〇〇〇二〇四〇五一八三〇(新世紀2年4月5日午後6時30分)
既に陣地設営を終えていたアメリカ軍の前にムーのロボット兵の軍勢が迫って来ていた。
3/4世紀を超える開発歴を持つ無人偵察機は高度一万メートルに位置し、高度に発展した電波探知機と光学機器を用いて地上の捜査を行った。
観測データーによると地上には、それまで後続を待ち戦力を貯め込んだのだろうか、今まで観測された事のない様な大軍団、50万を超える戦闘ロボットの群れがあった。
その彼我距離は50キロにまで近付いて来ており。横に1万列、縦に50列、20メートル間隔に端から端まで二〇〇〇〇〇メートル、つまり二〇〇キロもの隊列を作っている事が確認されていた。
それらが時速一〇キロの低速で真っ直ぐ向かってきていた。
ムーのロボットの目的は敵を、つまり人間を倒す事であり拠点がどうのと云う事よりも目前の人間を狩る事が最優先事項である。
その為、既に避難が終了し民間人が居ないこの平野での彼らの目的を果たす為、武装の有無は低い優先順位しか与えられていなかった。
この予想を超える大軍団にアメリカ軍統合本部もパニック状態に囚われ掛けたが、大反攻作戦の第一部として設定されている防御戦の作業は続行された。
ただしひとつ幸いと言えたのは、予想していた機甲兵器の姿は確認されていない事であろうか。
しかし、それぞれが人間の歩兵を遥かに超える戦闘能力を保持しているのだ。
話だけからすれば三国志に出てくる様な膨大な規模の敵、しかも現代によみがえった強固な重装歩兵を前にしてアメリカ軍には緊張が走った。
その膨大な数のロボット達が歩くたびに巻き起こる土煙の為、既に夕闇に包まれていた地平線は完全に見えなくなっていた。
これだけ膨大なロボットが居ながら、アメリカ軍はひとつ有利な点があった。
敵の火器であるレーザー砲は1体につき2基あった為、全体の数からすれば100万ものレーザー砲がアメリカ軍に向けられている事になる。
しかし、彼らはほぼ3メートルと云う身長で固められていた為、それを撃つ事が出来るのは前から1〜2列だけであったからだ。
アメリカ軍の第一攻撃陣として最初に敢行されたのは巡航ミサイルの飽和攻撃であった。
後方陣地に用意された200基もの多連装装填装置付きランチャーは攻撃開始の合図と共にケーシングの中に仕舞い込まれた全長10メートルもの巡航ミサイルを大空に向けて撃ち出した。
きちんと整備された通常弾頭型の巡航ミサイルは故障もなく目標目掛けて飛翔していった。
巡航ミサイルの航法装置は、前もって入力された地図に従って地形を照合しながら極低空をジェットエンジンにて飛行する。
巡航時のそれを地上からそれを見ると、まるで手が届きそうな低空をそのマーキングがハッキリと視認出来るスピードで移動するのである。これは湾岸戦争の時のイラク国民かWW II の際のイギリス市民にとってはお馴染みのものだ。
巡航ミサイルは接近を察知されぬ様に低空飛行を続け味方陣地の上を超低空でジェットエンジンを吹かして飛び去っていった。
そして目標近くにまで接近するとジェットエンジンを切り離しロケットモーターに切り替えた。
それまで亜音速域を目にも止まる速さで飛翔していた巡航ミサイルはいきなりM2ものスピードで急上昇し、ムーの軍勢の直上から急降下を開始しようとした。
しかし、現在のムーの隊列の関係上、前方に向かっては前列しか攻撃出来なかったレーザー砲だが、上空を飛んでいる飛行物体に対しては射界が開けていた為に巡航ミサイル1基に対して20条ものレーザー光線の過飽和攻撃が集中したのである。
数十機もの巡航ミサイルは敵陣に飛び込む間も無くたちどころに全基が撃ち落とされてしまった。
それはVT信管の登場によって壊滅的な被害を被った日本海軍の攻撃機の末路よりも完璧なワンサイドゲームであったのだ。
その様子をレーダーにて監視していた後方で、次段に設定していた有人攻撃機と爆撃機による航空攻撃が急遽取り止めになったのは仕方がない所であろう。
この様な濃密な対空砲火の中に飛び込めと言うのは相手に何ら被害を与えず只単にパイロット達に自殺を強要する様な物である。
もしも強行したとしても只の無駄死にだ。
戦場はアドリブが強要される舞台である。
あらかじめ作戦を計画していても相手、そして第三者の思惑、自然環境の影響で状況はコロコロ変わって行く。
優れた軍略家はそれらを加味して作戦を構築して行く。
そしてアメリカには優れた軍略家もいたが、第二次世界大戦からこっち120年間も戦いつづけて得たシステマチックな軍のシステムが存在していた。
過去のあらゆる戦役から教訓を取り出し、相手の出方を推察し対応した防衛行動と先手を打つ攻撃行動を導くのである。
しかし、データーのそろっていない敵を相手にするには荷が重過ぎたようだ。
従来の戦法の延長で考えられた規模による誘導ロケット弾による多重攻撃はこの敵に対しては単純かつ小規模過ぎたのである。
考えられない様な防御火線の濃密さに戦場を監視していたアメリカ軍の司令部では更なる密度を持った飽和攻撃を行えるだけの余力があるかどうか確認を行ったが、準備万端整え戦線を構築していたとは言え、戦場ドクトリンを無視した様な敵に対しての備えは万全とは言いがたいものであったのだ。
これに対し司令部は苦肉の策として長距離砲撃による斬減策を取ったのだが、これが意外と効果があった。
ムーの文明は高度に進化しており、その武器体系も全体的にエネルギー兵器とミサイルが中心であり、打ちっ放しで放物線を描いて飛んでくる砲弾の事は考慮外に置かれていた。
実際の所、レーダー照射を行い、砲弾が接近してくる事に気付いていたのだがビーム砲の迎撃率はミサイルや航空機に対するものに比べて格段に小さかった。
既に彼らの思考ルーチンからは弾道軌道を描いて飛来する弾頭に対する迎撃プログラムは省かれている様だった。
彼らの世界に於いてもコンピューターの発祥は放物線軌道を計算する事が目的であったにも関わらず、堕落したものである。
基本的に音速程度の速度しか持たない砲弾であったが、大陸間弾道弾よりも格段に小さい無動力の砲弾に対しては迎撃手段が無いというのが現状である。
もっとも、最高性能のカメラを搭載すれば飛んでくる銃弾を捉え、それを回避することも不可能ではないのだが、彼ら一般兵に必要な機能とは考えられていなかった為識別に必要な最低限の広域波長カメラしか搭載していないのだ。
アメリカ側の砲撃陣地からは202ミリ榴弾砲や155ミリ榴弾砲、その他自走砲が列を成して敵に向けて砲撃を敢行した。
この際、砲弾は通常の榴弾と焼夷爆弾が混ぜられていた。
今回の場合、徹甲弾は未だに有効打撃を与えられる程接近していなかった為、遠距離攻撃が可能な砲弾を用いていた。
先に述べた弾種は大きく弧を描く放物線軌道を描いていたのだが、その場合敵には水平方向ではなく投影面積の小さい垂直方向から近付いて行く為直撃は難しかった。
だが通常の瑠弾は瞬発信管を用いていた為、破片は40メートル程の扇形に広がった。
その破片はムーの戦闘ロボット達には致命傷を与えられなかったが機能障害を引き起こす程度の損害と焼夷爆弾の爆風と激しく燃えるジェル状のガソリンが発する高温による熱暴走を誘発させる事に成功した。
出鼻を挫かれているムーのロボット軍団に耐久限度を超える急激な加熱により制御回路を焼き切られ、関節に異常を生じたムーの戦闘ロボット達が横たわっていた。
ムーの戦闘ロボットはその活動に酸素を必須元素としていなかったが、流石の戦闘ロボットも一瞬にして機体外温度が数百度まで上昇すると機体各所の制御回路が熱暴走を起こし動作を停止してしまった。
その成果に勢い付いたアメリカ軍は以前よりも更に攻撃の勢いを増したのである。
ただし、従来通りの砲撃の上に、つるべ打ちの様に全力射撃を行った為弾着観測による修正が追いつかずほぼ無闇矢鱈に面制圧射撃を繰り返すのみである。
それでもロボット達は僅か20メートルの間隔しか空けていなかった為に、着弾地点からの爆発力がもたらす有効破壊範囲内に1機以上の敵が含まれており、焼け石に水といった様相では有ったが確実に損害を与えていた。
しかし、恐怖という概念すら知らぬムーの戦闘ロボット達は前列が倒れると空かさず後列が補充に入り、隊列としての戦力は余り磨り減らなかった。
層自体は少しずつ薄くなってきたのだが、攻撃を担当する前2列が途切れる事はなかったのである。
幾ら叩いても、味方の破壊された姿にも怯まずに近寄ってくるムーに対してアメリカ軍の兵士達は怯えにも似た焦りを感じていた。
こんな事は彼らの歴史に於ける110年前の日本軍相手か80年前のベトナムでのベトコン相手にしか味わった事のない恐怖である。
過去、戦場に於ける兵士達の精神的な戦傷による士気の低下を経験していたアメリカ軍は、この様な事態を防ぐ為に夜間戦闘能力や省人化を進めてきていたのだが、この完全無人のロボット軍団が相手では分が悪かった。
そしてとうとう今まで甘んじて攻撃されていたムーの反撃が始まった。
ムーの軍団は10キロほど離れた地点からレーザー砲による攻撃を始めたが、収束率の関係から築かれた土塁を崩すには至らず、それどころか熱せられた空気の層によって屈折が起きてしまい、まともに真っ直ぐに進む事もなかった。
この報告を聞いた指揮官は、敵を嘲っていった。
「所詮は陳腐なプログラムに従ってしか行動の出来ない木偶よ。しかし味方の消耗は避けたい、備えは必要だな。直ちにスモークを張り、より完全に敵のレーザーを封じろ」
直ぐに命令が下り、MBTのスモークディスチャージャーや擲弾筒から煙幕弾が前方に向けて撃ち出された。
この日、この大平原はほぼ完全な無風であり、一度漂い始めた煙幕はその場に留まりレーザーの熱を吸収し続けたのだ。
異変は最も敵に近い塹壕から始まった。
敵の打ち続けたレーザー砲の数は前2列、約2万体弱の戦闘ロボットにそれぞれ2基備わっていた為合計4万基。
それがわざわざ大気中の水分子と干渉しやすい波長に合わせて撃ち続けられたのだ。
しかも不運な事に米軍陣地の直前にはレーザーを受け止める煙幕まで張られていたのである。
撃ち放たれた瞬間は収束率が高く、大気に伝える熱量も少なかったのだが、距離が進むに連れ拡散し照射域が広がったレーザー光線は大気に干渉し、大量の熱エネルギーを大気に移していった。
その為、1番壕の気温はあっと言う間に60度を超えてしまった。
アメリカ中部の乾燥地帯出身の者でも音を上げる程の気温に、前線指揮官は後方への撤退を決断した。
幸い塹壕間は連絡路が掘られていた為、彼らは熱で倒れた者を担ぎながら後方へ待避する事に成功した。
攻撃が続く内に無風の筈の平原に風が沸き立っていた。
スモークを中心とした範囲の気温が上昇した事で上昇気流が発生、そこに周囲から空気が集まってきたのだ。
最初はただのつむじ風だったのが、見る見るうちに旋風となり、更に灼けた空気が入り込む事によって中心温度の上昇を伴い地上に放置されていた可燃物に引火、平原に巨大な火渦の柱が立ち上った。
炎の竜巻は塹壕と土塁、そして残っていた装甲兵器を呑み込みながら数十キロに渡って前線を蹂躙してから消え去っていった。
前線崩壊の報告は直ぐさま後方の司令部に入った。
被害報告によると、前線の数ヶ所にて極高温の空気による竜巻が発生し土塁と塹壕、そして塹壕に潜んでいた兵士達を根こそぎ破壊していた。
中でも東部方面の被害は激しく、防護陣地に甚大な被害が発生、避難していた兵士達を直撃し700名の兵士が行方不明となっていた。
その隙を突かれる事を恐れた司令部は直ぐに後方にて待機していた実験兵器の投入を決断、陸上駆逐艦とも言える「DEVIL FISH」20台を前線へと移動、「ブロンコ II 重装改」陸上戦闘機40機を防御仕切れない場所へ急行させるべく待機とした。