作者:アイングラッド
さて、彼らエヴァンゲリオンパイロットは待機任務に就いていたので、外部との接触は基本的に行われていなかった。
だが、現代社会に於いて携帯電話は必須のコミュニケーションアイテムとなっており、実際に会話が行われなくてもメール機能による時間差コミュニケーションを可能としていた。
よって、現在の彼らの位置情報が漏れない事を前提条件として限定的に携帯の使用が許可されていた。
これは基本的に彼らの存在と役割がエヴァパイロットであると公開されていない事へのカモフラージュ的な意味も持つ。
とは言え、待機任務中に実際に使えるのはメールの受信位であり、送信と返信は時期を見て適時行われることになっている。
と、言うわけでアスカは待機室に持ち込んだ携帯でメールチェックを行っていた。
現在読んでいるメールの差出人はクラスメイトのマナである。
余談であるが、80年代の出身である彼女はこの携帯の存在に最初途惑っていたのだが、成績優秀な地球防衛軍幼年学校の生徒であった彼女はこのコミュニケーションツールをすっかり使いこなせるようになっていた。勿論、一般の「女の子」を装えるように女の子言葉や顔文字の使用方法と文化についても専門書に当たって習得済みである。
そんなマナからのメールは極日常的な物だった。
「『それじゃ〜ねー v(^_^)v 』、か。それにしても日本人てこの『アスキーアート』ってのが好きよね〜」
「そう? わたし知らない」
「うん、まぁ、レイはあんまり一般的なのは苦手だとしてぇ。シンジ」
「うん、なに?」
「なに? じゃなくてさぁ。どうして日本人てこんなにアスキーアートが盛んなのよ」
「なんでって言われてもなぁ。ほら、ノートの落書きなんかに『へのへのもへじ』とか…ドイツ語じゃ書かないか」
「へのへのもへじ? なにそれ」
「えーとね。手書きの顔文字って言うか。こう言うのだけど…」
そう言ってシンジは手近なメモにボールペンでへのへのもへじを書いて見せた。
|へ へ
|の の ||
| も
| へ |
−−−−
「こんな奴なんだけど」
「へぇー、なにコレ? ヘンなのぉ。こんなのを携帯普及前から書いてたって訳?」
「んー、だと思うけど。ボクらが小さいときには携帯も普及してたからそれより前のことは良く知らないけど」
「へぇー。で、どういう意味なのよ、『へのへのもへじ』って」
「へ? いや、別に意味はないんじゃないかな? 単に顔の形になっているからってだけだと思うけど」
「ふぅ〜ん、なんだ、私だったら知り合いの名前でやってみるけどなぁ。例えばぁ〜」
しばらく何かを考えていたアスカだったが、突然目を輝かせてシンジの書いた『へのへのもへじ』のとなりに何かを書き込み始めた。
そしてそれを背中に隠しながらニヤニヤと笑いを浮かべてシンジに向き直る。
「ジャーン、私の考えた手書きのアスキーアートよ。どうよこの出来映え、最高でしょ!?」
「ふぅん、どれどれ?」
アスカの書いた物は『へのへのもへじ』を改造した物で、その構造も同じ物だった。
シンジはそれを目で見て確認し、声に出して読み始めた。
「えーと『へのへの…しんじ…?』」
|へ へ
|の の ||
| し
| ん |
−−−−
「へ、へのへの…ふふふ、へのへのか…ふふふ…ふふふ、ふふふふふふ」
それを読み、意味を理解したシンジは脱力した様子でヘラヘラとした笑いを浮かべながら床へ手を着き、笑い続けた。
何か涙などを流し続けている。かなりの精神的なダメージを受けた模様である。
「あ、あのぉ〜シンジ? どうしたのよ」
どうやらアスカには日本語の擬音とそれに付随する意味までは理解していないようで、なぜ彼がダメージを受けたのか不思議そうにしていた。
「だめよアスカ。アスカの作ったそれはシンジ君の性格の一端を的確に表現した所為で、その指摘を受けたシンジ君は精神的なダメージを受けたの」
レイのその『性格を表現した』と言うところでシンジの泣きが一層深くなったのだが、それに気付かずにレイは続けた。
「アスカの書いた『へのへのしんじ』のしんじの前に書かれた『へのへの』はシンジ君がどういう人格であるかを表現した文法構造になっているわ、そして『へのへの』と言うのは『へなへな』に通じる意味を持っている。『へなへな』つまり植物が萎れる様や衰える様を表現しているのだけれど、転じて相手が頼りがない様子や情けない様子であることを意味している。つまりアスカは気付かない内にシンジ君が情けない人格であると宣言していたのよ」
ババーンッ衝撃の事実がレイの口から解説され、アスカは衝撃を受けた表情になった、が、すぐに怪訝な顔になりこう言った。
「けど、レイも結構言うじゃない。私は知らなかったとは言え、『シンジの性格を正確に表現した』だなんて言うなんて。私はそこまで意味を込めてなかったんだけど」
それを聞いたレイのこめかみに一筋の冷や汗が流れた。
恐る恐るシンジの方を向いてみると、すでに『へのへの』から『めそめそ』に移行していたシンジはベッドの中に潜り込み体育座りで何やらボソボソ呟いていた。
「へへ、どうせボクはいらない子供なんだ、そうさどうせぼくはそうなんだ、へのへのでへなへなで、へへ、フフフフへへへへ」
どうやらシンジの精神は暗黒面の領域に差し掛かっているらしい。
背中にマンガの掛け網がドロドロとした様子で沸き上がっているのが目に浮かぶ雰囲気を醸し出している。
「えっと…昔のシンジ君の事であって…今のシンジ君はかなり前向きな性格をしていると思う。だから」
「今のこの様子を見ても、断言できるの? レイは」
「一時的な退行であって、これは特殊な状況下のみに限定されるわ。人間誰しも弱点という物は存在する、春麗(チュンリー)先生はそう言っていたもの」
と、レイはフォローに懸命だ。
「それに、そう、GGGの獅子王ガイも勇気が大事たって言っていたわ。今の自分を肯定する勇気、それこそが未来に進む為に必要なことだって。だから、シンジ君もへのへのな自分を払いのける勇気が必要だと思うの。それに、帝国華撃団の大神さんも仲間との信頼関係が未来を開く力となるって言っていた、私達はシンジ君を信頼しているし。それに帝国劇場で会った横島忠男さんも見かけはヘロヘロ以下のヘナチョコな人だったけど、やる時はやる人だと頼りにされていたし。少なくともこの3人と同じだけの経験を積んでいるシンジ君は間違いなくへのへのではなくなってきていると私は信じているわ」
これまでにない勢いで力説を繰り広げたレイ。
今まで傍で一緒に成長してきたアスカも、これほど『語る』レイを見たことがないらしく唖然としている。
だがむしろ驚くべきは、今までのような自分の経験だけではなく、他人の言葉を引用して自分の物としている事実であろう。
つまり、以前のような内向的な性格から脱却する努力の跡が見受けられるのだ。
これはどちらかというと後退しているのではないかと言うことも言えるのだが、彼女の場合は他人とのコミュニケーションが不足していた点からして、格段の進歩と言えるのだ。
それはさて置き、アスカが唖然としているようにシンジも呆然としていた。
まさか、あのレイがこの様に語るとは。
それに較べてボクは…と戻らないのが現在のシンジである。
「ゴメン、レイ。確かにレイの言うとおりだとボクも思う。ありがとう、レイ」
「何を言うのよ」
感銘を受けたシンジがレイの前に立ち、レイの手をギュッと握りしめると、レイは顔を真っ赤に染めてそう言った。
見つめあう二人、睨み付ける一人。
「あぁ〜熱い熱い。空調壊れたのかしら」
パタパタと手を振って風を顔に送るアスカ。
「えっと、あっそろそろ時間だよ。仮眠を取らなくちゃ、早く寝ようよ」
「シンジと?」
「!?」
「へ? え? 何が? どうして、だってまだ早いよ」
「ウッククク。ばかネ、さ、レクリエーションはここまでにして早く仮眠しなくちゃ。本番に支障が出るわよ」
「あ? アスカ、からかわないでよ〜」
とかなんとか、ドタバタはしゃいでいた三人であったが、この数時間後に訪れる戦いへの緊張を紛らわせるものであったのかも知れない。
少なくとも上気して血行の良くなった女性陣二人はあっという間に眠りに入ったのだから。
ただ、ただ一人の男性陣は一部血行が良くなりすぎてなかなか寝付けなかったようだが。
「落ち着け、落ち着けぇ〜。からかってるだけ、からかってるだけなんだぁ〜」
とか聞こえてきたりした。
「まだ早いだなんて、ポ」や「意気地無し」とかも聞こえたとか聞こえなかったとか。