「かなり恵まれた男の東北関東大震災」

 2日目。三月一二日土曜日

 九時頃目が覚めた。

 津波が酷い事になっていた、新しい映像資料が届きその悲惨な状態を視聴した。

 それから、福島第一原子力発電所の一号機がやばい事になっていた。

 auは未だ繋がらなかった。真夜中に繋がる様になっていた固定電話も繋がらなくなっていたのでネットでメールも出来なくなっていた。

 テレビを見ていたら小名浜の公民館に地下貯槽式の給水所があると出ていたので、今日は水の確保と食糧の確保を行う事にした。

 激しい余震の中、まずは会社に顔を出して状況確認と報告する事を決める。

 GIANTの自転車に乗り正門に行くが、中には入れないと云う事で名前を告げてから家に戻る。

 まだローソンがやっていたので店に入る。

 普通の営業であったが、既にパンの類とカップ麺は無くなっていた。どのみち水がなければ作れない物なので仕方がない。

 干し芋が3パック有り、やたらと人気がなかったので2パック購入する。近くの棚にある栄養ドリンクコーナーでニンニクの力SUPERを二つ購入。グリコのマイルドカフェオーレを二つ購入。Lチキが揚げたてだったので一つ購入。

 電気が来ているお陰だろうか、クレジットカードが使えたので助かった。

 玄関に荷物を置いてリカンベント式の自転車にトレーラーを着けた自転車に保冷バッグとペットボトルに給水バッグを載っけて公民館へ向かう。

 所々、点いていない信号機があったので、自動車に気をつけながら道を行くが、ブロック塀や大谷石の塀はかなりの割合で倒壊していた。

 公民館の近くにあるヨークベニマルへ自転車を止め、公民館へと向かうが物凄い長い列が出来ていた。海浜幕張でやっていた時のコミケのような長蛇の列だった。

 駐車場の中をグルグルととぐろを巻くように曲がり、脇から見ると五つの蛇口に人が着いて水を補給しているが、勢いは弱く、チョロチョロとしか流れない。

 背に腹は代えられないと一応並んでみたが、一時間で三〇メートルばかり進んだ。

 残りは二〇〇メートル以上…。

 その間も激しい余震で地鳴りと建物の軋む音が鳴り響き、その度に不安気な声が広がる。

 正直やってられないので、ヨークベニマル小名浜店へ足を運んだ。

 特に入場制限もして無くて、そのまま入ると、レジ待ちの列が長かったのに驚いた。

 物資は未だ豊富にあったが、パンはほぼ無くなっていた。

 取り敢えず保存の利く物や何かを買う予定であったがまだ前日の鮮魚とか並んでいたので、アブラガレイの切り身と鯖の一夜干し、他にもクノールコーンスープ1リットル、さらし豆、納豆2パック、堅焼きソバ、中華丼の素、キャベツ一つ、、モヤシ一キロ、麻婆モヤシの素、モヤシ鍋の素、挽肉、コーヒー牛乳、ベーコンステーキ、ベーコン等である。

 一応鮮魚は家に帰って個別に冷凍し、早めに悪くなるモヤシから使う事を心掛ける。

 こちらでもキャッシュカードが使えた。現金が減らなくて済むので有り難い、が、一万円札が一枚と五千円札が一枚で、小銭は無し。自販機での買い物が出来ずに微妙に困る、今の所、自販機のラインナップの中で水とお茶はどこも売り切れているが、ジュースやコーヒーはそれなりに残っているのだ。利用出来ないのは困るかも知れない。

 家に帰ってきたらえらい事になっていた。 福島第一原発1号機が爆発。

 計画的に止まったんじゃなかったのかと思ったが、後に分かった事だが問題は地震ではなくて津波による施設の流出だった様だ。(三月一五日時点)

津波の映像はショッキングな物だった。

 実は一月から月に一回の割合で仙台へ行く用事があり、常磐線で向かっていたのだ。

 そのスーパーひたちの車窓から見ていた光景が次々と波に押し流されて行く。

 被災した列車の悲惨な姿がテレビに流れていた。

 予定では三月一四、一五日に東京の実家に行き一六日に仙台に向かう予定だったのに。

 数日の差なんか誤差みたいな物だから、下手をすると津波に巻き込まれたりした可能性は十分にあった訳だ。

 夕方に上司の人が来て津波注意報が消えるまでは自宅待機と指示された。

 夕飯はクノールのコーンスープに残っていた牛乳を投入して暖めた物をカップ一杯、ベーコンステーキの半切れを使った目玉焼きの崩れた物とトーストを二枚。




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