作者:アイングラッド
新世紀二年七月二日。
使徒侵攻に伴い、神奈川県西部及び静岡県伊豆地方に避難注意報が出されているが、武蔵野の雰囲気が残るここ東京都、ではその様なこともなく平穏無事に日常生活が送られていた。
これはそんな普通の女の子の話って事で。
関東地方
朝起き、身だしなみを整える。
小柄で貧相な体格の私が唯一自慢に出来る黄金色に輝く黒く長い髪をふたつのお下げにすれば身だしなみ準備は完了。
後はダイニングにて朝食を家族+お姉さまの全員で一緒に頂く、これはお姉さまが増えた事を除けば時空融合後も変わることなく続けられている我が家の習慣だ。
いよいよ時間になると私は学園伝統の制服に身を包み、登校するばかりになった。
するとタイミング良く「それじゃいきましょうか」と、時空融合後に一緒の家に住むようになった『お姉さま』が声を掛けてきた。
今年から私の通う女子校と同じ敷地内にある短大部に進学され、高等部に在籍していた去年までは学園で「白薔薇」と呼ばれていた、正に渾名にふさわしい女性だ。
彼女は今では所謂私の「お姉さま」と云う事になる。
いや別に世間一般で考えられるようないかがわしい物ではなくて、学園の中で彼女を『お姉さま』と呼んでも微笑んで見守られる関係になったと言うだけの話だ。
私とお姉さまは自宅からそれほど遠くない所にある学園に向かってゆっくりと歩く。
明治36年創立のこの学園は、おもに良家の子女を対象に幼稚園から短大まで一貫した教育システムを誇る、伝統あるカトリック系お嬢様学校である。
時代は移り変わり、元号が大正、昭和期を経て、暦が新世紀に統一されてしまった今日でさえ18年間通い続ければ温室育ちの純粋培養お嬢様が箱入りで出荷される、と言う仕組みが未だに残っている貴重な学園である。
その学舎に集う少女達はキリスト教をベースとしたなかなか反動的な教育を受けているわけだ。
私たちが家から出て15分ばかり淑女の様に淑やかに歩くと学園が見えてくる。
この学園の名前は私立リリアン女学園。
女学園だけに当然ながら女生徒ばかりが登校する光景の中、私のお姉さまを見て「白薔薇さまだわ」等と言う囁き声も零れ聞こえるけど、大概の生徒さん達は素直に『ごきげんよう』と云う挨拶をしてくる。
現代的では無いけれどこの『ごきげんよう』がこの学園伝統のスタンダードな挨拶だ。
それにしても、この私たちに掛けられる挨拶の数は、普通に通学路を歩いている相手には多すぎる。
でも、それは仕方のない事。
白薔薇と呼ぶにふさわしい雰囲気のお姉さまも、ちんまい身体に二本のお下げという少々、と言うかかなり貧弱な身体付きの私も、この場所では注目を集める生徒である理由があるのだから。
その事を自覚している私は密かに飼っている『エサ代のいらないネコ』をフル動員して同じくたおやかに挨拶するのである。
「ごきげんよう、みなさん」と挨拶を返して行く中に見知った顔を見つけた。
リリアンの生徒会に相当する山百合会のメンバーで現三年生、第一紅薔薇様(アン・ロサ・キネンシス)の水野蓉子さま、同じく現三年生で第二紅薔薇様(ドゥ・ロサ・キネンシス)の小笠原祥子さま、その妹(スール)で二年生の紅薔薇の蕾(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトゥン)の福沢祐巳さんの紅薔薇姉妹が居た。
因みに第一、第二と云うのは時空融合の悪戯で去年同じ二年生としてリリアンに現れてしまった水野さまと小笠原さまの紅薔薇を区別させる必要があった為の特別処置だったとの事。
まぁ、この学園で留年して学年が同じになる、しかも生徒会役員が、などという事はなかったであろうから、仕方のない事かしら。
すこし足早になり、前を歩いていた紅薔薇姉妹に追いついた会釈した。少し息が切れてしまったけど、変じゃないよね。
少し息を整えてからにっこりと笑って私たちは「ごきげんよう」と挨拶を交わした。
そうして微笑みながら銀杏並木の下を歩き出すのだ。
だが紅薔薇ファミリーの方達の表情が少し硬いかも知れない、それも私たちの事を見れば無理もないかも。
何しろ私の見た目は大変に小柄で、黄金に輝く黒髪を背中側に2本のお下げの髪型をしている上に、『白薔薇』と呼ばれた人を『お姉さま』と呼んでいるのだから。
紅薔薇姉妹からすれば私の態度に違和感を感じてしまうのも無理はないと思う。
彼女たちからすれば、私の様な女の子がもっとも『お姉さま』言う相手として見慣れているのは第二黄薔薇様(ドゥ・ロサ・フェティダ)こと支倉令さまなのだろうから。
でも、それは仕方がない事なのだ。
私の『お姉さま』は『白薔薇』なのだから。
これもひとつの「時空融合現象」のイタズラって事だ。
私とおねえさまがリリアン女学園の門から中に入ると直ぐに白亜のマリア様の像が建ててある。
そこを通る敬虔な生徒達はマリア様に手を合わせてから通り過ぎる。
そして私たちも同じように手を合わせる。
東京都下だというのに、この学園はやたらと広い。
それも道理で、明治34年に設立されたころにはこの武蔵野の地は雑木林が広がる人家もまばらな過疎地帯だったのだから、大規模に発展して過密な人口を抱える昨今からは考えられないけど。
校舎に向かう途中で紅薔薇姉妹達と分かれた私たちは、更に並木道を直進する。
そうして更に歩いていくとようやく目的地に着いた、ここが私の通う学校、聖ミカエル女学園である。
え? 私達の学園は私立リリアン学園じゃなかったのかって?
そんな事は一言も言ってないと思ったけど。
それはともかく、よくぞ聞いてくれました。そもそもの原因は時空融合に始まったのでありました。
まずは自己紹介、私は聖ミカエル学園にて小賢人(コロボックル)ちゃんと上級生から渾名されていた現三年生の更科柚子。
時空融合前の世界で、外食産業の波に乗り急成長を遂げたファミリーレストラン『パンプキン・チェーン』の社長令嬢、いわゆる成金のお嬢さんってワケなんだけど。
根っこの方がつい最近まで貸家でドタバタ成長してきた一般庶民なものだから、この学園のような真性のお嬢様に取り囲まれる生活は非常に違和感が付きまとうのです。
だけど、一所懸命頑張って働いてきた父ちゃん母ちゃんの名前を下げないように必死こいて猫を被り、涙ぐましいまでの努力をして、なんとか上流のお嬢様から可愛がられるお嬢様を演じてきた訳よ。
でも、結局は本物の中にたったひとつの偽物が居るわけで・・・バレたら吊し上げだ、折檻だ。
しかもここは本気入ってるカソリック系のミッション校なのに・・・、ウチの家系は先祖代々の仏教徒で浄土真宗。
ああ、こんな事がバレたら、バレたらって考えて何とか1年と半ばかり過ごしてきたら、彼女が転校してきた。
それが私にとっての転機だった。
まあ結局、私の他にも真性のお嬢様ではない、猫の飼い主が2名いたって事なんだけどね。
例のユダによる誘拐事件をメンデーエフ先生のご加護の元乗り切った私たちは3年生になる前に時空融合に巻き込まれた訳で。
そうして猫を被り続けてきた三年目、結局その祟りかなんかで私たち三人は今、聖ミカエル学園の中心人物に祭り上げられてしまったのである。
はぁ〜、やでやで。
あ、白薔薇さまがお姉さまって事だけど、あの事件の後に一年上級生の『白薔薇の君』が、ウチの兄貴に一目惚れしてしまったそうで、時空融合前に婚約者になってしまった。
つまり今では義理のお姉さまって言うワケよ。
人の趣味にイチャモン付けるワケじゃないけどサ、お嬢様の考えることは謎だ。
<第23話 7/2午前 マリアさまが見ているパート終了>