大帝国劇場一階の食堂に、花組一同(紅蘭を除く)が集結していた。
素手で降魔をぶちのめしたという民間人を見に来た、というところだが、単純に物珍しかったから、とも言える。
何しろ花組は平時にも芝居の練習や訓練があるため、ほとんど自由時間がない。たまの休みもほとんど銀座内部か上野、浅草あたりまで……帝都区から出ずに過ごしている。いつ緊急の出動が掛かるか分からないのと、まだ未来世界のペースについていけないためであった。何しろ信号機さえろくにない帝都で暮らしてきた彼女たちである。区外の基本常識を理解するまでは、ある意味恐ろしくて出て行けなかったのだ。ただ紅蘭だけが例外で、さすがに区外には行かないものの、帝都区内で唯一未来の町並みが出現している秋葉原の常連になっていた。
ちなみにこの秋葉原、融合直後はすべてのライフラインが切れたために、ほとんどゴーストタウンと化していた。昼間、物珍しさから見学に来る人はいたものの、帝都区のど真ん中という位置が幸いし、店舗内の商品が略奪されるということもなかった。電気もろくに来ていない帝都の人には、電化製品はただの置物だったのである。
それでも7月頃に電気と水道が使えるようになると、秋葉原は息を吹き返した。夜は暗いのが普通の帝都に、不夜城のような明るい街が出現したのである。流通が完全に復帰していなかったためもとどおりとは言い難かったが、大型店舗から順次営業が再開されていった。そしてそれは、電気になじみの薄い帝都の人にそれを認知させる格好の場となったのである。
秋葉原は、帝都の人にとっての新しい観光名所となったのだ。
このころの帝都は、緊急車両・公用車・許可車を除き、昼は完全車両進入禁止(帝都区内部のものを除く)、夜間も納品などの業務用車両以外は進入禁止であった。そのため現代文明の常識を知らなかった帝都の人に、交通事故などを心配せずにそれを教えられる場となっていたのである。
帝都区内の人にとって、洋装で秋葉原の街を闊歩し、区外の人に混じってちょっと変わったものを食べたり(ハンバーガーとか)、様々な電気製品を眺めたり、「テレビゲェム」で遊んだりするのは、最高にハイカラなことであった。本当に進歩的な人は電車に乗って新宿や渋谷に出たが、さすがに文化的落差が激しく、なじめない人も多かったのだ。そんな人でも秋葉原ではそれほど疲れなかったという。
時がたつにつれ、これも解消していくのだが、人間、そう急に変われるものではないということであろう。
そんなわけであるから、花組の面々にとっても、お客さん以外の区外の人とじかに接する機会はほとんど無かったのである。過去あったのは花見の時と外部との協力作戦の時くらいであった。しかも、花見の時は区外からの花見客に混じっていただけであり、協力作戦の時は帝国華撃団としてだったので、直接顔を合わせていたわけではない。すみれだけはパーティなどで区外の人物と顔を合わす機会も多かったが、それも財界人などに限られ、あまり意味がなかった。
そういう意味で美神たちは、帝撃内に踏み込んできた初めての区外人となったのである。しかも相手は自分たちと同じ霊力をもち、さらに正体も知っている。つまりいっさい隠し事はいらない。
これは彼女たちにとっても初めての体験であった。
「そんな凄い戦いを……そんなところもある意味私たちに似ているんですね」
美神さんやおキヌちゃんから、彼女たちの今までの話を聞いて、さくらは心底から感嘆の声を上げていた。
「ほんと、世が世ならあんたはあたいたちの同僚になってたかもな」
カンナがそういえば、
「たーしかに、ミス・令子からはー、ものすごーい霊力を感じマース」
織姫も言葉を返す。
「帝国歌劇団・花組か……ほんとにそうなってたかもね……」
美神さんもいつの間にかすっかりうち解けて、そんなつぶやきを漏らしていた。考えてみれば美神さんもまだ二十歳、しかも同年代・同性の友人には六道冥子や小笠原エミといった、あまりにも疲れるメンツばかりがそろっている。こういう、学生時代みたいな気軽な話のできる女友達と出会ったのは、本当に久方ぶりのことであった。
「昼は舞台に立ち、夜には帝都の平和を守る……ちょっとあこがれちゃうかも」
「何言ってんスか。朝が弱くてものぐさで出向で公務員やったらストレスで寝込んだ美神さんに水面下で努力のいる女優なんかつとまりっこないっス」
床下のあたりから容赦のない突っ込みが入る。ここに案内されて待つように言われたあと、やってきた花組の女優たちを見ていきなり、「お嬢さん、ぼかぁー!」をかました横島は、そのまま情け容赦なく美神さんにボコボコにされてそのまま転がされていた。
ちなみに突っ込みの報酬は手痛い蹴りであった。
「大丈夫? お兄ちゃん」
金髪の美少女……アイリスが心配そうに横島をのぞき込んでいる。
「大丈夫よ。こう見えても」
平然と言い放つ美神さん。
さすがに横島も悲しくなったのか、涙を流しつつ呟いた。
「つれないお言葉……アイリスちゃんは優しいなぁ……」
「え……え……え!?」
横島の言葉を聞いたアイリスは、なぜか急に顔に血が集まるのを感じていた。白い顔がたちまち真っ赤に染まる。
「あら、珍しいわねアイリス」
その様子にすみれがちょっと感心したような声を上げる。
(どうしたんですか?)
普段あまり見ない表情を浮かべているすみれに、サクラが小声で聞いた。
(いえ、ほら、アイリスが真っ赤っか)
(あら、ほんと)
(考えてみれば、アイリスがこういう若い男の人と話したのって、ほとんど初めてじゃない?)
(そういえば……)
(ここには少尉以外に、若い男の人はいませんし)
(確かに。でもなぜあんなふしだらな人に……)
「いや、あいつ見た目によらず出来るぜ」
二人の密談に、カンナが首を突っ込んできた。
「?」
「どういうことですの?」
サクラとすみれが不思議そうにカンナに聞く。カンナは直接それに答えず、ちらりとマリアの方に視線を走らせた。
「マリアなら分かるだろう?」
「ああ」
マリアは、小さくうなずいた。
「?」
「??」
二人にはますます訳が分からなかった。
「ま、化け物相手にしか荒事をしてないさくらと、お嬢様のすみれにはちょいと難しいかもな」
「カンナ! それはどういう意味ですの!」
「熊や牛と死合ったことはあるか? マリアも昔、人間同士の殺し合いを経験している。そういう人間にしかわかんねぇ『気』が取り巻いてんだよ、あいつには」
「それって……」
そうすみれが言おうとしたとき、レニの引きつった声が、みんなを制した。
「いけない……アイリスの霊力が急激に高まってる。感情が混乱して、暴走してるんだ」
「「「「「!!」」」」」
みんなの視線がアイリスに集まる。アイリスは真っ赤になったのを通り過ぎて、小刻みにふるえていた。
「えと、あの、その、あの、その……」
押さえきれないどきどきがアイリスのなかに渦巻いていた。内側から強力にわき上がってくる何かが、だんだん押さえきれなくなってくる。
彼女の周囲にちいさな稲妻が飛び散りはじめた。
「どうしたの!」
異変に気がついた美神さんがすかさず立ち上がる。
「アイリスの霊力が暴走し掛かってるの! 早くこの場を」
離れて、言うつもりだったさくらの言葉は、美神の言葉に遮られた。
「横島君! 文珠は!」
「何とか一つ!」
信じられないことに、さっきまでどつかれてたのが嘘のようなしっかりした声で、横島が答える。
起きあがる彼の手のひらの中に、強力な霊気が凝集していた。
「押さえられる?」
「できそうですけど、いい字が……」
あっけにとられている花組の面々。その脇から、おキヌちゃんが声をかけた。
「横島さん、『鎮める』です! 金偏に、真実の真!」
ちらりとおキヌの方を見てうなずく横島。
それと同時に、彼の手のひらの中に、小さな珠が生まれた。どういう仕組みなのか、珠の中に文字が浮かんでいる。
『鎮』の文字であった。
「早く!」
美神さんの声に、横島は素早く反応した。爆発寸前のアイリスに、手の中の珠を投げつける。
それがアイリスの霊力場に接触すると同時に、霧のようにはじけた。
「嘘……」
「そんな……」
さくらとマリアの口から、そんな言葉がこぼれる。
アイリスの霊力は、みるまに沈静化していった。
「完璧な霊力制御だ」
レニの口調にも、珍しく驚きの響きがある。
彼女たちは、今はっきりと未来世界のGSの実力を知った。
「降魔に素手で立ち向かえるわけだぜ……」
「どうやったらそこまで強くなれるのかしら……」
「それは……」
カンナとすみれの問いに答えようとした美神さんの言葉はそこで中断された。
向こうから大神と紅蘭がやってきたからだ。
「お待たせしました」
礼儀正しく大神が礼をする。
「あ……はい」
美神さんもあわてて礼を返す。
「米田司令がお話をしたいそうです。よろしいでしょうか」
「はい、いいですけど」
「ではみなさんこちらへ。紅蘭、案内を頼む」
「はいな」
そしてGS一行は、紅蘭に連れられて支配人室へと向かっていった。
その場に残った大神は、いつも騒がしいみんなが、妙におとなしいのに気がついた。
「どうしたんだい、いったい」
心配そうに大神が言ったとたん、金縛りが解けたように言葉がはじけ飛んだ。
「びっくりしました、大神さん!」
「あのね、あのお兄ちゃん凄いんだよ!」
「普段はだらしなく見えるのに、事あらばたちどころに戦士に変わる……」
「すっとぼけちゃいるが、ありゃ相当修羅場をくぐってきてるぜ」
「さすがはー、未来で私たちみたいなことしてるだけのことはありマース」
「完全な霊気制御技術……是非ともその手段が知りたい」
「ぴったりと息が合っていましたわ。私たちのように……」
さすがに大神も音を上げた。
「みんな、落ち着いてくれ。いったい、何があったんだ? 俺のいない間に……」