作者: しまぷ(う)さん






 後に時空融合と呼ばれる事になった現象より、一日経過したお昼過ぎ。  久作はぼんやりと付けっぱなしのテレビを見ている。
 視線の先のテレビでは、ニュース番組が昨日とあまり変わらないニュースを流していた。

「ではGGGより、送られてきた映像をご覧下さい」

 そんな、アナウンサーの声の後に流れてきた映像は久作が待ち望んでいた情報の一つだった。
 この日本のみならず、地球全体を超え、平行世界を巻き込んでの、後に時空融合と呼ばれる再配置現象。詳細はともかく、この放送を見た久作の中での疑問点はおおかた消費された。
 同時に、もう自分の知る家族に会う事は出来ないだろうと、寂しさを感じていた。

「これから、永くなりそうですね」

 そう言って、煙草を取り出し、火を付ける久作の脳裏には色々なモノが浮かんでは消えていった、ゆらゆらと揺れながら立ち上る紫煙のように。


 ある家族の肖像 PHASE-II この空の下で



 数日後、未だライフラインは電気と水道だけで、ガスの供給は滞ったままだった。
 ミシマガスの試作機により、夏目家で備蓄してあったガスも小出しに使ってきたとは言え、そろそろ底をつきそうになっていた。

「どうしようかしら」

 調理器具もお風呂もガス器具なので、このままではお風呂にも入れなくなる、そんな目の前の現実に晶子は台所で悩んでいた。
 実のところ電気は、久作の作った自家発電システムでもう数日は持たせられたので、復旧の順番自体は電気が最後であったほうが助かったのだが、現実はそうも行かなかった。
 久作曰く「ガスは爆発すると危ないですからね、どこか管に異常がないかしっかりと調べないと危ないんですよ」との事だが、お風呂に入れない事自体が晶子にとっても予想外だった。
 とりあえず料理について色々思案した晶子の目の前には、先ほど出した普段あまり使わないホットプレートがテーブルの上に鎮座していた。

「どうしようかしら、今晩のご飯」

 とりあえず、今晩のメニューについて考えている晶子の視界に、ダイニングに入ってきた久作が映る。

「あー、晶子さん、ちょっとその辺りを散歩してきますね」
「えっ? あ、はい。そうだ、久作さん」
「なんですか?」
「晩ご飯、何か希望はありますか?」
「そうですね、手料理であれば何でもいいですよ、じゃ行ってきます」
「…行ってらっしゃい」

 どうして、手料理なんだろうと疑問に思った晶子だが、深く考えるのは止めて買い物に出ているヌクヌクと竜之介が帰ってくるのを待つ事にした。
 夏目家、玄関前。

「手料理か…、結局晶子さんの手料理を食べる事って出来なくなったな」
 呟き、煙草をくわえ火をつけずにそのままに歩き出す。
 実際のところ、久作も行き詰まっていた。家のシステムの事を調べ直しても良かったのだが、一通り調べた後ではあまり成果は上がらないだろうと考え、思考を家から離した所で出来る事があまりない事に気づいたのだった。

「やっぱり、この世界の技術水準を調べておかないといけないですね、じゃないと電話を引くのにもいろいろありそうですから」

 一人愚痴りながら久作は辺りをキョロキョロと見渡しながら歩いて行き、住宅街の中へと消えて行った。
 数秒後、久作が行ってしまったのとは反対の方から、ちょうど角を曲がってきた二人がいた。

「…でも、お金が使えて良かったねヌクヌク」
「はい、これで何とかなりそうですね」
「通貨も違ったらどうしようかと思ったけど」

 飼い主と猫脳アンドロイドはそれぞれに買い物袋を持って、夏目家の玄関へ入る。
「ただいま」
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい、久作さんに会わなかった?」

 声が先に晶子が玄関に姿を現す。

「父ちゃんに?」
「いいえ、会ってませんが」
「そう、あの人が出てすぐに帰ってきたから、そこでばったりと思ったんだけど、まぁいいわ」

 付近の公園。  その公園には掲示板があった。町内会の掲示板らしきそこには人の名前が書かれた様々な紙が貼り付けられていた。
 広告の裏面や、コピー用紙、段ボールに書かれた物もあった。
 その掲示板とはちょうど公園の反対側に久作はいた、二人の警察官を前にして。

「だから、私は夏目久作、近くの家に住んでいる、怪しい者じゃないとさっきから言っているじゃないか」

 久作はうんざりとした表情で二人の警官にそう言った。

「じゃあなんで、挙動不審者みたいにきょろきょろしていたんだね?」
「それは、この町のインフラを調べていただけですよ」
「…、身元を証明できる物、持っているか?」
「運転免許証で良いですか?」
「ああ」

 久作は財布の中の運転免許証を取り出し警官に見せる。
 警官は久作の手の中にある運転免許証の日付を見て思わず口を開く。その日付は彼ら警官が記憶している『今』よりも何年も未来だったからだ。

「…あんた、冗談を言っちゃいかん… っと、ついいつもの癖が出たな。悪い、上からの通達を忘れていたよ」
「なんですか?」
「ああ、テレビを見たなら知っていると思うが、今色々とあってね」
「いろいろとごっちゃになった事ですね」
「ごっちゃか、まぁそうだな。そのおかげでこっちは忙しくてね、もうしばらくはこんな事が続きそうだよ」
「そうですか。ところで今電話ってどんな種類があります? インターネットとか知ってますか?」
「携帯電話とか、普通の家の電話とか、インターネットは今ちょっと話題になってたけど、この災害でほとんどダメになってる」
「そうですか」
「とりあえず、近所だったら家まで案内してもらえるか? それで身元の保証にしているから」
「分かりました」

 夏目家。

「ただいまー」
「お帰り父ちゃ… どうしたの?」

 玄関に駆け寄ってきた竜之介は、久作の後ろに二人の警察官がいる事に驚いて問い詰める。

「いやなに、今例の災害でいろいろとゴチャゴチャになっているだろ? んで、身元保証人の代わりにな…」
「そう言う事です、ご近所もしくはご家族の方に確認をとってもらっています」
「じゃあ、母ちゃん呼んでくるよ」
「あははは、お手数かけます龍之介さん」

 龍之介が行ってしまった直後、警官の一人が久作に尋ねる。

「君の息子かね」
「ええ、少々ややこしい事情はありますが私の息子です」
「…そうか」
「どうかしましたか?」

   ほっと胸をなで下ろすようなそんな警官の言葉に久作は思わず訪ねていた。

「ああ、所轄管内でもすでに14名の孤児を保護しているのでね。同様に子供の捜索願も何件もきている」
「…そうですか、まだまだ増えそうですね」
「ああ」
「ところで、この辺りでは我が家だけが現れたようなんですが…」
「そうでもない、さっきの公園の前の道路からこちらは、私の知らない町並みだよ」
「ええっ?」
「我々の予想を超えてゴチャゴチャになっているようですな」
「そうみたいですね」


 数日後、夏目家。
 結局、お風呂の件については、近くにあった銭湯にお風呂をもらいに行く事になり、ここ数日の夏目家では一家そろって銭湯に行く事が日課になっていた。

「…ヌクヌクってよく出来てるよなー」

 ぼんやりと鉛筆をくわえたまま、お風呂に入っても全く怪しまれないヌクヌクの出来に驚嘆しつつ、龍之介は一人で留守番をしていた。

「そう言えばNK−1124じゃなかったんだよなー」

 ぼんやりとあの日、あの歩道橋の上で抱きしめられた感覚を思い出す。
 慈しむようなと言うよりは、何かを恐る恐る求めていたようなあの手の感覚を…

「あいつは、俺の知ってるヌクヌクと違って、感情の表し方が違うけど… やっぱりヌクヌクなんだな」

 そう言って思考に一区切り付け、再び自習にとりかかる龍之介だった。
 ダイニングのテーブルの上、鉛筆がノートの上を滑る音が静かに部屋に広がる。
 少しして唐突に問題に行き詰まり、ノートから顔を上げた。

「学校に行けない小学生って、寂しい…」

 ここのところ、正確には時空融合直後から小学校に通えなくなっていた。
 晶子曰く「戸籍がないからって苦労するは初めてだわ、ごめんなさいね龍之介」と、力無く話してくれた。
 そんな記憶からとりあえず目の前の計算ドリルに思考を切り替え、ノートにかりかりと書き込みながら計算を進めていくのだった。
 今自分に出来る事なんてこれ位だと分かっているのが少し悲しいが、それでも再び学校に行ける日を信じて、とりあえず目の前の問題を解くのだった。
 それからしばらくして、落ち着いた声と共にヌクヌクが買い物から帰ってきた。

「龍之介さん、ただいま帰りました」
「お帰りヌクヌク」
「晶子さんと久作さんはまだ帰られていないんですね?」

 冷蔵庫に買ってきた物を入れているヌクヌクに、龍之介は「うん」と短く答えた。

 夕刻、夏目家近くの公園。
 夕日が二人の影を長く落とす。
 二人はお互いに別々に家を出たのだが、区役所でばったりと出くわし、そのまま役所での手続きを色々と済ませて、今帰宅の途中だった。

「また、増えましたね」

 公園の掲示板には、探し人の張り紙と、安否の確認の張り紙が以前より多く張られている。
 その中に「夏目家はとりあえず元気です」と書かれた張り紙が、他の張り紙に半ば埋もれるようにして存在している。

「…久作さん」


 この張り紙は晶子が提案した物で、同じ物が区役所の前にもうけられた掲示板にも貼られている。
 風雨にさらされるだろう掲示板の上で、その張り紙が日に日に他の張り紙の中に埋もれようとしている。
 その張り紙の様子に晶子は、私達を知っているのは私達だけだと言う事を、確信に似たような気持ちで久作と二人しばらく掲示板の前にいた。
 夜、夏目家。

「あ、そうだ龍之介」

 食事も終わりテレビでも見ようかと席を立った龍之介を、久作がそう呼び止めた。

「なに?」
「明日は何か予定ありますか?」
「何もないけど?」
「明日は区役所の人が来ますから、それまでは家にいて下さいね」
「うん、いいけど。どうしたの?」
「役所の人が、私達がここに住んでいる事を確認に来るんですよ」
「ふーん。…じゃあ」
「ええ、これで戸籍の問題とかは解決するはずです。じきに小学校にも行けますよ」
「…うん」

 小学校と聞いた龍之介の脳裏に、もう会う事もないクラスメイト達の姿がフラッシュバックした。思わず言葉が濁る。
 その様子に気付いた久作は立ち上がり、龍之介の前まで来ると膝を折り、龍之介の視線に自らの視線の高さを合わせ。

「龍之介さん、龍之介さんの心の傷をいやす事は私には出来ません。でも明日を信じて下さい、みんなそれぞれに失ったものがあるんです。傷を舐めあう訳じゃありませんが、小学校に行くみんなも不安なんです。だから大丈夫ですよ」
「…父ちゃん、それじゃあ何が大丈夫なのか分からないよぉ」
「…あ〜、どんなに辛いときも、知恵と勇気、それがあれば乗り切れます。それに、龍之介は独りじゃない、ですよね?」
「父ちゃんが何を言いたいのかは分からない、でも。何を伝えたいかは分かった気がする」
「龍之介」
「…あと、ちゃんと睡眠とった方が良いよ、徹夜でハイになってるでしょ」
「う… 鋭いですね」
「…慣れてるから。でも、ありがとう」

 それだけ言って龍之介はダイニングから出て行った。

「…だからこそ頑張れるんですよ。龍さん」

 行ってしまった龍之介の背中に、久作はゆっくりと立ち上がりながら呟いていた。もう会うことはないだろう彼の息子の背中を思い出しながら。
 翌日、昼過ぎ。

「ここで良いんですよね、先輩」
「おう」

 ピンポーン。
 大戸島さんごはインターホンを押した、程なく返事か帰ってくる。

『はい、夏目でございます』
「区役所の者ですけど、戸籍登録の確認に参りました」
『はい、少々お待ち下さい』

 鳥坂と大戸島とR田中一郎は区役所の職員として夏目家の玄関先にいた。
 時空融合当日に何とか区役所の職員として認めてもらった物の、正式な配属先はまだ未定であった為、最も人員が必要な、俗称すぐやる課に配属されていた。
 現在のところ彼らの仕事は、家々を回っての戸籍調査である。
 この練馬区ですら大小含めると数えるのが面倒くさいほどの世界が組み合わさっていた。とは言え人口から言えばかなり減少しており、誰も住んでいない空き家のまま放置されていたり、なぜか土管が置いてある空き地だったり、終いには一区画まるまるすすき野原だったりしていた。
 そして彼らは今日何軒目かのお宅を訪問した所であった。
 程なく玄関が開かれ、中から主婦だろう女性が出てきた。

「区役所から戸籍の確認に参りました」
「お待ちしてました」

 さんごが手際よくその家の主婦だろう人物と話を進めてゆく。
 そのさんごの後ろにいる鳥坂の後ろで控えている、見ようによってはぼんやりとしているR田中一郎。彼の視界に玄関に集まってきた夏目家一同が映る。

「えっと、夏目久作さんに夏目晶子さん、桶口温子さんに、夏目龍之介さんで間違いありませんね?」
「いいえ。私は夏目温子でお願いします」

 真っ先に温子が訂正を申し出た。

「温子さん、良いの?」

 驚きを隠せない晶子は温子に問いただすが、温子は「はい」と微笑みながら答える。

「では夏目温子さん。で、よろしいですね?」
「はい、お願いします」
「先輩、特に問題ないですよね?」
「ああ、超法規的措置ってヤツで済ませようではないか」
「分かりました」

 そう返事を返し、そのままさんごは年齢などの確認に入る。
 しばらくそんな確認のやりとりが入り、やがて役所の職員は帰っていった。
 玄関が閉められ、研究室に戻ろうとした久作を温子は呼び止めた。

「どうした? ヌクヌク」
「先ほどのお役所の人たちなんですけど、後ろの方で学生服を着た方、ロボットでした」
「そうですか、向こうも気付いているかもしれませんね。でも今思案してもしょうがないですよ、成るようになります」

 返事を返しはした物の、どことなく鈍い久作の様子に温子は思わず言葉を漏らす。

「…あのー、ちゃんと睡眠取ってます?」
「いやー、久しぶりに16時間寝たから、今度は寝過ぎで… それより、本当によかったんですか? 桶口ではなくても」
「はい、私は龍之介さんの飼い猫ですから」

 そうまで言うのなら、と久作はそんな思考そのままの言葉を口に出さず、代わりに。

「龍之介をよろしくお願いしますね」

 そう告げたのだった。
 十数日後、朝。

「連合政府の成立に伴って本日を新世紀元年5月1日と定められました。これは…」

 そんなニュースが流れているが、誰も特に驚く事もなく朝食を取っていた。以前より、今がいつぐらいなのかというニュースがあったからだ、決まった事に対して安堵はしても、特に驚く事はなかったのである。

「あたしは、今日ちょっと遠出してくるわ」

 一家団欒で朝ご飯を食べ終えた所で、晶子はそう言った。

「どこまで行かれるんですか? 晶子さん」
「ちょっと見ておきたい所があるから、それをね」
「そうですか」
「悪いけどお留守番お願いね」
「はい、任せて下さい晶子さん」

 朝食後。
「ねぇ父ちゃん」
「何ですか龍之介さん」

 研究室に降りる梯子の上から頭をのぞかせた龍之介に、久作は相も変わらずコンピューターの前から動く事もなく返事を返す。

「今何しているの?」
「…私の技術を纏めて、特許を申請する為の準備をしているんです」
「そうなんだ」
「ええ、金銭的には多分再来月ぐらいまでは不自由なく生活できますけど、そこから先はちょっと心許ないですから。なにせ緊急用の資金は私と龍さんとヌクヌクの三人分しか用意してませんでしたから」
「龍さんって、父ちゃんの方の子供だよね」
「ええ。…そう言えば龍之介さんは、私の事を『父ちゃん』と呼ぶんですね」
「えっ? だめかな…」
「いえ、お願いしますよ。いつか私も、龍之介さんの事を龍さんと呼べるまで」

 いっている間に照れてしまったのか頭をかきむしる久作に、龍之介は同様に照れながら、 「うん」 と、返事を返した。
 とたん久作の前のPCから警告音と表示が出る。

「…あ、いかん」
「どうしたの?」
「プリンターのインクが切れた」
「あはは、買いに行かないとね」
「仕方ないかぁ。じゃあ私もちょっと買い物に行ってきますから、後よろしくお願いしますね」
「うん、行ってらっしゃい」

 お昼前。  龍之介は相変わらずリビンクでドリルをこなしていた。
 他にやる事が全くない訳でもないのだが、自分の部屋で勉強をするために一人になりに行くのが何となく嫌だった。
 だから部屋ではなく、みんなが団らんするリビングで、何となくというペースでドリルをこなすのだった。
 しばらくして、エプロンを掛けたままの温子が台所から現れた。

「龍之介さん、お昼何にしますか?」
「そうだなぁ、ヌクヌクは何が良い?」
「そうですね。焼きそばなんかどうでしょう」
「…電気で出来るの?」
「はい、昨日久作さんにホットプレートも改造してもらいましたから。何でも中華もOKだそうです」
「ヲイヲイ、ブレーカー落ちたりしないかな」
「省電力型だそうですから、大丈夫だと思いますよ」
「まぁいいや、じゃそれ頼むよ」
「はい」

 そう明るく返事をして料理に取りかかる温子。
 その姿が台所に消えようとする直前、龍之介は先ほどの温子の言葉に対して訪ねていた。

「あれ? さっき『ホットプレートも』って言った?」
「はい」
「他に何をいじったんだ父ちゃんは…」
「さぁ、特には聞いてませんけど」
「うーん」
 龍之介の不安と同じぐらい、久作の研究室には作りかけの機改達が散乱していた。それもそのはず部品の調達が出来ないのである。その結果作りかけで放置されているのだった。

 同刻都内某所。

「なかなか無いものね」

 ビシッとスーツを着こなした晶子は今日3件目の会社から出てきた所だった。
 曲がりなりにも開発部長をしていた彼女である、三島インダストリーの若社長の道楽の下で作ってきた物とは別に、堅実に売れる物にも携わっていた。
 経験や実績、そして市場をみる目は誰にも負けないと言う自負もあるのだが、就職活動にはあまり関係ないらしい。
 そんなうちにお腹が鳴った。

「もう少しがんばってみようかしら」

 そんな呟きが雑踏の中に広がるのだった。

 同刻都内某所、その2。
「おおおおおおっ」
 思わずジャンクパーツ屋で驚嘆の声を上げる久作。
 秋葉原まで出てこれた事を良い事にショップ巡りである。
 いろんな時代や世界のショップが、時には同じビルの階別に出現していた。
 今久作が居るのは、店主の話によるとホームメイド(以下HMと呼ぶ)という人型ロボットが存在した世界から来たという店である。
 久作自身人型の、しかも人間の脳を移植して治療しまおうという医療器械を手がけていただけに、ある種究極まで人間に似せて作られた物もあるだろうというHMの話には興味津々だった。
 そしてそんな彼の前に出てきたのは、そのHMの頭脳と言うべきプログラムの入ったディスクだった。
 彼の手がけたNK−1124にも、脳と機械の間のインターフェイスとして情報を処理する膨大なプログラムがあった。仕様や用途が違うとしても学習能力のあるそのプログラムデータに興味を持つのは、久作としては自然な事だった。
 が、あいにく今の彼にはお金がなかった。
 結局彼はその店主と数時間技術的な話をしたあげく、何も買わずに帰ったのである。そう、目的であったプリンタのインクでさえも、すっかり頭の中から消えて無くなっていた。
 それから数日が過ぎたある日。
 久作はおもむろに、朝食の団らん中に言った。 「旅行に行きましょう」 と…  五月の初旬というのは、ゴールデンウィークと名付けられた、およそ2週間ばかりの休みの続く週があったりするのだが、時空融合の結果それが無くなっていた。
 正確には間に合わなかったと言うべきだろうか、国としての国民の祝日を決定する、そんな事項もひっくるめてほぼ全ての問題が、そこまでの短期間で準備や解決など出来るはずもなく。とりあえず時間だけは公に定まったものの、まだほとんどの法的な問題は、解決への準備段階であった。
 要するに新世紀元年のゴールデンウィークは、それぞれの世界で差異があったので、ゴールデンウィークの様相をあまり見せる事はなかったのである。
 そして再び久作は言った。

「旅行に行きましょう」
「父ちゃん…」

 呆れたような龍之介の言葉に、晶子は久作の真意を測りかねていた。あれば、だが…

「久作さん、急に旅行なんてどうしたんですか?」
「いやなに、せっかくゴールデンウィークなんですから、家族そろって出かけるのも悪くはないと思いまして… あ、旅行と言っても車で湘南までドライブをと思いまして」

 なにやら言い訳のように言葉が続く。

「でも湘南までって、川崎駅周辺はこの前の災害でまだ通れないよ」

 先月末のゾンダー出現の結果、JR川崎駅を含めてその南側周辺の市街地は局所的にではあるが、壊滅的な被害を受けていた。ただ、実際に行われた戦闘の規模からすれば、被害は微塵ほどでしかなかったと言えるのは、対峙したガオガイガーのディバイディングドライバーによる所が大きかったのだが、それは別の話である。
 現在、復旧作業がJRを含めて行われており、駅周辺の道路はレイバーと呼ばれる人型機械も含めて、工事車両で溢れていた。

「それなら大丈夫です、迂回ルートを考えておきました」

 全く緊張感のないいつもの久作の声が、そのまま説明を続ける。

「横浜までは内陸を迂回して、横浜市街から海沿いを経て、横須賀あたりから三浦半島を横断、そのまま逗子から海沿いを鎌倉、湘南という具合ですけど。どうでしょうか、少し遠回りなのはドライブがてら色々と見てみようと思いまして…」
「本当に行くんですか?」
「はい、車のガソリンは最悪に備えて、予備も用意してあります」
「お弁当どうしましょう、時間がかかる物はもう無理ね」

 既に行くつもりなのか晶子は持って行くお弁当の事を考えている。

「おにぎりにおかず少々ぐらいでしたらすぐに出来ますけど」

 すぐに温子は一番可能性の高いレシピを提示する。

「温子さん、握り飯とお茶、それに沢庵か何か漬け物をお願いしますね」

 いつもの通り全く緊張感のない久作は、既に遠足の前にそわそわする子供のようで。

「はい」

 そう返事を返す温子だが、彼女はそのまま久作の様子を見て。

「ちゃんと睡眠取ってますよね?」
「え? ええ」

 そんな温子とのやりとりを素で返す久作に、龍之介は深くため息をつき。

「まぁ、いいかぁ」

 半ば諦めるように呟くのだった。
 とは言え、龍之介も未だに学校に行けない日々にうんざりしていた。役所の話では、カリキュラムの再編成等が終わっておらず、なおかつ先に再開した地域へと教員が流れ、人材不足にも陥りつつあった。
 そう言う事情もあり、龍之介も反対はしなかったのである。
 実際練馬区の小学校の再開は都内でもワーストから数える方が早かったのだが、これは単に流失した教師も含めて人員不足の結果であった。その反面、物質両面がそろってからの再開になったのは怪我の功名と言うべきだろう。
 それぞれに手早く準備を済ますと、夏目家一行は車に乗り込み一路三浦半島を目指した。
 予定通り横浜まで内陸側を通り、そのまま海沿いへ出る。
 ニュースで再三伝えていたとおり、首都圏の人口も極端に減った事から、交通事情は比較的良好であった。
 金沢八景を過ぎそのまま横須賀方面へと車は進む。
 窓から見える浦賀水道へと続く東京湾には、灰色の船がよく目立って浮かんでいた。それがどんな船かまでは、誰も興味を持たなかった、むしろ貨物船が少ない分目立っていたというべきだろうか。
 米軍基地の前を通り過ぎて、三浦半島の田舎道を車は走っていた。
 舗装も残っていない道、辺りには自然のままの草木の生い茂る丘。
 先ほど「この先、さがみの自治区」と言う看板があり、それを通り過ぎてからというものずっと同じような景色が続いていた。

「どこでお弁当広げましょうか」

 そんな悠長な言葉が久作の口から出る。
 辺りはほぼ一面の原野で、時折見える家々が人が住んでいる事を物語る。

「そうね、どこか見晴らしの良い所無いかしら」

 窓の外を飽きることなく見つめている晶子は、そのまま外を見たままで答えた。
 車の窓は全て開いていた、都会では味わいがたい、自然の優しい香りが風と共に車の中で舞う。
 ふと龍之介が隣に座っている温子の方を見た。
 シートに深くもたれ、彼女は目をつぶっていた。不思議に思ってよく見てみると、どうも疲れているという訳ではなかった、自然な笑みを浮かべうっとりと空気を吸い込んでいるのが見て取れた。
 そんな彼女の様子に龍之介は飼い主として、旅行に来てよかったなと思うのだった。
 しばらく車で走った久作がおもむろにそのスピードを落とす。

「スタンドですね」

 そのスタンドには、店員だろう一人の気のよさそうなおじさんが座っていた。
 ただ、スタンド自体屋根はなく、あえて言うならば何十年も放置されたようなスタンドを少し手直ししただけ、に見える物だった。
 それはそれとして、迷うことなく久作は車をいれる。

「満タンお願いします」
「あいよ」

 その人物は景気よく返事を返すと、なれた手つきで給油を始める。

「お客さん武蔵野の、東京からかい?」
「ええ、ドライブにやってきました。この辺で見晴らしの良いところ知りませんか?」
「んー、そうだな。この先の道を右に折れるとカフェ・アルファっていうのがあるからそこで聞くと良い」
「カフェ・アルファですか」
「ああ、小さい店だからすぐ分かるはずだ」
「先ほどのガソリンスタンド 「『小さい店だからすぐ分かるはずだ』ですか」

 ガソリンスタンドを出てから5分、久作はハンドル片手にそう呟く。
 洋風の家を改造したようなその店には、入り口にClosedとの札がぶら下がっており、またその洋風の家自体にも人の気配はなかった。

「閉まってる見たいね」
「仕方ないですね、ま風光明媚な所ですからどこか海の見える場所に止めましょう」

 そのころ、先ほどのおじさんのガソリンスタンドでは。

「おー!?」
「おじさんどうしたの?」
「んー、ちょっと前にお前の店に道案内したんだがよー、今日は休みだったか」
「えー!」
「急ぎましょうアルファさん」
「…その前に油入れないと走らないよココネ」
「あ…」

 見ると二人のスクーターのメーターはEnpty付近を指していた。

「良い景色じゃないですか」

 そう言って車を降りた久作は、一面に広がる太平洋からやさしくそよぐ潮風に身を任せている。
 カフェアルファからそう遠くない場所だが、比較的景色がよかったのでこの場所に決めたのだ。

「じゃあそこにシートを引こうよ」
「はい」

 龍之介と温子の二人は持ってきたレジャーシートを広げる。

「どっこらせっと」

 言葉の割には軽快な声を出して久作がレジャーシートに寝ころんだ。
 視界いっぱいに空が飛び込んでくる。
 ふと再三聞かされてきた報道番組の内容がよぎる。
 この空のかなたに、相剋界と呼ばれる壁と言えるものがある。それが現在の不安定なこの星を覆っている。
 閉じこめられている、とも取る者もいた。 (所詮人間なんて、この空の下で生きていく物ですからね) と考えつつ、ぼんやりと空を見上げていた。

「父ちゃん、お弁当そこに置くよ」
「あーはいはい」

 軽快に龍之介の声に答えると、考えていた事をすっきりと忘れて、その場から起きあがる。
 ちょうど真ん中を陣取っていた久作の代わりに、龍之介が持ってきたバスケットが置かれた。

「久作さん、カセットコンロも持ってきたんですか?」

 車のトランクの中にあったカセットコンロを見つけ、晶子は呆れながらにそう言う。

「ええ晶子さん。万が一と言う事もありますから、用意はしてあります」
「そう。じゃあそれは置いて、昼にしましょうか」

 晶子はゆっくりと歩いてくると、レジャーシートの上に腰掛け、バスケットからお弁当箱や水筒を取り出し広げた。
 お弁当箱の中身はおにぎりと漬け物、あまりにも単純なその昼食だったが、それが一層この自然の中で食べるものに合っていたのか、誰も違和感を感じなかった。

「こういうのもいいわね…」

 注ぎかけのコップを片手に、茂みの向こうに見え隠れする水平線へと視線を向けていた晶子がそう呟く。小さく呟いたのか、風にその言葉は溶け、ただ一人温子だけがその言葉を聞いて静かに頷いていた。

「久作さん、はいお茶」
「ああ、すいませんね晶子さん」
 人が手放した広大な空間を、植物達が謳歌するかのごとく緑の生い茂っている草原の先。霞掛かった半島がはるか向こうに見えることから駿河湾だろう海が青々と空の色を写す。その霞む先にあるのは箱根だろうか、富士山だろうか…  久作が知る三浦半島より、海面が隆起したようにあちこち水没した様子がこの場からも見て取れる、だが決して人を拒むでもなく優しく広がる誰彼の風景がそこにはあった。
 一家がここで自然を満喫したのは言うまでもない。
 相模湾側のまともな舗装道路に出た車は、そのまま海沿いの道を進む。
 葉山マリーナ周辺のこの辺りはさがみの自治区とは別の世界からの物らしく、海沿いの道路が海中に没している事はなかった。それに昭和中期の様相を思わせる町並みが海沿いの方だけとは言え続いていた。

「なんだかすごい所を走っているね、父ちゃん」
「そうですねぇ、海沿いは古い町並みですけど内陸の方はさがみの自治区のままのようですね」
「久作さん、このまま鶴岡八幡宮に行ってみません?」
「いいですね、まだ2時にもなっていませんし寄ってみましょうか」

 そんな晶子の提案に3人と一匹を乗せた車は、昭和中期の町並みを一路鎌倉へと走って行くのだった。
 駐車場に車を止めた一行は、海と鶴岡八幡宮を真っ直ぐに繋ぐ参道の若宮大路の段葛の上を歩いていた。
 既に桜は青々とした葉桜になっており、その深々と緑をたたえた二筋のひさしの向こうに、一番お宮に近い三の鳥居が見えていた。

「良い所ね」

 思わず晶子が呟く。子供の頃はこんな町並みだったなと、幼い頃のすり切れたセピアの思い出が脳裏によぎったからだ。

「行きましょうか」

 久作の声につられるように、晶子は先に行く温子と龍之介の背に視線を移しながらに、久作の隣を歩き始めた。
 高度経済成長時代の、それ以降に比べれば精神的には豊かであっても、まだ物質的には少し貧しかった頃の世界。そんな世界でもあるこの鎌倉一帯は、かなり広域にまとまって現れた為か、夏目家近辺のような混乱の様相はほとんど見受けられなかった。
 まだ時空融合から日も浅く、いち早く立て直した週刊誌なども、ここ鎌倉の情報を深く伝える物はなかった。
 それ故か古都鎌倉として、TVから流れたイメージが一般には定着しており、未だ観光客は少なかったとはいえ観光の町としての様相を取り戻しつつあった。
 だが、この鎌倉はそれらの一見した表側のイメージと隣り合わせるように、鬼や悪魔、妖怪や仙人、果ては神仏まで様々な人間ではない者達の住まう街でもある。だが住人達には当たり前すぎて、何の資源にもならない事だと、まだこの時点では思われていた。
 他の魔界と異質な点を上げたとすれば、人間の世界と妖怪達の世界が秩序を持って平和に併存している事だろう。
 主に昼間は人間の、そして夜は妖怪の徘徊する古都、その表の治安は鎌倉署を筆頭にした同世界の法秩序が、そして裏の治安は神と鎌倉の妖怪の総大将による妖怪なりの治安によって、やはり事件はある物のかねがね治安は良好で、平和が保たれていた。
 八幡宮前の横断歩道を渡り、その名の通りに丸い太鼓橋を登って降りる。
 見上げると広場の向こうにそびえる階段の左手に巨大な銀杏の木が見えた。

「これが大銀杏ですか」

 いつの間に買ったのか、晶子が手にしている鎌倉のガイドブックとを見比べる久作。頑健で穏和な老人を思わせるその銀杏に、 「大きいですね」 と、言葉が漏れる。言葉そのものは陳腐だが、久作にはそう表現するしかなかった。
 手早く参拝を済ませた一行は、久作の提案で神社の右手にある鎌倉国宝館博物館へと向かう。

「なにこれ?」

 ふと竜之介が露天展示してある物をさして言った。
 それはコンクリートを長年風雨にさらし続けたような、少し苔生した固まりだった。

「さざれ石?」

 そのまま竜之介は隣にある説明書きにかかれた名前を読んでいた。

「ああ、ほら… さざれ石の巌と成りてって君が代にあるじゃない」
「…あれって物の名前だったの!?」
「そうよ」

 苦笑しながら晶子は龍之介に答える。

「まぁ、ふつうは知らないですね」

 同じく苦笑しながら久作は言った。
 鶴ヶ丘八幡宮を一通り巡り、ふらふらと風情ある鎌倉のお寺を巡り歩いていると、境内にとても猫の多いお寺があった。
 門にに掲げられている看板には興猫寺と書かれている。

「こうびょうじ? かな?」
「だと思います、ずいぶんと猫の多いお寺ですねぇ」

 年期を感じさせる階段の上の門の周りや、ここから覗ける境内の中にも何匹かの猫がいる。
 何となく温子を見上げた龍之介は、彼女の懐かしそうともとれた表情に、 「入ってみようよ」  そう言って、やや早足に中へと入っていった。

「龍之介さん、待ってください」

 あわてて温子も後を追うが、龍之介は入ってすぐ側の拝観者受付で拝観料を渡しているところだった。
「ヌクヌクの分も払っといたから。はい」

 そんな事を言いつつ、龍之介は受付から渡された半券とパンフレットを受け取り、温子に彼女の分を手渡した。

「ありがとうございます」

 龍之介を見下ろす温子の戸惑った表情に、龍之介は任せてとばかりに頷いて返す。

「…じゃあ、行きましょうか」
「うん」

 境内は狭いと言えば狭いが、鎌倉独特の谷戸と呼ばれる地形を上手に利用している為か、奥行きがありそうまで狭いと感じる訳ではなかった。

「あれ?」
「どうしたのヌクヌク」
「道を間違ったみたいです」
「えー!?」

 龍之介がひどく驚いたのは訳がある。龍之介のイメージからは多少の差異はあれど、彼女は猫脳アンドロイドである、その頭脳はコンピューターと連携し時として人間以上の性能を誇る。そんなヌクヌクが道を間違えた事自体非常に珍しいことであった。もっとも久作が居れば、何か考え事をしていたのだろう、とでも言ったかもしれない。つまりはその程度に優秀なのである。

「な、なんだあれ…」
「大きな、猫でしょうか?」
「あんな大きさの猫ぉ?」

 二人の前に姿を現したのは、子牛ほどの大きさもある猫の姿をしたものだった。
 それは、こちらを一瞥し、そのままゆっくりとこちらに近づいて来た。

「ぬ、ヌクヌクっ」

 未知の物に対して危機を感じつつ、龍之介は温子を守ろうと前に出ようとするが、怖くて足がすくんでいた。

「怖がらなくて良い、少年」
「しゃ、喋ったぁ」

 恐怖でパニック寸前の龍之介、その彼の頭に温子はそっと手を乗せ、そのままその大きな猫の姿をした者に話しかけた。

「あなたは、誰ですか?」
「鎌倉の猫の総大将、猫王」
「猫王?」
「さよう。そこの娘、お前は機械によって人間の姿はしてるが猫だニャ」
「どうしてそれを?」
「まあ強いて言えば魔力だニャ」
「ここ興猫寺で出会ったのも何かの縁、何か困った事があったら亀ヶ谷坂切通しに来ると良いニャ」
「…はい、ありがとうございます」

 半ば現を抜かしたような返事を返した温子に満足げに頷くと、猫王と名乗った子牛ほどもある猫の姿をした物は、林の中へと消えていった。
 2人きりになり、ようやく緊張の糸が切れた龍之介は自分の頬をつねる。

「痛い、夢じゃない…」

 つねった頬をさすりながら、龍之介は今までの事が現実だとようやく理解していた。

「大丈夫ですか、龍之介さん?」
「うん、でもびっくりしたー」
「そうですね」

 興猫寺を後にして通りを歩く二人、龍之介はまださっきの事が現実なのかどうか掴みかねていた。温子も時間があったら確かめられるだろうか、等と二人そんな事を考えていた。
 そのまま二人が通りを歩いていると、別のお寺から久作と晶子が出て来るのが見えた、向こうもこちらに気付いて手を振っている。
 合流するなり龍之介は声を上げた。

「父ちゃん母ちゃん、さっき興猫寺でこんな大きな猫を見たんだよ!」
「そんな大きな猫がいるもんですか、おおかた熊とでも見間違ったんでしょう。なーヌクヌク」
「いえ、龍之介さんのおっしゃるとおり、とても大きな猫でした」
「なにー!!」

 驚く久作の隣で晶子は龍之介と温子に言う。

「危なくなかった?」
「特に危険は感じませんでしたし、向こうにこちらをどうこうする意思は見かけられませんでした」
「そう、なら良いんじゃない。あたしもこの目で見てみたいけど…」
「もう山の方に入って行っちゃったよ」
「ふーん、おおかた餌を探しに町に降りてきたか、猫ならそのお寺の飼い猫なんでしょうね」

 自己完結する晶子に、一同は「そう言う問題では無い」と思うのだが、確かめる術もなく日ももう傾いてきたので車のおいてある駐車場へと向かうことにしたのだった。
 既に日は落ち、車は多摩川に架かる橋を渡っている。

「あれ? 晶子さん、後ろの二人は?」

 運転しているのでそちらに注意を避けない久作は、先ほどからずっと静かな後部座席に気付き、助手席に座っている晶子に尋ねた。彼女はすぐに後部座席を見やる。
 そこには、温子の膝枕で寝ている龍之介と、その龍之介の頭をなでながら寝入ってしまった温子の姿があった。
「疲れて眠ってるわ、幸せそうに」
「そうですか」

 二人の安堵の混じった言葉が車内に広がる。

「ありがとう、久作さん」
「いえこれ位は、私も色々と見て回りたかったですからね」

 そう照れながら言い訳のように言葉を紡ぐ久作だった。
 橋を渡りきった車は今、不自然にまばらな、大小様々な工場の建つ町並みを走っている。
 時空融合の際、都市部の全域で起こった現象に、自然増加による人工建築物および人口の減少があった。
 この地区も例外ではなく町工場の隣の町工場だった場所が松林に変貌していたり、逆に従業員が住んでいたマンションが丸ごとススキの草原になっていたりと言う事があり、一時期深刻な従業員不足に陥っていた。
 五月初旬の現時点では、寄り合い的な統廃合と、中川財閥を初めとした技術確保の動きを見せた企業によって、何とか持ち直しはしている物の今だ安定にはほど遠く、自転車操業的な経営をしているところが多いのが現状だった。

「不況なんでしょうかね、時空融合の影響で」

 久作は、閉鎖した工場もちらほら見えるこの町並みにそう感想を述べた。

「そうね、でも一概にそうではないみたいだけど」

 晶子は新聞やニュースが伝える、そして就職活動を通して肌で感じた情報を元にそう返した。
 そのまま車は一路練馬区の夏目家を目指して走って行った。

 同夜、鎌倉某所。
 どこかホテルのホールだろうか、明るく照らされた大広間の中、幾つものテーブルにつく人ではない者達。その中に昼間龍之介達の前に姿を現した者、子牛ほどもある大きな猫、猫王の姿もあった。
 ホールの比較的前のほうには有名なお寺の住職や、幾つかの教会関係者、鎌倉署をはじめとする警察関係者の姿もあった。
 時空融合と呼ばれた事象からまだ一ヶ月を経ていないこの時期に、人間と魔物が大規模な会議を開くという鎌倉史上異例の会議が行われることになったのは、皮肉にも時空融合と呼ばれる紅い夜がきっかけだった。
 時空融合から一晩明けた朝、魔界にあったはずの高麿の宮邸はその一部が現世に姿を現した事で大混乱に陥っていた、あまりにも広大な全貌の為に、現世に一部とは言え出たその敷地面積は並の邸宅の比ではないい邸宅である。当時はそれがまだ時空融合と呼ばれる事象であったこと自体も知られておらず、その主である鎌倉の魔物の総大将高麿の宮は部下の魔物達に事の真相と現状の究明を命じていた。
 時を同じくして鎌倉署の面々も現状の把握に努めていた。その中で第八の捜査課である心霊捜査専門の特捜課の刑事達は、偶然魔物側からのコンタクトを得て、鎌倉署署長の働きかけにより、鎌倉の主立った寺社仏閣教会を巻き込んで、この会議に至っていた。
 また会議に際しては、鎌倉周辺のみが自分達のいた世界であったことが、準備委員の結束を促し、早期に会議を開くことが出来たのだった。
 魔物にしても人間にしても、この特異な世界が日常である彼らのアイデンティティーは、この鎌倉周辺という外界からは特異な、人と魔物が併存する世界が支えていたのだから。

「静粛に、静粛に」

 マイクによって声が会場内に広がる。

「署長、そろそろ始まりますね」
「うむ」

 比較的大広間の中央に近いテーブルに、鎌倉署で心霊捜査を受け持っている特捜課の面々、それと深く交流のある推理小説家の一色和正氏が所長である大仏次郎にそう言った。
 今回は比較的幽世側に通じていた事から人間の治安機関の代表の一人として出席している。
 今まで、ここ鎌倉の魔物達は、他の魔物達の徘徊するいわゆる魔界と呼ばれる地域とは違い、独特の力関係の下に比較的人間的な治安が保たれていた。
 人間社会に溶け込むように存在するそれは、現在時空融合の結果、人間社会と同様の混乱を迎えていた。鎌倉市やその近隣に住む妖怪、鬼、神仏等はこぞって出現した物の。他の人間社会同様にそれ以外の地域の顔見知りや同族とは完全に隔絶されているのだった。
 やがて場内のざわめきが収まり、スクリーンのそばにいる司会進行役だろう魔物が話し始めた。

「…皆様もご存じの通り、元々魔界側にあった邸宅の一部が、鎌倉湖近隣を中心とした地域に出現しました。スクリーンをご覧下さい、出現したその規模は総面積…」

 今、正面のステージに吊されたスクリーンには、鎌倉の北側にある 通称鎌倉湖と呼ばれる池の周辺図がプロジェクターで映し出される、そのままその図に出現した高麿の宮邸の一部と呼ばれる地域が赤い半透明の塗りつぶして示される、鎌倉湖南側の元々住宅地だった場所のほぼ半分の面積がその赤で占められていた。

「これ以外にも、今まで現世とは一線を画していた地域が確認されています」

 その言葉が終わると同時に、スクリーンは鎌倉周辺地図に移り変わり、大小さまざまな土地や地域を示したデータが重ねられた。

「そして、現在でも現世と一線を画している幽世へのゲートが確認されている図を重ねます」

 幾つもの小さなバツの字で示された、幽世へのゲートが重ねられる。  この幽世と言うのは、魔界ではなくこの現世と結界などによって空間的に、または時間的にも隔てられた空間のことを指す。
 それらの出現が確認された物は、魔界にあった物や元々から幽世にあった物、位置こそバラバラではあったが確実に彼らの鎌倉を中心とした世界から出現した物であった。
 説明は続き、確認されただけでも住宅街から離れた地域や山間を中心に、現世にはなかった、つまり人間の地図にはなかった、様々な魔物達を初め、仙人の住む滝や、妖怪と人とが共存する集落等の空間が、まるで初めからそこにあったように存在していた。

「…そして、はなはだ残念でありますが。GGGの放送を御覧になった方もおられると思います。彼らの言う時空融合の結果、我々は魔界から孤立してしまった事が、先日確認されました」

 司会の言葉に、ホールがどよめきに包まれる。普段行き来をしない妖怪や魔物達も自分達のアイデンティティーの源でもある魔界との行き来が断絶された衝撃は大きかった。


 数日後、夜、夏目家リビング。
 今日何度目かのニュースを流しているテレビを前に、リビングでは晶子が昼食の片づけを終え、盛大にため息をついた。
 誰もいないのを確認してついたため息だったが。

「どうしました晶子さん」

 目撃者が居た。
 晶子はばつの悪そうな表情でその相手、久作を見る。

「何か悩み事があるんですか?」
「はい」
「そうですか」

 久作はそれだけ言って、晶子の前とその隣に空の湯飲みを置いた。

「玄米茶で良いですか?」

 緊張感などかけらもない声がかけられるが、晶子は頷いて返す。
 そんな彼女の様子に久作はそそくさとお茶を入れるのだった。
 無言のまま久作は用意していた二つの湯飲みにお茶を注ぎ入れ、隣に座ると自分も一口お茶をすすり、晶子が口を付けるのを待った。

「出来れば、話してもらえませんか」

 別段尋問する訳でもないので、そうやんわりと訪ねていた。

「仕事が決まらなくて」

 ポツリと呟いた言葉に、久作は特に驚く事もなかった。

「そうですか。晶子さんは以前は何をなさってましたか? よければ詳しく聞かせて欲しいんですけど」
「そうね…」

 晶子は湯飲みから立ち上る湯気を見ながらぼんやりと語り始めた。ミシマインダストリィ開発部長となるまでにこなした仕事の話を、久作は静かに相打ちをうちながら聞いて行く。
 いつしかお茶から立ち上る湯気も消え、再び注がれたお茶から上る湯気が 再び冷めて消えるまで彼女の話は続いた。
 それは要約すると、会社組織において物作りを側面から支える、そんな彼女の経歴に久作は一言呟いた。

「作ってみませんか?」
「え?」
「会社です、少し待ってて下さいね」

 いつも通りに、全く緊張感のない声でそう言って久作はリビングから出て行った。
 研究室だろう方向からがさごそと物音が、次いで何かが雪崩を打って落下する音、久作の悲鳴などがする。
 やがて再び現れた久作は、晶子の目の前にふた山の資料を置いた。

「私が以前の世界で研究していた物です。こちらは全てヌクヌクを制作する為に必要でした」
「久作さん? こっちは?」
「それ以外の物です。まだ特許申請用に色々と揃えないといけないんですがね」
「でも、申請がいくつ通るか分からないわよ。久作さん自身が特許を取っているならともかく、ほとんどは会社の特許でしょ?」
「そこが痛い所なんですけどね。晶子さんなら登録商標とかも詳しいでしょうから、そう言う意味では色々と頼りになると思うんですけど」
「任せてもらうのはかまわないわ。でも」
「でも?」
「あたしも手伝いますから、急いで下さい。こういうのは早いほうが良いんですから」
「はい」

 久作はそう短く答えた。何かしている方が、走り続けている方が、思い出さなくともよい事を思い出さなくて済むから。少なくとも久作はそう考えたから。


 ある家族の肖像 PHASE-III 季節と共にへ続く。


おあとに  どうも、一部では希亜で通っているしまぷ(う)です。発音は「しまぷ」or「しまぷう」でお願いしますね。
 さて、今回の話は夏目家の時が動き始める前までを書いてます、だから時空融合から1ヶ月から2ヶ月程度の時間しかたっていません。
 次回はそれぞれに目的を持って動き始めたそれぞれを、やはり家族を主題に書きつづる予定です。
 では、遅筆ではありますがよろしくお願いしますね。



<アイングラッドの感想>
 しまぷ(う)さん、ありがとうございます。
 文化万能ネコ娘から集まった擬似的家族であるキャラクター達が時空融合の混乱期に悩みながら生活して行く過程が大変に素晴らしいです。
 また三崎半島への小旅行先で出会った「ヨコハマ買い出し紀行」と「鎌倉物語」のキャラクター達も雰囲気が出てますね。
 特に「鎌倉物語」。
 2ch風に書けば「キターッ!」ってとこでしょうか。西岸良平は高橋留美子より昔からファンだったりします。親の持ってた成年雑誌に載ってた「三丁目の夕日」の初期作品以来なのです。
 西岸良平のもうひとつの代表作である「鎌倉物語」の不思議な雰囲気も活きててこれからの展開が楽しみです。
 ではでは。





日本連合 連合議会


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 提供/岡田”雪達磨”さん。ありがとうございます。


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