作者: 山河 晴天さん
九州大分県、大神(おおが)。
時空融合後の世界でも東洋いや世界有数の軍港、海軍工廠であるこの地は時空融合によって各地に出現した艦艇、船舶の改装整備工事でにぎわいを見せていた。
新世紀元年7月24日、この大神に一隻の戦艦が入港してきたとき彼女を知る者達は「よく帰ってきてくれた」と歓声をあげて迎えた。
彼女の名は「播磨」この大神の地で誕生した軍艦である。
「播磨」は元の世界において大ドイツ帝国との戦争を前提とした「対独戦備十ヶ年計画」、通称「九九九艦隊計画」によって立案された新造戦艦「七号艦級」の一番艦であり、彼女の元世界における日本が建造した最後の戦艦――全長380m、全幅67mの艦体に55口径56p砲三連装四基、12.7p連装両用砲、艦対空誘導弾等の防御火器を50基近くを装備する排水量21万7千トン、最大速力34.6ノットを誇る超超超弩級戦艦。「人類史上最強最悪の凶器」――である。
自分のいた世界で1950年12月27日に行われた「ニューヨーク沖海戦(あるいはバミューダ西方海戦)」に参加し大ドイツ帝國の誇る巨大戦艦「フォン・ヒンデンブルグ」を損傷しながらも撃沈した播磨は海戦終結直後に味方艦隊及び敗北したドイツ北米艦隊と共に時空融合に巻き込まれた。
幸い、艦隊指令であった角田覚治 大将の指揮と、北米に展開していたドイツ軍はおろか本国との連絡も不可能という異常事態に気づき一時休戦状態に入ったドイツ北米艦隊との緊急の話し合いで衝突は回避された為、彼等も引き連れてアフリカの喜望峰(当初は南米側のルートを通る予定であったが、日本連合から発信された通信と捕鯨船団の無線からムーの存在を確認しルートを変更した)をまわって新世紀元年の7月中旬に帰国の途についたのだった。
しかし、ドックに入渠した播磨の姿は痛ましい限りであった。
艦首は激しく損傷し、喫水線下のあちこちにへこみと亀裂が見られた。
それもそのはず、帰国の途中日本近海で暴風雨(この暴風雨は後の調査で時空融合の影響で一カ所に複数の暴風雨が出現したことにより発生した物と判明した)に巻き込まれた播磨は艦首を始め喫水線下に水中の三角波による損傷を受けていたのである。
呉軍港に帰還した播磨以下の艦艇は連合艦隊所属の艦艇であること(ドイツ北米艦隊所属の艦艇に関しては一旦鹵獲艦として扱われた)が播磨と同じ世界から来た将兵、大神工廠の関係者の証言で判明していたので認定の手続きもスムーズに運びその後は改装の為にそれぞれ呉、横須賀、佐世保のドックに移動し改装を受ける事となった。
しかし、播磨だけは大神に向かった。
何故か?
理由は簡単、播磨を受け入れられるドックが大神以外になかったからである。
大神工廠の一号ドックに入渠した播磨は、外観の損傷度のチェックが行われた後、改装と調査を兼ねた一部解体が行われる事になった。
解体と調査は同年の12月には終了したが、その結果以下のことが判明した。
1:全長に対して巨大過ぎる全幅の為、機関出力に見合う速力が発揮不可能
播磨の艦体は全長380mX全幅67m。これは縦横比に直すと5.6716となる。
この数値は大和級の6.58、紀伊級の7.4324、越後の7.1463と比較するとかなり小さい、この縦横比では航行時に艦体の喫水線下へかかる水の粘性抵抗が大きくなりガスタービン機関とディーゼル発電機関による最大72万馬力の機関出力に見合った速力が発揮できない事が指摘された。
2:使用された機関に対する航続力の短さ
ガスタービン機関とディーゼル発電機関の併用は大航続力を実現するための物であったが、播磨は1で提示されたとおり艦体にかかる水の抵抗が他の艦と比較して大きかったにも関わらず34.6ノットの高速で航行していた為に燃費効率が悪く機関の性能に対して航続力が低かった(事実日本に帰還したときには燃料切れ寸前であった)。
艦政本部は主にこの2点を解消する事を前提とした艦体の再設計を含む改装案を立案。
議会に承認された。
そしてそれは先に改装が行われていた特大型打撃護衛艦「ヤマト」の改装工事をも上回る大改装となったのである。
ここで話は横道に逸れる。
現在の日本連合には、時空融合により当然の様に各地に無数の艦艇が出現していた。
そして、その種類も様々で艦名が同じでも艦種が異なったり、同名同型の艦艇が複数出現している例も珍しくはなく、それらの艦艇から数多くの出身世界で起こった出来事をも伺い知ることが出来た。
その一例が時空融合によって呉に出現していた八八艦隊である。
多くの世界では大正10年にワシントン軍縮条約の成立によって計画のみに終わった八八艦隊が戦艦8隻、巡洋戦艦8隻全てそろって出現していたのである。
しかし、この八八艦隊(そして播磨も)もインパクトのすごさという点では後述する艦艇と比較すれば大した物ではなかった。
それは播磨が帰国する直前の出来事である。
日本連合に出現した艦艇は一旦調査の為に呉の柱島泊地に数次に分けて集結させたのだがその中に造船技術者達を思わず「なんじゃっこりゃああああああ!!」と絶叫させた艦艇(後に「トンデモ艦」「変態艦」と呼ばれる)が多々あったからだ。
その代名詞と言うべき艦が金田秀太郎中佐が発案した50万トン戦艦(出現時艦名は未決定であった)だった。
なにしろこの戦艦600mもの艦体に40p砲を連装50基も装備しており解体しスクラップにするにも一苦労という代物だった。
この他にも戦艦空母(航空戦艦に非ず)というどう考えても建造、実用共に不可能と思える艦艇が大量に出現しており造船技術者達の頭を抱えさせていた。
これらの「トンデモ艦」は調査の後である艦はスクラップに、そしてある艦は改装によって艦種を変更し艦籍に留まることになるのだがそれはまた別の話である。
余談であるが八八艦隊もまた打撃護衛艦としての近代化改装を施されている。
事実新世紀2年4月の中米派遣艦隊にもこの時点で改装を済ませた八八艦隊計画艦の一部が参加しており、この時挙げた戦果は彼女たちの活躍に依るところが大きかったのは言うまでもない。
話を大神工廠に戻そう。
徐々に解体されてゆく播磨。
その様子をマストの上から和装姿に長刀を持った少女が心配そうに見つめていた。
「ワタクシ、もしかしてこのまま解体されてしまうのでしょうか? 何か心配になってしまいますわ」
彼女は播磨の船魂である。
入渠して以来作業の様子を見守ってきたのだがついには船の命とも言うべき竜骨の一部まで解体され始めたのである。
彼女が心配になるのも当然であった。
「大丈夫よ『播磨』ちゃん。 私だってちゃんと改装してもらえたんだから」
その声は播磨の入渠しているドックに彼女の来る前にいた戦艦――播磨にちかい全長でありながら細身ゆえ、遠目には巡洋艦にすら思える――播磨から聞こえてきた。
声の主は黒髪和装にポニーテールという大和撫子そのものの播磨とは対照的な舞踏会さながらのドレスに身を包んだ金髪碧眼の少女のものだった。
「あなたは……『ヴァツーチン』さん」
「私もね、初めてここに来た時にはどうなるかと内心ドキドキしていたの。でもね、ここの職人さん達は精魂込めて私を改装してくれたわ。 ましてやあなたはここで生まれたんでしょう? それならきっとあなたをすばらしい戦艦にしてくれるはずよ」
「ヴァツーチン」と呼ばれた少女はソビエト連邦所属のミハエル・トハチェフスキー級戦艦「ニコライ・ヴァツーチン」の船魂であった。
彼女もまた時空融合によってこの世界にやってきた巨大戦艦である。
播磨とヴァツーチンの船魂は、それぞれの元世界で最大クラスの戦艦だったが為か、出会った時から仲が良かったのだがその誕生の経緯は大きく異なっていた。
播磨は既に海戦の主役が空母の時代になっていたにも関わらず、海戦における決戦兵器として際限なく巨大化を続けた大ドイツ帝國の戦艦群に対抗するための切り札として建造されたのに対して、ヴァツーチンは第二次世界大戦の海戦で航空攻撃によって戦艦が一隻も失われなかった為に、戦後も海戦の主役が戦艦のままで有り続けた時代からやって来ていた。
かつての世界で「鋼鉄のレヴァイアサン」とあだ名されたヴァツーチンは朝鮮半島の統一戦争に介入しようと他の艦艇と共にウラジオストックを出航し、日本海を航行していた所で時空融合に巻き込まれた。
ウラジオストックに帰還する事も出来ず、介入するべき相手も失ったヴァツーチンとロシア太平洋艦隊は、艦隊指令官のディミトリー・メドヴェーデフ 大将の判断で日本連合に保護を求めたのである。
その後、本国との連絡は付いたのだが本国は二本足で歩行し人間の言葉を話す熊が統治する「ソビエト社会主義共和国」になっていた為に帰るに帰れなくなってしまい、その結果彼等は日本連合に帰属したのであった。
一方、「ヴァツーチン」は改装のため大神工廠に回航され現在では艤装の段階に来ていた。
元々1980年代に完成した戦艦であった為、改装にもそれほど手間がかからなかったのである。
何よりもその複合装甲による防御と至近距離の被弾経始を考慮したデザインは「ヤマト」を初めとする打撃護衛艦の近代化改装の参考にされた(しかし、特筆するべきはトハチェフスキー級建造の総責任者が太平洋戦争後ソ連に渡った日本人だった事であろう)。
「ありがとう、そう言ってもらえると安心できますわ。そういえばヴァツーチンさんはこの後樺太に行かれるそうですね」
「ええ、今度再編成される北部方面艦隊の旗艦になることが決定したの。あと一月半もすればここを離れることになるわ」
日本連合政府は自国領となった千島・樺太と周辺の海域を防衛する為に海上自衛隊北部方面艦隊を増強しかつてのロシア太平洋艦隊をその任に充てた。
そしてヴァツーチンは北部方面艦隊の旗艦に選ばれたのである。
「おめでとうございます。 ワタクシも無事に改装が終わる日を待つことにしますわ」
「その時は一緒に戦列を並べて戦いましょう。約束よ播磨ちゃん」
「はい、約束しますわ。それではその時まで」
「お互いに」
「「壮健なれ」」
「くすくすっ、まだ一月半も先のことですのに別れの挨拶なんていけませんわね」
「あはははっ、私たちの仲なのにかっこつけすぎだわ」
その直後二人は思わず笑い出してしまった。
仲の良い二人にはこんな格式張った挨拶は普段からすることもなかったしその時はまだ早すぎたからだ。
「それじゃあ、気を取り直して約束ですわ」
「そうね、それじゃ日本風の約束で」
「「ゆーびーきーりげーんまーん うーそつーいたら はーりせーんぼんのーます ゆーびきった!!」」
その後、二人の船魂が交わした約束は果たされるのだがそれはもう少しだけ後のことである。
2004年1月1日 アイングラッドさんから挿絵を頂きました。
2004年1月3日 修正版をUPしました。
2004年9月24日 フォントサイズを変更した修正版をUPしました。
2009年4月11日 細部を加筆修正の上、行間を修正。
後書き:播磨の船魂にはモデルになったキャラが存在します。 さて誰でしょう?
修正版後書き:↑の後書きで「誰でしょう」などと書いていますが挿絵を見ればもうバレバレですね(苦笑)。
<アイングラッドの感想>
山河晴天さん、投稿ありがとうございます。
しかし、これでひとつの疑問が解けました。
自分で書いといて何なのですが、装甲艦に必要な鉄材をどうしたのかなぁ、とか思っていたのですが・・・幾ら現代の粗鋼生産能力が凄いとは云っても材料が無ければ話になりません。
しかし、そうか! トンデモ艦を鋳潰せば材料には事欠きませんね。
成るほど成るほど、納得です。
トンデモ艦として生まれてしまった彼女達も本望でしょう・・・多分。