「間に合いますか」
潜水艦のものにしては広い発令室。そこの艦長席で、銀髪の少女は、わき上がる不安を噛み潰すように顔を歪めていた。
「大丈夫でしょう。彼があなたの信じる通りの人物なら、必ずその場に現れるはずです。何もなければそれでよし。しかし、万が一の時には、我々が彼の生死を握ることになりかねません。そんなときに、我々が疑いの心を持っていては、なすべき事も出来なくなりますよ」
彼女を慰めるように、軍人の雰囲気を漂わせた男が言った。少女に対して、兄とも父とも見える不思議な人物である。
「しかし日本連合も着実に力を付けていますね。あのSOSUS網はなかなかのものだ。だがまだ欠点が多い。範囲が広すぎて、メンテナンスが追いついていないし、対ソーンダイクを想定しているにしては、ミューティオとの連携に対する対抗手段がまだ練り込まれていない」
「だから我々も突破出来たのですけどね」
銀髪の少女の表情に笑みが戻る。
「しかし、まさか彼が再びこの地に現れるとは……彼は間違いなく死んだはずだったのに」
少女は、かつてこの艦すら絶対の危機に陥れた、あのテロリストのことを思いだしていた。工作員の一人が、香港で彼の情報を入手したのだ。
彼が日本へ向かった事を。
「今の世界においては、過去はもはや無意味なことです。それに気づかぬものは、いつか必ず淘汰される……我々もこのことに気がついた時点で、過去は捨てました。しかし世界には、そのことに気づかぬものも多い。そして悲劇は繰り返される……」
「繰り返させたりは、しません」
男の言葉を、少女は強い調子で遮る。
「そのために、私達がいるのです」
「それでこそ、艦長です」
男は、優雅とさえ言える微笑みを浮かべて、少女を見下ろした。
「だからこそ、私たちはあなた方と共にいくことを選んだのですから」
青き世界を静かに切り裂きながら、戦女神は進んでいった。
5月5日、こどもの日。
有明の盛り上がりは最高潮に達していた。
この日、いよいよ待望の巴里市街が公開されるのだ。小規模であったが、それでもかなりの広さを持つ古き巴里の街並みが、生活感そのままにたたずむ街。
しかも入場者は、街の雰囲気と人々の生活を壊さぬように、きわめて少数に限定されていた。
人口2千人程度の規模の街に、観光客が2万人も押し掛けたらどうなるかは目に見えている。この2日の間に作られた入国管理ゲートは、日本国民の関心が落ち着くまで、巴里の人々の生活を守るために設けられていた。
入国するにあたっては、パスポートと称されるチケットを、入国税という名目の料金を払って入手しなければならないが、これが文字通りのプラチナチケットとなった。特に五月期は極度に数が制限されているため、チケット争奪戦は熾烈を極め、ダフ屋が無数に暗躍し、警察と丁々発止の戦いを繰り広げることとなった。ある意味ネットオークションが復帰していなかったのは幸いだったかもしれない。
そんな中貴重なパスポートをゲット出来た人々は、落ち着いた古都の雰囲気を満喫することが出来た。
そんな中にちょっと変わった一団がいた。すらりとしたスタイルながら豊満な胸を持つ美女、女子高生の3人組と男子学生、中学生くらいの男子1名、女子4名。
順に名をあげるなら、
烈 飛鈴
御剣 涼子
千鳥 かなめ
常磐 恭子
神谷 大作
姫川 沙羅
鬼塚 美雪
木之本 さくら
大道寺 知世
李 小狼
以上のメンバーである。
事の起こりは、護衛の問題であった。
危険があるといっても、ずっと閉じこもっているわけにもいかない。いろいろ考えた末、ある程度安全な場所を中心に動こうということになったである。
そのうちの一つがここであった。
飛鈴があちこちに手を回し、激レアのパスポートを何とかこれだけもぎ取ってきたのだ。
男共はどうしたかって? それは別の話になる。
「すてきな街よね〜」
「ホントですわ〜」
一番脳天気に喜んでいるのが、さくら&知世のペアである。小狼は喜ぶ2人を後目に、やや睨むような顔で飛鈴を見ている。
「……なんで俺を呼んだんだよ」
「目立たない護衛が欲しくてね。結構使うんでしょ」
やっぱり、と思いつつ、小狼は頭を抱えた。
「どれが対象だ?」
「メインはあの娘」
背後からかなめを示す飛鈴。
「但し、事実上は全員よ。この一行で戦闘力のあるのはあたしと涼子さん、あと自衛出来るのが沙羅ちゃんくらいだから」
「背の高いポニーテールと金髪の娘は大丈夫なんだな」
確認する小狼。
「ま、ここの中で襲われることはないでしょうけどね。相手の目的は殺害じゃなくて捕獲だから、逃走のしにくいここで狙うとは思えないわ」
「同感だ。襲うならゲートを抜けたあとだろう」
さくらたちが美雪や沙羅を誘っている後ろで、そんな物騒な会話がなされていた。
一方さくらたちは、公園に出ていた露店のアクセサリーを見ながらあーでもない、こーでもないと意見をぶつけ合っていたりした。
「きゃーっ、これかわいいーっ」
「どれどれ、おっ、さくらにはこれ似合いそうだな。おーい、美雪、ちょっとこれ見ろよ」
「……(^^)」
「なになに、あら、結構いいじゃない、カナちゃん、素敵よ、みんな」
「ん? ふむ、確かにいい仕事してるわね。涼子さんは?」
「あたしはあんまり……でも、素敵ね」
「そうそう、女の子なんだしね」
こんな風にはしゃぐ彼女たち。そして一歩離れたところでは。
「おおっ、これは滅多に見られない、普通の女の子をしている涼子さん!」(ビデオ撮影中)
「さくらちゃん、素敵ですわ〜。沙羅さんや美雪さんみたいな美少女に囲まれて、お花畑のお姫様みたいです〜」(ビデオ撮影中)
そして2人同時にファインダーから目を離した大作と知世は、何故かお互いを見ると、にっこりと笑って指を立てた。
巴里は平和に満ちていた。
一方、塀の外では……。
「ぐわっ!」
「あひゃあ!」
「のわっ!」
物陰に悲鳴がこだまする。気取ったチーマーふうの兄ちゃんが、特売の野菜よろしく積み上げられていた。
「はずれか」
「そのようだ」
身長2メートルを超す巨漢と、やせ形ながら剣呑な光を目に宿した少年が、お互いを見ながらそう呟く。
「師匠の方はどうかな」
「連絡が来ませんから、まだなんでしょう」
言うまでもないことだが、2人は南雲慶一郎と相良宗介である。
2人は今、私設自警団と化していた。
発端は昨日の夜の最終作戦会議である。
「ガウルンは今回、街の不良達を手駒にしているらしい。それに昨日殺された彼らは、初歩とは言え明らかに軍事訓練を受けていた。それで思い出したのが、俺の元いた世界で起きたある事件だ」
作戦会議の席上で、宗介はその事件のあらましを語った。
不良少年の更生のため、ある高名な元傭兵が、サバイバル訓練を通じて彼らを社会復帰させる施設を作った。その施設はすばらしい効果を上げていたのだったが、興味本位なマスコミの一方的な誤解から、更生施設はテロリストの養成所のような扱いを受け、元傭兵の彼は自殺してしまった。そして皮肉にも、彼らをテロリストのように扱ったがために、せっかく更生していた彼らは、本物のテロリストになってしまった。
「A21、という組織だった。この世のすべてを無に帰すことだけを望む、絶望した少年達だけのテロ組織。すべてが終わったあと分かったことだが、そんな彼らを利用したのが、ガウルンの背後にいた組織……『アマルガム』だった。彼らに俺の世界特有の、ある特殊兵装を与え、その実験台にしたのだ」
宗介にしてみれば、それは2人の少女を守る戦いだった。
すべてを知ったのは、後のことだ。
「そして今この世界になって、思い当たったことがある。ガウルンが存在しているのなら、彼らもまた存在しているのではないか。ただ、訓練を受けたテロリストではなく、まだ唯の不良少年として。ガウルンは彼らを捜し出して、手駒にしたのではないか、と」
「なるほどな……あり得る話だ」
慶一郎もうなずいた。
「俺ん所でも似たような話はあったよ。軍事訓練じゃなかったがな。今の日本、どこも同じって事か」
その場で、全員がうなずいた。
「問題は奴の手駒の中に『タクマ』がいるかどうかだ」
「タクマ?」
聞き返すみんなに、宗介は言葉を続けた。
「前の世界で俺と戦った少年だ。特殊な薬物を施され、打ち合わせの時にも言った特殊兵装を操られるようにされた少年だ。もしそれがこちらに来ていたら……今の日本でも勝ち目が薄い。それほどのものだ。だからタクマだけは絶対こちらで確保したい」
「例の使徒とか言う化け物みたいなのか?」
軽く言った慶一郎に対し、宗介は真面目にうなずいた。
「詳しくは説明出来ない……というか、俺自身が理解していない。だがそのシステム……ラムダ・ドライバは、意志の力を攻撃力や防御力に変換する事が出来る。タクマが操った特殊兵装……ベヘモスは、支えきれない自重をそのシステムで支えていたと言うから、重力制御のような事も出来るのかもしれない」
それを聞いていた慶一郎の顔が、真面目なものに変わった。
「そのシステム、何となく『神威の拳』に似ているな」
「神威の拳?」
「論より証拠だ。ちょっと表に行こう」
慶一郎は、取りあえずこの中で事情を知らない宗介を連れて、人気のない夜の公園へと向かった。
公園に着くと、慶一郎はその場で深い呼吸を始めた。じっくりと体内に<龍気>を練り上げていく。
闇の中、突然発光し始めた慶一郎を、宗介は驚きの目で見つめていた。
「以前は別に光らなかったんだがな、この世界では何故か目に見える。まあ、効果にかわりはない。あそこを見ていろ……<神飛拳>!」
慶一郎が凝縮した光を投げつけると、ぶつかった先にあったゴミが吹き飛んだ。
まるで迫撃砲でも食らったかのように。
「な……なんの武器もなしに、あれだけの威力が」
だが驚くのはこれからであった。
「こんなのは初歩の見せ技にすぎん。こう言うのが『神威の拳』の神髄だ」
そう言った慶一郎の動きを、宗介は捕らえる事が出来なかった。一瞬のうちに、宗介は背後をとられていた。戦士としてあるまじき失態である。
「いつのまに……」
これが実戦なら、すでに宗介は死んでいる。
「今のは<旋駆け>……まあ、高速で移動する技だ。瞬間的にだが、100メートルを5秒以下で移動する事も出来る」
それは人間に出せる速度ではない。
「何よりこっちの方がわかりやすいだろう」
再び<龍気>を蓄積した慶一郎は、その場でジャンプをした。
……10メートル以上も。
しかも、そのまま空中にとどまり、演舞をしている。
やがてゆっくりと、慶一郎は宗介の目の前に降下してきた。
「こういう事だ。なれてくると重力や慣性を殺せるようになる」
「……貴方は人間か?」
「人間だよ。それにこの技はきちんと鍛練を積めば、誰にでも覚えられる。ま、向き不向きはあるがな。早い奴は1ヶ月も鍛錬すれば基礎ぐらいは身に付いちまうし、向かない奴は10年続けていても初歩の初歩だったりはするが。ま、基本は呼吸法と、それによって発生する<神気>を感じ、蓄積する事だけだからな。それをどう応用するかはまた別の事だ」
「すばらしい技だ……だが、危険でもある。この技が軍事関係者に流出したら、世界のミリタリーバランスは、根本から変わってしまう」
宗介にはこの技のすばらしさと危険性が、同時に理解出来た。この技は、単なる鍛錬ではない。
人を別の何かに変えかねない技術だ。
しかし慶一郎は、笑いながら宗介の肩を叩いた。
「お前が気にする事か。俺は金や力のためにこれを教えたりはしない。俺にとってこの技は、お前さんが扱う武器と同じ意味しかない。第一こうしてこの技が存在する以上、俺が隠しても誰かが見いだす。技に著作権はないんだ。そんな事をお前さんが気にする理由は、どこにもないんだぜ」
宗介にもその言葉は納得出来るものであった。
「それもそうだ」
そう言ってうなずく宗介を、慶一郎は教え子を見る目で見つめた。
「お前さんになら教えてやってもいいぞ。気に入ったからな」
「すぐには無理だが、時間があったら是非教えを請いたい」
ためらうことなく、宗介はそう答えた。
「じゃ、戻ろう。みんなが待ってる」
そして、今2人は、『タクマ』を探してチンピラを刈り続けている。
「午後にはみんなと合流して、UVTの決勝を見る予定だからな。それまでには情報をつかんでおかないと」
そこに電話が入った。
「もしもし、あ、師匠。こちらですか……今のところはずれです。そっちは……聞くまでもないですね。了解しました。もう少し続けます」
「向こうも無駄足か」
そう聞く宗介に、慶一郎もうなずいた。
「もう少し頑張ろう。ちょっと足をのばすか……ん?」
そのとき、慶一郎は、奇妙な『気』の流れを感じた。
「どうした」
慶一郎はそれには答えず、まっすぐにその方向へと足を向けた。宗介も何も言わずについていく。
やがて目に映ったのは、建ち並ぶ倉庫の資格で繰り広げられている大乱闘であった。
見たところ戦っているのは2人の男と暴走族系のグループであった。
だが圧倒的に2人の男のほうが強い。
一人は格闘家なのか、柔道着とも空手着ともつかないぼろぼろの上下に、目にも鮮やかな赤いはちまきを締めている。もう一人はトレンディ系のような上下だが、その格闘スタイルがある男の事を慶一郎に思い出させた。
「草g! 何をしている!」
思わず叫ぶと、慶一郎は戦いの中に飛び込んでいった。
呼びかけられた男は、一瞬怪訝そうな顔をしてこちらを振り向く。その際に一発周りの奴等にパンチを入れるのを忘れない。
その拳は、紛れもなく炎に包まれていた。
だが、慶一郎は近くまで行くと、己の間違いに気がついた。
格闘スタイル、及び炎を纏うのは一緒であったが、男は彼の知人とは別人であった。
「お前……何故俺の名をを知っている」
さらに一人の男を叩きのめしながら、その男は慶一郎に向かってそういった。
「すまん」
慶一郎は短く詫びつつ、手近なチンピラを叩き伏せる。
「知り合いと間違えた……そいつも草gという名前で、炎の闘技を使うんでな」
「その話……興味がある。後で付き合ってもらおう」
男は鋭く光る目で慶一郎をにらみつけた。
「いいだろう……だが取りあえずこいつらを大人しくさせてからだな。宗介、お前も加われ!」
「了解した」
2人の加勢によって、決着はあっという間についた。
「俺は草薙京。こいつはリュウ。名字は知らん」
男はそう自己紹介をした。
「俺は南雲慶一郎、こちらは相良宗介。今訳あってチンピラ達の間から、『タクマ』という奴を捜しているところだ」
慶一郎がそう返すと、京という男はにやりと笑いながら言った。
「訳ありはお互い様か……ならお互い、あまりよけいな事は聞かない方が良さそうだな。だから一つだけ答えてくれ。お前の知っている草gという男は、俺にそっくりじゃなかったか?」
「うーん、そっくりといえばそっくりだが、少なくとも顔は別人だぞ? お前さんほど涼しげな奴じゃない」
そう答えると、京は露骨にほっとした様子を見せた。
「偶然か……悪い事をしたな。俺は俺そっくりの、炎の技を使う奴らを捜していたんでな」
「……相当深いわけがありそうだな」
慶一郎はじっと京の事を見つめた。
「アンタ達も『気』の技を使うのか?」
不意に、京がそう聞いてきた。
「ああ、俺は使う。こいつはそうじゃない」
「なら忠告しておく。今の世界には、『気』を使う格闘家を狙う組織がいくつかある。俺やリュウが追っているのもそいつらだ。まあ、半分は逃走しているようなものだが」
「興味は大いにあるが……君に免じて、詳しく聞くのはやめておこう。だがもしよかったら、組織の名前だけでも教えてくれないか? 俺たちと関わりがあるかもしれん」
慶一郎の提案に、京は答えた。
「『ネスツ』……それと、『シャドルー』、という。どちらも世界の征服を企むような組織さ。昨今じゃ珍しくも何ともない」
「そうか……俺たちが追っていたのは『アマルガム』という組織だが」
「覚えておこう」
そういうと、2人の男はその場から立ち去ってしまった。
「いいのか?」
2人が去った後、宗介は慶一郎に聞いた。
「長生きするためにはな、あまりよけいな事に首を突っ込まない謙虚さも必要だ」
慶一郎は、黙ってそう答えた。
「それにあまり時間がない。取りあえず、お嬢さん方を迎えに行く時間だ」
2人は巴里市入国ゲートへと向かっていった。
「おっと、あそこに連絡しておくか」
その途中、慶一郎は携帯をとりだした。
「ああ、おっさん? 南雲だが、こんな情報が手に入った。一応聞いといてくれ」
そういうと今の一件を簡単に報告する。
「どこへの電話だ?」
不思議に思った宗介に、慶一郎は言った。
「ん、情調の五十嵐局長だよ」
「情調? 政府のか」
宗介の眉がひそめられる。
「安心しろ、よけいな事は言っていない」
宗介の不安を見透かしたように南雲が言う。
「前にも言ったろ? 俺をスカウトしたがってるおっさんだよ。個人的には嫌いじゃないんだが、やっぱり俺に組織は似合わない。んなもんでそっちは断り続けてんだけどな。ただ今回の件で、ちょっくら利用させてもらったんでな」
「今回の件?」
「ああ、まさかいきなり飛鈴と再会するとは思ってなかったんでな。おっさんにテロの情報を教えたんだ。ま、要するに勢子の役割でもしてもらおうかと思ってね」
宗介にもそれがどういう意味を持つか理解出来た。ヤクザをいぶり出すために手入れがあるという噂を流すようなものである。
「了解した」
宗介もそう答えただけで、この件の事は忘れた。
この件は巡り巡っていろいろともめ事を起こすことになるが……現時点の彼らには関わりはなかった。
そしてこの日の午後、後々までの語りぐさとなる、UVT第二回決勝戦、そして、特別大会が開催される。
それがこの日の混乱のプロローグとなる。