メンバーのなかから、後々日本連合を基礎から支える科学者(化学者ではない)が出る事になる・・・かもしれない。
ちなみに、今回選に漏れた人々も、別の地域に対しての調査に協力する事となる。
そのことに関する、環境省・地球環境局・極地観測室・出納担当官のコメント:曰く「公費(税金)で試験や訓練を受けてもらったんですから、幾分かは働いてもらわないともったいないじゃないですか」とのことである。
(彼は、後にコスト意識の有る有能な官吏として、かなり昇進する)
また、その他には、科学者として安全保障会議で同行を表明した水原夫妻(但し、その主目的は極秘扱い)、極限環境下での調査補助要員として赤い制服に身を包んだ9人のサイボーグ戦士達、(主目的がゾーンダイク軍基地の強行偵察であることは極秘扱い)、そして、随伴警備要員として選抜された陸自戦闘員達がいる。
その彼らの生存率を向上させるための特訓に協力した陸自部隊がある。
それは、北海道・真駒内に駐屯する冬季戦技教育隊、通称:ホワイト・レンジャーである(註:レンジャーの名を冠しているが、特殊部隊では無く、行動内容もかなりの部分開示されている)。
もともと、彼らはソ連(彼らの元世界では未だに崩壊せず強力な軍事力を持っていた)の上陸作戦を阻止、若しくは同盟国軍が到着するまでの遅滞作戦を行うことを主眼に戦略を練り、戦術を編み出し訓練を行って来た部隊である。
故に、スキー等による移動や、雪中での生存術、氷雪を使った防御陣地構築などは、お手の物で、小規模ながら装備の開発を行う能力を有している。
また、一般人に見える範囲内の任務として、札幌雪祭りの設営を手伝う事や、も含まれている(ヘルメット等、装備品に小さくブッチガイのスキーを背にした雪ダルマの絵が入ってるのが識別ポイント)。
そのため、この部隊の事を地元の一般人は、雪祭り部隊だとか、オリンピック選手養成部隊だと認識している(地元民以外は、普通の自衛隊員との差を認識できない)。
6月中旬、
特訓は、教育隊の駐屯地に間借りする形で観測隊候補(現時点で)を集めて行われた。
なお、以下の実地訓練は、無人島として出現したため彼らが演習地として使用している利尻島、利尻山(標高1721m)にて行われた事を付記しておく。
訓練期間は、基礎訓練として初期観測隊員を含む学術チーム:3泊4日、春風組を含む基地設営チーム:6泊7日、陸自選抜隊を含む警備チーム:14日間とされた。
この期間の内3泊4日間は、先んじて行われた座学の内容を基に特に氷雪中でやってはいけないことを中心に講義・実習が行われた。
設営チームは、雪中設営術、警備チームは、設営チームの内容+冬季戦闘術の講義・実習が追加されている。
また、実際に観測隊員としての資質についての採点も行われ、その結果が後の隊員本採用時に重要な因子となった。
なお、「そうや」の操船要員もこの機会に同等の訓練を受け、更に、民間の砕氷貨物船に乗り込んで行われている航海技術習得訓練を行った。
7月上旬、「そうや」の改装がほぼ完了したとの一報が入り隊長、船長、機関長、航海士の1部が受領のため横浜のドックへ向かった。
そこには、大幅に改造され改めて美しい姿に変身した「そうや」がいた。
脱出装置等はまだ最終調整が終了しておらず搭載されてはいないが自力での航行が可能な状態であった。
隊長達は、真新しいペンキの匂いが残っている船内に入り引き渡しのため各部の説明を受け、分厚いマニュアルを受け取った後、受領証に署名した。
ここに日本連合政府所属 南極観測船「そうや」が正式に誕生した。
この改装は、突貫工事であった。
しかし、それは手を抜いた工事というわけではなかった。
時空転移前に船に乗っていた隊長や、航海士は驚いた。
以前の「そうや」は、いかにも改造商船というような風情であったが、船橋部分や居住区は、一新されまさしく科学の船となっていたのだ。
また、機関に火を入れた時、機関士達は、驚いた。
なぜなら舶用ディーゼルの強烈な臭いがほとんどしなかったのだ。
これは、燃料油の質が戦後すぐのレベルから格段に向上したことも有るのだが、南極という、絶対不可浸の自然保護区で運用する事を考え極ローエミッション性を追求したディーゼルエンジンを採算度外視で(もちろんながら非常に高価)装備したことが主因となっている。
なお、今回の改装では、観測データや、採取したサンプルを分類し、保存するスペースや解析する機器が入る区画はまだ装置・機器が開発中であるために艤装が完成しておらず、設計仕様として各開発元に渡したデータの1.2倍の重量に値するダミーウエイトが設置されていた。
また、居住区に付いては、基本的に3人1部屋の割り当て(3段ベット)で構成されており(イメージとしては某STシリーズのディファイアント級の船室)各チームのリーダ級の人員には執務室兼寝室が割り当てられる様、設計されていた。
各隊員のプライバシーといった点では今ひとつであったが、その分体をゆっくりと休められるスペースは確保されていた。
さて、前回の引きで紹介した人々を困惑させた機器についてであるが、その筆頭は、R−田中一郎とそのオプション群であったがそれ以外にも多少の混乱を招いたモノがあった。
問題のブツは、肩掛け紐が付いた幅60mm長さ200mm高さ300mmの黒い直方体状で上部の部品が取り外しできる構造になっており下部部品とはケーブルで繋がっている形状であった。
それを見たとき、ある者は、ガイガイーカウンタ(放射線量測定装置)といい<'50年代中期の出身者>。
またある者は、デンスケ(携帯式テープレコーダのこと、しかもオープンリール式)<'60年代の出身者>だろうと言い。
別の者は、ショルダホン(日本初の携帯電話)に間違いないと言った<'80頃の出身>
そのほかにもハンディーコピー機であるとか、液晶ディスプレイらしきモノが付いているところから、ビデオカメラ(パスポートサイズ直前)、電子手帳(辞書)、携帯式TV、携帯式DVDプレイヤ、リブレット式パソコン、GPSユニット等々様々な意見が出た。
しかし、それらの全てが正解であり不正解であった
それは、後に改良され、犯罪捜査における初期科学捜査用ユニットや、救急診断ユニット等に進化していく携帯式汎用計測器の試作品で上記の内容の全てを満足させる機械であった(但し、プローブの交換や、キーボード等オプションユニットが必要な場合もある)。
なお、この試作品は、基礎操作の習熟及び計測方法学習用教材として提供されたモノで訓練中に先行試作型10台が用意され、利尻山での訓練で得た情報をフィードバックを行いより軽量・小型で、能力の高い完成に貢献した(機能的には、かなり向上したが需要電力の増加に対してバッテリーの小型化に難があり観測隊が使用したモノは先行試作型と同寸法であった)。
また、その正反対で皆が同じ感想を持ち、誰一人として(第一印象から連想した答えに限定)正解者が出なかった機械もある。
それは、直径610mm,全長9mの円柱で、先端部に円錐が付いていた。
しかも銀に輝く先端部は、スクリューが刻まれたコーン状になっており、他端は、まさしく魚雷の舵取り装置と2重反転プロペラが付いていた。
更に、円筒部には先端方向から見て正三角形のそれぞれの頂点の位置に履帯が付いていた。
皆それを一目見てドリル魚雷と言った。
なぜなら、実際にサイズ的には旧海軍の93式酸素魚雷にほぼ同寸であり、その先端部は***モグラや***ドリル、***ライザーと言うような地底探査とか地底戦闘に特化した車両のモノに酷似していたからである。
しかし、この機械はドリル魚雷ではなかった。
これは、ホワイト・レンジャーの装備開発部がアイディアを温めており、今回の南極観測隊準備資金にて無理矢理完成させた試作単座雪中移動デバイス「ミスミソウ(三角草)」である。
なぜ、今まで完成が為されなかったかというと技術的に困難な部分が有ったのも事実であるが、単座と書いて有る事から判るように、これは有人機である。
その運用は、過去の忌まわしい特攻兵器「回天」を思い起こさせるモノであり、それは、世論の厳しい目にさらされる自衛隊に於いて、とても公表できる装備では無いからである。
勿論のことながら、奪取されることを防ぐための自爆装置が装備されているが、これは、後補である(最初から付いてたら開発許可すら下りなかったであろう事が予測される)。
もっとも、設計者、製作者は、「ドリルとは、漢のロマンである!!」と開発が思うように進められないことに憤りを感じていたため今回の開発費を使って真っ先に完成させた装備がこの「ミスミソウ」である(恐らくこの機会を逃していたら完成することは無かったであろう)。
さて、この「ミスミソウ」試作1号(有人機)及び2号(無人機・有線制御)が今回の訓練中に参加、実機テストが行われた。
結果としては、志願したパイロット(ホワイト・レンジャーの隊員)1名が事故により雪中で閉じこめられ、コクピット恐怖症(閉所恐怖症)を発症し除隊して長期療養を必要とする事態が発生、有人機としての採用は見送られることとなった。
但し、無人機の方は特に問題がなかった。
南極においては観測拠点を数箇所設け、それらを雪洞にて繋ぐ必要があり雪洞のメンテナンスを行う機器として2号と無人機へ改造された1号改が装備品として採用された(1号改は、更にアンドロイド収容型として改造され、観測拠点間でのアンドロイド移送を行う機器として活躍が期待されている)。
なお余談ではあるが、コクピット恐怖症を発症した彼は、現在通常の自動車(非装甲の車両)で有れば使用可能な所まで回復しており、様々な機械を運用・整備した経験を生かし(雪に閉ざされる心配の少ない)大阪・りんくうタウン近郊(様々な機械・ジャンク品が集まる)でジャンク屋を開業、軍需物資の開発があまり得意でなかったりんくうタウンでほぼ唯一ユーザの生の意見が聞ける所として、認知されりんくうタウン工業会の技術指導員として本業以上に忙しく働いている。
この他にも、環境へのダメージを極小にするため開発された水素ガスタービン式スノーモービル等様々な機器が考案・試作され実機テストが行われた。
なお、歴史上の経緯と、環境保全の見地から犬ゾリの運用は見送られた。
次ぎに、観測隊の訓練と共に運用試験を行っていた来栖川社のアンドロイドシリーズに付いてであるが、今回投入されていた寒冷地タイプは、非常に強く吹雪いている環境下で屋外作業を行う事を考慮すると「心許ない」との評価を得たため設計を根本(主な内容は、フレーム自体の温度サイクル耐性及び、強化したGPSユニットの搭載)から見直した極寒冷地型の開発が行われた。
本来ならフレームの・・・というところですでに、別機種として開発されるべきモノであるが、来栖川社の売りである”汎用性”の看板を降ろしたくないという企業のミエにより、バリエーションとしての開発が行われた。
そのため、機体番号のHM−12,HM−13が変わることはなく末尾にそれぞれ−XCが付くこととなったが、中身は別の機体である(以降、拙作「そうや」物語シリーズにてMH−12及び−13との表記が有る場合は、特に明記しない限りこの−XCタイプと考えて頂きたい)。
また、関節や、フレーム以外の箇所に付いては、電池の低温特性の改善と電子回路の密封化による結露防止について多方面からのアプローチが行われた。
特に電池に関しては、観測隊が使用する他の機器に電源に関連する問題であったことから各メーカが挙って開発に乗り出し、多種多様な電池が発明され特に小型化に進んだ電池は、以後の携帯式電子機器の更なる集積化技術に良い影響を及ぼした(大概の携帯式電子機器のサイズに関する問題で最大のネックになるが電源の問題である)。
なお、この開発は、南極に無人越冬観測基地を設営し、その運営を円滑に行う事を念頭において進められ、同年8月上旬「そうや」の試験航海中に先行試作機HM−12−XC−A型1機、HM−13−XC−A型が2機がロールアウトし、「そうや」まで空輸され運用試験を開始したちなみに、ここまで短期間に開発が行えたのは、MSN用人工衛星開発チームとの技術交流が大きかった。
人工衛星で使用されている技術の中でも特に姿勢制御用モータ基部の稼動部品は、絶対零度の宇宙空間と高温になる日照面や、燃焼ガスという極端な温度サイクルに耐え、しかも無潤滑で稼動し続ける事を前提に設計される。
その条件から比べると摂氏100度程度の温度差、潤滑可能、部品交換可能という条件は非常に甘いものであった(とは云うモノのスケールダウンに対する加工精度の問題等幾ばくかの問題はあったが)。
なお、彼女たち先行試作型での運用実績は9月中旬に完成する妹たちに引き継がれることとなるまた、彼女たち先行試作型は、千島・樺太方面艦隊所属に配備された艦艇に乗り込み、様々な業務に活躍している。
また彼女たちXCタイプは、閉鎖環境でもその能力を損なう事無く運用できるようにMSN以外にLANを組んでいる。
これは、MH−12によって自己開発された適応化アプリを常に全機が取得し、MSNによるアプリケーション更新ができない状況でのMH−13系の性能劣化を防ぐという構成になっている。
なお、本物のMSN更新は、観測基地に設置される指向性マイクロ波通信装置(劣悪な気候条件に耐えうる通信設備)を使用し、観測支援衛星「寒梅」を介して行われる。
尤もこのMSN更新は、ダウンロード専用である。
これは、観測データの分類方法や、解析手段ついて機密条項に触れる可能性が有る為の処置である(匿秘資源”精霊石”と同質の鉱物サンプルをどう扱うかなんて問題は、機密事項となる)。
なお、彼女達の運用は、緊急時を除きMH−12を1機、MH−13を2機同時に稼働、残り半数は、充電及びメンテナンスの為専用ベットに入るサイクルで8時間交代制となっており、その業務の内容は、各観測機器の定時点検及びメンテナンスと屋外でアンテナ類の雪かきとなっている。
さて、話を観測隊員達に戻そう。
利尻山での訓練の後も座学を含めての研修中の隊員候補達であるが、チョット気分がだれ気味になってきた8月初頭、彼らの前に朱色の船体に白の船橋楼という、朱袴を穿いた巫女の様なカラーリングの船が現れた、そう、彼らが待ち望んでいた船「そうや」である。
彼らは、全員船に乗り込み今後の試験航海の予定と、主な備品の使い方を学習した。
その後「そうや」は、試験航海要員第1陣を載せ夏の北氷洋へと進路をとった。
こうして物語は海に向かう、NEXT「そうや」物語・後編(船の章)遠日公開