それは、戦後という時代の名前が世間に定着しかけた頃であった。
或る国際学会において日本の代表として招待を受け出席した学者は愕然とした。
なぜなら、その学会で戦勝国側の一部(日本の降伏時に交わした条約により実際に補償を請求する権利を制限され、懐が潤わなかった国)の参加者から、
「何故日本がここに来ている」
「敗戦国がここに来ても、我々は、何も得ることは出来ないだろう」
「我が国は、貴国の振る舞いを許した覚えはない」
などの罵声を浴びせられたからであった。
国際会議場は、敗戦国へのつるし上げの場になった。
出席した学者は、直感した。
ココで遅れを取ったら日本は今後、科学技術の分野で常に後進国のレッテルを貼られる事を。
それは、科学全盛の時代に一人前の国家としての発言権を失う事を意味している。
この学者は、わき起こる言葉の十字砲火に晒されながら体が震えるほどの強い憤りを押さえ込み、会議場内に明言した。「3年後の南極合同調査に必ず日本も参加します」
その言葉は、戦後日本が初めて経験する国家プロジェクトの引き金となった。
帰国後の彼は、文字通り東奔西走し南極行きの環境を整える作業を行った。
文部省に話を持ちかけたことにより、なんとか大蔵省のシブチンなガマ口を開口させ。
登山家、探検家に逢っては、助力を頼んだ。
情熱は、多くの人に伝播し、
大人達には、国際社会で「日本国ココにあり」と言える瞬間を、
子供達には、未知の氷に閉ざされた大陸を探検する事を、
企業家達には、自社の技術が極寒の大地で環境に耐えて稼働する瞬間を、
それぞれに夢みさせた。
国中が夢の実現に向けて一丸となった。
結果として。
寒いところへ行くのなら・・・と言うことで数々の手編みセータが、
児童からは、自分達の小遣いを募金したモノが、
企業の銭金抜きの仕事による様々な装備の試作品が、
日ごとに集積された。
夢は、現実のモノになるそう感じられた。
しかし、一つの問題が有った。
実際に南極まで航行し、無事に帰ってこれる船が必要であった。
そのためには、厚い氷山を噛み砕き自分の進路を確保する能力が必要であった。
氷海での事故原因のほとんどが氷山との衝突に起因しており。
また実際、幾多の捕鯨船・軍用船が氷のなかで立ち往生し、酷いモノでは圧懐して沈没したモノも数隻報告されている。
この過酷な環境に供する船は、時間的制約により現存する船の改造にて賄うこととされた。
様々な船がリストアップされ、任務内容と照らし合わせ審査が進んだ。
そして、或る輸送船に白羽の矢がたった。
彼女の名は「宗谷丸」といった。
もともとが流氷に出会う可能性が高い樺太周辺の航路に置いて海運業に従事する耐氷貨物船として設計されていたことや、(実際には旧ソ連の発注により竣工、完成直前に大戦が勃発して日本の船になった)南方の激戦区で輸送業務に従事し、空襲に遭っても甲板に銃創を刻んだ程度で済み、また、魚雷(不発弾)の直撃を受けたときも、自力で近在の港まで航走し修理を行った歴戦の強者であった(ちなみに米潜水艦を爆雷にて1艦を返り討ちにしている)
このプロフィールを見たとき担当者は、この船が奇跡の船として歴史に名を残す事を直感した。
しかし、この探検航海に従事する航海士は、終戦直後復員船として活躍し、その後港湾に係止されていた彼女のもとへ回航をするため訪れたとき愕然とした。
彼女は、錆の塊としか表現できないほどの状態で係止されていたのだ。
唯一の救いは、戦前のまだしも物資に余裕があった時代に造られた船であるため多少厚い目の鋼板によって構成されている事であった。
この航海士は、直ちに自分の最初の職務に思い至った。
それは、各部を見て回り改造用の図面を引いている技術者に報告することであった。
この報告を受けた設計技師は言った。
「また、国の命運をかけた船の図面を引くことになるとは・・・これも因果か」
設計技師は、かつて不沈戦艦と謳われた巨艦の図面を引いた仲間達を集めた。
「今度こそ、皆が生きて帰るため船の図面を引く」
技術者達は皆静かに頷いた。
図面の第1稿が上がるまでの間に改造を行える施設を探す作業が行われた。
造船業者、修理業者は、皆、夢を見たがったが実際に錆の塊たる彼女を見て後込みした。
なぜなら、この改修工事が新造船を1隻作る事に匹敵する大工事になるからであった。
そんな中、一つの浮きドックの経営者が手を挙げた。
このドックは、新造船を作ることはないが、その修理の早さと技術の確かさには、定評があった。
早速、図面に従って作業を開始した。
様々な問題が発生し、設計部隊が浮きドックのそばに缶詰めになって現場技術者と共に一ずつ解決していった。
その中で最も難しかった問題は、各部のひずみに起因する水漏れ箇所の多発であった。
それを解決するため浮きドックの経営者は、日々同業者のもとを駆け回った。
「これぞ、日本国の浮沈に関わる問題だ、今こそ職人の魂ってものを見せるときだ」
この言葉に賛同した者が逐次集まった。
結果的に、このドックのある地域の全ての溶接技師が集結した。
そこからは、まさに人海戦術であった。
象に群がる蟻の様にも見えたが、その蟻はとうとう象を征服した。
「宗谷丸」は、日本初の南極調査船「そうや」へと変身した。
南極の大地に接舷するには、極短い南極の夏の間に氷海を渡りきる必要がある。
「そうや」の完成は、彼女の船足を考えるとまさにギリギリの完成であった。
出航の前日装備を積み込み、北海道の奥地での訓練を終えた南極観測隊員達は感動した。
「そうや」の改装に従事した全ての人が集まり、現場単位での壮行会を行ってくれたのだ。
「そうや」自体も電飾によって金色に輝いていた。
皆が肩を組み、歌い、泣いて、笑った。
その宴は、朝まで続いた。
翌朝、出航の準備を始めた航海士は、ふと違和感を覚えた。
港湾の奥に見える建物が昨日、物資を搬入したとき見たモノと少し違うように思えた。
特に視界の端っこに見えた大きなリング状のモノがどうやら観覧車らしいと判ったとき航海士は、まだ酒が残ってるのかと思った。
しかし彼は、はたと気付いた
自分が昨日酒をほとんど飲まず船に乗り込み、期待に胸を躍らせつつこれから行く南氷洋までのプランの再計算作業をしていたことに。
どんな些細なことでも気づいた時に対処しないといけない。
これは、彼が海上で仕事を続けてきて身にしみている事であった。
早速、南極観測隊の隊長室に駆け込んだ。
その中では、難しい顔をした隊長と副隊長が話し込んでいた。
時間に正確なはずのお役所の連中がまだ来ていない。
また、彼ら以上に目耳の鋭いマスコミ関係者が取材に来ていない。
これらの状況から隊長達もまた異変に気が付いたのだ。
少し時間がたつと、1台のパトカーが見送りの技術者の人波をかき分けて入ってきた。
中から出てきたガードマンの様な風体の人物は、自らのことを警察官と言った。
警察手帳だけは本物の様に見えた。
彼は、ココで起きている事が、労働争議や、暴動でないことをしつこく聞いた後、状況の説明を行った。
どうやらこの港湾地区が船や設備ごと時空融合に巻き込まれたとのことである。
南極調査隊は、悲嘆にくれた。
それぞれの家族達と連絡が取れなくなった事にではなく自分たちを送り出そうと努力した数多の人々と切り離されその期待に応える術を失った事にである。
また、調査隊の隊長は国際会議で受けた「敗戦国・後進国」と言う屈辱を注ぐことが出来なくなった事に思い悩んだ。
そして何よりも、自分たちの悲願である南極到達が、不可能になった事に。
隊員それぞれも目的を失い意気消沈しながら宛われた宿舎へ向かった。
そのまま数日が過ぎた・・・。
或る晩、隊長は隊員を集め言った。
「我々の当初の目的は失われてしまった、しかし南極に行く能力を失ったわけではない」
「3日後、私は担当部署へ南極探検調査の嘆願に行って来る」
「去る者は追わない、どうしても南極に行きたいという者だけが残ってくれればいい」
「以上、解散」
一同にざわめきが走った。
隊長はこの日以降宿舎内の自室から一歩も外に出てこなかった。
また、宿舎の人数は日々減っていき、約束の期日に宿舎は空になっていた。
−続く−