裏側の勇者達
新世紀2年5月3日 旧憲法記念日。
ちなみに日本連合になっても、憲法をはじめとする法律は旧日本国のものを原則として継承している。祝日なども同様である。ただし、憲法9条の問題などは、「あくまでも憲法第9条は『人類によって統治されている主権国家』を対象としたものであり、それ以外の敵性存在には原則として適応されない」という半ば詭弁とも言える理由をこじつけて野党原理派の追及をかわしている。もちろん将来にわたって9条に限らず憲法その他の改正は行われなければならないことはほぼ国民的合意に達しており、先の野党原理派ですらこの点については反対していない(彼らは改正憲法に9条が継承されるべきだという主張をしている)。現在委員会で審議中だが、例によって今の連合政府ではこの手の委員会は専用のチャンネルで公開されるため、月に一度の委員会はきわめて視聴率が高い。加治首相を中心とした『集団自衛権容認派』と野党の『九条護持派』の対決をはじめとして、見所が多い上生活にも直結するせいであろう。
さらに4月末より発見された全国通信網が暫定とは言え一般公開されたため、かつてのインターネット通信網が一気に復旧を始めている。これによるストリーム中継や録画パックの配信も始まるため、注目度はさらに上がると言われている。
残念ながら光通信端子の設置などが間に合わないため開通したのはまだごく一部だが、くだんの全国通信網はそれこそ採算が取れるかというような山中の寒村にまで届いていたため(実は単なる中継装置設置の必要性からだった。少しでも道の通じている方が経費がかからなかっただけである)、融合以前より遙かに活発化することが予測されている。ただ、アナリストの予測によれば今年の7月までにはほぼ融合前の平均的水準に回復するものの、ここから先はハードよりソフトが問題になるため、何か画期的な統一OSでも出現しない限り、進歩は停滞するだろうと言うことであった。現在のパーソナルコンピューター上で走っているOSは千差万別であり、主流のWindows系にしても融合前のWindowsから融合後の台湾で作られていた窓九十八新世紀版に至るまで無数とも言えるバージョンがある。これに林檎系、LinuxやUNIX、CP/Mや独自仕様OSまで入れた場合、閲覧用のブラウザだけでもとんでもないことになる。通信規格は現在は今までのTCP/IPプロトコルが使われているが、最終的にはIPv6をベースにして、中華共同体やエマーンなどとも協議の上で決定されることになっている。
といった話はさておき、今後の日本の歴史には、この日にもう一つの注釈を付けることになるであろう。
『巴里到着記念日』である。
それはまさに『見物』であった。
お台場の一角に穿たれた巨大な穴。穴の内部には大きな横穴がいくつもあいている。
やがて水平線の彼方から、大きな浮遊物が近づいてくる。
加治首相をはじめとする歓迎委員たちの間からも、おお、というどよめきが漏れた。
やがてそれはぐんぐん大きくなり、彼らの頭上に影を落とし始めた。もはや目の中には、ほとんどむき出しの岩盤しか目に入らない。やがてそれはしずしずと降下を始め、穴の中にぴたりと収まった。
うおぉぉぉという歓声が周り中の野次馬達の間から上がる。中継のリポーターも声を大にしてこの様子を伝えていた。
やがて巴里の街の中から、数名の人物が現れた。
青い衣装が目に映える美少女。中年のふくよかさを讃えた貴婦人、エマーン独自のつなぎ風衣装を身につけたエンジニア達……。
やがて中年の貴婦人が、皆を代表するように一歩前へ進み出た。
日本側の代表団も一歩前へ出る。
ブラスバンドが、歓迎の曲を奏で始めた。
婦人はその場で優雅に一礼すると、挨拶の言葉を述べた。
「日本の方々、このたびは我々巴里市民の受け入れ、ありがとうございました。特にこの地は、場所は違えど同じ世界を元とする同朋もいるとのこと。私、イザベラ・ライラック、巴里市民一同に成り代わりましてお礼を申し上げます」
「ようこそ、日本連合国へ。同じ世界を持つ縁にて、私加治隆介は、日本の代表として、みなさまを歓迎いたします」
がっしりと握手する二人。飛び交うフラッシュ。
セレモニーの幕が、今上がった。
到着はしたものの、このままでは街としての機能が成り立たない。そのため日本側では、到着と同時に、この地区の住民約二千名を、そのまま一泊二日の東京見学ツアーに招待することになっていた。帝都区と同時代から来た人々に現代日本を知ってもらうことと、この二日のうちに、巴里市内の水道をはじめとする生活インフラを整備するためである。ほか、ここまで巴里を持ってきた慣性制御装置の取り外し工事もある。これはエマーンでも機密に属することだから、当然工事はすべてエマーン人技術者の手で行われる。
巴里が降着した場所にあいていた横穴は、すべてこのための作業孔である。
実は一つだけ例外もあったのだが、それは後に語られる。
話を元に戻そう。
いくつかの儀礼式典の後、野次馬達の中を巴里の市民二千名はそれぞれが五十台以上にもなるはとバスに分乗していった。巴里市民達にしても、高層建築や変わった服装の人々をみて興奮している。
そしてバスが発進していくと、巴里市の周りに瞬く間にバリケードが築かれていった。このために招集された機動隊員ががっちりと周囲を固める。
マスコミ諸氏は悔しがったが、泣く泣く引き下がった。忍び込んだカメラマンの一人など、その場で現行犯逮捕されていたほどだ。
だがこの異様に厳重な警備の裏に気がついた関係者は、残念ながらというか幸いというか、存在していなかった。
バスはまず元の世界に近い帝都区を回り、その後東京の各地を回る予定である。
そのうちの一カ所、まず最初に到着したのが銀座は大帝国劇場である。
ここもまたマスコミや野次馬(帝都区市民)が殺到し、警官や機動隊が出動する有様になっていた。
そんな中、帝撃玄関前には、帝劇のスター一同が整列していた。やがてはとバスが帝劇の駐車場にぞろぞろ入車していく中(注:はとバスは数少ない帝都区内を走れる車である。また、帝劇観劇ツアーのためのバス駐車場も整備されていた)、一台のバスだけが駐車場ではなく、正門前に停止した。
そのバスから一組の男女が降りてきたとき、玄関前で待っていた少女は、我慢できずに駆けだしていた。
瞳に涙を浮かべつつ。
そして彼女が女性に抱きかかえられたとき、周り中から物凄い拍手が鳴り響いた。
イリス=シャトーブリアン。通称アイリス。
二度と会えないと思っていた両親との再会であった。
「よかったね、アイリス……」
真宮寺さくらの目にも、涙が浮かんでいた。
「こんな事もあるものなのだな……」
マリア・タチバナも感慨深そうに語る。
「さあ、私たちはこれからが本番だぞ。今夜と明日の歓迎公演、そして……」
「巴里華撃団との対面、ですわね」
神崎すみれも、何かを決意するように言った。
さて、一方お台場・有明では。
『巴里歓迎・お台場フェスティバル』が、いよいよその幕を開けていた。
といっても今日は前夜祭。本番はあさっての巴里市公開である。ただ、元々巴里市はあくまでも人の生活する場である。しばらくの間には周辺に緩衝地帯をもうけ、人の興味が落ち着くまでの間は残念ながら入場制限がなされることになっている。
ちなみに5日の初回公開入場整理券はすでに完売、ダフ屋が暗躍するようになっていた。
特設お台場アリーナでは第二回UVT格闘大会の予選が始まっており、前回以上に集まった観客と出場者達に声援が送られている。前回のあまりの衝撃故に、何となくであるがこの大会は格闘大会の頂点、同人誌即売会におけるコミケットのような評価を受けていた。それ故に各種の格闘団体も今回は本気になった。ありとあらゆる団体・流派が、一門の威信をかけて参加者を送り込んできたのである。
そのため大会は予選の段階から空前の盛り上がりを見せていた。また番狂わせが多いのもこの大会の特徴である。ただの少女や枯れた老人が時に恐ろしい力をふるったりする。
先ほどの試合でも肌もあらわな巨乳美女が屈強なレスラーを血の海に沈めていた。決まり手が太股で挟んで投げる変形の首投げだったために別の血の海ではないかという意見が出たのはご愛敬であったが。
「にっぽんいち〜〜」
高らかに笑う美女の意外な強さに、観客も大喜びであった。
そんな観客の中に、南雲慶一郎をはじめとする一行の姿もあった。
「おっ、次がジジィの番か」
プログラムを見つつそう言うのはネイティブの金髪もまぶしい姫川沙羅。彼女の祖父の姫川雷蔵がこの大会に参加したため、参加者宿舎として会場近くの一流ホテルが提供された。彼女はちゃっかりそれに便乗し、親友の鬼塚美雪を引き込んでのお祭り観戦となったのである。ちなみに今ここには彼女のほかに親友の美雪、お目付役の慶一郎、後一緒に観戦に来た神谷大作と御剣涼子もいる。
「けどお師匠様も出たそうだったな〜」
「仕方ないじゃん。この大会は武器使えないんだし」
涼子の愚痴に沙羅があいずちを打つ。涼子の師匠、鬼塚鉄斎が伝える飛天流剣術は戦場往来の流れをくむ古流剣術であるから、当然組み討ちの技も伝わっており、その辺の武道家に負けるようなことはない。
だがさすがに組み討ち専門の姫川雷蔵や毒島天童が出場しているとなると話は別であった。さしもの鉄斎も無手ではこの二人にかなわない。そして鉄斎は負けると分かっている試合に出場するほど無謀でもない。
やがて試合会場に次の対戦者が現れた。一人は老いてなおふてぶてしいという形容の似合う姫川雷蔵、相手は身長百九十はありそうな大柄の空手家であった。
試合は開始後三十秒、投げ一発で空手家が比喩ではなく地面に頭をめり込ませて終わった。
「準備運動にもならんな」
試合終了後、雷蔵はつまらなそうに言った。
「ま、順当に行けば次は天童だからな。久々に楽しめるだろ」
だがさしもの彼にも想像の埒外と言うことはあった。
次の試合はまた知り合いの出場する試合であった。
「次は毒島さんと前回の準優勝者か。これでこの大会のレベルが想像つくな」
慶一郎も興味深げに会場を見つめる。
会場の歓声が一段と大きくなった。
骨法道場神武館館長、毒島天童。鬼塚鉄斎、姫川雷蔵と並ぶ、『人間凶器爺トリオ』の一員である。当然その強さも容赦のなさも半端ではない。慶一郎ですら、『神威の拳』抜きでは絶対立ち合いたくない相手といえる。
対する相手は前回準優勝、エクストリームという新興の総合格闘技の使い手、来栖川綾香である。何しろこの大会、過去にこだわらないと言うか、前回優勝だろうが準優勝だろうが、優待特典は全くない。全員横一線のスタートである。そのため予選の初日からこのようなカードを見ることが出来る。
「ね、どっちが勝つと思う?」
大作が何とはなしにみんなに聞いた。身内の強さは十分に知っているだけに、外部のこういう強者との対戦は絶えて久しかったのだ。
「そりゃ毒島さんでしょ」
これは涼子。
「あたしも当然。何せあのジジィのライバルだぜ。前回準優勝かなんだか知んないけど、あんな小娘に負けるかよ」
沙羅も同意する。
「先生は?」
「うーん、たぶん毒島さんだと思うが……」
慶一郎の言葉は妙に歯切れが悪かった。
「???」
訝しがる大作に慶一郎は言葉を続けた。
「あの来栖川綾香という女性、どうもただ者じゃないような気がする。単なる勘なんだがな」
そしてそれに続くように、美雪が言った。
「……女の人が勝つと思う」
みんなの視線が一斉に美雪に集まった。
どうして、という声が出る前に、試合が始まった。
その瞬間、沙羅と涼子、そして慶一郎は気づいた。
毒島天童が、全身の気を張りつめていた。掛け値なしの本気である。
対する綾香はごく自然に動いた。先に手を出したのは綾香である。鋭いジャブ一閃。
同時に綾香の足がきれいな弧を描いて高くさし上げられた。そこから奈落へ落ちるかのようなかかと落としが炸裂。
開始後五秒で毒島天童は為す術もなくマットに沈んだ。
「うそ……」
涼子が心底驚いた声を上げた。
「先生、これはいったい……」
大作も目がまん丸である。
慶一郎も思わずうなっていた。
「ありゃあ雷蔵先生でも下手すれば同じだぞ。なんて恐ろしいジャブを打つんだ、あの娘……」
「ジャブ、ですか?」
意外そうに大作が聞く。慶一郎は一つうなずくと言った。
「ジャブのスピードが実は人間が目で見ても間に合わないって言うのは知っているだろ? だから達人といえる人達は相手の動きからジャブの予兆を見極め、予想することによって回避する訳だが、あの娘のジャブは早すぎる。予測しても間に合わない。威力はたいしてないが、とてつもなく速く、正確だ。最初の一撃で、正確に眉間の急所を打ち抜いている。いくら先生でも、あそこを打たれたら0.1秒は隙が出来る。その一瞬にどすん、だ。回避不能に近い、悪魔のコンビネーションだな。この大会、予想以上にレベルが高いぞ」
一同、まさに開いた口がふさがらなかった。
「本気でとんでもない大会だったんですね……」
大作がしみじみとそう言った。その脳裏に、ちょっとした疑問が浮き上がった。
「じゃ、先生、今のところ先生が一番強いと感じているのは誰ですか?」
「あれかな」
慶一郎はある点を指さした。その先を見て、大作はまたもや首をひねることになった。
彼の指先は、5列ほど前の学生を指さしていた。ツインテールおさげの女の子とロングヘアの女の子に挟まれた、ざんばら髪の男だ。見たところ自分たちと同年代に見える。
「……なんで観客なんです?」
「試合を見てても気になってな」
慶一郎は苦笑いを浮かべていった。
「試合がどんなに盛り上がってもあの少年、周囲に対する警戒を怠っていない。ありゃ超一流のプロじゃなきゃ出来ないぞ。以前いた外人部隊の隊長クラス……いや、それ以上かもしれん。格闘戦はともかく、殺し合いになったら俺でも危ない」
「はあ? 殺し合い、ですか?」
ますます大作は首をひねることになった。
「なんで殺し合いなんですか?」
「少なくとも彼は3つ以上の銃器で武装している。武装している以上、戦ったら即殺し合いだ。喧嘩にゃならん。ま、あの身に付き方からして、そこいらへんのちんぴらじゃなく、きちんとした訓練を積んでいるな。実戦経験も豊富そうだ」
大作は己が聞いてはいけないことを聞いてしまったことを、しみじみと実感していた。
その後も試合は順調に消化され、予選一日目は無事終了した。初戦で不覚を取った毒島天童も敗者復活戦で勝ち上がり、何とか予選二日目に挑めることになった。もちろん雷蔵も残っている。ほかの知り合いではレックス・ディザスターマンが今度は不覚を取ることなく無事予選を突破している。
「ああ面白かった。確かに想像以上にレベル高かったわね」
「この調子ならナギーの出るっていう3日目の試合も相当面白そうだね」
「そちらは『とんでもない』戦いになると思うよ」
慶一郎達は何とはなしに付近を散策していた。この後自宅に帰る予定なのは涼子と大作の二人だけである。美雪と沙羅は雷蔵のホテルへ、そして慶一郎もレックスに招待されていた。
「セコンドとは言わないが、せめて調整につきあってくれ」と頼まれていたからである。
慶一郎はその話を受けた。別段危険なことはないだろうし、同じホテルに泊まれるだけでも違う。なんと言ってもそのホテルは大会参加者だけでほぼ部屋の半数が埋まっており、フェスティバル人気と相まって、一般の客が部屋を取ることはほぼ絶望的だったからである。
そうはいってもまだ宵の口には時間があったので、みんなは付近を散策することにしたのである。元々いくつかの固定スポットを除いてあまり店のない有明・お台場地区であるが、今は至る所に露天が出ている。翌日は一大フリーマーケットも開催されるとあってか、一部では徹夜組も出ているようだ。
光り輝く眺めに何となく和んでいた一同の間に、急に緊張が走った。
慶一郎と涼子、そして沙羅が目を合わす。
「沙羅ちゃん、美雪ちゃんと大作を連れてすぐホテルへ行ってくれ」
「OK、Sir」
きれいな英語発音で沙羅がうなずく。返事もろくに聞かずに、慶一郎と涼子は並んで走り出した。
「な、なんです?」
あっけにとられる大作に沙羅が言った。
「遠くでかすかにだけどGun shootの音がした」
沙羅はアメリカからの帰国子女だ。日本人より遙かに銃になじんでいる。
「それじゃ」
涼子を追っかけようとする大作を沙羅は止めた。
「いくな。ナグモも来るなっていったろ。ナギーと一緒ならともかく、ダイサクをそういうところにはいかせられない」
渋々とであったが、大作は折れた。美雪ちゃんをガードしつつ、ホテルへと向かう。
後ろ髪を引かれまくっていたが、何とか我慢する大作であった。
「あー大満足」
一方こちらは宗介・かなめ・恭子の高校フリーターズである。彼らもまた十分に満足した後、スタジアムを出て有明の街を散策していた。
「凄かったね〜カナちゃん」
「ホント。迫力満点だったし、かなり高度な技の応酬もあったし、前回優勝した神月かりんさんも来栖川綾香さんも相変わらず激強だったし」
「肯定だ。今日の試合の中で特に強いと思えたのは、レックス・ディザスターマン、不知火舞、姫川雷蔵、毒島天童、神月かりん、来栖川綾香、松原葵、武神凱あたりか」
そのときかなめは、宗介がまだ何か隠していることに気がついた。
「……なんかまだ言いたいことあるの?」
「肯定だ」
水を向けると、簡単に誘いに乗ってきた。
「もう一人、とてつもなく強い人物がいた」
「誰?」
かなめは違和感を感じながらそう聞いた。そう言い方をするということは……
「名前は分からない。姿も見なかった。体勢を変えて視認すること自体が大きな隙になるような相手だった。約3メートルほど後方にいた人物だ」
「……それって、観客席の?」
恭子も首をひねる。
「確かその辺に、そういえば軍人さんみたいなズボンはいた、やたらおっきい人が座ってたけど」
「たぶんその人物だろう」
宗介もうなずいた。
「おそらく軍隊経験……それも実戦経験のある人物だ。周囲にもう一人二人、部下がいたかもしれん。本人ほどではないが、なかなかの力量の戦士が一人と、おそらくはかなり腕利きの偵察兵……不思議と気配の希薄な人物がいた。残念ながらこちらは確定していないが」
「その人の周りは、中学生ぐらいの女の子と高校生くらいの女の子しかいなかったよ」
哀れ大作、女の子に間違われていた。
「だとすると特殊工作員かゲリラかもしれないな。女性の兵士は相手にするとしぶとい上に危険だ。姿を確認しておくべきだったか」
「そのぐらいにしておきなさい」
このままいくとまた宗介が騒ぎを起こす、そう直感したかなめは、宗介をたしなめた。
だがすでに事件はやってきていた。
宗介の方を振り向いていたかなめの体が、何か柔らかいものにどすんとぶつかった。
「あ、もうしわけ……げっ」
人にぶつかった、と思ってとっさに言ったお詫びの言葉が、途中で見事に止まってしまった。
かなめがぶつかったのは、10人前後で往来いっぱいに広がって歩いていた、気合いの入ったチーマーの兄ちゃん達だったのである。それも鼻ピアスやらプリントタトゥやらを無茶苦茶に付けた、かなりキレた一団であった。
カモ、とまではいかないものの、早速あんちゃん達は因縁を付けてきた。
「ようよう、そういうお詫びはないんじゃないの?」
「もっとちゃんと謝って欲しいもんだな」
「ちょ〜っとつきあってくんない?」
口々にそんなことを言う。
かなめは猛然と怒りが沸いてきた。元々彼女はこういうのは大嫌いな方である。だがいきり立つ彼女をなぜか宗介が押しとどめた。
「了解した。非はこちらにあるようだ。とりあえず和平交渉のためつきあおう」
チーマー達は一瞬唖然としたものの、つきあう、というところだけは理解したのか、彼らを人気のない一角へと誘導した。全員がきっちりと3人の周りを包囲する型を取っている。
(ちょっと、なんでいいなりになったのよ)
かなめはそっと宗介に耳打ちした。
(人数が多すぎる。俺単独、もしくは千鳥と二人なら安全に逃げ切れたが、常磐も一緒となると、特に常磐が逃げ遅れる可能性が高かった)
(だからってついていったらもっと状況が悪くなるじゃないの)
(いや、人目がなくなれば用意してある装備が使用可能になる。電気銃2丁とスタングレネード一つしか持ってこれなかったが、武器が使用できるとなれば十分撃退可能だ)
宗介の判断を聞いて、かなめも一応納得した。恭子を単身こんなやつの中に残すのはあまりにも危ない。
(あきれた……でも実弾を持ってこなかったのはよしとするか)
(残念ながら会場の警備が厳しすぎたので拳銃その他の装備は駅のロッカーの中だ)
かなめはぶん殴りたくなるのを必死でこらえた。そうこうしているうちに、チーマー達はかなめ達を目的の場所まで誘導したらしかった。
「オラ、ここをくぐれ」
彼らが宗介達を連れ込んだのは、高層ビルの建築現場であった。フェスティバルのため一時的に工事が休止されている。そのため常時人がいるはずの現場には誰もいなかった。
「じゃ、お礼をしてもらおうか」
チーマーは改めてかなめ達にそういった。
「どんな礼だ」
宗介はかなめと恭子をかばいながら、取りあえずそう言った。もちろん二丁の電気銃は即座に抜けるようになっている。
そしてチーマーは懐に手を突っ込みながら言った。
「おまえ達は俺たちに精神的苦痛を与えた……判決は、死刑だ」
同時に懐の中から、黒光りする拳銃が姿を現した。
(!)
かなめの脳裏に閃光が走った。
次の瞬間、3つの銃声が瞬時に谺した。一つは目の前のチーマーから、残る二つは魔法のように現れた宗介の手の中の電気銃から。電気銃から発射された高電圧端子は一つは銃を抜いたチーマーの手に……そしてもう一発は恭子の首筋に命中していた。
「ソースケ!」
絶叫するかなめ。だが宗介はその叫びをきれいに無視した。崩れ落ちるチーマーの手から拳銃を奪い取ると、ごろりと転がって気絶した恭子の元にたどり着く。彼女を抱えると同時に建設途中のビルの影に駆け込んだ。
「来い、千鳥!」
一声叫ぶと同時に銃声が響く。かなめは反射的に宗介の元に駆け寄った。背後からも銃声がする。影に駆け込むと同時にかなめは宗介の耳元で怒鳴った。つかみかからなかったのは最低限の理性が働いたせいだろう。
「どういうことよ! 恭子を撃つなんて」
「非常事態だった」
悪びれる様子もなく宗介は言った。その間にも一発撃っている。
「銃を持っているのはあの男だけではなかった。そうなると最悪殺し合いになる。そんなところを常磐に見せるつもりか?」
かなめはあわてて首を振った。さすがに一瞬で理解できた。恭子を気絶させたのは、彼女を『こっち側』に巻き込まないためだと。
「で、いけそう?」
「千鳥……君には見たくないものを見せることになるかもしれない。AS同士の戦闘より、ショックの大きいものだ。すまん」
「無理はしないでね」
かなめにはそう言うのが精一杯であった。
「せめて後一人同志がいれば突破も可能なのだが……しばらくここを動くな。頭を低くしていろ」
やがて宗介は銃を構えると、作りかけの壁の影から走り出した。そこに銃弾が殺到する。だがそれをかいくぐった宗介は手近な一人の手を撃つと、その手から落ちた拳銃を拾い上げた。
(合わせて残り7発……ラスト1はいらないが、少し厳しいか)
宗介は悟っていた。この男達が単なるちんぴらではないことを。初歩的なものであるが、経験者から手ほどきを受けている。彼らは下っ端といえ、れっきとしたゲリラ兵士であった。素人相手なら10対1でも何とかなったが、セミプロとなるとそうもいかない。
かなめの位置を確保しつつ応戦し、さらに2人を戦闘不能に追い込んだが、ここで弾が残り1発になってしまった。残念ながらもう一丁銃を確保する隙はもはや相手にはない。
「ソースケ……」
「よけいなことを考えるな」
背後から響くかなるの弱気な声に、かなめがよからぬこと……自分を犠牲にする……を考えたことを察知した宗介は、語気強くそれを止めた。襲撃者が素人でないことに彼女も気がついたのであろう。
このままではいけないと、宗介が意志を振り絞ったときだった。外からさらに2つ、殺気が迫ってくるのを感じた。
(いかん、敵の援軍か……このままでは押し切られる)
宗介は最後の切り札であるスタングレネードを使うべきか考えた。これを使えば約6秒間敵を完全に無力化できるが、宗介の脳内戦術コンピューターは、常磐と千鳥を引き連れて脱出できる可能性を20%程度と踏んでいた。
だが殺気はすぐそこに迫っている。宗介は切り札にそっと手を伸ばした。敵に悟られたら効果は著しく減少する。
だがその手がぴたりと止まった。
スパアーン!
気持ちよく鳴り響いた音が、敵の一人を戦闘不能に追い込んでいた。
「くぉらぁっ! 実弾使ってサバゲーするバカがどこにいる!」
疾風の如く現れた女性は、手にした赤樫の木刀で、あっという間に対応の遅れたチーマーを三人、叩き伏せていた。残りは2人。
宗介にもためらう必要はなかった。最後の一発で瞬時に一人を無力化する。残った一人はくるりときびすを返して逃げ出した。追うには自分も女性にも位置が悪い。しかも自分には守る人物がいる。目の前の女性も純粋な味方とは限らない。
残念だが見逃すしかなかった。
と、そのとき、激しい殺気を感じて宗介は身を躍らせた。さっきまで宗介のいた位置に鋭い一撃がかすめていく。
女性の一撃であった。
「そこの君! とっとと銃を捨てろ! 実弾で遊ぶな!」
宗介は少し混乱した。さっきの一撃は、紛れもなく『殺す気でふるわれた』一撃であった。宗介の回避が遅れれば、脳天がザクロのように陥没するか、よくても腕の一本は持って行かれているところであった。その割に彼女の台詞はこちらを無力化するか、もしくは戦闘中止を呼びかけるものである。殺そうとしながら投降せよとは、どういうことなのだろうか。
迷いつつも宗介は取りあえず銃を捨てた。元々弾は入っていない。
すると目の前の女性から少し殺気が引いた。それでも油断なく木刀を構えたまま、こちらに近づいてくる。
「何をしてたの? 銃まで持ち出して抗争するとなると、ただごとじゃないでしょ」
宗介は返答に困った。かなめのことは機密だ。関係のない一般人に話すことは出来ない。
(だが、彼女……本当に一般人か?)
そんな疑念がちらりと頭をかすめる。腕、度胸、どちらも唯人の範疇を越えている。何より彼女には『人を殺せる気迫』があった。これは通り一遍の武術を修業した程度では身に付かない。よほど特殊な武芸か、命がけの修羅場をくぐり抜けねば身に付かないものだ。
(サムライ……まさかな。あれはアメリカあたりの誤解から生じたものだ)
宗介はクルツより劣る程度にしか日本を知らなかったが、それでも今の世の中に武士がいないと知っている程度の常識はある。だが目の前の木刀を構えた人物について思いを巡らせていくと、なぜかそこに落ち着いてしまう。
そんな彼の逡巡を咎めるように、女性は一歩前へ踏み出してきた。
宗介は隠れているかなめに、後ろ手で『隠れていろ』と合図を送った。かなめが見ているかどうかは分からなかったが、頭のよい彼女のことだ。すぐに理解してくれるだろうと宗介は考えた。
きりきりと張りつめた空気が2人の間に結ばれる。
空気が重くなってきていた。
一方、対峙している女性……御剣涼子も、相手の放つただならぬ『気』に、押すも引くもならぬ自分を感じていた。
(この男……何者? この馬鹿達とマジで銃撃戦してたみたいだけど)
悪いやつではなさそうだ、とは分かっていた。具体的なものではないが、彼から発せられる気配には、彼女が不快に感じる『濁り』がない。叩きのめしたチンピラや、彼女が嫌う根性曲がりの腐れバイパーから漂ってくるいやな『臭い』を感じないのだ。
だがそれにしてはあまりにも『物騒』すぎた。まるで怒っている慶一郎を目の前にしているようだ、と遅ればせながら涼子は理解した。きっと彼は『自らの内なる正義』に忠実な人間なのだろう……自分や慶一郎、そして静馬のように。自分以外の人間が勝手に決めた『常識』や『ルール』にとらわれていない人間。自分と同種の存在。
そこに思い至ったとき、涼子は己のなすべき道を悟った。
(彼の持つ『正義』を見定める……それが認められるものかどうか)
認められるものなら、自分たちにとって彼はかけがえのない『友』となるだろう。だがもしそうでなければ……なまじ純粋な分、手加減できぬ『敵』になる。どんな言葉を持ってしても妥協できない『敵』に。
だから涼子は問うた。
じりっ、と一歩間合いを詰め、思いを言葉にのせた。
「あなたは……なんのために戦ったの?」
「あなたは……なんのために戦ったの?」
唐突にそう問いかけられて、宗介の頭の中は一瞬空白になった。すぐに正気に返ったが、もし目の前の彼女に敵意があったなら、すでに自分は絶命していたはずだということまで分かってしまった。
同時にその言葉に、何か自分に計り知れないものがのせられていることも。
千鳥を守るためだ、というのは簡単だった。だが、そう簡単に答えていい問題ではないことも、今の宗介は悟っていた。融合前のあのときの思い。命令に、指令に逆らってでも自分の思いを押し通したあのときの、思い。一年の猶予は、その思いを宗介の中にしっかりと焼き付けていた。一年の間味わった、平和の味。そしてそれを一瞬にして奪い取った、陣代高校爆破事件。
あのとき宗介は、いいようのない怒りを覚えた。それはそのときまで感じたことのない、未知の怒りであった。それが目の前の女性の言葉を触媒にして、一気に結晶化した。
(うさんくさいんだよ……ミスリルってのは)
ガウルンの吐いた、そして自分を捕らえかけたあの呪いが、この結晶の輝きによって一気に焼き滅ぼされたような気がした。
(そうか……だからミスリルは結成されたのか)
今こそ宗介は、ミスリルの持つ理念が、矛盾しつつも己の手を血に染める理由が納得できた。
そしてテッサがあれだけの重圧に耐えられる理由も。
だから宗介は言った。臆することなく、胸を張って。
「守るためだ。それが、俺の選んだ使命だからだ」
そしてその様子をこっそり覗いていたかなめも、何かが宗介の中で変わったのを感じていた。
残念ながらそれがなんだかは分からなかったが。
そして宗介に対峙していた女性も、ふっと緊張の糸を解き放った。
そして凛とした、彼女にふさわしい口調で語る。
「……悪い人じゃなさそうね。あたしは御剣涼子。あなたは?」
「相良、宗介だ」
2人の間に、目に見えぬ『絆』が繋がった。
男は逃げていた。あんな援軍の存在は計算外だ。だが外に一歩出た瞬間、いきなり頭に衝撃を受けた。
「仲間を見捨てるのはよくないな」
見上げるような大男が立っていた。
「ただのチンピラにしては動きがよすぎる……その動きは、兵士のものだ。おまえ達、何者だ? 素直に吐いた方がいいぞ」
男……南雲慶一郎の脅しに、男の脆弱な魂はあっさり砕けた。
だが、その言葉か慶一郎に伝わることはなかった。
慶一郎が身を翻すと同時に、男の頭が砕け散った。慶一郎の視線がある一点に向く。
はるか遠方に、狙撃銃を持った男と、遠目にも何となく分かる『嫌な』笑いを浮かべた男がいる。
残念ながら距離がありすぎた。実際、あっという間に男達は慶一郎の視界から姿を消した。
「御剣を先行させたのは正解だったか……」
シートで覆われた建築現場を見上げながら、慶一郎は中へ向かった。
これ以上この場にいたら警察のやっかいになってしまう。
涼子達を引き上げさせなければならなかった。