裏側の勇者達
新世紀2年5月3日夜、お台場。
青海のはずれのビル工事現場に、ただならぬ数の野次馬が集まっていた。
ただでさえお祭り騒ぎの続くお台場・有明地区を何台ものパトカーがサイレンを鳴らしながらかっ飛んでいけば、注目を集めない方がどうにかしている。
もっとも周囲にはロープが張られ、現場検証のため立ち入りは完全に禁止されている。
その中で湾岸署の刑事達や、応援に来た本庁捜査1課の面々は、現場の悲惨さに顔をしかめていた。
「ひでぇなこりゃ。みんな額をどすんかい」
次々と上がってくる情報を、手際よく処理していく。
そこに電話が入った。
「はいもしもし……え……は、はい。分かりました。心得ておきます」
電話を切った後、彼はペッとつばを吐き捨てた。
「先輩! 現場でそう言うことをしちゃいけないって言ったのは先輩じゃないですか」
後輩の刑事が心配そうに声をかける。
「かまわねぇよ」
先輩刑事の声には憤りが混じっていた。
「どうかしたんですか?」
「一応普通に調べていいとは言われたが……公安と危機管が首突っ込んで来やがった。あんまり深入りするなと。けっ、けったくそ悪い」
その日の夜、悲惨なニュースが夜の街に流れることになった。
「……青海のビル工事現場で、10人にもわたる少年が殺害された事件で、当局は……」
テレビから流れてくるニュースを見ながら、慶一郎は顔をしかめた。
「口封じとは。ますます素人じゃないな、こりゃ」
部屋の中はぎゅうぎゅうであった。ツインシングル(シングルベッド×2)の部屋とはいえ、9人もの人間を詰め込んだら狭いに決まっている。ましてやそのうち2人は身長二メータを越し、厚みもそれなりに備えた大男なのである。暑苦しくなっても無理はない。
「いったい何事なんだ、ケイイチロー」
この一年の間にかなりうまくなった日本語で、部屋の主であるレックスは聞いた。
『英語でいいぞ。別に隠し事ではないし、日本語じゃ細かいニュアンスが伝わらないだろう』
慶一郎はややブロンクス訛りの入った英語で答える。レックスもそれに合わせて英語に切り替えた。
『どうやらそのニュースに関係がありそうだな』
『ああ、あいつらをぶちのめしたのはここにいる少年少女達だ。但し、一人も殺してはいない。そっちは別口だ』
『別口……ひょっとして口封じかなんかか?』
『察しがいいな。まだ詳しいことは聞いていないが、そのロングヘアーの女の子が狙われているらしい。ちなみにツインテールの娘は無関係らしいから、目が覚めてから聞かれても何もいうな。こういうややこしいことには巻き込みたくないらしい』
『了解した』
『悪いな、大勢引き連れて転がり込んじまって。なるべく早く何とかする』
『いいってことよ。ことが終わった後でまたトレーニングにつきあってくれればいい。出来れば例の呼吸法も覚えてみたいしな』
『あれは……まあかまわないが、身に付くかどうかは分からんぞ。天性の才能みたいなものもあるし』
『よくわからんが、『魔素』とかいうものの宿りにされたということは、それなりの資質はあるとうぬぼれてもいいんじゃないか?』
『ははは、そうかもな。その代わり効果がなくても怒るなよ』
そこまで言ったところで、慶一郎は宗介達の方に視点を戻した。
「さて……まあ、言いたくないことは言わなくてもかまわない。でも成り行きとはいえ、関わっちまったんだ。差し支えない範囲で事情を説明してくれないか? 俺の目の前でも一人殺されてるからな」
それに答えたのはかなめであった。
「それはいいけど、その代わりこっちの質問にも答えてくれる? 目の前で人一人殺されても顔色一つ変えず、おまけにやっかいごとに巻き込まれる前に逃げろって言ってさっさとあたし達を連れ出すなんて、あなた達何者? 普通なら驚くか、警察に通報するはずよ」
「肯定だ。あなたの反応はとうてい一般の日本市民のそれとは思えない。もしあなたが特殊な組織に属するものなら、その所属を明らかにしてくれない限り、こちらもいっさいの質問に対する回答を拒絶する」
慶一郎は上を向きながらぽりぽりと頭をかいた。
「困ったな……まあ俺や御剣が精神的にはその辺の日本人とはちょっと毛色が違うことは認めるが、そう言う特殊な組織にはいっさい所属してない。あくまでもただの民間人だからな。向こうの方からはよくスカウトが来るが、そう言うのは全部断ってるし」
「つまりそういうところから誘われるような技量は持っているけど、所属はしていない、そう言うのね」
かなめが確認するように言った。
「ああ。ただ俺もこの性格のせいで、あまり警察とは関わりたくないような事情はいろいろある。下手にとっ捕まったら、そう言う筋の方から司法取引を持ちかけられかねんしな……」
「『この罪を不問にして欲しければ組織の一員となれ』って言うわけ? あきれた。先生そんなのにも関わってたの?」
涼子の鋭いツッコミが入った。
「ということは南雲さん、だったっけ? あなたを誘ってるのって、連合政府の筋なんだ」
かなめにもそう言われ、慶一郎は少し青ざめた。
「よけいなこと言っちまったかな……とにかく俺には今そう言うしがらみはいっさいない。君たちを助けたのだって、かっこよく言えば『義を見てせざるは勇無きなり』って言う気持ちだ。御剣なんぞはまんまこれだが、俺はどっちかと言えば、町中で銃をぶっ放す奴らが嫌いなだけでね。別に正義とかそう言うもんじゃない。ま、単なる成り行きだな。警察を嫌ったのも単純にうざったいからだ。ああいう状況になったら、警察はたいてい俺たちを犯人と決めつけるからな。こっちの言うことなんざ聞きっこない」
慶一郎の言葉に、かなめと宗介、そしてまだ気絶したままの恭子を除く全員がうなずいていた。
「で、俺はまあこのまま別れても別に気にはせんが、こいつはそうはいかんぞ。なんだかんだ言っても、こいつはある種の『正義感』の固まりだからな。まさに『義を見てせざるは勇無きなり』を地でいくようなやつだ。納得いくまでおまえ達にスッポンみたいに食らいつくぞ、きっと」
涼子の方をじっと見ながら言う慶一郎に、涼子は思いっきり食ってかかった。
「どういう意味よ、それ」
「否定できるのか?」
「……出来ない」
軽くいなされ、涼子は首をすくめた。
「で、どうする、相良君」
宗介は直接答えようとはせず、かなめに相談した。
「千鳥、君はどう思う? 俺個人としては信用しても大丈夫だと思う。ただ、君の事情に関しては俺に何かを言う権限はない。君次第だ」
「別にいいわよ、全部言っちゃっても」
かなめの答えはあっけらかんとしたものだった。
「この人達ね、何となく似てるし」
「何にだ?」
怪訝そうな顔をする宗介に、かなめは微笑みながら言った。
「ミスリルの人達。あの人達にそっくりなんだもん、雰囲気が」
「おい……」
宗介は少し焦った。まさかかなめの口からミスリルの名前が出るとは思わなかったからだ。
だが続けて出た言葉が、その驚きを解いた。
「ま、今でもこの世界にいるかどうかは分からないけどね。でもソースケなら分かるでしょ、きっと」
「……うむ」
うなずきつつ宗介は、かなめの頭の回転の速さに感心していた。彼女はミスリルを、あくまでも融合前の存在にしておけといっているのだ。
もちろん宗介もかなめも、少なくとも『トゥアハー・デ・ダナン』がこちらの世界に来ていることは知っている。だがそれを明かす必要性は全くないのだ。過去の存在にしてしまっても、説明には十分なのだから。
かなめの心を悟り、宗介も腹をくくった。
「了解した。取りあえずこちらの事情を説明しよう。話は時空融合以前にさかのぼるが……」
そして宗介の口から、彼らの事情が語られた。
「『ウィスパード』、ねえ……」
涼子の口から、あきれとも驚きともつかない声が漏れた。
「それじゃかなめさんって、物凄い天才な訳?」
「自分じゃ何が変わった、っていう気はしないけど」
かなめもうなずいた。
「少なくとも理数系に関して、自分でも驚くほど頭が回るのは分かってる。変なたとえだけど、囲碁や将棋の有段者に近いんじゃないかな? ああいう人達って、場のある局面を見ただけで数千の手が見えるって言うでしょ。きっとああいう感じ。あたしは難しい数式とか見ると、すっと解き方が見えるわけ。ま、最近じゃその余波でか、記憶力がもりもり増進しちゃって、ほかの科目もよくなっちゃったけど」
「ふうーん、でもまあそれはどうでもいいのよね」
気の抜けるようなことを言う涼子であった。
「そんなあなたを狙っている組織が少なくとも融合前にはあって、そしてこの宗介君は、あなたをそう言う組織から守るために派遣されてきたボディガード、っていうわけね」
「肯定だ」
宗介はうなずいた。
「その辺に関してはいろいろとややこしい状況があったのだが、今となっては全く関係のない話だ。現にこの一年、とりたてて千鳥の身には別になんの異変も起こることはなかった」
「だからあたし達も安心して平和な日常に埋没していられたんだけど」
かなめは肩をすくめながら言った。
「みんな、知ってるかな……先週の高校爆破事件」
「あ、あれですね。調布の陣代高校爆破事件」
こういうのには詳しい大作が口を挟んできた。
「4月24日の午前9時50分頃、『校舎に爆弾がしかけられている。後10分で爆発するから至急現場検証に来てくれ』って言う通報が学校からあったんだけど、警察はいたずらだと思ってほっぽっといたら、ホントに10分後に学校が爆発したあれでしょ。全校生徒はちゃんと避難していたから死傷者は0だったけど、精神障害を起こした子が続発して転出者が相次ぎ、おまけに教育委員会が裏で何か画策したらしくて、わずか2日で高校そのものが『復旧に時間が掛かりすぎる』という理由で廃校になっちゃったって言う」
「そんなに先輩が怖かったのか……」
かなめはそれを聞いてぎりぎりと歯を食いしばっていた。
「どうかしたの?」
涼子が心配そうに尋ねる。
「我々はその陣代高校の生徒だったのだ」
宗介が淡々と説明する。
「そして爆破事件そのものが、俺と千鳥を狙って仕掛けられたものである可能性が高い」
その言葉に、涼子達は……今までの話を野次馬気分で聞いていた沙羅や美雪まで……しん、と静まりかえってしまった。
「あの爆破は、校舎を倒壊させるものの、各教室には意外なほど被害が出ないものだった。つまり我々が爆弾に気づかなくても、大量の軽傷者は出ただろうが、重傷者はほとんど出なかったはずだ。出るとすれば爆破によってパニックを起こした生徒達による二次被害で、であろう。ところが我々の二年四組は階段からは遠い位置にあり、人の流れを考えるとその手の二次被害には遭いにくい。また俺がついている以上、かなめをそういうものに巻き込むおそれは小さい。つまり確率的ではあるが、爆破の結果生じるのは怪我によって程良く戦闘力の低下した俺と千鳥だ。後は救急隊員に化ければ彼女を難なく拉致できる。見事な計画だ」
「……なによ、それ。あなた達2人だけのために、学校一つ、潰したって言うわけ」
涼子の声は、まるで地の底から響いてくるようであった。
そして大作と慶一郎は(一応美雪も)、それが彼女の『正義感』の導火線に火がついた印であることを嫌と言うほど知っていた。
しかし宗介はそんなことを毛ほども気にせず、淡々と続きを述べた。
「おそらく肯定だ。証拠は全くないが、敵の行動を分析するとそういう結論が出る。また現実の展開のようにこの作戦が失敗しても、敵はこちらの拠点を潰すことに成功している。これだけでも敵の利益は果てしなく大きい。当然のことだが、俺がこちらに派遣されてくる前から、千鳥の通学ルート上の危険地帯などは、あらかじめ調べてあった。それがこの爆破で使えなくなった。新しい高校に行った後、しばらくはマンツーマンの護衛が必要になる。だが護衛要員が一人しかいない以上、状況はこちらにきわめて不利になる。相手は自由にこちらに攻撃できるが、こちらは迎撃しか出来ず、逃げる敵を追撃することすらできん。完全に敵の作戦勝ちだ」
「……許さん」
目を爛々と光らせて、涼子はゆらりと立ち上がった。ぼんやりと体の周りから光が放たれているような気がするほどである。
どこからか鼓の音が聞こえてきそうであった。
「あーあ、こりゃ収まらんぞ」
慶一郎は頭を抱えた。正義を重んじると言っても、涼子のそれは結構独善的な『正義』である。だがこの状況は彼女のツボにずっぽりハマっていた。
(ま、もう手遅れか。となったら出来る限りフォローしてやらんとな。だが問題は、どこに彼女たちを匿うかだな……この状況では、新たな部屋を確保するのは難しいし、相手のやり口を考えるともう少し味方が欲しい……爺さんふたりはいいとして、いくつか保険をかけておくか?)
内心そう考えていた慶一郎だが、その連絡をここでするわけにはいかなかった。
「ちょっと電話してくる」
慶一郎はそういって立ち上がった。
「そこのじゃだめなの?」
当然上がる質問に、慶一郎は真顔で答えた。
「プライベートなんでな。すぐ戻る」
だがこれが近年における慶一郎最大の不覚になる。問題は解決した。しかしその代償はあまりにも大きかったのである。
とあるホテルの最上階にあるロイヤルスィート。一泊するだけで20万以上の料金が飛ぶ部屋を、奇怪な一団が占拠していた。
中央にいるのはすばらしい美貌の女。その周囲にダークスーツの男達が10名ほど控えている。
『手がかりは?』
女は広東語で部下の報告を求める。以下の会話はすべて広東語であるが、それでは煩わしいので勝手ながら日本語に翻訳してお伝えする。
「はっ、フェイ兄弟が現地で手下にしていたと思われる男達が今し方、全員消されました。奴らの手による口封じです」
「ああ……ニュースでやっていた事件ね」
「はい。彼らはあの男と一緒に、間違いなくこの周辺に潜んでいます。ただ……目的が今ひとつ絞り切れていません。やつらが『組織』の仕事を請け負っていることは確かなようなのですが、それにしては手段がおかしいのです」
「……事態が動くのを待つしかない、っていうわけね。せめて相手のターゲットが分かればいいんだけど」
「引き続き探索を続けます」
「お願いね、十真。『裏切り者には、死を』」
「は、かしこまりました。飛鈴様」
「あ、後ちょっと下のラウンジへ行って来るわ。外には出ないから安心して」
女性……烈飛鈴は、シックなドレスの上にガウンを羽織ると、階下のラウンジへ向かった。
階下に降りた彼女は、そこに信じられないものを見た。携帯電話コーナーのブースから、にょっきりと頭が突き出ている。身長二メートルを超える大男ともなれば、まあ当たり前だろう。その横顔は、この一年、彼女が真に求めていたものだった。そんな彼女の目の前で、彼は携帯を切った。
もう我慢する必要はなかった。人目も、自分の格好も気にせず、彼女はこの世でもっとも愛しいものに飛びついた。
「慶一郎!」
相手が言葉を発するより速く、彼の口は彼女の口でふさがれていた。
慶一郎は焦っていた。はっきりいって融合前、初めて異世界へ飛んだあのときより焦っていた。
『保険』をかけ終わった後、誰かが接近してくるのには気づいていたが、全く殺気はなかったのでさっとよけるつもりだった。
だが相手はいきなり自分に組み付き、おまけに唇に張り付いてきた。相手が誰だか気がついたときには後の祭りであった。
たっぷり1分は貼りついていた彼女を、慶一郎は何とか引っぺがした。
「飛鈴!」
そういうのが精一杯であった。
そんな彼の目の前で、飛鈴はどんな男でもとろけずにはいられないような、艶やかな微笑みを浮かべつつじっと慶一郎を見つめていた。
「神のお導きかしら……まさかこんなにすぐに、あなたに会えるなんて……」
嫌な予感がふつふつとわき上がってきた。このままだと間違いなく今夜は彼女の部屋で一泊することになる。それ自体は別段嫌ではなかったが、また木箱に詰められて香港へお持ち帰りされたりするのはまっぴらごめんであった。そうでなくても今の慶一郎にはやることがあるのだ。残念ながら元妻(慶一郎主観)との再会にひたっているわけにはいかなかった。
だが彼女を振り払おうとしたら並大抵の手段では無理である。力ずくで強行突破するか、あるいは何とか説得するか。
残念ながら場所柄前者は無理だった。必然的に手段は一つに限定される。
「飛鈴、再会は俺もうれしいんだが……時期が悪い。今俺はどうしても手放せないやっかいごとを抱え込んでるんだ。せめて、それが終わるまで待ってくれ……絶対逃げたりはしない。よりを戻せとか、香港へ来いというお申し出はまた別になるが、取りあえずおまえがこちらにいる間は逃げも隠れもしない。だから頼む、今夜は勘弁してくれ」
最後の方はほとんど土下座せんばかりになっていた。飛鈴もいきなりの態度に目をぱちくりしている。
やがて彼はふっとため息をついた。
「わかったわ……信じてあげる。だけど二つだけ確認させて」
慶一郎は露骨にほっとした顔を浮かべてうなずいた。
「ふふふ……莫迦ね。そんなに安心しちゃって。一つ目。それってあの、美雪って女の子のため?」
慶一郎は彼女の背後に巨大な鬼を見たような気がした。あわてて首を横に振る。
「違う! 確かに美雪ちゃんの保護者としてここに来ていたが、それとこれとは別だ!」
「……ホントにあわててるのね」
一瞬鋭い瞳を浮かべながらも、飛鈴は軽く笑った。
「はいはい。分かったわ。もう一つ、事情をきちんと説明してくれる? 出来ればそこのラウンジで一杯やりながら」
「……お誘いはうれしいが、戻らないと御剣達が心配する」
「あら、みんなで来ていたの? 草g君とか」
「いや、草gは明日ここに入るはずだ。今回俺たちは、UVT大会参加者のおまけでここに来ているんでな」
「ああ、それで……。じゃ、あたしがおじゃましてもいい?」
「いや、それが……入る隙間がない。今俺は訳あり数名のおまけ付きでレックスの部屋に転がり込んでるんでな」
「そのおまけが事情ってわけ?」
飛鈴の問いに、慶一郎は声を落とし、さらに言葉を広東語に切り替えていった。
『ああ、人を匿っている。ニュースでやってたと思うが、殺されたチーマーに襲われてたんでな』
その瞬間、飛鈴の顔がきりりと引き締まった。恋する乙女の顔から、香港の裏社会に君臨する女王の顔に。
『慶一郎、運命ってあるのかしら』
広東語で言葉を返す。
『みんな引き連れてきてかまわないからあたしの部屋へ来て。どうやらあたしにも関わりがあることみたいだから。部屋は最上階のスィートよ。話は通しておくわ』
「飛鈴……」
くるりときびすを返す飛鈴を、慶一郎はあっけにとられて見つめていた。
飛鈴のスイートは、さらにふくれあがった人数を抱え込んでいた。当事者の慶一郎、涼子、宗介、かなめのほか、野次馬として大作、レックス、沙羅、美雪、相変わらず目を覚まさないので放っておけない恭子、おまけに爺二名……姫川雷蔵と毒島天童までやってきたとなれば当然である。ちなみに実は天童の弟子である那智もいたのだが、彼はかわいそうにもお留守番であった。
総勢11名にもなる客を迎え入れた飛鈴は、未だ目を覚まさない恭子を診察した後、軽くツボに鍼を打ってから、控えの部屋に寝かせた。
「緊急事態とはいえ、気を付けなさい。彼女にはショックが強すぎたようで、放って置いたら後遺症が残るところだったわよ。簡単に治療すると同時にゆっくり眠れるツボを刺激しておいたから、明日の朝まで熟睡しているはずよ。もちろんなんの障害も残らないわ」
「感謝する」
宗介はただ黙って頭を下げた。
そしてこの場で改めて事情の説明が行われた。飛鈴も爺’Sも興味深げに話を聞いている。
「大当たりだわ。まさに運命のお導きってやつね」
飛鈴が大きくため息をついた。
「まあここにいる人達はもう身内同然だから特別に教えるけど、一応ほかでは黙っていてね。あ、大作君、あなたのお友達には教えてもいいわ。彼、結構頼りになるし」
「いやあ……」
頭をかきつつ、視線が飛鈴の胸元から離れない大作であった。
「で、その事情だけど、実は、この間あたし達の組織から裏切り者が出たの。あたし達は、その裏切り者にしかるべき処分を与えるために日本に来たのよ」
そして彼女は宗介の方をじっと見た。
「どういう理由だかは分からないんだけど、ある日ふらりと現れた風来坊が、一族から2人の男といくつかの物資を強奪していったわ。男は日本で使われているような人型の戦闘機械を操り、香港の自治軍や共同体からの派遣軍を蹴散らして逃走したわ。手がかりはわずか3つの単語のみ。日本、かなめ、カシムという3つの単語よ。何か心当たり無い?……返事を聞くまでもなさそうね」
飛鈴でなくてもそう思ったであろう。かなめの顔は真っ青になり、手足の末端がかすかに痙攣している。そして宗介もまた血の気が引き、それでいてとぎすまされた日本刀のような、触れるだけで両断されそうな殺気を身にまとわせいてた。
「ガウルン……」
かなめの口から、かすかにその言葉が漏れる。
「あいつめ……地獄から舞い戻ってきたというのか」
宗介の口の中で、ぎりっという奥歯をかみしめる音が響いた。
チュウ(門がまえに虫と書く)国と越国の境目近くにある香港は、隣の澳門(マカオ)と並んで中華共同体圏内で、もっとも特異な都市である。その複雑な由来故か、ほぼ同一世界がどかっと出現している中華共同体内において、まるで日本のようにいくつもの文化圏が入り交じって出現している地であったのだ。全体的な傾向として、半分は中華共同体と同根の世界で、シズマドライブを動力として使う、ごく普通の都市である。だが残り半分はかなり奇怪至極な都市になっていた。かつて悪名高かった九龍島……そこを舞台にした香港映画の世界が現実化したかのようであった。魑魅魍魎が路地裏に潜み、ただ一人の男が武装したギャングをこともなげになぎ倒す。老人が奇怪な文様の札を宙に投げると、札は鳥となって彼の意に従う……中華共同体内に、エキスパートといわれる超常能力者が存在していなければ、とても現実とは思えなかったであろう。そのあまりの特異さに、両国とも香港及び澳門を併合することはあきらめ、特別自治区として認めることになっている。
似たような存在にはアメリカのサウスタウンがあったが、この時点ではその関連が取りざたされることはなかった。
李家も烈家も、そんな香港を束ねる重鎮であった。
それはさておき。
「カシムというのは、俺の昔の名だ。そしてその名とかなめの名を並べて口にする男は、俺の知る限り、たった一人しかいない……ガウルン……けど、やつは確かに俺の目の前で死んだはずだ」
「ソースケ、忘れちゃだめだよ。今の世界じゃ、過去がやってくるなんていうのは、ごく当たり前のことなんだ」
かなめの言葉に、宗介は我に返った。
そこに飛鈴が口を挟んだ。
「思い出にひたるのはいいんだけど、よければその男のことを詳しく教えてくれない? こちらは手がかりが足りなくていろいろと行き詰まってるの。見返りにあなた達の護衛は、我ら烈家が全力を挙げてバックアップするわ」
「あんまりいいたくないが、飛鈴の実家は裏の社会に置いてその名を知られた武闘派の結社だ。実力にかけては折り紙付きと言っていい。結構頼りになるぞ」
慶一郎もそう補足した。
宗介はかなめの方をちらりと見て、飛鈴に向かい頭を下げた。
「こちらからも頼む。やつが出てくるとなると何が起こるか分からん。あいつは己のも他人のも、とにかく命というものをとことん軽視している男だ。俺を殺すために東京に原爆を落とすような真似が平然と出来る男……といえば何となく性格が分かってもらえると思う」
「最低ね」
涼子が嫌悪感もあらわにいった。
そして宗介は、彼との因縁を語り出した。アフガン時代の話は軽く、かなめの護衛を始めた話は、ある程度詳しく。兵器のことなどはあまりいわず、主に人物描写に力を入れた。
それでもかなりヘビーな話であった。気丈な沙羅も蒼白になり、美雪は無意識的に慶一郎にしがみついている。飛鈴もそれを咎めたりしない。逆に爺達は思う存分『狩れる』敵の気配に闘志を燃やし、大作は目を爛々と輝かせていた。宗介は大作を見て、ふと軍事オタクの友人を思い出したりした。
そして涼子は。
爆発寸前の火山になっていた。
「……時空融合より一年、平和な中にも乱ありとは思っていたけど、そこまで外道な『悪』がこの世に存在していたとは、不肖この御剣涼子、今の今まで知らなかったわ」
そしてかなめと宗介の手をがっしりと掴む。
「宗介君、かなめさん、あたしはこの剣に誓ってあなた達を守るわ。そんな悪鬼羅刹、この世に生かしておくことは、天が許してもこの御剣涼子が許さない!」
そういってびっとかかげられた赤樫の木刀は、その一瞬、間違いなく光を発していた。
「あーあ、こりゃもうどうにもならん」
慶一郎がさじを投げる隣で、燃えて輝きまくる涼子の表情を、大作が全力でカメラに収めていた。
かくしてこの夜、対ガウルン戦線が非公式ながら結成された。
「そういうこととなったら」
興奮が一通り収まった後、飛鈴がこの場を仕切るようにいった。
「みんなの身の振り方を考えないとね。何とか部屋を確保するわ。宗介君とかなめさんはそのまま恭子さんの寝ている部屋に入って。御剣さん達は何とか部屋を取るからそちらに。沙羅ちゃんと美雪ちゃんは、元の予定通りお爺さんのところに。レックスさんは別に問題ないわね」
皆はうなずき、行き場の決まらない涼子と大作以外の人物が立ち上がった。
「あ、ちょっと、どこへ行くつもり? 慶一郎」
声をかけられた慶一郎は、硬直しながらも答えた。
「どこって、俺は元々レックスの部屋に泊まる予定だったが」
「何寝ぼけたこといってるの」
飛鈴の追及は厳しかった。
「なんで1年以上離れていた夫婦が再会したのに別々の部屋で寝なきゃならないの?」
その台詞に事情を知らない宗介達は少し驚き、知ってる組では美雪の目が少し寄っていた。
「おまえとは別れたといっただろうが!」
「あなたがそう言ってるだけでしょ」
そう言うと彼女はどこからかパスポートを取り出した。
「ほら、香港ではあたしはまだあなたと結婚していることになっているわ。ついでに日本名も飛島鈴那から南雲鈴那に変えておいたし。後この辺の書類を持って日本の役所と裁判所に行けば、少なくともあたしとあなたは日本でも夫婦と認められるわ」
「そんなもの俺が無効だといったら無効だ!」
思わず声を荒げる慶一郎。と、飛鈴の瞳に、つと一筋の涙が浮かんだ。
「え」
思わず動揺する慶一郎。そこに畳み込むように、寂しげな飛鈴の声が重なった。
「あの日……夕日の中であなたが言ってくれた言葉は嘘だったの……あたしも一年、あなたとは二度と会えないと思いつつ反省したわ。最初の別れ、あたしがあなたと別れたその日を思い出して……確かにあなたを強制連行して香港に縛り付けようとしたのは、あたしが全部悪かった……離婚だっていわれるのも当然よね。だってあなたは風のように自由な人。どんな地位も財産も、そして愛すらもあなたを縛り付けるおもりにはならない。だからせめて、夫婦の絆、という形だけは、あなたに認めてもらいたかったのに……」
「……どういうことだ、飛鈴」
居心地の悪さと、内なる罪悪感と、女性陣の無言の圧力に耐えかねて、慶一郎はおそるおそる聞いた。
「あなたを連れて行ったりはしない……香港に来いとも言わない。残念だけど、あたしも香港を捨てて日本のあなたのところに嫁ぐことは出来ない。けど、こうして日本に来た時ぐらい、あなたの妻としてそばにいたいって言うのは、いけないことなの? それともこの一年の間に、あなたの隣に立つ人が出来たの? もしそうだとしたらあたしはおとなしく身を引くわ。あなたが私と永遠に別れたと思っていたとしても無理のないことだから……」
慶一郎はどんどん自分が追いつめられているのを感じていた。逃げ場のない甘美な罠に、自分がはまりこんでいくような気がする。
「飛鈴……」
慶一郎にはそう言うのが精一杯であった。
と、いきなり飛鈴は慶一郎にぐん、と近づいた。困り当てた顔を、間近に眺める。
「アハハ、もう、慶一郎ったら」
思わずあっけにとられる慶一郎。飛鈴は朗らかに笑いながら言葉を続けた。
「何も今この場で答えろなんて言わないわ。あなたにだってこの一年、いろいろあったでしょうし。返事はゆっくり冷静に考えた後でいいわよ。勝負は正々堂々といきたいし」
一瞬、慶一郎は背筋が寒くなるのを感じていた。ふと気がつくと、宗介が隣で同じような顔をしている。
「けど、久しぶりにじっくりと思い出話をする気もないの、慶一郎は」
その瞬間、慶一郎は背後で扉の鍵が閉まった音を、確かに聞いた。
<アイングラッドの感想>
見事にリアルバウトハイスクールとフルメタルパニックが融合してますねぇ。
裏では何やら犯罪者達が動き始めている様ですし、油断がなりません。
さて、この巴里歓迎祭、如何なる結果になるのか大変に楽しみです。
と、言う訳で皆さん感想文を送って下さい。
リアクションが有ると無いとでは矢理甲斐が全然違いますので。
ではでは。