スーパーSF大戦 インターミッション 

「特車隊西へ んでもって 戦車隊は東へ!」




 時空融合によって多数の世界が融合した日本列島であったが、工業の中心地は小学校の頃の社会科で習ったようにその大半が太平洋側の太平洋ベルト地帯に納まっていた。
 今までは主に東京を中心に語って来たが、今回は関西方面に目を向けてみよう。
 江戸が東京に変わり、上方系の企業もその本社を東京に置くようになった近世以降であったが、産業の大部分は太平洋岸周辺に分布していることには変わりなかった。
 しかし、この世界に於いてはそれが会社にとって大きな業務上の障害になってしまったのだ。
 詳細は後の話に譲るとして、日本の工業の特色として名高い看板方式による無駄を一切省いた形式の資材管理方式が災害に弱いことは大部分の世界が経験した「阪神・淡路大地震」によって明らかになった事は記憶に新しいところだと思うが、今回の場合、他の一工場のみならず子会社や更には取引を行っていた提携先や取引会社自体が消失してしまったのだ。
 事件が起こったのが深夜だと云うこともあり、3交替制を採っていたところはともかくとして大概の工場が作業人員は元より会社の上層部や営業に携わっていた人員を失ってしまっていたのだ。
 云うまでもなく企業というのはひとつの生き物のような物で、ただ工場で製品を作っていればそれで良いという物ではない。
 全ての部署が連携して、その能力を出し切ることによってはじめて好調な経済活動を行うことが可能なのである。
 その為時空融合直後から、5月1日の連合政府の成立と3日の加治首相の演説から連鎖的に起こった一連の政治改革や経済政策が効果を見せ始めるまでの期間は、官民を問わず経済関係者(一般消費者も含む)にとってはブラックマンデーや第一次世界大戦後のドイツを連想させる悪夢のような期間であったのだ。
 これは基本的に日本全国に営業所や工場が散っている大企業に顕著であった。
 だが農業など、市場を中心とした小規模経営が分散している業種では登録されている取引先とは異なる等と言ったトラブルはあったが数日中に物品の流通が始まった分野もあったのだが。
 しかし、経済的にはそれ以外の障害も発生していた。
 今回、かなりの範囲の時代がひとつになってしまった、つまり貨幣の基準ひとつ取ってしてもその算定が混乱の原因になってしまったのだ。
 考えて見なくとも、昭和元年と平成元年の1円の価値にどれほどの差がある事か。
 その対応の為に優れた指導者である高橋 是清「だるま宰相」を大蔵大臣兼経済企画庁長官として任命し、彼の手腕を以てして5月1日から7月19日までの2ヶ月間に限定されてはいたが通常では考えられないような高橋大臣の強大な権限を使って始められた新「円」への移行と言う厄介な事業もようやく軌道に乗ったところであったのだ。
 もっともこの様な精緻極まる作業が必要な物が僅か2ヶ月で済むはずもなく、彼が経済財務担当補佐官に落ち着いてからも通貨統合の作業や民間の借金免債等の重要な経済政策が続けられているのだが。

 やはり基本は、金 (GOLD) を基本とする事になった。
 これと言うのも隣国の中華共同体や、その他の国との交易をいかにスムーズに行うかと言う問題において、最も重要なのは、為替レートの設定であったからだ。
(日本の食料・鉱産資源自給率がかなり低い事はどの世界においても地政学的に明らかだったからだ・・・輸入しないと干上がってしまう)

 さまざまな案が出されたが、斬新なしかも決定的な案は無く、結果的に古典的な政策がとられる事になったのだ。
 調査の結果、社会として成り立っている世界において、金はどの世界でも貴金属としての優位を保ったままである事が判明した。
(希金属ではないので注意)
 また、それぞれの国でそこそこの量が産出され流通していていた。
 また、日本国内に目を向けると転移してきた世界のうち2000年に近い世界が結構多かった(実際には199X年とか)事と、政治・経済の中心が加治首相の世界に掌握された事により税金等の算定システムが現世のモノとほぼ変わらないもので政治が進行していった為、そうするとどうしても中央政府の通貨価値を基準に置く必要が出てきます

 そこで高橋大臣は次の様な手順を用いて新円への移行の手続きを開始したのだ。

 金相場を一時凍結し、1gを1000(新)円とし暫定的に夏目漱石、新渡戸稲造、福沢諭吉の意匠が入った札を使用、硬貨も2000年に使用していたモノを暫定使用とし、旧札の回収とそれに見合った新札の流通を行った。
 なお、今回の算定の基準に成る金の相場は統合時点(正確にはその前日の終値)の価格とし、インフレを起こさないためにも新札の過大な増刷は行わず可能な限り銀行口座内のデータを書き換えにて遂行された。

 統合された世界では30000円でメイド付きの豪邸が建つような世界も有ったのだが(明治から大正の通貨価値)、月30000円で六畳一間共同トイレ付きの物件(これでも格安)しか借りられない程住宅費が高騰した世界もあったのだ。
 この様にお金の価値が隔絶的に異なり、数値で言えば格差は一万倍を超えるかも物もあったのだが、旧円と新円との変換レートの計算などの際の混乱は日本の基礎教育レベルがそれなりに高かった事が幸いし、(殆どの市民が整数のかけ算・わり算が可能)大きく混乱することは無かったのである。

 なお、特に大きな格差が出た地域(明治・大正・昭和戦前・昭和戦中・昭和終戦直後の世界)に関しては、役所等に最新のコンピュータとオペレータ、中央とのネットワークを配置(数が足らないので現行の標準的な表計算ソフト等を使えるを特別公務員として採用)少なくとも公共料金と、税金の面で新円への移行を行ったのである。
 なお、自治体によっては、中央政府の新円使用を嫌い独自の通貨を流通させようとした地域もあったが、隣接地域との商売が巧くいかないうえに国内の公共料金が新円に統一されたので独自通貨は、非常に不便であり市民が率先して新円の方を使用したので結局頓挫となった。

 ちなみに新円の普及のために以下の方法がとられた
 公共料金等を公定価格の名称にて以下の金額で一時的に固定(解放後、業者間での値下げ競争が始まる)
 郵便料金:官製はがき1枚50円・定型封書1個80円・・・・(2000年時の基準を使用)
 電話料金:3分間通話、若しくは12Mbのデジタル通信10円(その他、現行NTT価格に準拠)
 電車等初乗り1区間:150円(以降1駅ごとは路線管理者に一任)
 バス等初乗り1区間:200円(以降1駅ごとは路線管理者に一任)
 タクシー初乗り区間:650(小型)(以降1カウンターごとの料金は業者に一任)
 上記の業者一任の部分に関しては後に公定監査が入った(悪徳な業者も有ったと言うことです)
 ・・・・・・・・

 並びに、公共事業に関わった労働者への賃金も地域に関わりなく新円にて支給
(業者に対して政府より厳命された)
 また、政府による購買も新円にて行われた

 かなり強引に事を進めることに成ったのであるが、目安が出来たことは正常な経済活動の先駆けとなったのだった。
 何しろそれまでは隣り町に行っただけで見知らぬ人物が描かれた紙幣が出回り、本当にこれが流通しているのか、子供銀行かなんかのオモチャの金を掴まされたのではないのかと疑心暗鬼に陥ってしまったのだ。
 特に2000年に発行された2000円札という妙な価値を持つ紙幣が偽札として交番に届けられた例が多い。
 だが、全国の銀行に偽札を掴まされないための旧紙幣の見本と交換レート換算表が張り出された為にようやく安心して商品の売買が可能になったのだ。
 基本的に旧札と新札の換算はその旧札を取り扱っている銀行のみに限られ、慣れぬ他行の紙幣の判別に手間取る事を予防した。(これは各銀行がそれぞれ独自にとった手法であったが、顧客からは不満の声が上がった。しかし、結果的にこれが経済の混乱を迅速に収める事になったのだ)

 尚余談だが、この期間全国に偏在するコインコレクター、及び切手コレクター達は世代年齢の枠を超えて共闘暗躍し、急速に数を減らしつつ有る全国各地の貨幣紙幣、それに切手の類を集めまくったと言う。

 附加資料:L社のガムに見る物価の変遷

  1957頃:1枚3.5円
  1974頃:1枚7円
  1991頃:1枚11円
  2000年:1枚11円

 結構格差がある物ですね・・・約50年で3倍・・・

しかも円高による輸入価格の相対的な下落があるのですから。


 8月も過ぎ、連合政府の行政機構再編が済んでも、民間の企業が時空融合以前の状態に戻ったわけではなかった。
 特に銀行は保有している資産(紙幣や有価証券)の大半が紙切れ同然と化し、企業や個人向けの担保として保有していた物の大部分を消失。
 皮肉な事に、一時は銀行が準備している金との兌換券を元に金券を発行している古い金本位制の銀行の方が安定した経営基盤を保っており、金本位制から脱却し非兌換券を取り扱っていた現代型の銀行の大部分が倒産寸前にまで追いつめられたのだが、現在は経済財政戦略会議の基本経済政策に基づく経済省の具体的な金融再編実行計画による指導の下、銀行から証券・保険・農協・郵貯はては消費者金融までありとあらゆる金融機関を巻き込んだ大規模な業界再編を行っている最中である。

 銀行が困れば、当然の事ながら融資によって新たな事業を成そうとする企業も困る。
 そこで、政府は素早く数多くの政策を生み出し実行した。

 その内のひとつが産業構造の再編であり、又、政府による産業界への仕事の依頼であった。
 後者として目立ったのが、民間造船業(小規模をも含む)への自衛艦船の製作発注や改装であった。
 これは多数の平和団体からの抗議が相次いだのだが、実際この時期の日本連合政府としては可及的速やかに実行されねばならなかった物であった。
 海外との安全な貿易手段は失われたが、資源の乏しい日本としては、海外貿易は必要不可欠なもので、この手段として商船団を編成し、それを艦隊が護衛して航海するという文字通りの船団護衛方式が必要だった。
 その為には「呉」の他、日本各地に保有してあった連合艦隊他に所属していた旧式艦を改装し軍備の再編を進める必要があった。

 だが大変拙いことに、関西方面における造船は主に大型のドックが多数存在する神戸にて行われていたのだが、この世界に出現した神戸は地球が極度に乾燥してしまった世界由来の街であり、砂の海を航行するための砂船用の設備は非常に良く整えられていたのだが、新世紀では海はあくまでも海水によって満たされており、神戸においては、日本が世界に誇る造船技術が発揮出来ない状態だったのだ。
 とは言え砂という水に比べて格段に高い抵抗を持つ砂の海を航行する事の出来る砂船の工作精度は水船よりも高く、水船建造へと変換することも可能であったため、現在ポートアイランドを運営している神戸市長の発案による「リ・ポートピアプラン」が発動され、現在港周りの浚渫と工事が急ピッチで進められていた。
(とは言え、その開港までのタイムラグを大阪府に突かれて第2関空予定地への「りんくうタウン」建設と云う新工業商業コンプレックスとしてのシェア争いを繰り広げているのだが、その「リ・ポートピア プラン」の浚渫で有り余った砂を加工した高耐久式の人工地盤<商品名:ポリコン、カーボン並の耐久性を持つポリウォーターに砂を混ぜた製品。セメントの硬化プロセスとその化学変化を解き明かし改良した新型のコンクリートで、添加物を変更する事により無色透明にして鉄並の硬度を持たせる事も可能。 この新素材を用いることにより建築屋の設計にかなりの自由度が与えられた上に、建設ラッシュとこの建材を用いた事によるコストパフォーマンスの良さもあり土建屋さんの躍進が行われた。 尚、余談だが、後にこの技術を逆に利用してコンクリートを水とセメントと砂に分離する技術も開発されている>が「りんくうタウン」の埋め立て資材として採用されたというのはかなりの皮肉と言えるだろう。逆にそれこそ経済の本質と言えるかも知れないが。 ちなみにこの砂はビル建造の資源等として各地に売られて行き「リ・ポートピアプラン」の資金源となったのだが、彼ら生体建材を持つ者達にとっては無用の長物に過ぎなかったのだ。この点も皮肉と言えるだろう)
 その為、多すぎる艦船の改装に対して足りない造船所への対処、として本来ならば小型のタンカーなどを製造している民間への発注が進んだ経緯もある。

 再編が進んだのは金融や造船業界だけではない。
 一般企業もかなりの自然淘汰が進行していた。
 これは多くの日本企業が地域密着タイプと云うよりもベッドタウンから距離が離れた企業が集中している地域へと出勤する生活が中心だったためだ。
 時空融合の時刻は大体0時を回った時点であった為、大部分の人間は自宅で休息していた。
 そして翌朝になってみると自分の勤務していた企業は跡形もなくなっていた、と言う事例が多発したのだ。
 と、言うワケで日本は完全失業率が一時期80パーセントを超えた。
 正に悪夢であったわけだが、ここで略奪やクーデターが起きなかったのは日本人の呑気な特性もあるだろうが、加治首相やGGGを初めとする政府機関が速やかに正確な情報をあらゆるメディアを用いて国民に対して知らせて回った為、国民が流言などに左右されず秩序有る行動が取れたためである。

 ともあれ都市毎移ってきた第3新東京市のような希有な例は別にして、各地に出現した企業は頭(上層)と体(従業員)の大半を失った形での再出発を余儀なくされたのだ。
 それが地域毎の経済格差を一時的に生みだしたのだが、行政の一大政策により勢力を取り戻しただけではなく東のSCEBAI(スケベイ)、西の大日本技研(ポセイドン)とまで言われるようになったのが大阪府知事の推し進めた「りんくうタウン」開発計画であった。
 関空第2期工事が始まっていた関西国際空港であったが、国際線が消滅した現在、関空の借金を返済する計画が成り立たなくなった為、大阪府は初年度から3年間の土地の使用料(税金)をゼロにするという条件で「りんくうタウン」を企業に分譲、困窮していた土建屋と造船系企業が大躍進した。
(大阪府は、企業が落とす税金よりも作業員一人一人が落とす税金に着目し、結果大当たり)

 この大阪府の法案が急遽実行に移された当初、それ以外の業種の反響は芳しくない物だった。
 だが、有ることをきっかけにしてそれぞれ特殊な技術を保有する中小企業の連携を高める為の互助会的な組織として作られた物が結果的に彼らをまとめ上げる事になったのだ。
 きっかけはこうだった。
 科学技術省の外局として、旧政府の特許庁と各省庁の技術情報収集部門を統合して成立した技術管理庁は、それぞれの世界の技術を調査する為にそれらの技術の結晶である工業規格を虱潰しに調査し始めた。
 するとどうだろう、予想通りJIS(Japan Indastrial Standard=日本工業規格)はそれぞれの世界で培われた技術によりそれぞれの世界で異なることが確認されたのである。
 工業規格という物が有ればこそ、工場はわざわざネジ一本を発注するたびにわざわざ設計図を描く手間を省くことが出来る。
 つまりその世界で確立した技術は工業規格を解析すれば一般的な物で有れば調べることが出来るのだ。
 そしてその調査結果から基本的な物、つまり機械的な物ならばネジや管、その他トイレットペーパーに至るまで一般的な物についてはほとんどが共通していることが確認されたのだ。
 例えばナノマシーンが一般的に普及している世界ならばナノマシーンの規格が制定されていることが分かるし、蒸気機関が異常に発展した世界ではそれらの規格も我々の世界以上に細かく規定されていた。(変わったところでは精霊石のカット基準や人工知能のチューリングテスト規定などがあった)
 それを受けて科学技術省規格局は、それらをひとつにまとめて新たな工業規格を策定しようと新日本工業規格(NJIS=New Japan Indastrial Standard)準備委員会を組織し調査を更に推し進めるために各地から工業学者と技術者を集めた。

 ところで5月末から6月初旬に世界各地に散った調査団の第一次報告書が7月始めまでには纏められた。
 これによると、この世界に於いて日本連合の技術力は一部の突出した研究所の物を除いてそれ程優れた物では無い事が判明したのだった。
 隣国たる中華共同体ではシズマ=フォーグラードライブを初めとする高い技術力を持っていたし太平洋を隔てたアメリカ合衆国は約80年は進んだ実用工業技術を持っていた、挙げ句の果てにはエマーン商業帝国のように慣性制御等という二〇世代は進んでいるとしか思えぬ技術文明を持つ国さえ有ったのだ。
(後日、幸いにしてナデシコという重力制御技術を持つ文明が日本にあった事を知った時の関係者の安堵が如何ばかりの物であったかは想像が出来るだろう)
 それに対し日本連合の優れた特色としては多種多様な技術を持ち、優れた応用技術を持つと云うことであった。
 そこから何とか今ある技術を発展させた上で外国の優れた技術を吸収し、自らの物にすることが出来なければかつての英国と印度の関係のように、日本の未来は無いと予想されたのだ。
 しかし、今ここに集められた技術を一般に発表・教育し、それを育成する機関は無かった。
 また、加治首相は民間主導の自由経済政策を推進していたため、結局その為の官主導機関は設置されなかった。
 だが、関西地方(主に東大阪の工業地帯に集中していた)の中小企業の互助組織として機能し始めていた関西中小工業共同組合(後の大日本技研/ポセイドン)に新日本工業規格の調査員の人達が絡んでからそれらに似た動きが見え始めた。
 彼らは国や自治体から何とか資金をもぎ取り、自らが持つ技術を持ち寄って新たな商品開発の道を模索する一方、組合内にそれらの技術を教育する機関を造り上げたのだった。

 この発想は時空融合後活発に議論された各分野から寄せられた数多くの提案の中の一通の電子メールが元となっていた。
 以下にそのメール(一部)を紹介しよう。
 発信者「小さな一技術者」様

〜前略〜
 この世界(特に日本)は多くのそれぞれ時間軸の異なった世界が融合した世界であり、またそれぞれの世界はそれぞれの技術の積み重ねを持っております。
 そのことによって、それぞれの世界の間での技術格差や不揃いを生むのは間違いない事と思われます。
 例を上げるならば、ある世界ではナノマシンが既に実用化されておりますが別の世界では開発途上の段階であります。また他の世界では車のエンジンとしてピストン式が一般的に利用されておりますが、ピストンよりロータリーエンジンが普及している世界も存在します。またある世界では青色レーザーを成功させた技術者が国内に残っているが、別の世界では既にアメリカの研究所へ留学してしまって国内にいないという例。また他にもいろいろな状況下の世界があると思われます。
 また、このような異世界の異なる技術同士を組み合わせることは、技術史の面から考えましても、新技術の誕生などを引き起こし、新たな発展を遂げることは歴史が証明しております。
 しかし、このような異なる技術の結合、技術交換は国家レベル、特に軍事方面では容易く進みますが、(目的付けがはっきり成されているため)、民間レベル、民需の面では容易ではないと思われます(目的が明確でない、企業秘密など)。特に中小の企業では、知名度がない、企業間の人脈の様なものが狭い、などの理由から、どれだけその企業が良い技術を持っていても、それが表に出ることなく途絶えてしまうという例は、今まで自分が生活していた世界においても多数存在しました。そしてこの新世紀においては、それがますます多くなるものと思われます(全く知らない世界同士の結合が起きたのですから)。
 そこで、このような事例を憂う、一技術者からの加治首相閣下への提案です。
 この世界の技術者向け、特に民間技術者向けの「技術学校」のようなものを作っていただけませんでしょうか?
 それぞれの世界の技術者達が集い、それぞれの技術を教え合い、学び合い、かつ持ち寄られたデータを蓄積し、広く世間に公開することによってまた在野の技術者や起業家達を刺激し、新たな企業、新たな産業の発展を促す。また、それて平行して、志ある人々を集め、優秀な技術者として育成する。つまり、技術者統制機能、多様な技術のデータバンク機能、また新たな起業家達の支援機能を併せ持った機関を設立する。ということであります。 
 一例を上げますならば、ある世界の企業では高性能のモーターを完成させました。
 また、別の世界の企業は既に十分高性能な蓄電池を既に製品化していました。これらに別の社の高性能の太陽電池がこの新機関の技術交換によって組み合わされ、充電を必要としない電気自動車がついに完成しました。この話を聞きつけたとある自動車メーカーが自社の工場を使って大量生産し大成功。参加した全ての企業に莫大な利益をもたらした。ということも考えられるわけです。
 これは、加治首相閣下がなされた所信表明演説の方針にぴったりと合致すると思うのですが。
 全ての技術というのは結局歴史的な積み重ねです。ところが、新世紀においてはそれぞれ積み重ねの異なる世界がまとまってしまいました。このようなギャップを埋めるためにも、特に民需の分野においては、このような機関の存在が必要不可欠になると思われます。
 〜後略〜

 こうして関西中小工業共同組合(後の大日本技研/ポセイドン)主導の元「りんくうタウン」には、それらの特殊な技術を持つ人材が集まり始め、今までにない複合技術開発や競争力の高い新商品の開発が軌道に乗り始めたのだがそれに伴い彼らを派遣した工場、大半は中小工業であったがそちらへの商品やサンプルの発注も増えだしたのだ。
 何故なら、産業には基盤が必要なのは言うまでもない。
 例えば精密機械を作るためにはその精密機械を作るための工作機械を作る会社が必要なのだ。
 そしてその工作機械を作るためには高精度のスケールなど様々な物が必要であり、それらを一社のみですべて賄う事はよほどの大企業でなければ出来ない芸当であるが、規模としては小さくても、それら様々な個々の技術をそれぞれの会社が高度に蓄積した中小企業が大量に出現した関西地区(それは他の工業地帯も同様であったが)は正に技術の宝石箱とでも言うべき状態だった。
 この下請けなどの町工場には高い技術力を持った人間が住居と一体化した作業場で家内工業を以て仕事をしている場合が多く、時空融合後もそれ以前の環境と人材をそのまま揃えている場合が多かった。
 これは非常に大きなアドバンテージであった。
 それらに比して規模の大きな工場も慌てて作業員を雇いはじめてはいたが、やはり慣れぬ作業に対しては教育を受ける期間もあれば実際の現場で実際の作業になれる必要があり、俊敏な小動物に比べ巨大な象の歩みがゆっくりしているように感じられるように遅々として業務が進まなかったのである。
 それに対し彼ら中小企業は明日にでも自分たちが長年に渡って培ってきた技術を十二分に発揮することが出来た。
 その後、この関西の奇跡を見た各地方工業地帯でも似たような活動が始まったのである。

 それらを見てこの重要性に気付いた者達も多かった。
 関西にていち早く復興した大企業、剣菱重工や佐川兵装、セブロジャパン。
 東京に本社がありいち早く復興し関西に手を伸ばし始めた面堂財閥系企業、水野小路財閥系企業、神崎重工、シャフトエンタープライズジャパン、篠原重工、来栖川重工。
 それら大企業は慌ててそれらを抱き込むべく行動を始めたのだが時既に遅く、閣議の場に於いて例のメールを読んで思いついたと思われる高橋是清経済財務担当補佐官提案による融資の優遇処置や所有者がいなくなり混乱していた特許権法の見直し作業もあった為、大概は大日本技研(この頃は関西中小工業共同組合(後の大日本技研/ポセイドン))の下に付いたのである。
 勿論の事ながら、全ての中小企業が参加したわけではなかった。
 およそ全体の40パーセントと言った所であろう。
 だが、そう言う不参加の所ほど吸収や合併に対して強い抵抗感を持っていた。
 何故ならば彼らは自らの高い技術力に誇りを持っており、どの様な環境でも向こうから仕事を頼んでくるはずだと考えており、そしてそれだけの実力を実際に持っていたからだ。
 中には新日本工業規格での調査の際に自分の持つ全ての技術を提供していながらあくまでも独立にこだわった企業も多かったのである。
 それでは仕事にならないだろうと考えるかも知れないが、彼らにとって技術を教えたからと言ってそれで自分たちの仕事が無くなる心配などしていなかった。
 ある工業雑誌にインタビューを受けたある企業経営者兼技術者はこう答えた。

「今持っている技術を売ったからと言ってそれで私たちの仕事が無くなるだって? 確かにこの前開発した新型の金属加工法はある企業にパテントやノウハウごと売っちまったけどそれで私たちの仕事が無くなるなんて考えて貰っちゃそれは俺達を舐めてる証拠だよ。実際に今はこの前閃いて考案した新しい加工技術を使って新しい製品を作ってるんだ。絶対にドコの工場でも真似できないような加工法だ。原理自体はそう難しい物じゃないけどな、何なら見ていって見るかい? 企業秘密? 大丈夫大丈夫、工作機械や金型を見ただけじゃ絶対に真似なんて出来るわけないんだから。秘密はウチで培ってきたあるノウハウが分からなくちゃ絶対に理解できない物だしな、見ただけでウチと同じ製品を作れるなんて甘いこと考えて貰いたくないね。いいかい? うちには技術は売るほどあるんだぜ」

 そうこうして時空融合から約半年が経過した10月にもなると以後の日本の工業界の大まかな道筋が見え始めてきた。
 生き残る物は生き残り、そうでない物は潰れていったのである。
 それを決定付けたのはやはりトップの判断が如何に適切であったか、と言う点にのみ絞られた。
 過去の失われた物に固執した企業は出遅れたのだ。
 すぐに思考を切り替え、これを好機と捉えた企業は最良の財産を手に入れた。
 既に言ったとおり、能力や人格の如何を問わず職を失った人達が巷には溢れていたのだ。
 一気に始まった就職危機は未だに収まってはいなかったとは言え、急速に雇用の促進が進み解消の方向へと進んだのである。
 またそれらの企業は自分たちのいた世界とそれぞれの世界においての企業知名度と、そのイメージの関係に大きく相違があった為(有る世界では、世界に誇る1流企業、有る世界では、倒産4秒前)それぞれが新しい企業名へ変更が始まった・・・

 今まで大企業に勤め様々な慣習や制度に慣れ親しんでいた会社人間達もこうして年功序列が一気に解かれ完全な実力主義に入っていった為、関西圏のこれら人々は以前よりも熱心に勉強を始め新世紀元年も後半には経済界の舵を握るようになっていたのだ。
 彼らにとってはここ100年間関東圏に奪われていた、「日本の中心は我々である」と云う誇りを一気に取り戻した気分になったのも仕方のないことだったろう。
 そして数年後、ほとんどそのままの形で関西中小工業共同組合がひとつの資本の元に合併したのが西日本最大の資本と技術力を併せ持つ大日本技研である。

 だが、何もかもが好都合、と言う訳にもいかなかった。
 高い技術力(兵装関係で有名な剣菱重工や銃器メーカーのセブロ等がある)と生体建材で有名な神戸のニューポートシティーは又犯罪率の高さでも有名であったし、世界観が異なれば倫理観も又異なる。
 その上、りんくうタウンの整備とニューポートシティの浚渫と改装作業は急ピッチで行われる事になったため、高い汎用性と作業性を兼ね備えた作業機機、レイバーが大量にりんくうタウンとニューポートシティ周辺の整備に投入されたのであった。
 犯罪率が目に見えて上昇して行くのを目の当たりにした大阪府警は兵庫県警ニューポート署の警官に準じる装備を配備することになった。
 現在の警察官が所持している拳銃は、当然の如く鉛玉である。
 当たり所が良ければ怪我で済む、といった殺傷兵器である。
 それは無闇な発砲率を下げるためには仕方のないところであったが、高い犯罪発生率とその凶悪化と云う現状がその理念を時代遅れの物にしてしまったのだ。
 発砲を躊躇っていては警官自体が危ない自体が多発していたのだ。
 その為に警官は武装を強化せざるを得なかったが、警官が市民を殺してしまうのは何としても避けなければならないことである。
 そこで彼らが手にしたのは通常弾もスタン弾(ゴムや電気弾等の非殺傷兵器)も撃つことが可能なセブロ・ジャパン社製の自動小銃である。
 そしてもう一つの懸念。
 それは大規模なふたつの工事のために急速に集められたレイバーを用いたレイバー犯罪である。
 レイバーにはレイバー、つまりパトレイバーを以てして当たるのが最良なのであろうが、今以上に組織を巨大化するのは市民感情の点から云っても望ましくなかった。
 そこで、SWATの一種である兵庫県警第一戦車大隊を以てレイバー犯罪に対処する運びとなったわけである。

 だが、戦訓も無しにレイバーに対処することは出来なかった。
 そこで兵庫県神戸ニューポート署に分駐する第1中隊第3小隊第1分隊(分隊長・尾崎レオナ巡査部長)とレイバーの取り扱いに関しては最もこなれている警視庁特車2課第2小隊(小隊長・後藤喜一警部補)が両者の中間に位置する自衛隊の富士演習場にある市街地を模した対テロ演習場を借りて模擬戦を行う運びとなった。
 警察組織が自衛隊の演習場を使用する許可が出たのは、元々戦車隊は自衛隊の強い影響下にあり有事の際には自衛隊指揮下に入って作戦に参加する任務を兼ねている所為ではないかと思われるがハッキリとは分かっていない。
 ともあれ戦車隊の剣菱重工製ドミニオン・ボナパルト10・三台は東へ、特車2課第二小隊の篠原重工製AV−98式イングラム3機とAV−0式プロトタイプピースメイカーは西へと進んだのである。




Ver7さんによる設定協力。一部。

Ver.7さん作成、ありがとうございます添付画像.新世紀5年、湾岸工務記録より。

>>関空に関する設定

 神戸が、砂海となっているって事は、神戸港が国際港として使用不可。
 そのため、日本の主な交易品の陸揚げは、各地の港に分散・・・と言うところだったのですが国際線を失っても関空には、税関と検疫センターが残ったままです。
 それらを使わないのはもったいないので図中Aの部分が(新)大阪港 新大阪港第1埠頭として大型船や、超大型艦(現行サイズ以上の他世界の船等)に対応するというのはどうでしょうか?

 現在(A)の付近は、関空貨物ターミナルとして稼働しています。
 設定上無人の荒野となっている(B)の区画はインフラ設備を仕上げてから関西中小工業共同組合の研究拠点として立ち上げが行われた

 ちなみに後の大日本技研がポセイドン(海王)と言われた理由はこの出島を拠点にして浮島や埋め立て地(埋め立て用の土砂は、神戸市から買い取った)を拡げ最終的には大阪湾の半分以上を研究機関や実験設備にしたためである。
 なお、現関空の滑走路部分は、そのまま残して国内線の航空機や軍用機の非常着陸場所(しくじっても海に墜落、住宅地への被害が低減できる?)として利用。
 なお、異文明、異世界の航宙艦、航空艦船の接舷場所としても利用の予定

>>陸地部分について

(C)の部分は、近くに製鉄所や、特殊金属メーカの工場が出現していたので突貫工事にて艦船を収容できるドックが創られ、その他関連企業(艤装品の工場等)が集中した造船の街となった
(D)の区画は、もともと大企業の工場を誘致しようと造成が進んでいた地域であるが「統合前にも実現できなかったコトを混乱の続いている状態で達成できるはずがない」この府知事の考えを元に、地代ゼロの上に建物つきで東大阪地区の中小企業を誘致、その甲斐あって「朝に図面を渡したら翌朝には梱包までされている」と評されるほどの企業集合体が出来上がった。
 なお、後にこの地区の工業システムを長屋システムと言うようになる

(C)(D)の隙間には大きな歓楽街が出来たが許可のない建設重機(主にレイバーを指す)の乗り入れを禁じねばならないほど治安が悪くなり迷惑防止条例の「理由無く危険物(鉄パイプ・ハンマー等)を持ち歩いた罪」による捕縛者が拘留所を埋め尽くしたりもした

 また、政府主導の元、主要な鉄道のリニア化が推進されたため(低速路線はリニアモノレール、高速路線は浮遊式、景観を維持する箇所は現行どおり)公共の交通機関が、安くて早くて快適になったこれにより、和歌山県北部や奈良県西部が今以上にベットタウン化した

 気になる環境対策ですが、神戸に出現した生体建材の技術によって大気面はかなり良い状態、排水の方は、大阪湾で獲れた魚介類を大阪中で消費する(府の環境政策)コトになったので各企業の作業員各個のレベルでマジメに環境問題を考えるようになった。
(実際兵庫県の山の中に有る企業でやってる環境対策、その企業は工場内の池で魚やエビを養殖それをコト有るごとに社長以下全作業員の家族で食する、まさにISO14000を超える環境基準)

新世紀元年7月時期・大阪周辺地図








////アイングラッドの感想////


 今回のプロローグは岡田”雪達磨”さん、Ver7さん、小さな一読者さんの多大な協力が有って初めて書き上げることが出来ました。
 大変にありがとうございます。
 元々は特車2課第2小隊の連中とレオナ尾崎率いる戦車小隊の面々を集めるための簡単な説明で済ますところだったのですが、丁度そこへ小さな一読者さんとVer7さんのアイディアが寄せられたため、すかさずそのアイディアを頂き、今まで触れてこなかった軍事、政府以外の情勢を設定して見たのですが自分だけでは到底まとめ切れませんでした。
 今回の本文の半分程はコピー&ペーストで出来あがっています。
 本当に皆さんのお陰です。
 改めてお三方にありがとうの言葉を捧げたいと思います。




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日本連合 連合議会


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