「かなり恵まれた男の東北関東大震災」



 昨日三月一〇日〇〇時、夜中の勤務の最終日、出社したら工場の立ち上げだった。

 氷も張る寒い夜に、この前に緊急停止していた工場の立ち上げを行っていたのだ。

 流石にいきなりの立ち上げと云う事でかなり混乱した。

 ある程度立ち上げが済んで立ち上げも上手く行き次勤に申し送ることが出来た。

 夜勤明けは非常に眠い。

 よってホームページの更新を行わないといけなかったのだが、作業途中で眠ってしまった。

 目が覚めたらホームページ更新予定日の次の日、三月十一日の午前様になっていたのだ。

 直ぐにホームページを更新しました。

 それから少しして又眠って昼前に起きた。

 最近は弁当を作っているので冷蔵庫の中を確認した所、かなり物が減っていたので後日買い物に行こうと考えた。

 食事自体は一八時位に成るので、魚を焼いてほぐして入れて、ご飯も冷蔵庫に入れて置いた。

 メールチェックやネット閲覧をしていたら『ズゴン』と轟音が地の底から響き、建屋がミシミシと異音を上げた。

 ここ最近、地震が多かったので、又かな?、程度の考えしかなかったのだが、そんな物は直ぐに消し飛んだ。

 激走する満員電車をも凌駕する激しい揺れに襲われた。

 地鳴りは響き、揺れは洒落にならない程の振幅で縦にも横にも揺れ続け、何時まで経っても終わらず、更に、更に激しくなるばかりだった。

 バケツの水は零れ出した。

 窓際の棚は倒れ中身は飛び出し、上の階から本棚が崩れる音がする。だが、自由に動けるほど揺れは小さくない、このまま家が崩れて潰れてしまうのではないかと怖くなる。

 思わず部屋の真ん中で姿勢を低くする、すると台所から戸棚からグラスや皿が割れる音が響く、サイドチェストが崩れ電気ケトルや珈琲メイカーが床に散乱する。

 5.1チャンネルの音響システムの右後ろのスピーカーが落下する、何もかもが揺れたてて、もう勘弁してくれと云いたくなるが、何時まで経っても終わらないのだ。

 ガガガガガッとテレビもPCの画面も激しく揺れて、電気が切れた。

 しかし、揺れは終わらない。

 信じられない程長く続いた地震はようやく切れた。

 恐怖に震え上がるが、努めて冷静にならないといけないと心掛け、普段着に着替えた。

 情報が何も入らないので、取り敢えず表に出て隣のお爺さんの家の玄関を開ける。

 鍵は開いていたので中に顔を入れ確認すると、窓の方から外を見ていた。

 声を掛けるが聞こえないのか、再度呼びかける。

 怪我はしていない様だし、家が崩れている様子もない。

 通りは興奮しながら家を飛び出してきた人達で溢れかえっていた。

 時折、ズズンと腹に響く地鳴りがして大地が揺れる。

 路面を見るとマンホールが妙に浮き上がり、割れ目から泥が吹き上がっている。

 木造で不安だったので余震が落ち着くまでは表に出ていてはどうかと喋ってみた。

 ちょうど近所の人が表に集まっていたので少し話を聞いてみるが、屋根がへこんだという話だが、誰も怪我をしていないと聞いてほっとした。

 いつの間にか出社の時間になっていたので会社に向かうことを近所の人達に伝える。

 家に入ってメインのブレーカーを下ろす。

 冷蔵庫の中に仕舞った弁当を取りに行ったら、冷蔵庫の中身が飛び出て扉が開きっぱなしになっていたので片付けて閉めた。

 何時まで物資が不足するか分からないので、悪くならない様にしなければならないからだ。

 弁当を鞄に仕舞うと表に出て近所のおばちゃんらに出社する事を告げた、安否確認が来た時には生きている事を伝えて欲しいと云う事と、ブレーカーは落としてある事を告げた。

 自転車に乗って会社に向かうが、信号機は全停で自動車の運転手が気が荒くなって運転が乱暴になりやすいので気をつけて走る事を心に留める。

 道端には、地震から避難する家族の人達の姿が目立っていた。

 電柱は傾ぎ、歩道と道路はでこぼこ、段差も激しい。

 サイレンは鳴り響き、犬は吠える。

 騒然とした空気の中大きな交差点に差し掛かるが、海岸から避難する自動車が大渋滞であり、信号機が止まっているので渡るのに躊躇する事になった。

 仕方なく渋滞の列が出来る前まで戻って道路を渡り、再度交差点のところでタイミングを見てお辞儀をしながら自動車の前を横切る。

 左折して会社に向かう途中で会社の人達が制服姿でこちらに向かってきた。

 状態を知りたかったので声を掛けると、所内の人間は公園に集まり点呼を取ってから避難するとの事なので、私服姿のままであったが一緒に公園へ向かう。

 ぞろぞろと会社の人達が集まってくるが、三交代の人の姿はない。

 どういう事かと聞いてみると、最低限の処置を施しているとの事。

 しばらくすると彼等もやってきた。

 いきなり停電でどうしようもなかった、との事。

 折角、夜勤ラストに工場を立ち上げたばかりだというのに…。

 その間にも余震は続く。

 平坦な公園でさえも液状化現象で泥の池が出来、花壇には大きな罅が入っていた。

 自分は停電で何の情報も入らなかったのだが津波警報が出ているらしい、一六時三〇分に到着するとの事だ。

 既に一〇分前だが、第二第三の津波の方が高い場合もあるらしいので解散後、直ぐに避難する事を決めた。

 一度家に戻って近所の人達に声を掛ける。

 五メートル位ならここら辺は大丈夫だ、との事だが慢心は危険と、避難すると告げる。

 家に入り玄関に倒れ込んだ帽子掛けを避けて、こういう時の為に購入した、避難バッグと缶入りパンと弁当を自転車の荷台に詰め込んで出発した。

 出来るだけ自動車の通らない裏道を選んで山の方にある神社へと向かった、途中で重く雲が立ちこめたかと思うと雪が降ってきた。

 泣きっ面に蜂だな、とか思った。

 途中、会社の女性社員の方二人を追い抜いた。因みに場所は富士原川から一〇〇メートル程、津波で増水した川が氾濫したら危険な場所だ。

 陸橋の下をくぐり、畦道を行き、細い道を行くと橋の袂に着いた。

 ここを渡らないと山へ行けないので川の様子を確認する。

 川下から川上へとゴミ混じりの水が逆流していった。明らかに増水している、が、まだ河川敷が洗われる程度だったので橋を渡る事にした。

 橋を渡り、道を横切ろうとしたが妙に渋滞している、よくよく見ると道の先が冠水している。

 川が増水して、排水溝から逆流した様だ。

 自動車がじりじり移動しているので妙に渡りづらい。

 車が引き返すタイミングを見て道を渡り、少し行った所を左折して鹿島神社へと至った。

 正月の初詣用に広く取ってある駐車場はしかし、ガランとして誰も駐車していなかった。

 どうもこの場所はあまり人気の無いようだ。

 神社の境内に避難、太鼓の練習場で避難用具入れの中を確認、御輿の格納庫の前で、弁当、十九時頃寒すぎて戻る。途中で携帯懐炉とチョコレートとコーラ1.5リットルを購入。

 家に帰ってメインブレーカーを入れるが電気は入らず、電灯で照らしたら漏電遮断ブレーカーが働いていた。

 水道が止まっていた。

 魔法瓶に入っている分の水しかなかった。いつもご飯を炊く為のポットは床にひっくり返っていた。

 トイレ用の水は風呂に水を貯めていたのだが、地震の揺れで半分以下まで減っていた。

 初めてテレビで今回の地震のニュースを見た。

 いわき市の小名浜漁港、しょっちゅう行っている場所が津波に襲われていた。

 電話は通じなかった。携帯もダメ、コンピューターもネットに繋がらない。

 家族に連絡を取りたくともその方法がなかった。

 テレビからは刻々と津波による被害が報道される。激しい余震が続々と続く、第二,第三の津波がここを襲わないとも限らない、心臓がドキドキして落ち着かない。

 やたらと疲れたので一〇時過ぎに寝た。

 一種の逃避行動である。

 何時、避難しなくてはいけなくなるのか分からないので普段着を着たまま布団に入り、布団の脇には非常食等を置いておいた。

 午前二時過ぎに目が覚めた。

 PCを立ち上げると使える様になっていたので家族にメールを出す。

 ホームページと掲示板に現在の状況を報告した。

 炊飯器に残っていた最後のご飯を納豆で食べた。水がないので当分の間ご飯が炊けない。

 そしてニュースを見て、2時間程経ってから又眠った。




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