作者:masakunさん



新世紀元年9月20日


 アフガニスタンに出現したソ連軍。
 その中には、欧州ロシア各地で捕虜となったドイツ兵が大勢存在していた。
 第二次世界大戦時、欧州ロシアを舞台とした東部戦線では、独ソ両軍が血で血を洗う血戦を繰り広げていた。
 そんな最中に捕虜となった彼らドイツ兵もまた、ライバルたるソビエト赤軍と同様に時空融合に巻き込まれ、この世界にきてしまったのだ。
 多くのドイツ人捕虜は、末端のソ連兵たちと同じようにまったく情報が伝わらないと言う状態であった。

 そんな中に彼、クルト・フォン・バウアー工兵少尉はいた。
 バウアーという名が示すとおり、彼は後に日本連合機甲部隊のエースとなるエルンスト・バウアー大尉の弟である。
 彼は1942年10月、中盤に差し掛かったスターリングラードの戦線へ投入された工兵部隊の新任少尉だった。
 しかし、ソ連軍の冬季反抗作戦『ウラヌス作戦』によってスターリングラードは包囲され、クルトたちの所属する第6軍はスターリングラードに閉じ込められてしまった。

 当時、東部戦線における工兵の寿命は2週間であると言われていた事からクルトが強運の持ち主であったことは間違いないだろう。
 だが、スターリングラードは運命の女神さえ顔を背けたくなるような惨状であった。
 結局クルト達を含めた第6軍の将兵達は43年1月、凍傷に掛かった足を引きずりながらソ連軍に降伏したのだがその直後に時空融合に巻き込まれたのである。

「少尉、これから俺たちはどうなるんですか?」

 一人のドイツ兵が、クルトに尋ねた。
 雀斑の残る童顔の、まだ少年といってもいいくらいの年齢だ。

「それは俺が聞きたいよ。ところで軍曹、イワンどもは飯を持ってきたか?」

 と、クルトは彼の小隊にいた先任軍曹に聞いた。

「いいえ、少尉。どうやら連中よほど大変なことが起きたみたいですな」

 そう言って軍曹は、トカレフ自動小銃を持った、彼らを暇そうに監視している中央アジア系のソ連兵を指差した。

「あそこにいるイワン以外は誰も監視がいませんぜ。それに、ここはどう考えてもカフカスじゃないです」
「あぁ。一体ここは何処なんだろうな?それに……」

 そう言ってクルトは、ちらりと100mほど離れた場所に座っている一団を見る。
 そこに座っていたのは、親衛隊と思しき連中であったが、彼らが来ている迷彩服はクルト達が見たこともない代物だ。
 それもそのはず、彼ら武装親衛隊員が着ている迷彩服は44年式迷彩服で、クルト達が戦っていた頃にはまだで回っていない代物であった。
 そして、彼らもまたいぶかしげな表情で此方を伺う。

「それにしても、暑いな」
「ぼやくなよ少尉。スターリングラードの極寒に比べりゃここは天国だぜ」

 ぼやくクルトに、軍曹が言った。
 と、そのときだった。
 トラックが野戦炊事車を牽引してやって来るのが見えた。
 トラックはソ連製のZISトラックではなく、アメリカからソ連へと太平洋を越えて送られた、スチュードベーカー社製のUS-6トラックだった。
 荷台にはエプロンをつけた炊事兵達がおり、停車してすぐに荷台から飛び降りて準備をし始める。

「戦友諸君、食事の時間だ!」

 政治将校と思しき男が、トラックの荷台から声をかけた。座っていたドイツ兵たちはノロノロと立ち上がり、自分の飯ごうをもって列を作っていく。
 様々な軍服を着た兵士たちの、長い行列が出来上がっていった。

「腹が減ったぜ。でももう饐えた黒パンやら粥はうんざりだ」
「脂の乗った茹でソーセージにザワークラウツ(キャベツの漬物)、あつあつのジャガイモ……」
「おふくろの作るアイスヴァインは最高だぜ」
「ミュンヘンのうまい白ソーセージが食いたいよ、安くてうまい店を知ってるんだ」
「それにビールかモーゼルワインがあれば最高だな」

 そんなことをぶつぶつ言う連中がいるが、それは無理な願いだろう。
 少なくともここでは、ワインはおろかザワークラウツすら望めない。
 ようやくクルトたちが炊飯車の前に来ると、のっぺりした顔のアジア系炊事兵が鍋からひしゃくでカーシャ(ロシアの代表的な家庭料理・ロシア風のおかゆ)を飯ごうによそった。
 クルトはそれをもって仲間のところに戻り、久方ぶりに暖かい食事にありついた。
 黒っぽい蕎麦の実をあらびきにした、ロシアでもっともポピュラーなタイプのカーシャだ。
 他に、黍で作るカーシャもある。
 温かい粥を、スプーンで掬って口に入れる。
 カーシャは牛乳を後から入れたもので、あまりの不味さに思わずクルトは顔をしかめた。
 一瞬捨ててしまおうかという考えが頭に浮かんだが、それはやめた。

(……残したところで別の料理が来るわけでもないし、スターリングラードで何日も飲まず食わずだった日々や、餓死した戦友のことを思えば、今こうやって食べているだけでも十分贅沢だ)

 思えば酷いものだった。
 支給されてないのに減らされる軍用パン。
 何時狙撃兵に撃たれるかわからぬ中で瓦礫の街を這い回り、死んだ軍馬の肉を切り取って運ぶ食糧コマンド部隊。
 オガクズ入りのスープには砲撃で泥が混じる有様。
 そんな中、自分の眼前で死んでいった戦友達……。

 クルトはそう考え直し、カーシャを再びスプーンで掬って食べる。
 だが、大味なのには変わりない。
 しかたなく、隠していた携行食用の塩を少し入れる。
 そのときだった。

「なあ、おい。あんた」

 と、クルトに誰かが声をかけた。
 飯ごうから視線を上げると、そこにはさきほどからこちらを見ていた親衛隊員の一人がいた。
 親衛隊員の採用基準は、身長175センチ以上だが、この親衛隊員はそれを12,3センチは上回っていそうだ。
 まさに小山のよう、という表現がふさわしい。
 クルトの着ているぼろぼろの軍用コートとは対照的に、彼が着ている迷彩服は、多少汚れてはいるものの、その迷彩の為かそう目立ってはいなかった。

「なぁ、その塩、少し分けてくれないか? かわりに煙草をやるから」

 この申し出にクルトは少し躊躇したが、結局塩を分けてやった。
 その男は塩をカーチャにかけ、代わりに袖口から煙草を渡した。
 それは、手まきのマホルカたばこだった。
 紙は、このインクの匂いから察するに、おそらくプラウダかイズベスチヤのどちらかだろう。

「俺はゲオルクだ、ゲオルク・クルンハイム。“アドルフ・ヒトラー”(第1SS装甲師団)所属だ。階級はSS曹長。よろしく」
「クルト・フォン・バウアー。ドイツ国防陸軍工兵少尉だ」

 握手しながらクルトも名乗った。
 ゲオルグの軍服の右襟に、師団マークでもある“鍵”の襟章が見えた。
 第1SS装甲師団ことライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー師団”(Leibstandarte SS Adolf Hitler:LAH)は、その名前の通りヒトラー個人の護衛部隊として発足したナチスの軍隊であった。
 発足当初は質も悪く、“行進専門のアスファルト兵士”と揶揄される有様であったが、戦争とともに部隊は拡大化していき、ついには武装親衛隊の中でも有数の装甲師団へと成長した、エリート中のエリート部隊であった。

「へー、あのフォン・バウアー家か、こんなとこで貴族と知り合えるなんて思わなかったぜ」

 そう言ってゲオルグは笑った。
 カーチャを食べる手を止めて、

「ところで、あんたはどこで捕虜になったんだ? イワンどもがSSを生かしておくとは思えないんだが?」
「いや、俺らは元々プロホロフカにいたんだが、気がついたらいつの間にかここさ」
「プロホロフカだ? いったいどこだそこ……」

 と、そのときだった。
 クルトたちの頭上で、すさまじい爆音が鳴り出したのは。
 その音は、クルトたちが今まで聞いたこともないような凄まじい音だった。

 爆音の正体、それはヘリコプターのローターが奏でるハーモニー。
 クルトたちが上を見るとそこには、赤い星を描いた飛行機のような物体が宙に浮いている。
 やがてそれが少しのふらつきも見せずに、ゆっくりと水平に降り立つ。
 てっぺんに大きなプロペラが付いた奇妙な形の飛行機だ。

 ドイツ兵達は皆、はてと首を傾げる。
 どこかで、これと似た様な物を見たような気がすると思ったのは、その場にいる殆ど全員だった。
 彼らが似ていると思ったのは、ハインリッヒ・フォッケが開発し、1938年にベルリンで開かれたナチス党大会において大胆な屋内飛行を演じた、Fw-61ヘリコプターである。
 だが、このヘリコプターはそれから40年後の科学技術で作られたMiL-24という攻撃ヘリであることは誰も知らなかった。

 意外なことのように思われるが、1930年代、ソ連はヘリコプター開発の先進国である。
 アメリカに亡命したキエフ生まれのイゴール・シコルスキーがその代表例であるが、その他にも有能な人材がおり、1918年にはTsAGI(ツアギ・中央流体力学研究所)が設立され、そこで1-EAと呼ばれるヘリコプターが1932年に開発された。
 ハインリッヒ・フォッケがFw-61を開発する4年も前に、ソ連はヘリコプターの原案を完成させていたのである。

 しかし、独ソ戦の影響で研究は衰退、ソ連のヘリコプター産業は大きく後退してしまう。
 戦後、これを憂いたスターリンがミルとヤコブレフの両設計技師に大型と中型のヘリコプターを作るよう命令を下し、それが軌道に乗りようやくソ連はヘリコプター先進国への仲間入りを果たした。
 そして、今クルトたちが見ているヘリコプターは、ミル設計局が開発した80年代のソ連で最強といわれた攻撃型輸送ヘリであった。

 やがてハインドはゆっくりと着陸する。
 まだローターは勢いよく回っていたが、ローターはそのままゆっくりと、徐々に止まっていく。
 そしてクルトたちの目の前でハインドのドアが開かれ、そこから出てきた人物は初老の将校二人と、まだ若い護衛と思われる将校たちだった。
 その初老の将校は……。

「おい、ありゃジューコフだぜ。もう一人はヴァシレフスキーだ」

 クルトの隣に居たゲオルグがささやいた。

(……あいつらがソ連軍の親玉か)

 スターリングラードの第6軍を破った、ソ連邦の英雄。
 ドイツ軍からすれば仇敵である。

スーパーSF大戦外伝

アフガニスタン物語


Bパート アフガニスタンの枢軸軍捕虜たち



 ここで時間はクルトがジューコフの姿を目にする少し前へ遡る。
 ソ連軍機甲部隊の出現した地点を目指すハインドの内部では、ヴェルエフと部下達がジューコフの護衛につく事前の準備をとっていた。
 ヘリの中は騒音のためにほとんど聞き取れない。
 そのためユーリ・コンドラチェンコ中尉は、インカムを押し当てながら、大声で怒鳴っている。

「着陸と同時に左右両翼に展開、ジューコフ閣下とヴァシレフスキー閣下、それに少将閣下を囲むようにして配置につけ。戦闘に突入する可能性は低いかもしれんが万一もありうる。特に問題が無ければ観閲式における序列をとれ。くれぐれも偉大な先人達の前で失礼の無い様にしろ」」
「「「了解!!」」」

 コンドラチェンコ中尉は出発時にハインドへ乗り込んだ部下達に指示を出す。
 3名の部下はスペツナズの中でも優れた技量を持つものばかりであり、即答するや装備の点検に入る。
 全員の持ってる武装は、コンドラチェンコたちの時代では最新鋭にあたるAK-74突撃銃であった。

 AK-74は1974年に採用された突撃銃で、従来型のAK-47で用いられた7.62mm×39弾に変わって、5.45mm×39弾に弾種変更した点、またマズルサプレッサーが大型化されたことが大きな特徴である。
 これは小口径弾の利点(口径が小さく軽量になると、射撃時の反動は小さくなり命中精度が安定し、弾の速度が上がることで人体などを貫通しやすくなるなど)を重視したものであった。

 しかし、貫通力が高い=殺傷能力が高いではない。
 このため5.45mm×39弾は銃弾の内部に特殊な空洞を作り、命中時に人体内部で弾が留まるように設計されていた。

 今回、彼らが持っていた銃はその空挺部隊用といえる折りたたみ式ストック式のAKS-74突撃銃である。
 そして、コンドラチェンコは、このAKS-74の銃身を切り詰めたカービン銃、AKS-74uを持っていた。

 彼らが手際よく銃の最終チェックをしている様子を、ジューコフもヴァシレフスキーも感心しながら見つめる。

「よく訓練されているな、動きもいい」
「皆、アフガンに派遣された部隊のなかでも猛者ばかりです。彼等が閣下を護衛します」
「期待しておこう、少将」

 そして、時間は遡る。
 ヘリから降りた兵士たちは、まるで閲兵式に挑む兵士のようにドアの左右に並んで捧げ筒をする。
 ソ連邦英雄であり、スターリンの代行者。
 ソ連軍の事実上No.2である、ゲオルギー・ジューコフ。
 スターリングラードの第6軍を破った、偉大なるソ連軍元帥。
 もう一人はジューコフの片腕と言うべきアレクサンドル・ミハイロヴィチ・ヴァシレフスキー元帥。
 ドイツ軍からすれば仇敵である。
 クルトは敵意のまなざしでジューコフを見ていたが、ゲオルグは違っていた。

「しっかし、あいつらのあの武器一体なんだ?始めて見る代物だな」

 彼はジューコフの護衛と思しき兵士達が持っていたAKS-74に注目する。
 するとそのとき、さきほどのヘリコプターの音とは比べ物にならない轟音がとどろき、捕虜たちも監視兵も、そしてジューコフたちも首をすくませた。
 かなりの低高度でMiG-21がアフターバーナーを全開そのままでフライパスしたのだ。

「Сдуру ванта!」

 大柄な護衛が叫ぶ。  なんといってるかはクルトには分からないが、その言葉を吐いた口で母親にキスするのはいけないことだけは理解できる。
 やがてジューコフはやってきた車(GAZ-61:高級将校用のコマンドカーとして使用された85馬力エンジン搭載の四輪駆動車)に乗り込み、どこかへ行ってしまった。

 アジア系の監視兵が、見世物は終わったといわんばかりにロシア語で捕虜達に怒鳴る。
 捕虜達はまたのろのろと自分のいたところへと歩いていったが、クルトはハインドをじっと眺めていた。

(俺達は一体どこに来ちまったんだ?)

 そう、まだ彼らはここがどこであるかすら知らないのだ。


 ここで話は一旦、ソ連軍機甲部隊の集結地点中枢に移る。
 クルトたちを驚かせた耳をつんざく凄まじい轟音は、この時天幕の中でジューコフの帰りを待つ将軍達の耳にも届いていた。
 いや、天幕の中にあって轟音が響くのを予測できなかった分その驚きは大きかったに違いない。
 轟音が響いた直後、天幕の外ではパニック状態になった兵士達の騒ぎ声とそれらを抑えようとする士官達の怒声が聞こえた。

「ばか者!何を騒いでいるか!!」

 天幕から出るや、一喝してその場を収めたのはジューコフのライバルにして彼の留守を預るコーニェフ元帥だった。
 もっともそのコーニェフにしたところで、轟音の響いた直後には一瞬気が動転したのだが。

「げ、元帥閣下! 実は先ほど上空から爆音が……!」

 見ると、天幕の外で警備の為に立っていた兵士の一人がうわずった声で指を上に指している。
 コーニェフが彼の指差す方向を見上げると空には5本の飛行機雲が残っていた。

(爆音の正体は航空機か!? しかし、あれほどの爆音が響くはずは……?)

 天を突く様な轟音の正体を前にコーニェフが疑問に思っている間にも、天幕からは他の将軍が次々に飛び出してきた。

 その誰もが視線をコーニェフと同じく上空の飛行機雲に向ける。
 そこへ、自転車に乗った下士官が猛スピードでこちらに向かってくる。
 途中でバランスを崩して自転車から放り出された若い下士官は立ち上がりそのまま走ってくると、コーニェフらの前で敬礼し言葉を発した。

「ご報告します。 ジューコフ元帥閣下が、帰還されました」

 その一言で、全員が安堵する。
 コーニェフはライバルの帰還に少しだけ安心したかのような表情のあと「出迎えの車を出せ」と命じた。

 一方、ジューコフとヴェルエフ達はヘリの前で迎えを待っていた。
 ジューコフとヴァシレフスキーの傍らではコンドラチェンコ中尉がAKを手にして警護についており、他の三人もいつでも射撃に入る姿勢をとっている。
 ヴェルエフの方はというと、無線機のチャンネルを操作しつつしきりに指示を出し続けていたがそれが終わったのかジューコフの方に向かってきた。

「閣下、護衛の戦闘機隊に命じ本国近くの状況を偵察するように指示を出しました。また、陸上部隊についても周辺に出現した他の部隊を捜索するように命じてあります」
「ご苦労だった。少将」
「ところで閣下、お迎えが到着されたら小官らはどうすれば……?」
「貴官達も共に来るといい、状況の説明できる人間がいると我々も心強い」
「光栄であります。閣下」

 その後、迎えの車がまだ来ないということでジューコフ達はヘリの傍らで車を待ちながら自分達と共に出現した捕虜のことを考えていた。

(彼らをどうするべきかは今後の課題だな……)

 そんな風に思いながら捕虜の方を見たジューコフは彼等の中に自分を見ている者がいるのに気がつく。
 薄汚れた軍服を身に着けているものの意思の強そうな眼をした士官。
 もっとも、彼がスターリングラードで捕虜となった事などジューコフに判るはずが無い。

(いい眼をした兵士だ。ヒットラーの兵隊であっても優秀な人材は涸れ果てたわけではないという事か)

 ジューコフはそう思うと、自分達もドイツ軍の侵攻までは彼等を「クルトゥーアニイ(教養ある人々)」と認識していた過去を思い出した。

「閣下、迎えの車が到着しました」
「うむ、では出発するか」

 部下の声により現実に還ったジューコフとヴァシレフスキーは、ヴェルエフと共に迎えのGAZ-61へ乗り込むと司令部の方へと向かう。
 コンドラチェンコと彼の部下も司令部が迎えに寄越した二台のGAZ-67Bに分乗しその後を追った。

 その1時間後。
 総司令部用大天幕の臨時会議室の上座にジューコフはいた。
 テーブルを囲む男たちは、いずれもソ連軍の将軍たちである。

「とりあえず、私の留守中何か変わったことはあったかな?」
「いいえ、同志。特に何も」

 真っ先に発言したのは、コンスタンチン・ロコソフスキー。
 ロコソフスキーは、ワルシャワ出身のポーランド人であった。

 戦後、共産ポーランドの副首相と国防相を兼任しているが、これは上記の理由の為にスターリンが配置したとされている。
 だが、彼の出生地についてはソ連の公式出版物ではワルシャワとヴェルキエ・ルーキ、2つの出生地が記載されている。
 これはスターリンの死後ポーランドが56年11月に自由民主化運動が高まった結果、ソ連への帰国を余儀なくされたロコソフスキーをポーランド人ではなくロシア人とするための処置だった。

 また、彼は大粛清の嵐に巻き込まれもした。
 彼は37年に『日本軍およびポーランド秘密警察のスパイ』という身に覚えのない罪状で、NKVD(内務人民委員)に捕まり、激しい拷問を受け、歯を数本失い、手足の指を折られ、空砲を使った銃殺刑を受けながらも、3年の獄中生活を生き抜いたのだ。

「それならよろしい、同志。 では、会議を始めよう」
「同志、少しよろしいでしょうか?」

 手を上げて発言したのは、長身で無愛想なコーニェフ元帥だ。

 ジューコフも発言を許可するといわんばかりに頷く。
 この二人の経歴は多くの面で似通っている。
 ジューコフとコーニェフは、ともに第一次世界大戦で帝政ロシア軍の軍人として参戦し、両者ともロシア革命が起こりボリシェヴィキが政権を握ると革命政権側へ身を投じた。
 異なるのは、赤軍に一兵卒として参加したジューコフに対してコーニェフは軍事委員、つまり政治将校となった点だろう。
 政治将校から指揮官に転じてかなり経ったが、コーニェフには未だに党官僚らしい雰囲気がある。
 その点が他の指揮官たちに嫌われているが、それでもジューコフはコーニェフが優秀な人材であるということを認めている。

「おそらくこれはここにいる全員が聞きたがっていることでしょうが、其処の将官は誰ですかな? ずいぶんと若いようですが」
「それを今から説明しようと思っていたところだよ、同志コーニェフ。彼はニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ヴェルエフ君だ。ここアフガニスタンのソビエト駐留軍の責任者だそうだ」

 アフガニスタンという単語に、会議室をざわめきが支配する。
 「どこなんだそこは?」という声もちらほら聞こえてくる。
 その一方で、ヴェルエフは大いに緊張している。
 何せ教科書でしか見たことがないような、ソ連邦英雄達がずらりと勢ぞろいしていたからだ。

「ヴェルエフ君、説明したまえ」

 ジューコフの声でハッとなった彼は、改めて自己紹介をする。
 そして、なぜアフガニスタンにソビエト連邦軍がいるのか、ということを順を追って説明し始めた。

 アフガン進行以前、ソビエト共産党首脳部はソ連邦を構成する中央アジア・カフカスの各ソビエト社会主義共和国にイスラム革命が飛び火するのを恐れ、ソ連邦は危険に晒されている同じ社会主義国を救援する権利を持つという“ブレジネフ・ドクトリン”に則り行動を開始した。
 当時、イスラム革命の発端となったイランは革命前アメリカなどの西側諸国との関係が深く、科学技術が進歩していた。
 特に、アメリカの軍事技術を受け入れ軍備は整えられており地域大国としての地位を磐石にしていた。
 しかし、イランの東部に位置しているアフガニスタンは科学技術が進歩しておらず貧しい国家であるため、イランに対し何か行動を起こすことに比べれば、ソ連政府にとってはより好ましかったのだ。

 1978年4月27日、アフガニスタン人民民主党(共産主義政党)による革命が起こりアフガニスタンは国号をアフガニスタン民主共和国に改める。
 ソビエトの支援があったのは、おそらく確実だろう。
 そして、初代革命評議会議長兼首相になったのが、ヌール・ムハンマド・タラキである。
 しかしタラキがソ連邦の真似をして農民の土地を取り上げたことによって、各部族やイスラム擁護勢力による抵抗運動・反乱が始まる。
 この事態を収拾できないとソ連側は察し、ハーフィズッラ・アミンに接触して彼を次の最高指導者にすえようと画策した。

 そして、1979年。
 ソビエトが最初の軍事顧問を派遣し、そして9月にはタラキが排除されアミンが政権を握る。
 だがソビエト政府は彼、アミンがアメリカのティーチャーズ・カレッジとコロンビア大学で学んでいたことを問題にしていなかった。
 しかしKGBは知りえなかったが、アミンは大学在籍中にCIAにスカウトされていたのである。
 大統領となったアミンは親ソ路線のアフガニスタンの舵取りを徐々にモスクワからワシントンへの親米路線へと切り替えていった。
 クレムリンはこれに危機感を抱き、すぐに彼の排除へ乗り出した。

 アミンのかわりの最高指導者はすぐに見つかった。
 それは1978年のクーデターでアフガニスタン民主共和国副首相になったが、その後の党内政争に破れ、プラハに事実上“亡命”し現チェコスロバキア大使に降格させられたバブラク・カルマルであった。
 その一方でソ連はアフガニスタンに軍事顧問の名目で兵力をどんどん送り込み、12月には空挺部隊がアフガンの重要拠点へ配置された。

   12月21日、さらに増強された空挺部隊がバグラムに空輸され翌日にはアフガニスタンへ駐留するソビエト軍事顧問団がアフガニスタン人の部隊に戦車や他の重要な装備についてのメンテナンスのサイクルを経験させるように勧め、カブールの外側に通じる遠距離通信網を切断。
 これまでの動きに危機感を抱いたアミンは、生命の危機を感じ取り堅固なダルラマン宮殿に自宅を移し、自身の親衛隊を配備して守りを固めていた。

 そして、運命の12月24日。
 西欧でクリスマスが祝われているこの日、ソ連軍第105親衛空挺師団の兵士約7000人が大型輸送機によりバグラム空軍基地とカブール国際空港、ホジアランシバ飛行場(カブール近郊)へ次々と到着。
 この部隊の目的は空挺堡を確保しカブールを制圧することにあった。

 2日後の12月26日までに第105親衛空挺師団は飛行場を制圧、空輸拠点の構築し200回以上の飛行任務を通じて将兵1万人、BMD歩兵戦闘車200両が空輸され、この中には自動車化狙撃連隊の兵員も含まれていた。
 また、特殊部隊スペツナズがカブールの通信施設を掌握し、都市内のすべての通信を統制。
 12月27日、ソ連軍はアフガンの首都カブールをほぼ支配下に入れる。
 この日、アミンの運命は決まった。

 午前7時ごろ、第105親衛空挺師団の増援1500人と、戦車4両と装甲車24両を装備した部隊、そして特殊部隊スペツナズ、アルファ、ヴィンペルの3部隊の精鋭によって構成された特殊部隊が、ダルラマン宮殿に侵攻を開始。
 KGBが主体となっていたこの作戦の目的はアミン大統領を排除(抹殺)し、親ソ政権であるカルマルを新しい首班とすることにある。
 が、ソ連正規軍がアミンを暗殺したことが公になれば、来たるべきカルマル政権に対しアフガニスタン軍部の支持を得る事が不可能となる恐れがあった。
 そのため特殊部隊の隊員たちはアフガン政府軍の制服に身を包み、宮殿の防衛にあたっていた全員の抹殺が目的とされたのだ。
 作戦は成功し、こうしてソ連はアフガニスタンを事実上占領下に置いたのであったが、これは10年以上泥沼化するアフガン戦争の始まりに過ぎなかった。
 そこからは先、彼の口からは泥沼化する戦線の様子と、ソ連本国の腐敗していく様が語られた。

「……」

 長い長い話が終わった。
 その日のことをヴェルエフは忘れることはできないだろう。
 その場にいた歴史上の人物たちが、皆押し黙っていた。
 彼は説明を終えると、そのままジューコフが立ち上がった。

「ご苦労だった、ヴェルエフ君。……さて、諸君。聞いての通りだ。我々の仕事は明らかだ」

 そこで言葉を区切り、彼は全員を見渡した。
 だれもがジューコフの言葉を待っている。 

「………我らは北へ、北へ向かわなくてはならない…」



「我々を……解放するですと……?」

 ジューコフが到着してから数時間後、ドイツ軍捕虜の中で一番階級の高かったフリードリヒ・パウルス第6軍司令官はジューコフに呼び出され、開口一番にジューコフからそう言い渡された。
 パウルスは、スターリングラード戦を指揮したドイツ軍司令官だったが、ソ連軍の大攻勢が始まり、ヒトラーに撤退を進言する。
 だが、ヒトラーはそれを退けたあげく、パウルスを国防軍元帥に任命したのであった。
 その当時、いまだドイツ軍の元帥で降伏した者は歴史上一人もおらず、その意味することは、スターリングラードを死守し、玉砕、つまりは『降伏せずに死ね』と暗に命令したのだった。
 しかし、パウルスはヒトラーの思惑にしたがわずにソ連第64軍司令部に降伏。
 ドイツ史上初めて降伏した元帥となった。

「状況が変わったんだ、同志パウルス」

 小柄なジューコフの鋭い視線に、パウルスはたじろぎそうになった。
 彼はもともと参謀畑を歩んでいた男で、名参謀長としてヴァルター・フォン・ライヘナウ元帥に重用されていた。
 パウルスは、ライヘナウ元帥の後任として第6軍司令官に任命されたが、この軍司令官への昇進はライヘナウ元帥がヒトラーへ推薦したからであった。
 彼はそれほどパウルスを買っており、パウルスは名参謀長であったことの裏付けとも言える点である。
 だが、パウルスには実戦指揮経験が殆ど無く、連隊長の経験さえなかった。
 1920年代の演習の際、パウルスは歩兵連隊の演習連隊長を命ぜられたが、その指揮能力は不十分と判断された上、“優柔不断”の烙印を押されたという。
 つまり、彼は軍司令官としての資質は未知数なのであった。
 ライヘナウ元帥は、彼が実戦指揮になれるまで後見をするつもりであったが、心臓発作を起こしライプツィヒへ治療に向かう途中で飛行機事故のため死亡し、パウルスは実戦指揮経験の無いまま第6軍を指揮しなければならなくなってしまったのだ。
 その一方で、ジューコフは1938年のノモンハン事件(ハルハ河戦争)を皮切りに、ソビエト各地の戦場で活躍した男で、実戦経験は豊富すぎるほど経験している。
 パウルスとは経験の差が違うのだ。

「信じられんかもしれんが、我々は中央アジア、アフガニスタンにいるのだ」

 パウルスは最初ジューコフがなんと言ったか理解できなかった。
 アフガニスタン?
 彼の頭の中で世界地図が広がり、中東方面を探す。

「な、なぜ我々はそんなところに!?」

 彼の頭脳でようやくその場所を見つけた。
 大英帝国領インドとソビエト連邦に挟まれた、山岳地帯にある王政国家。

「私も詳しくはわからない。だがここにいるヴェルエフ少将の話によると」

 そういって、ジューコフは隣にいたまだ若い将校を紹介した。
 まだ十分に若いといってもいいその将校は、興味深そうに此方を眺めている。

「我々は間違いなく1986年のアフガニスタンにいるようなのだ」

 パウルスは今度こそ言葉を失った。
 それは彼の後ろにいた、『ドイツ将校同盟』ワルター・ザイドリッツ砲兵大将や、第6軍参謀長アルトウル・シュミット中将も同じだった。
 『ドイツ将校同盟』とは、ソ連軍がスターリングラード戦で手に入れた多数の捕虜の将校たちから結成された組織である。
 独裁者スターリンにとって、この組織は魅力的なものであったらしく戦争中かつての味方に対して数多くのプロパガンダを行わせたのだった。
 戦後、パウルスら上級将官は、東ドイツでの裕福な生活を保障されたが、末端の兵士達は悲惨だった。
 彼らの殆どは、戦後シベリアや北極圏のラーゲリ(強制収容所)に送られ、大半がその極寒の地で息絶えたという。

「そ、そ、それは一体な、なぜなんでしょうか?」
「それがわかればこちらも苦労はしないよ、同志パウルス」

 ジューコフはそういらだたしげに言って、椅子から立ち上がった。

「とにかく、我々は今アフガニスタンのど真ん中にいる、それだけは覚えておいてくれたまえ」
「し、しかし、我々捕虜全員を解放というのは?」
「単刀直入に言うと、君達捕虜の糧食を維持し続けるのは無理なのだ。だから、君らは君らでなんとかしたまえ、そういうことだ。だが、誤解のないように言っておくが、君達は一応我々の行き先であるカザフスタンにまでは連れて行く。そこで生計を立てるなりなんなりしてくれればいい」

 ジューコフの言っていることは、つまり飯はもう出せないから自分の食い扶持は自分らで何とかしろ、ということだ。

「ソ、ソビエト本国とは連絡は取ったのですか?我々がここに居ることを知らせれば……」
「君らにだけは話しておくが、他言は無用だ。たしかにソ連は存在しているようだが、君らの同盟国、日本の宣伝放送によると我が祖国は二足歩行する熊が支配するソビエト連邦となっているそうだ」
「「「「は、はぁ?」」」」

 パウルスらは思わず間抜けな声を出してしまう

「いきなり信じろ、というのは酷だが紛れもない事実なんだよ。ヴェルエフ君、例のものを」
「はい」

 ヴェルエフは懐から数枚の写真を出した。
 それはかなり荒い画像であるものの、それがソビエト・ロシアやウクライナでよくみかけるコルホーズやソフホーズであることが、よくわかった。
 そして、そこに写されているのは、熊だった。
 いずれの写真にも、写っているのは熊、熊、熊、熊、熊ばかり。
 パウルスたちは写真を見て、絶句した。

「…………………こ、これは一体?」

ようやく、ザイドリッツ将軍が声を震えさせながら聞いた。

「航空軍の偵察分隊に超長距離偵察を行わせたんだが、実を言うと我々もこの写真を見るまでは信じてはいなかったが、な。しかし、さすがドイツ製だ、奇麗に取れているだろう?」

 そこで一旦言葉を切って、ジューコフはテーブルの上に置いてある紅茶の入ったカップを口に運ぶ。

「まぁ、状況は理解してもらえたと思う。とりあえずカザフスタンはまだ人間の世界のようだが、情報が錯綜していてな。今現在ヴェルエフ君の知り合いがマザーリシャリーフの部隊の司令官だそうで、連絡を取り合っているところなんだよ。あそこからタシケントまで簡易鉄道を引いて、撤退をいくらかでも容易にできるように準備をしている。君らも早めに準備をしたまえ。以上だ」

 ジューコフはそう言うと、退出を促す。
 パウルスらは考えがまだまとまっていないらしいが、とりあえず退出させた。
 ジューコフはそれを確認すると、カップの紅茶を飲み干し、ヴェルエフに向き直った。 

「しかし、これからが問題だな。ところでヴェルエフ君、君の知り合いの司令官とは?」
「ラシッド・ドスタムという男です。タシケントのKGB将校訓練学校で一緒だったウズベク人の部下がいまして、その部下の紹介で…」

 ラシッド・ドスタム。
 タリバン政権崩壊後のカルザイ政権で国防大臣などを歴任したこのウズベク人将軍は、アフガニスタン共産主義政権時代はアフガニスタン人民民主党党員として旧政府軍第53歩兵師団の長となり、ナジブラ政権の重要な位置を占めるにまでいたった。
 共産政権崩壊後、彼はマザーリシャーリフを中心とするアフガニスタン北部で厳然たる権力を持ち、彼の兵力は6万人の兵力と、ソ連製戦車、戦闘ヘリ、砲兵、戦闘機23機にSS-1B“スカッド”地対地ミサイル27発が存在したといわれる。

「なるほど…。 で、その男は我々の部隊の撤退を援助すると?」
「はい、こちらに来る前にその部下に連絡をつけて、通すように説得しました。とりあえず彼はマザーリシャーリフの鉄道敷設に協力すると約束しました」
「よし、とりあえず今日から忙しくなるぞ、君もカブールに戻って撤退作戦の指揮をとりたまえ。全土に撤退布告を出し、我が軍の将兵を一人も残さないようにな……」
「了解しました、ジューコフ閣下。では、私はカブールに戻ります」

 敬礼をして、ヴェルエフは部屋から出て行った。
 ジューコフは彼の姿が見えなくなると同時に、椅子から立ち上がって自分の専用テントの片隅においてある小さめのトランクをあけた。
 中には大量の瓶詰めされた黒い液体、コカ・コーラが入っていた。
 アメリカから送られてきたこの黒い液体は、ジューコフのお気に入りであった。
 彼は瓶のキャップを千貫で開けると、それを一気に喉に流し込んだ。
 炭酸のはじける感覚が喉に心地よい刺激を与えてくれる。

「やらねばならんのだ、やらねば……」

 彼はコーラを飲み干すと、そう呟いて、自分の天幕に飾ってあるスターリンの肖像を見た。
 同志スターリン、あなたならどうやってこの危機を乗り越えますか?
 彼は物言わぬ肖像画に、そう問いかけているようだった。






後書き



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