四日目 三月一四日月曜日
七時起き。
今日は会社でトイレが使えないので朝食は軽めにした。
七時五〇分発、会社に行く。
北門から入ると対策本部が建物の入り口に設置されていた。
まずは点呼にて人員の確認。
着替えは色々と危険なプラントの方にあるので、複数人数で移動。
安全な倉庫の方から更衣室へと向かう。
スレート張りの簡易な建屋なのだが、意外と破損箇所は見当たらなかった。
所内は停電している為、奥まった所にある更衣室は真っ暗だった。
扉近くの戸は建物が歪んでいて全く開かないので更にだ。
幸いにしてTさんが懐中電灯を持っていたので作業服の位置を確認して引っ張り出し、更衣室の外で着替えた。
表からは見える位置にあるが、女性社員に覗かれる位置でもないので問題ない。
着替えた後、着替えを紙袋に詰めて二階の制御室でこれから行う作業で使えるか見知れない物資を漁った。
自分が個人的に持ってきていたティッシュペーパーとか、会社で使っている大きめのゴミ袋とか、マスクとか、その他色々だ。
今日の仕事はいわき市江名の海岸に家を構えていて罹災したSさん宅の片付けである。
軽トラ二台、社用車一台で移動を開始。
小名浜市外を通るルートで行った所、津波の影響は激しかった。
自家用車が電柱にのし掛かり、道路は泥に塗れ、塀は流され金網が破れ、瓦礫が散乱していた。
そのままトンネルの方へと向かおうとしたが消防車で塞がっていたので少しバックして海岸通りに出た。
更に津波の被害は甚大だった。
漁港の脇を通る時、乗り上げた漁船は確認出来なかったが、家屋の屋根より高い波が浚っていった痕が見えた。
トンネルを潜ると津波の痕はない様だった、直ぐに右折する道路は通行止めになっていた為、その次の交差点で右折。
するとかなり奥まった所にまで津波に洗われた痕が見られた。
どうやら小川があってそこを遡ってきた様で、川底に自動車があった。
直ぐに海岸線に出たが門扉だけ残して更地になっている家があり、家の形は残っているが窓や扉が全部破壊されている家は多く見られた。
少し行くと消防団の消防車車庫があり、Sさんの息子がこの先で駐めてくれと指示があった。
消防団の車庫の裏に消防車が津波で押し出されていた。
排水溝の蓋が流されていたので、拾ってきて自動車を止める場所を確保してSさん宅へ向かった。
その途中、地面に落ちている箱の中にベラが生きていた。
津波に乗って堤防を乗り越えた魚が三日間も生きていた事になる。
後で時間が空いて海に問題なければ逃がしたいと思った。
その家の一階は胸の上まで海水が来て、山側の方へ荷物が押しやられていた。
取り敢えず無事だった二階の荷物を軽トラへ移送した。
一〇時位だったろうか、突然余震があった。
ラジオでかなり大きめで津波の心配有りとの事で、荷物を運ぶついでに避難した。
社宅に到着、家財を運び込む、いわき市の消防車が立てるサイレンの音があちこちから響き渡った。
その内、ヘリで津波を視認したという情報が流れ、避難警報が出た。
上司の人が近所の鉄筋作りの会社に交渉して屋上に避難する事になった。
屋上にはその会社の方が数人と飼い犬がいた、どっちかというと自分たちの人数の方が多かった。
暫くの間西の方角でサイレンが鳴り響き続けて居たが、病院へ行っていたSさんが避難場所へやって来た。
漁港の方では消防の人から解除されたと聞いたそうだ。どうやら色々と情報が錯綜している模様。
そうしている間に落ち着いて来たので、上司の人が携帯で会社の対策本部へと連絡を取り社宅へと戻った。
社宅で津波注意報が消えるまでの間、食事とした。
と言ってもおにぎり一個とお茶と漬け物だ。
量自体は沢山あったのだが、腹の具合とか勘案してその程度に抑えて置いた。
正直エネルギーは足りないのだが水が通っていない以上、どこのトイレも使えない。
トイレに行きたくなり易い人間としては非常に憂慮すべき事態である。
テレビを見ていたら福島第一原発3号機の建屋が爆発した。すんげえ怖い。
津波に問題が無くなり、残りの片付けに向かった。今度は一階の家財道具の運び出しだ。
もう、泥まみれなのでほとんどは廃棄するそうだ。
ただ、ひとつ分かった事がある。
布団圧縮袋は津波に強い。
濁流に浸かった押し入れの中の布団だったが、密閉されていたので濡れずに済んだのだ。
周りは砂混じりの水気に濡れていたが、中身には問題なかった。
意外な効能に驚きの声が。
それから、箱の中の取り残されていたベラは死んでいた。残念だ。
夜間は報道番組、主にNHKを見ていた。
同時にニコニコ動画のNHKストリーム放送でコメントを見ていた。
ひとりだと気が滅入るとですよ。