作者:EINGRAD.S.F
南極に拠点を置くゾーンダイク率いる獣人達は一度は人間に向けて砲火を開いたものの、それ以降目立った動きをするでもなく沈静化していた。
新世紀2年6月、この頃、南極に最も近い大陸の一つであるオーストラリア。
ここは我々の世界とはいささか気候環境が異なる地域として出現していた。
我々の持つ色付きの世界地図を見れば、オーストラリア大陸の中央平地が荒涼とした乾燥地帯である事が判別できると思う。
鉱物資源に恵まれているとは云え、これがオーストラリアの農作資源に大きな影を落としていた事は確かだ。
その為であろうか、オーストラリア大陸にヨーロッパ人達が入植を始めてから暫くの間彼ら開拓者達は大陸中央に巨大な湖が有ると信じて疑わず、冒険者達は遥か湖を踏破する為にボートを用意していたと云う。
もしも、本当にその湖が有れば…、その思いが通じたのであろうかこの世界のオーストラリア北部中央域にはまるで海のように広大な淡水湖が出現していたのである。
これも存在力の一例であろうか。
肝心要のオーストラリア国民の出現が少ないのが皮肉では有ったが。
それはともかく、現在の豪州大陸内には危機的な敵対組織が「最早」存在していないのは助かった。
既に食糧自給に向けた政策が軌道に乗っていたからだ。
組織だった敵が闊歩している状況では、幾ら彼らオーストラリア人がフロンティアスピリットに満ちあふれているとは言え満足に労働に専念する事も出来ないからであろうからだ。
とは言え、未だにそれら農場から生み出された生産物が彼らの腹を満たしているわけではない。
手っ取り早く必要な栄養素を確保する為には蛋白源を海に求めざるを得ないと言う事情も有った為、ゾーンダイクと云う危険を省みず、オーストラリア近海にて漁業を続ける漁師達がいた。
彼らの多くは日本の漁船に乗り込んでいた海の男たちである。
時空融合時、太平洋にて延縄漁や底引き漁船で長期に渡る漁を続けていたのだが南米から逃げ出すムーの拝人主義のアンドロイド達によってムーの戦闘ロボットの脅威を知りここオーストラリアへと逃げ延びていた。
その後、日本連合から現在の日本列島の情報を聞き、ある者は日本へと戻って行った。
そしてある者は故郷を離れて、ここ、新天地であるオーストラリアに留まって一旗上げようと頑張っているのである。
今の地球の海は、自然が回復した母なる存在その物であったが、新しい海は彼らの知らない顔をまざまざと見せつけていた。
まず、まるでリセットされたかのように重工業による汚染が無くなった為にその活力は海を良く知る彼らが驚くほどに生き生きとしている。
だが、時空融合によって生物相が過去数千万年に渡る期間の見本市の様に豊富になってしまっていた。
古い物で言えば、アノマロカリスや三葉虫、アンモナイトや魚竜、古代鯨やデスモスチルスに北極ペンギン、ステラー海牛などなど、化石でしかその痕跡を残さない者達が新たな海洋の支配になろうと猛然と生存競争を繰り広げているのである。
大多数の種類は彼らの知る魚種であったが、残りは習性のみならず食べられるか食べられないかすら分からなかったのだ。
例えば地層の指標とされている程に三葉虫の研究は進んでいるが、化石では旨いかまずいかの区別すら出来ない。
そんな訳で、現在の海洋漁業産業はまず食べられる物と食べられない物、旨い物と旨くない物、その調理法まで調べて提供せねばならず、この時点での水産会社や政府の調査機関はフル作業で分析を続けているのである。
さて、社会全体に新しい時代を作る時に発生する特有の熱気に包まれている今、南半球では晩秋、南極からの冷たく栄養豊かな海流による厳しい寒さの中で彼らオーストラリアに拠点を置く漁業関係者はオーストラリアに住む者たちの食卓を潤い豊かな物にするため頑張っていた。
だが、ここは指定危険団体とされているゾーンダイクの活動域である南極に近い海域でもある。
ゾーンダイクの魔の手から一般市民を護る為に派遣されていたのが日本連合海上自衛隊の遣豪護衛艦隊で、主にオーストラリア周辺の海域を担当していた。
主に対潜装備に優れた装備をしていた艦隊の中に、一隻だけ毛色の変わった装備を施している対空巡洋護衛艦の姿があった。
彼女の出身は第二次大戦開戦前夜に大英帝國王立海軍で建造された全長百五十六.三m排水量五七一〇tの軽巡洋艦ダイドー級に列する、巡洋艦の船体にKGV(キングジョージ五世)の副砲を連装10門も搭載した対空戦闘用のフネであった。
現在ではその砲も外観(砲塔)こそ変わっていないものの中身は一新し、砲は神戸にある剣菱重工製の新型速射砲に換装、射撃管制装置も最新型を増設していた為、殊に近接対空射撃に関してはイージス艦をも凌駕する能力を持っている。
逆にVLS等の増設は対潜魚雷アスロック数基に限られており、近代護衛艦としてはアンバランスな構成となっている。
その理由は近代的対空戦闘に於いて超音速攻撃機による少数機がチームを組んで攻撃してくるのを阻む事を主目的にしているが、仮想敵国であるムーに於いてはその類型には当てはまらないだろう推測が成り立っていたからだ。
恐らく第二次大戦時の様に雲蚊の如く大量に襲いかかってくる敵機を相手にしなければならないだろうと云う推測が立っていた。
そして向かってくるムーの飛行ロボットを大量に撃墜するには、かさばる上に補充の難しい対空ミサイルは艦載スペースに余裕が無さ過ぎた。
このフネはムーのロボットを破壊出来る威力を持つ戦車砲並の砲弾を、正確に大量にお見舞いする事を主目的に置いた実験艦なのである。
その彼女が遣豪艦隊に参加している理由は艦隊の近接防空を一手に引き受ける理由もあったが、彼女の出身国と現オーストラリア暫定政府にも関係が有った。
最初に彼の地に援助の手を差し伸べたのは日本連合であったが、元より余裕のある国勢では無い事は明白であり、この時点に於いては時代の一番遅れた先進国にしか過ぎない日本連合だけではそうそうオーストラリアを支え続けられない。
そう云った危機感が溢れ出した頃にオートスラリアに対して救いの手を差し伸べたのが同じ英国連邦を構成していたカナダだったのだ。
勿論、オーストラリアの豊富な地下資源に色目を使っていたのも確かであったが、時代と世界を超えても同じ王族を戴く英連邦同士、連帯感を持つのは当然であった・・・それだけではないのは当然であったが。
オーストラリア暫定政府の復興委員会にとって、より高い技術力と経済力を持つカナダと手を結ぶ事は自然な成り行きだったのである。
この決定に日本連合政府も賛成の意向を示した。
原則的にオーストラリアへの資本の参加は歓迎され続けていた上に、相変わらず物騒な海を安全に航行するためには日本近海の航行が不可欠であった、よって日本の主要港はカナダ−オーストラリア交易の中継基地として繁盛する事は約束されていたのだ。
現にこの時期に行き来した船舶の量は膨大であり、SOSUS網を中心とした海上交易路の維持は国益に大きな影響を及ぼしている。
この期間にカナダからオーストラリアへ運ばれた物資の量は膨大な物である。
この時点でオーストラリアに住んでいる人間が必要とする数倍の物が送られていたのだが、カナダ政府はまるで何かに脅える様な勢いで援助を続けていた。
尚、送られた物は物資だけではない。
資産、技術者、企業、人、ありとあらゆる物が対象に選ばれていたのだ、まるで国家丸ごと引っ越しをするかの様に。
その中には現在のアメリカにとっては既に鉄屑の役にしか立たないとされ、カナダが買い取ったハルゼー率いる旧アメリカ太平洋艦隊の姿すら有った。
確かにムーの侵略もカナダの政治経済に対して圧迫を掛けていたが、それにしてはこの反応は余りにも狂奔的であり過ぎた。
だが彼らが確信していた懸念、と云うよりも情報組織によって掴んでいたスパイ情報が正しいとすればこれは当然の施策であったと言える。
と云う訳でカナダの強力な後押しでオーストラリアの一人立ちは遠い未来の物とは云えない状況になっていた為、自国の防衛組織の立ち上げが始められていたのは当然の事だろう。
特に海洋からの脅威が強まっている現在、対外的には海上の治安維持は最優先課題であり、既に組織だった活動を止めていたオーストラリア大陸内部に存在する敵性体よりも優先されていた。
実際の所はその敵性体の残党に対する防備も強化されているのだが。
現時点に於いて最も警戒すべきは矢張りゾーンダイクであり、海洋の治安維持の為に各種装備を揃える必要があったのは確かである。
しかし小規模で済む地上の装備と違い海洋に進出する必要のある艦艇は自然に大規模になる為に人員も必要であり尚且つ非常に高価で、真っ更な状態から揃えるのは不可能だった。
その為に現在日本連合に所属している元外国籍の自衛官達の内、希望する者(艦組織その物も含む)はオーストラリア政府が確立した後に所属をオーストラリアに移す事が日本連合政府との間に取り決められていた。
彼女もそう云った一隻のひとりであったのである。
時に、カナダ・メキシコ両国がアメリカに強制併合される数ヶ月前の出来事であった。
新世紀2年六月下旬の或る日。
海上はガスによる靄で覆われており、甲板から見上げても彼女の自慢の対空火砲の砲身すら見えない状況だった。
しかもガス中の成分が地磁気に反応しているのかその他の原因なのか不明であるが、多数の対空砲を敵機に差し向ける対空レーダーも、全天候型であったにも関わらずまるでジャミングを掛けられたようにレーダー監視画面は真っ白である。
先程までは彼女が対空監視を、僚艦の海上自衛艦が対潜監視を警戒しつつ連携を取りながら予定航路に従い航行していたのだが、突如発生したガス雲に包まれレーダーも効かなくなっていたのである。
衝突を警戒し警笛を呼び鳴らし合い、距離を保っていたのも先程まで。
つい二十分前には完全にロストしてしまっていた。
お凡その現在位置は確認が取れていた為、座礁の危険は無かったが任務の遂行は難しい状況であった。
可潜空母プロメテウスや可潜強襲揚陸艦ダイダロス等が配備され海中での編隊作業が不可欠な後の海中艦隊で標準使用される事になる海中通話装置も無い状況であったので、潜水艦との連携も今の時点では難しかった。
と言う訳で、手空き要員を甲板に配備して接近してくる物が無いか目視での警戒を続けていた。
<針路転換、取り舵15、甲板の監視要員は動揺に備えよ>
艦橋からの指示がスピーカーを通じて監視要員達に伝達された。
圧力すら感じる靄を顔に受けながら彼らは手近な突起を掴んで揺れに備える。
艦の受けるうねりの向きによって艦の揺れも大きく変わるので、彼らがフネに慣れていたとしても注意は必要だった。
何より現在は六月だった。南半球のオーストラリアは冬である、この状況で海面に落下したら助かる見込みはかなり薄い。
とは言え、七つの海を支配した大英帝国海軍の末裔である彼らがそんな不注意を起こしはしなかったが。
針路が完全に変わると、先程よりも揺れの具合は大きくなったが特に異常は発生しなかった。
このしつこい靄から逃れるために艦長らが行った試行錯誤が効いたのか、艦の前方に明らかに明るい靄の切れ目が見えた。
それを逃さないため増速した艦はそこに逃げ込む事に成功した。
その時、空電状態もホワイトノイズだらけだった状況から改善され、真っ白だったレーダースコープも回復したのだが、彼らは直ぐに基地に無線を送る事が出来なかった。
そのため、再度靄に包まれた彼らが無電を発信するまでのタイムラグが大きくなり防衛線構築が遅れる事となってしまったのだが仕方が無いと言えよう。
靄の切れ目に逃げ込んだ直後、久し振りの青空に船員達は歓声を上げた、だが次の瞬間艦は影で覆われた。
それに気付いたのは眩いばかりの青空を見上げていた監視員達だった。
空の鮮烈な青さとは明らかに異なる均一な透明さを持った青い四角錐が唐突も無く空中に浮いていたのである。
人間には理解できない存在が唐突に現れる事が多いのがこの世界だと頭では理解出来、覚悟をしていたとは言え、実際に出会ってしまっては冷静に判断するのは困難だ。
混乱した頭で状況を理解できぬまま、本能に従った攻撃衝動によりしてはならない攻撃を加えてしまう事もある。
だが、幸いにして歴戦の海の男達は冷静であった。艦長なぞ、余裕を以ってパイプにタバコを詰めてそれをくわえて見せた。
「艦長! ポーター艦長!」
副長が何かに気付いたのか艦長に進言した。
「どうしたのかロナルド副長、そんなに慌てて、新たな獲物にジョンブル魂が騒ぐのかね?」
皮肉気な笑いを浮かべてそう切り返す艦長、だが副長は黙って被りをふった。
「頭上の未確認飛行物体ですが、敵性体レクチャーで受けた危険度AAAの物に酷似しております」
「ふむ、君もそれに気付いたか、去年東京湾を襲撃した『エンジェル』、と形状が酷似しているな。取りあえず、レーダーの照射は停止してくれたまえ。データーによれば敵対行動を取った物に対し自動的に攻撃する、とあったからな」
「はい、既に命じております」
「うむ。国王陛下に胸を張って報告出来る素早い上等な判断だ」
「は、それでこれからの対応は?」
「取りあえず監視だな。頭上の脅威の飛行速度、針路を監視し、分析せよ」
「無電での報告は…」
「現状では危険だな。アレのどこに目が着いているのかは知らないが、少なくともこちらに気付いてはいるだろう。アレはこの靄を隠れ蓑にして行動しているようだから、航空機による監視も容易では無い。1時間ばかり監視行動を取った後に再度靄の中に突入し、外部に出た所で報告準備だ。他に何か気付いた事があれば言いたまえ」
「は、艦長」
「うん?」
自分の気付かない事に気付いたらしい副長に好奇の視線を向けながらパイプに火を着けようと艦長はポケットの中のマッチを探った。
「ここは禁煙ですが?」
「…分かっとる、くわえているだけだ」
彼らが使徒と遭遇してから3時間後、豪州派遣艦隊司令部に漸く無電の一報が入った。
「司令!」
通信員から電報を受け取った参謀は司令室へ血相を替えて飛び込んで来た。
「数時間前から消息を断っていた哨戒艦から無電が入りました」
件の艦が消息を断つ僅か数分前、気象班から司令部に濃霧警報が出ていた。
当初は只のガスだろうと思われていたので、レーダー搭載艦ならば問題無しと考えられていた。
しかし、雲、つまり空中の水分に反応する気象レーダーだけでなく対船舶用の近遠距離のオールレンジでレーダーが使用出来ないと判明した途端、敵性体のジャミングでは無いかと言う判断が成されたのだ。
となると艦隊全ての警戒レベルを上げる必要があるのだが…こうなると艦の消息不明の判断は通信機の故障が主から撃沈が主に切り替わる。
当該海域に進出していた艦は2隻、内一隻は無電が途切れてから数分で通信が回復した為に司令部でも胸を撫で下ろしていたのだが、行動を共にしていた僚艦とは靄の中ではぐれたと言う事であった。
最悪、撃沈が考慮される事態にここの空気はピリピリしていたのだ、だがそれも一瞬和らいだのだが…次の報告にここ豪州だけでなく、日本までも激震に襲われる事になった。
「おお、ハーマイオニは無事だったか」
「ハッ、対空巡洋護衛艦ハーマイオニよりの緊急報であります。発ハマイオニ 宛豪州艦隊司令部 我、オーストラリア近海にて使徒TYPE−05と接触、雲界によりの電波障害の為1h監視の後対象と分離し報告。目標速度毎時50キロにて北方へ移動中、当艦これより再度の接触を試みる。以上であります」
参謀の報告に一瞬唖然とした司令は直ぐに正気に返ると警戒体制を指示するともに日本連合自衛隊統合作戦本部へ連絡を送った。
平時の緩やかな時間は急激に加速を始めた。