PRE<学園版>GENERATION





 西暦1981年
 京都府某所にて、六分儀源道(6歳)は戸惑っていた。
 彼の目の前には最近満1歳になったばかりの女児が泣き声を上げながら不機嫌を表明していたからだ。
 彼女は源道の母親、明子の親友である惣流 華子の長女・惣流響子ツェッペリン(戸籍名:惣流響子)。
 華子と一昨年離婚したグラーフ・ツェッペリンとの間に出来た子供であった。
 グラーフは自分の子供が生まれたことを知っているはずだが、1年半前にドイツに戻ってから何の音沙汰もなかった。
 華子は育児休暇をフルに使って昨日まで響子の面倒を見てきたのだが、とうとうそれも終わってしまった。
 身寄りのない華子は生活費を稼ぐため自分の親友である六分儀 明子に響子を預けて働きに出ていた。
 実は女の子のいない明子は喜んで響子の面倒を見ていたのだが、いくら専業主婦の明子とて買い物などで外出する時にやんちゃな自分の息子である源道とまだまだ手の掛かる響子の相手をしながらでは疲れてしまう。
 そこで、3週間前から育児の仕方を特訓させた源道に響子の子守を押しつけ、明子は買い物に行っていた。
(大変危険なので真似してはいけません)
 今、源道の傍らにはおもちゃのガラガラと熱湯で溶き湯冷ましで加減した粉ミルクの入ったほ乳瓶(人肌)、紙おむつの3つが置いてあった。
 選択肢は3つ、おむつは・・・濡れていない・・・×。
 響子を抱き上げ、哺乳瓶を口に持って行くが・・・×。
 お母さんが見えないので不安なのかな? ガラガラを目の前で振ってみるが泣くのに夢中で目に入っていなかった。
 そこで源道は響子の顔に思いっきり息を吹きかけた。
 すると彼女は顔をしかめて一瞬泣きやんだ。そこを逃さず源道は「あばばばば〜」と声を出しガラガラを顔の前で振ってみた。
 キョトンとしていた響子だったが涙で赤く腫れた瞼を大きく見開くとキャッキャと笑い出した。
 その笑いを止めない為に源道は一所懸命に響子響子と声を掛け続けた。


 1時間後、買い物を済ませて帰ってきた明子が見た物は、ご機嫌な響子と疲れ果てた源道であった。
 母親の顔を見た源道は喜びの表情を浮かべて母親を見た。しかし、
「あ、ゲンドー、今から夕飯の支度するから響子ちゃんの面倒見ていてねン」
 源道は泣き笑いの表情を浮かべて肯いた。
 その顔は今から35年後の息子の顔にそっくりであった。



 西暦1987年
 京都府某所
 小学校に入学したばかりの響子は周りを同級生に囲まれながら下校していた。
 だが、その顔に笑顔はなく、あるのは泣きじゃくる顔だけであった。
 既に今は2学期、逃げても囃し立てて追いかけてくるのは分かっていたため最早早く歩こうともしないで泣きながら諦めていた。
 その周りの同級生達には悪びれた表情は一切無く、ただ純粋に異端の風貌を持つ響子を苛める喜びを浮かべていた。
「ヤーイ、ガイジンガイジン、さっさと外国に帰いりやー」
「あはははははは」
「帰れ帰れー」
 彼らは響子の周りを取り囲みながら、どこかの庭から取ってきた棘の付いた長い葉っぱを響子の足に刺し続けていた。
 その度に黙っていた響子が抗議の声を上げるが、周りの同級生達は更に喜ぶばかりであった。
 もちろん通学路には、立派な大人もいてその虐めの様子に気付いていたのだが、この京都という都市は観光都市であるが故に外国人の観光客に対しては大変に寛容な所を見せるのだが、苛められているのが響子と分かると地元の人間は知らんぷりをした。
 何故なら、地元の人間でなく外国人と結婚した上に離婚した女の娘など自分たちの仲間ではなく只の恥さらしであると云う意識があったからだ。
 同級生達のイジメは更にエスカレートし、全員で響子を取り囲み、逃げられない様にしてから棘のついた葉っぱでチクチクと刺し始めた。
 さすがに我慢できなくなった響子が、隙を突いて走って逃げ出すと、動物的本能で追いかけた同級生達に取り囲まれ、拳や木の枝で小突かれ始めた。
 響子は心の底から沸き上がる恐怖感に堪えきれず大声で泣き始めた。
 すると、その声を聞きつけた源道が全力疾走で彼らの前に現れた。
「こらぁ!!! 響子を苛めるやつぁ誰だぁ!!」
 数が多いとは言え小学1年生と小学5年生では話にならない。同級生達は脱兎の如く散り散りに逃げ出した。
「うぇえええええええん。ゲン兄ちゃぁん」
「泣くなよ、響子。お前はボクが守るからさ」
 源道は抱きついてきた響子の頭を撫でて慰めた。
 元々痩せ気味でパッとしない顔をした彼の顔は、傷だらけで絆創膏と赤チンで見る影もなかった。
 源道も彼の同級生の中では決して目立つ体格の生徒でもなかったのだが、昔から響子の面倒を見る役目を負ってきた為、責任感の強い正義感に育っていった。
 だがしかし、彼は彼で周りの人間から避けられていたのだ。
 何故なら、彼はいつも中学生などの上級生とケンカ沙汰を起こしており。
 同級生たちには喧嘩っぱやい危ない奴、大人たちには暴力沙汰を起こす問題児として見られていたからだ。
 もっとも担任の葛城先生が理解力のある人間で、喧嘩の事情を聞いた所、響子を苛めていた彼女の同級生の中学生の兄貴たちが、目障りな源道に仕返ししたのが原因と分かると彼を叱るどころか励ましの言葉を源道に与えた為、彼もこれ以上ひねくれずに済んだ。
 しかしそうなると今度は先生に媚を売るイヤな奴と云うレッテルが貼られ、更に敬遠される事となっていた。
 源道は責任感と実行力に長けていたが、元々姿形は痩せ気味で体格も小さく、陽気な性格では無かった所にこの騒ぎである。
 今では数人の友人の他は全くの孤独であった。


 さて、未だグズついているが、ようやく泣きやんだ響子を連れて源道は家に帰った。
 ここの所、源道の母である明子も、漸く子供の手が掛からなくなってきていた為にパートに出ていた。
 この頃、両親が家に戻ってくるのは午後8時以降になることが多かった。
 そこで子供達にも家事の分担が割り当てられ毎日の夕飯の買い物と風呂掃除、洗濯物の回収と片づけが源道の役目であった。
 大概、響子は碇家で夕食を食べるようになることが多かった。
 今日はいつものように響子の母、華子も源道の父母も帰りが遅くなるとの事であった為、源道が子供ふたり分の夕飯の用意を始めていた。
 一応、両親は家に帰ってきてから夕食を取っていたため、全員分の米を研ぐと電気炊飯器のタイマースイッチを30分にセットした。
 そしてふたりは手をつなぎ、買い物篭を手に下げて近くの商店街へ出かけていった。
 人出の多い商店街には、陽気な店のおばちゃんが多く、響子の姿を見ると笑って手を振る人も多く。ある意味、ここのアイドル的な存在になっていた。
「あら響子ちゃん良いわねぇ。今日もお兄ちゃんと買い物かい?」
「うん、おばちゃん」
「転ばないように気を着けるんだよ」
「はーい!」
「フフフ、可愛いねぇ」
「ねぇ、ゲン兄ぃ。今日の夕飯はなぁに」
 響子が無邪気な声で源道に尋ねると、源道は暗記してきた今日の買い物リストを暗唱し始めた。
「庵野精肉店でブタコマ300グラムに鶴巻豆腐店で木綿豆腐2丁。それから八百屋の樋口でキャベツ一玉にモヤシをふた袋。」
「お菓子は?」
 響子はキラキラとした瞳を輝かせて源道に期待のこもった視線を投げかけた。
 ところが今日は、夕飯の買い物しかメモに入ってなかったため、好きなお菓子をひとつと云う偶にある嬉しい買い物が無いことを告げねばならなかった。
 しかしそのままそれを伝えればここでごねるのは必至である。
 そこで彼は、帰りの途中にある小さな文房具屋を兼ねた雑貨店に寄ることにした。
 あそこの駄菓子なら、自分の少ない小遣いでも何とかなる。
「じゃあ今日は摩砂雪屋でひとつな」
「うん!」
 と言うワケで響子はずっとニコニコ嬉しい顔で買い物に着いてきた。
 源道が月に貰うお小遣いは500円。プラモとかマンガとか少ないそれを有効に使いたい。
 しかし、そうとばかりも言ってられない。
 流石にまだ響子ひとりで留守番と云う訳にはいかないじゃん。
 てなワケで、買い物を全て済ませると帰り道にひっそりとある、小さな雑貨屋に寄ることにした。
 店の表には「スーパーカー消しゴム」や「びっくりマン・蝿が入ったプラスティック製の氷の偽物」とかが当たるガチャガチャ(地方によってガチャポンとかガシャポンとか言われているカプセル入りのオモチャ販売機の事、一回20円)が置いてあり、源道の購買心に訴えかけていた。
 だが源道はそれを振り切ると、ガラスの扉をガラガラと開けて狭い場所にノートから縄跳び、ベーゴマや駄菓子が所狭しと置かれた独特の狭苦しい店内に入った。
 チリチリチリンと扉に付けられたベルが鳴り、店の奥からお店の家の人が出てきた。
 いつもはここのお祖母さんが出てくることが多かったのだが、今日は違った。
「はーい」
 若々しい声がすると、店の奥から中学生のお姉さんが出てきた。
 思わずキンチョーする源道と終始ニコニコの響子。
「何にしますか?」
「響子何にする?」
「んーとねー、カレーせんべいちょーだい」
「はーい。待っててね。はい、クジ引いてねー」
「うん」
 響子は差し出された箱の中から一枚の紙を引いた。
 中学生の女の子はそれをめくるとウキウキな声で言った。
「当たりーっ。はい、ちょっと待っててね」
 彼女は戸棚から20リットルものカレーせんべいが入ったビニール袋を取り出し、いつものカレーせんべいが7個くらいしか入らないカップよりも大きい、当たり用のカップでカレーせんべいをすくい取り、これまた当たり用の大きめの紙袋にそれを入れて響子に手渡した。
「はいどうぞ」
「ありがとー」
「キミは何にするの?」
 大きなお姉さんにそう言われた源道はドギマギしてしまった。
 そこで、自分は大人なんだと言うことをアピールするために、いつもだったらヨーグルト(お猪口より小さい、ヨーグルト風味のクリームが入った菓子。当たり付き)を買うところきな粉餅にした。
 これは他の物に比べて買う人は少ない。別に大人向きというワケではない。
「はい、どうぞ。それじゃカレーせんべいときな粉餅で40円ね」
 源道は、中身の残り少ない財布から10円玉4枚を取り出すとお姉さんに手渡した。
「どうもありがとうございました」
 彼女からニッコリ笑い掛けられると顔を赤らめ、無言で首を上下に振り、肯く源道。
「さよならー」
 当たりを引いてニコニコ上機嫌の響子の手を引き、店の外へ出ていった。
 帰宅後、響子はまだかまだかと待っていた許しが出ると、大きめの袋に入ったカレーせんべいを食べ始めた。道ばたで食べるなんて行儀の悪いことをしたら、目立つ響子の事だ、学校の誰かが学級会で「せんせー! 昨日響子ちゃんが駄菓子屋で買ったお菓子を食べながら歩いてましたー。これっていけないと思いまーす」と反省会で槍玉に挙げられることは必至であろう。
 だから、家に帰るまで源道は自分もきな粉餅を食べたいのを我慢して家まで帰ってきたのだ。
 待たされた響子は実に嬉しそうにカレーせんべいを食べていた。
 それを後目に源道は、最近ではすっかり慣れた手つきになってしまった肉入り野菜炒めとモヤシのみそ汁を作った。
 午後6時にご飯が炊きあがると、響子と共に食べた。
 午後7時には沸かし直したお風呂に響子と一緒に入った。
 この頃は特に意識することは無かったようである。
 夜も更けた午後8時頃、ガス水道の元栓を確認した源道は、両親が帰ってくるのを待たずに響子と一緒に源道の部屋で眠った。
 こうして彼らの一日は過ぎて行く。


同日、奥京都。
 私立の学園から黒塗りの自家用車にて帰ってきた碇唯は部屋に戻り、姐やと一緒に部屋着である着物に着替えていた。
 古くから格式のあるこの家は、明治維新時に華族とされ、この地域の顔として君臨していた。
 現在は貿易を主体とした事業も活発に行われており、全て順調に動いていた。
 そんな家に生まれた唯は、小さい頃から家庭教師を付けられ、一般教養から貴族特有の一般人には良く分からないような様々な知識を付けられていた。
 それはともかく、学校の宿題を終わらせた唯は居間で待っていた家庭教師の元へ時間通りに立っていた。
「おはようございます、お嬢様。本日は英語の教師であるアメリア・ローレンツが一時帰国のため休みを取っているため予定を変更して国語の勉強をしていただきます」
「アメリア先生は如何なされましたんどす?」
「はあ、プラベートな用事と言う事で。1週間後には帰国するという予定になっておりますので、それまでは宿題をやっておくようにとの申しつけを承っております」
「なるほど分かりました。それではその様にお願いします」
「はい、では学びの屋までお越しになって下さい。休息は10分の予定です」
「分かりました、では後ほど」
 唯のスケジュールはこの様にギッシリと詰められており、学習、自習、食事の時間からお風呂の時間まで完全に決められていた。
 また、唯もそれが当然と受け止めていたため別に不満はなかった。
 学園でも、学友達の話す話題は学業のことや社交界のこと、政治の話など年齢にあるまじき話題ばかりが話されており、もちろんマンガなど持ち込む者も居なかった。
 そのため、彼女は下働きの者たちの他、一般人も皆この様にして過ごしていると固く信じていた。
 そして、誰から見ても父様母様に恥を掻かせることの無いようにと日々努力を続ける一方の、超箱入り娘として育っていった。



 西暦1996年
 京都府立皆斉高校
 それまでは異端の象徴でしかなかった亜麻色の髪も灰色の瞳も彼女にとって魅力のひとつになっていた。
 惣流響子ツェッペリン(15歳)、日独両方の特質を受け継ぎ、彼女の魅力は周りの男どもを引きつけずにはいられないほどの引力を伴っており、皆斉女子のナンバー1を争うとさえ云われていた。
 さぞ源道も鼻高々だろうと思うだろうが、現在彼は大学3年生、その上に今彼は欧州はルクセンブルク大学へと国費留学していて日本には居なかった。
 それこそ生まれた時からおしめの世話までして貰っていた源道が初めて彼女の前から姿を消したのだ。
 それは彼女の人格に多大な影を落としていた。
 だが、それと同時にこれからの人生で最大の親友に出会うことが出来た。
 同じ皆斉女子1年1組に同級生として入学した、つまり響子と同程度の優れた頭脳を持つ女子、碇 唯である。
 彼女は京都に古くから伝わる旧家の出で、正真正銘のお嬢様であり、響子と同じく皆斉女子のナンバー1を争う人形のような美貌の持ち主であった。
 2人ともそれぞれが個性的な人間であったのだが両者とも非常に仲が良く、3年間の高校生活を暴れ回った後、仲良く京都大学へと進学した。


 だが、そんなふたりも出会いはあまり好意的な物ではなかった。
 入学式当日、碇唯は何故自分が私立のお嬢様学校ではなくここ、一般の公立の進学校に入学しようとしたのかを思い出していた。
 それは、彼女の育ってきた環境に原因があると言えるだろう。
 彼女の両親は、旧家とは言え、貿易を中心に大変に忙しい家であった。
 その為、両親ともいつも家におらず、海外で仕事を送る日々が続いていた。
 それ故に唯が親に会うことが出来るのは月に一度、悪くすると半年に一度と言う事もあったのだ。
 手紙を出しても返事もなく、ただただ寂しく執事と家政婦達に管理され、家庭教師による学習を受け続ける毎日だった。
 しかし、例外がひとつ。
 彼女が学校のテストで100点満点を取ったり、学年で一番を取ると、お祝いに電話が掛かってくるのだ。
 彼女はそれを励みに毎日勉強に没頭した。
 また、お嬢様であることから学校でも品行方正、面倒見が良く素晴らしい生徒だと云う自負もありクラス委員長、生徒会委員、生徒会会長と小学、中学を過ごしてきた。
 だが、その内、この自分の実力と信じている物は本物だろうか、家柄で持っている物ではないかと疑問を持ち始めた。
 それ故、高校へもエレベーター方式で行ける所ではなく、実力を試すためにわざわざ両親を説得し近所の公立高校で最も競争率が高く、高レベルな授業を行うことで有名な府立皆斉高等学校へ進学したのだった。
 もちろん当然、入学試験もバッチリと解答した。
 入学式では新入生代表として答辞を読み、またお父様、お母様に誉めて貰えるとほくそ笑んでいた。
 入学式当日までは。
 しかしバッテン、彼女は講堂のステージに上がり皆の注目と賛美を浴びつつ新入生の注目の的となる事は出来ずに、ただ一般の生徒達と一緒に彼女の姿を眺めるだけの一般人となってしまったのであった。
 こんな筈ではなかった。
 何故、どうして? 入学試験は完璧に答えた自信があったのに。
 彼女は今まで自分が演じてきた役割を奪った奴が誰か、陰々滅々とその名が呼ばれるのを待っていた。
 時間が来た。スピーカーから進行役の声が、その名を読み上げた。
『新入生答辞。新入生代表、惣流 響子くん』
「ハイ」
 凛とした声が講堂に響き渡ると、唯の後に座っていた彼女が立ち上がった。
 唯は思わず振り返った。
 講堂内の生徒全員が新入生代表である彼女に注目していた。
 そして思わず溜め息をついた。
 灰色の瞳、亜麻色の髪、数年前まで迫害の対象でしかなかったそれは、完璧な美の結晶として結実していた。
 唯は呆然とした顔で彼女の顔を見つめてしまった。
 しかし響子はそんな事は眼中にないとばかりにスタスタと講堂の前へ歩いていったのである。
 彼女の中に一種の攻撃的な精神が宿ってしまったのは仕方のないことだろう。


 一週間後。
 唯は遅れを挽回すべく、家での猛勉強は元より学校でも休み時間の復習予習をこなしながらお嬢様としての風格を見せつつも親しげなクラスメートとして教室にとけ込んでいた。
 しかし、響子は自ら皆にとけ込もうとはせず、また周りの人間も響子の周りを取り巻く雰囲気に圧されて親しげな友人は未だにいないようであった。
『フン、所詮、天は二物を与えずなのよ。ざまを見、お〜ほほほほほほほ』
 何か別の人のようだが、初めての逆境はここまで彼女を変えてしまっていた。
 勉強の方も努力の甲斐があって徐々に唯が優位を誇る教科も増えてきた。
 それと共に周りの人間も彼女を中心に固まっていった。


 一年後。
 相も変わらず、響子は周りの人間と関わりを持たずただ黙々と勉強を続けていた。
 そのくせ体力のない勉強の虫かというとそうでもなく、放課後は陸上部員として遅くまで熱心に練習を続け、恵まれた体格もあり短距離中距離の選手として目覚ましい記録を出すほどであった。
 だが、小さい頃から培われた性格はおいそれと変わり様が無く、今ではネ暗とかガリ勉とか無愛想とか呼ばれて皆に敬遠されてしまっていた。
 そんな折り、二年生は修学旅行というイベントがあった。
 大概、好きな者同士と言う事で班を組んでいったのだが、もちろん唯の班は希望者が一杯ですぐに埋まってしまうところだった。
 だが、唯にはひとつの考えがあった。
 ここで響子に自分の人気の高さを見せつければ、もう私の地位を追い落とすような存在は出てこないでしょう。また、「もしも彼女が私の取り巻きに加われば私の地位も安住という物どすからな。ふふふ。」と思っていた。
 そこで唯は取り巻きのひとりに断って、予想通り班組からあぶれた響子を自分の班に入れようと画策した。
 最初は嫌がっていた響子であったが、唯の優しい言葉に絆されて唯の班に入ることを承諾した。
 勿論、唯の取り巻き達は唯の考えてることは承知していたので表面上は非常に友好的だった。
 修学旅行の夜、当然はしゃぎ回る取り巻き達と、その相手をして上げる唯。そしてそれに加わる気のない響子。
 取り巻き達は、響子の苦手そうな話題を持ち出す事で彼女の孤独感と敗北感を決定的な物にしようと夜中の1時位から話を始めた。
「ねぇねぇ、惣流さんて好きな人いるの?」
 恋愛談義が華やいでいたその真っ最中、満を持して取り巻きAが響子に尋ねた。
 こんな女にそんなのいる筈ないわよね、と言う観測を元に持ち出した話題であったが、失敗したと彼女たちが後悔したのはそのすぐ直後だった。
「うん」
 響子は顔を赤らめると俯いてしまった。
 その表情はまさに少女マンガに出てくるような典型的な恋する乙女の微笑み。
 まるで彼女の背景にユリの花が咲き誇るような効果が立ち上がっていた。
 ふつうこう云う話になれば「キャー! ホントホント!? 」等と云う事になるのだが、あまりにも彼女の表情や雰囲気がはまっていたため呆然と響子の顔を眺めるだけの唯達。
 それから朝までの数時間、彼女らはきつい時間を過ごすことになってしまった。
 響子がそれはそれは嬉しそうに語る5歳年上という六分儀源道という男性の事をそれはそれは詳細に惚気られたら堪らないでしょう。
 自分たちが振っただけに
「しらないっつーの、そんな奴の話」
 とも言えず彼女たちは怒濤の如く繰り出される響子の惚気話を聞かなければならなかった。
 それに彼女がこんなに嬉しそうな顔が出来るのも驚きだったし、こんなに舌が回るとは。
 恋する乙女恐るべし。
 朝になる頃、響子を除いたメンバーはかなりのダメージを受けていた。
 特に唯は壊滅的なダメージを受けていた。
 何故ならば、自分は今まで男性の事など歯牙にも掛けず、只ただ両親に誉められる為に、周りの人間に称賛を浴びるために学業を頑張ってきた。
 ただそれだけの為、あくまで手段として、最終的な目標のためでは無かった。
 ところが響子は憧れの男性と同じ道を歩むためだけに全てを投げ出してまで勉強に頑張っていた。
 彼女の憧れ、源道と言う人物は京大の分子生物学で研究生として活躍しているそうだ。
 自分も一発で京大へ入学し、彼と共に歩みたい。その為に響子は遊びたい心も何もかもかなぐり捨てて勉強していたという。
 唯は大学を出たら両親が決めた相手と結婚して、それから? 社長夫人、政治家の奥様、それはそれで大変な事を知っている。
 でも、今一所懸命頑張っている知識が何かの役に立つのか。
 嬉しそうに語り続ける響子の顔を見て、唯は自分が根本的なところで負けていたことを知ってしまった。
 自己の本質の喪失感。

 修学旅行から帰ってきて数日間は唯は色々と考えたのだが、ひとつの目標のために頑張るのは大変良いことだ。
 しかし、今を楽しんで生活することも重要なはず。
 高校時代と云う貴重な一瞬をエンジョイせずに勉強に使ってしまうなんて勿体ないことだ。なんて考えが頭をもたげてきていた。
 自分も響子も今を生きることが大事と結論付けた唯は、響子を巻き込んで遊ぶ事を決意した。
 その翌日から、唯の友達攻勢が始まった。
 勉強することに強い執着心を見せる響子の手を引っ張って街に出歩く唯。
 その内に響子も諦めたのか、偶にならって事で以前よりも社交性を持つようになっていった。
 その結果、唯と響子の優等生コンビは学年トップの座を維持しつつかなり遊びもすると言ったなかなか出来ない事を実行していった。
 もはや、ふたりは親友と言ってもいい関係であった。
 もっとも、唯はひとつ大変に興味を持っていた事があった。
 あの響子をこれ程までに捉えてしまう六分儀源道とはどのような人物なのか「大変に興味がおますわ、その殿方に、フフフ」



 西暦1999年末
 京大へストレートで入学するほどの頭脳を持った響子、唯のコンビはキャンパス内でも非常に目立つ存在であった。
 響子は憧れの源道と同じ道を究めるために分子生物学・衛生学を選択し、唯は何故か新設されたばかりのゼミである形而上生物学と経済学を選択していた。
 年末も押し迫り、冷たい風が押し寄せていた京大のキャンパス内の校舎を響子・唯の仲良しコンビとその取り巻きが昼休みのために食堂へ向かっていた。
 すると、校舎の片隅からけたたましい言い争いの声が聞こえてきた。
 皆がそちらの方に注目すると、校舎の陰で身長190センチオーバーの長身の白人と、同じくらいの身長をした痩せぎすで無精ひげの日本人が何やら論文の内容について早口のドイツ語で論争していた。
 ふたりとも激しいゼスチャーを交えながら、論文用紙を指し示し、自らの主張の正しさを相手に納得させようと口から泡を飛ばし、相手の論文の矛盾点を指摘していた。
 響子・唯の取り巻き達はしばらくそれを見ていると飽きた様であったが、響子は無精ひげを生やした日本人の顔を見詰め、その目を爛々と輝かせた。
 その様子は遊び道具を見つけた猫の様だった。
 響子は白衣をひるがえすと、高校時代に陸上で鍛えた脚力をフル回転させ走り出した。
「ゲン兄ーっ!!!」
「痛てーっ!」
 響子はそう叫びながら源道の脇腹にタックルした。
 頭の中がドイツ語モードになっていた源道は、自分の名前を叫びながら突進してくる響子に気付かずモロにそれを喰らってしまい、背中から倒れ込んだ。
 突然口論の相手が美人の女性に押し倒されたのを見てその外国人の男性は暫し呆然としていたが、ニヤリと笑いを浮かべると冷やかしの口笛を吹いた。
「よう、ゲンドー、あのお堅いお前がいきなりのプレイボーイぶりじゃないか。」
「バカな事言うな、えーと、もしもし?」
 源道は自分にしがみついていた見慣れぬ美人(感触良好)に声を掛けた。
「えーと、何か用かな、お嬢さん」
 源道は顔を赤らめると、後頭部に手を当ててポリポリと掻いた。
 するとそれを聞いた響子は大きなショックを受けたようであった。
 見る見るうちにその愛くるしくも理知的な大きな瞳に涙が浮かんできた。
 唇をかみ締めて悲しみを表現する響子を見た源道は激しく狼狽した。
 彼は兎に角「泣かれると不味い」と判断し慌てて彼女に声を掛けた。
「どうしましたんです、お嬢さん。どこかお怪我でもしましたか?」
 ここに至っても、まだ目の前の女性が響子である事に気付かない源道。
 いくら響子が劇的に美人に変化したからとは言え、この鈍さは犯罪的ですらある。
 真司の鈍さは遺伝的なものなのかも知れない。
「げ、」
「?」
「げ・・・・・・、ゲン兄ぃぃぃぃ!」
 響子は源道の襟首にしがみつくと、噛み付くように源道に迫った。
 野次馬達からは源道に馬乗りになった響子がキスを迫っている様にしか見えなかったが。
 源道は横に落ちていたメガネを拾うと彼女の顔をジックリと眺めた。
「あ、響子ちゃんか、いやぁ久しぶりだな。あれから・・・随分大きくなったな」
「そうよ」
 響子は源道の腰の上に座り直すと腰に手を当て胸を反らし、上半身を起き上がらせた。
「他の所も、ぐっと女らしくなっているんだから」
「そうみたいだな、よっと」
 源道は響子の尻と背中に手を当てると、そのまま響子をお姫様抱っこして立ち上がった。
「キャ!」
 彼女は悲鳴を上げると源道の上半身にしがみついた。
「ゲオルグ、紹介するよ。これが私の妹的存在である、惣流響子ツェッペリンだ、前に話したろ」
「ああ、しかしお前の話以上の美人じゃないか」
「まぁ、5年も会ってなかったからな」
「それよそれ!」
 響子は間近にある源道の顔を掴むと自分の方へ無理矢理向けた。
「帰ってくるなら帰ってくるで、なんで連絡してくれなかったのよ。それに電話も手紙もメールもくれなかったじゃない、5年間も、ずっと」
 響子の言葉を聞いた家族思いなゲオルグは流石に呆れた。
「ゲンドー、それは拙いんじゃないか」
「いやぁ、まぁ、研究で忙しかったからな」
「ほほぅ、そりゃあ研究とカメラマンの2足の草鞋は忙しかったろうがな」
「えー、それって私より自分の趣味の方が大切だったって訳ぇ。超悔しいって感じー」
「ところでゲンドー、彼女に私のことを紹介してくれないのか」
「そうだな、あーこっちの男は向こうの研究室で知り合った奴で、オレと同じ分子生物学のホープだ。名をジョージ・ゲオルグ・ラングレーと言う。今回招かれてこっちの大学へ来ることになった。女ったらしだから近付かないように」
「うん、ゲン兄」
「おいおい、私はすこし他の人間よりも女性に気を使っているだけだぞ」
「そうだな、いつも連れ歩いている女性が異なっていたが」
「私は求められればそれに答える事にしている。だって、無視されたら可哀想ってもんだろう? それに第一、お前だって結構誘われてたじゃないか」
「ゲンドウ兄ちゃん・・・」 ムカッ
「オレはその手のことには余り興味がなくてな」
「勿体ないことだ、ところで、いつまで彼女を抱っこしてるんだ」
「おっといけない」
 源道は抱えていた響子を下ろした。
「いや、つい昔の感覚でな。甘えん坊だったからな響子は」
「ブー」

 唯と取り巻き達は今まで見たことのない響子の態度に驚きを覚えていた。
 いつもの響子は小さいときの影響か容易に他人には気を許さず、親友の唯でさえあんなに明るい響子は滅多に見たことがなかったのだ。
 キャンパス内での響子の印象はいつも冷静沈着なクールビューティーで統一されていたのだが、今の響子はまるで親に遊園地へ遊びに行くことを約束された時の子供のようにはしゃいでいた。
 普段の印象からは考えられないその行動に、響子を知る者たちは呆然とし、固まってしまっていた。
 ただ、唯だけはそんな響子達、特に源道を興味深そうに見ていたが、やがてスタスタと彼らに近寄っていった。
「響子はん」
「あ、唯、ゴメン、忘れてた」
「それは随分どすなぁ。まぁいいわ、そちらはん達の紹介して貰えませんですやろか」
 ここで源道を唯に紹介したことを一生後悔することになる響子であったが、この時点ではそんなこと知る由もない。
「あ、ゲン兄ぃ。こちら私の友達で碇 唯さん、わたしの高校時代からの親友なの。手紙を読んでくれてれば知ってると思うけど」
「あ、あ〜あ。そうそう、そう言えばそんな気もしないでもない」
「それでこちらが私の、幼なじみのお兄さんで六分儀源道、最近までヨーロッパに留学してそのまま鉄砲玉のように帰ってこなかった、とっっっても薄情な兄さんよ」
「響子からかねがね話は聞いてますわ。ってよりも響子の話す話は5割方貴方の事どすけどなぁ・・・」 くすくす
「ゆ、唯!」
 一瞬で顔を赤く染める響子。からかう唯。ふたりのいつものパターンである。
「あー、こほん。自己紹介して良いですか? 私はジョージ・ゲオルグ・ラングレー、ゲンドーの仲間です」
「勝手に仲間に引き込むな、おれはお前みたいに女に手は早くないぞ」
「まったく奥手な奴だ、人生の6割方損してるぞ」
「問題ない、シナリオ通りだ」
「何のシナリオだ、何の。まったく、お前の口癖はオレには理解できんぞ」
「昔からゲン兄は計画立てるのが好きだったもんねー。几帳面だし」
「仕方ないだろう。なにしろキッチリ計画を立ててからじゃないと、家事だけで日が暮れてしまってたんだから。最早これは俺の習慣だ」
 源道は逆に自慢げな表情であった。
 その時唯が時計を見ると12時30分を指していた。
「あら、早くしないと食堂が混みますよって。お食事にしましょうか。六分儀さんとラングレーさんも一緒にどうどす?」
 ニッコリと笑う唯に惹かれゲオルグは乗り気だったが、源道は素っ気なく断った。 「いえ、私は弁当を持ってきてますから」
 あまりにあっさりと源道が断った為、それは唯のプライドをピリリと刺激した。
 ゲオルグはこんな機会を逃すのはあまりに勿体ないと思い、源道に忠告した。
「おい、こんな美人のお誘いを断るなんて人間のする事じゃないぞ。それともまさかお前・・・・・・ゲイ?」
「違う! ただ、あまりに美人なんで気後れしてしまってな。気を悪くされたら済みません」
「いいえ、許しまへん。せやけど、・・・お食事券おごってくれましたら、話は別ですけどな」
「ふむ、」
 源道は薄い財布の中身を確かめると素早く計算した。
「良いですよ、では弁当を取ってくるので先に行ってて下さい」
「あ、俺の分も頼むわゲンドー。先行ってるからよ」
「分かった。俺も自分が作った弁当を無駄にされるのは気持ち良くないしな」
「え、ゲオルグさんのお弁当ってゲン兄ぃが作ったの?」
「おう、そうだ」
「ゲオルグさん!」
 響子はゲオルグに向き直ると、両手を会わせた。
「そのお弁当売って下さい!」
「え゛?」
 ゲオルグは間抜けな顔を曝してしまった。
「いや、構わないけど・・・量がありますよ、響子さん」
「大丈夫だゲオルグ、響子は昔から大食らいだからな」
「そんな事ないもん」 ぶー
「そうどすなぁ、どちらかと言えば食が細いのと違います? 響子は」
 唯の知っている響子もゲオルグの心配している響子と一致していた為、響子の食べ過ぎを心配した。
 だが、それについては本人がその心配をうち消す発言した。
「それなら多分大丈夫。さぁゲン兄早くはやく」
「分かったから、そんなに急ぐな響子」
 まるでローティーンに戻ってしまったかのような響子のはしゃぎ様に、それを見送る唯は響子から人となりをイヤになるほど聞かされていて、以前から興味を持っていた源道と云う人物の事を知ろうと、源道の友達というラングレーから話を聞き出すことに決めた。
「ほなら食堂に行きまひょか、ラングレーはん」
「ええ、あ〜、わたしは今日ここに来たばかりなので・・・上手くエスコートできないのですが、よろしいでしょうか? フロイライン・ユイ」
「ちぃとも構いませんわ、ラングレーはん。ではこちらへどうぞ」
 唯とゲオルグ、その他は響子達を待たずに先に食堂へと歩いていった。


「お待たせ、唯」
「いいえ、ちぃとも構いませんえ」
 響子と源道が食堂へ行くと、唯達は既に食事を始めていた。
 唯はスパゲティ定食、ゲオルグは幕の内弁当をつつきながら話に花を咲かせていたらしい。
 会話は主に唯が六分儀とはどんな人物なのかをゲオルグに質問し、彼がそれに答えると云った感じで進んでいたようだ。
「あ、ラングレーさん済みません、私が払おうと思っていたのに」
「いえいえ構いませんとも。しかし、もし宜しければ今度食事にでもつきあって貰うと言う事でいいですか?」
 ゲオルグはすかさず響子とのデートの約束を取り付けようとしたが、弁当を机の上に置いた源道がゲオルグに釘を刺すように言った。
「いいや、その必要はないぞ響子」
「ゲンドー邪魔をするな」
「ゲオルグ、この弁当は元々オレが作った物だ。おまえに頼まれてな。それにこんな奴につき合ったらオレの可愛い妹がどんな目に会うか分かった物じゃない」
「ゲンドー・・・、それは少し言い過ぎじゃあないのか?」
 ゲオルグは傷ついた表情をし、オーバーなゼスチャーでそれを強調してみせた。
 しかし源道は素っ気無い態度で指摘して見せた。
「そうだったか? キャサリン、ドミニク、スターシア、サーシャ、ユキ、えーとメーテル、エメラーダにクレアにミーメ、みんなお前の・・・」
 源道はルクセンブルク大学でゲオルグと愁嘆場を演じていた女性の名を思いつく限り並べ立てていった。
 それに慌てたゲオルグは突然幕の内弁当のおかずをフォークで突き刺すと源道の言葉を打ち消すような勢いで喚き立てた。
「ワハハハハハゲンドー、どうだこの穴の開いた食べ物は? ユニークだな、まるででっかいマカロニみたいな形をしているじゃないか、とっても旨いぞこれは」
「それは竹輪と言う物だ。」
 沈黙する席上。ゲオルグに刺さる女性陣の視線が痛い。
「ははは、分かったよ、ちぇ」
 ふて腐れるゲオルグをよそ目に、響子が持ってきたドカ弁をテーブルの上に置くと源道を除く全員が目を剥いた。
「ちょっとちょっと響子はん、それ本当にひとりで食べるんですのん」
「えへへ、そうねぇ。いつもより少〜し量が多いかな、なんちゃって」
 そう言うと食堂備え付けの割り箸を使って弁当を頬張り始めた。
「すこしって、いつもの倍以上ありますように見えますけどなぁ・・・、まぁ、あまり無理せんといてね、午後の講義に腹痛で出られん様になったら恥ずかしいですからなぁ」
 唯は一心不乱に弁当を堪能するを見て呆れつつ、響子の腹具合を心配して忠告した。
「うんうん、もぐもぐ・・・・・・・うんん」
 響子は突然うめき声を上げるとうつむいた。
「ど、どないしましたの。言わんことやありません、ほら水」
 唯が慌てて水の入ったコップを差し出したが、響子はそれに構わずガバッと顔を上げると両目からボロボロと涙を流し始めた。
 その異様な様子に引く唯と取り巻き達。
「うえええん、美味しいよぉ」
 すてーんと転ぶ一同。
「ちょっと響子、何も泣く事はないですやろ」
「だってだって・・・」
 響子は泣きながら弁当を頬張り始めた。
「だって、このお弁当がわたしお袋の味なんだモン。
小さい頃から・・・むぐむぐ・・・鍵っ子だったから、いつもゲン兄ぃが夕飯作ってくれてふたりだけで食べて、ごっくん・・・私の母さんは仕事が忙しくて滅多に家に帰ってこれなかったし、六分儀の小母様もパートから正社員に抜擢されて支店長、広域マネージャーってどんどん忙しくなってさ、ゲン兄ぃも私が高校に入った途端ヨーロッパに行ったきり何の連絡もなくて・・・この4年間ひとりっきりで寂しかったんだよぉ」
 そんな響子の台詞を聞いて一同は押し黙ってしまった。
 源道は黙って響子の頭に手を置いた。
 くすんと鼻をすすり源道を見上げる響子。
「オレなんかが側にいない方が響子も自由にやれて良いんじゃないかと思ったんだ。オレは人に好かれない質だったからな、だから手紙の返事も何もしない方がいい、そう思っていたんだ。その結果・・・響子に辛い思いをさせてしまったのか・・・済まなかったな、響子」
「ううん、分かってくれれば良い。  ゲン兄ぃ、当分こっちにいられるんでしょ」
「ああ、当分はな」
 響子の瞳がキラリンと光った。
「じゃあ、居間のソファーなら開いてるから、今晩家に泊まって行ってよ。この5年間何の音沙汰もなかった事とか色々言いたい事もあるし。良いでしょ」
 ブゥーッ!
 この席に座っていた半数の者が口に含んでいた物を吹き出した。
 響子の余りにも大胆なセリフに驚いてしまったのだが、それに答えた源道のセリフは更に強い衝撃を与えた。
「しかし、響子の寝相の悪さ・・・直ってるのか?」
 え゛え゛え゛え゛え゛ーっ!!!!!
 密かに聞き耳を立てていたらしい「食堂」に居た総勢百五十六名全員が、イヤーんな感じのポーズで固まってしまった。
 それを見た響子と源道は皆が何に驚いているのかさっぱり分からなかった。
 ふたりともその手の事に関心が薄いと云うのもあったのだが、ふたりとも、特に源道はお互いを兄妹の様な気さくな相手として認識していたので皆が何故固まっているのか理解出来なかったのだ。
 もっとも響子は自分の気持ちに気付いている様だったから、それ以外に色々と画策しているようではあるが。
 唯とゲオルグは目配せで何か合図し合うと、ゲオルグが源道に質問した。
「おい、ゲンドー」
「何だ」
「お前、大学に入った歳でミドルハイスクールの少女に手を出したのか?」
 この瞬間、源道ロリコン説が決定された。
「ゲンドウパーンチ!」
「惣流キーック!」
「アベシ!」
 ふたりの見事な連係攻撃により、ゲオルグ、轟沈。



 西暦二〇〇〇年 早春
 何処かの場所、完全な暗やみに包まれていた会議室に一人の女性が顔の前で手を組み座っていた。
 やがて、その机の前にひとつ、ふたつと光が増え、最終的には彼女を含め18個の光が会議室内に点っていた。
「さて、君の要求に従ってこうしてゼーレの緊急会議を開く事にした訳だが、その議題を聞かせて貰えるかね」
 上座に位置する光のなかのサングラスを掛けた老人がその女性に話し掛けた。
 今回の召集は、ゼーレ幹部連にも寝耳に水の話であったようで、その他の光の中に浮かぶ面子の表情も苛立った物だった。
「ゼーレ極東マネージャー、碇唯」
 椅子に座っていた女性は響子の親友である碇 唯であった。
 そもそも何故彼女がゼーレに名を連ねていたかと言えば、ゼーレのメンバーとなる為の印を見つけたためである。
 その起源が明らかでないゼーレであったが、その最高幹部会たちは全員が特殊な形状の十字架をその身に纏っていた。
 その内のひとつ、イスカリオテの座は三〇〇年前に行方不明となっていて以来ゼーレの幹部の席も空いていたのだが、結局それは次の歴史的経緯によって当時の日本へと渡っていた。
 中世の錬金術師によるカバラ秘密結社薔薇十字が崩壊したときに、宣教師に身を窶した元ゼーレのメンバーは日本に上陸していた。
 その男は天主教と呼ばれる列強諸国の尖兵となっていた正しいキリスト教=切支丹ではなく、カバラなどを用いたキリスト密教=鬼利支丹を組織し、やがてヨーロッパへと戻るつもりであったようだ。
 しかし、その後のキリスト禁教によって地下へと潜らねばならなくなり、そのまま行方不明となってしまったのだ。
 そして鬼利支丹の組織は迫害されつつあった日本のある貴族が密かに受け継ぎ、その子孫が今ここに座っている碇唯その人なのであった。
 サングラスの老人、キール・ローレンツが発言権を与えると唯は流暢な英語で話を始めた。
「私は人類補完計画の破棄を提案します」
 一瞬の沈黙の後、ゼーレの面々は口々に喚き立てた。
「何だと!」
「何を言っているか分かっているのかね、君は!」
「それは神への道を閉ざす行為だよ」
「これだから、日本人をこのゼーレに名を連ねさせるのは反対だったのだ」
「第一、この計画を立案企画したのは君ではなかったのかね、碇唯」
「・・・・・・・・・・・・・私は別の人間の可能性に気が付いただけですよ、是非とも皆さんにもご理解いただきたいのですが」
「私は君の計画を聞いたとき、初めて真の意味の福音の意味を知ったのだがね。意味を成さなかった裏死海文書に命を吹き込み、計画を推進したその立て役者は君だ。それを今更計画の破棄だと? 納得できる物では無い。それにすでに人類に残された時間は僅かだそれはどうするつもりかね」
「タイムスケジュールの変更は可能です。それに既にわれわれはモーセの如く神の預言に粛々と従うだけの子羊では無いことは科学が証明しています。世界を形作ったのは我々人間なのです。人類補完計画によって与えられる物は人類に対して緩慢な死を与える事しか出来ないでしょう」
「どうやら話し合いの余地はないようだな、碇唯。死は君に与えよう」
 キールが合図を送ると、唯の後ろの扉の外に立っていたガードマンが入ってきた。
 だが、唯は平然とした様子でキールに言った。
「あら。どう考えてもうら若い美人な女である私よりもご老体が長生きできる可能性は低いと思いますわキール議長」
 唯は組んでいた手の下で密かに笑いを浮かべた。
「なに?」
 唯は組んでいた手をほぐすと、ポケットに入れていた笛を吹き鳴らした。
 詰め寄っていたガードマン風の男達はその場で立ちすくみ次の合図を待った。
 そこから見えるゼーレ各メンバーの画像の後ろで何者かが動くのが分かった。
 次々と断末魔の叫び声が聞こえたかと思うと、立体映像の光が消えていった。
「何をした、碇」
「私は新参者です、しかし私の所属する組織はローマ教会よりは若いですが歴史のある物なのですよ。闇に埋もれた力は使いどころが肝心ですわ」
「・・・忍者か!?」
 唯は薄く笑い、それを否定も肯定もせずに言った。
「安らかな眠りを、キール議長」
 その瞬間、唯は悪魔でもたじろぐような笑みを浮かべると画面に向かって合図を送った。



 西暦二〇〇〇年 四月
 後顧の憂いを断った唯は、プライベートで知り合った3人の科学者を自宅に呼びつけていた。
 現代では奥京都と呼ばれる場所に彼女の生家はあった。
 非常に古い造りで、そのまま重要文化財になりそうなお屋敷の中に案内された源道とゲオルグ、そして響子は、今、唯によって渡された資料を、汗を流しながら読み漁っていた。
 源道はそれから顔を上げると唯を見つめた。
「しかし、これが本当とすれば・・・人類には未来はない・・・・・・・」
「そうどす、そして資料ナンバー2の方に記してある通り、それを利用して計画したのが人類補完計画でおます。けれどそれは既に封印しましたよって、それに代わる計画が必要になりました、そこであなた方に手伝おうて貰おうとお呼びしましてん」
「ジーザス! この様な悪魔の計画は潰されて当然です。民主主義の欠片も存在しない、この様な・・・! ミス唯。是非ともこの世界を、人類を救いましょう」
「ええ、よろしゅう頼みますえ・・・(汗)」


 西暦二〇〇〇年 八月
 南極大陸。
「源道はん、急いでこっちへ」
「しかし、ゲオルグ達が何処に行ったか確認されていない。この場を離れるわけには」
「おそらく無事の筈です、あん人達の担当場所は私たちの担当より脱出ポッドに近いですさかい」
「むぅ・・・」
「早くしないと私たちまでアダムの炎に包まれてしまいますわ」
「・・・分かった」
 彼らは座礁した砕氷船の船上に立っていた。
 彼らが計画実行したアダム再封印計画は成功し、今まさにカウントダウンに入っていた。
 しかし、その計画は上手くいっても、膨大な熱量の放出が計算された為、ロケット+スクリュー方式の推進器を搭載した脱出ポッドによって南極圏から逃げ出す計画になっていたのだ。
 もちろん、南極大陸にて大爆発が起これば氷が溶け海水面の上昇を引き起こすことが考えられたのだが、それでもセカンドインパクトに比べればかなりマシと計算されていた。
 すでに地球各国にはゼーレの名の元に警告が出されていたため海岸に接する地域の被害は甚大となるであろうが、少なくとも人類の大絶滅は避ける事が出来るはずだった。
 唯の言う事を聞く気になった源道は重い耐寒装備が施された服を引きずるようにして脱出ポッドへと駆けていった。
 カウントダウン六〇〇秒前、ようやくふたりは脱出ポッドが備え付けられていた場所にたどり着いた。
 そこには何かで殴り書きされたゲオルグの書き置きが残されていた。
 曰く<先にトンズラさせて貰うは、George.George.Langray>
 源道はそれを見ると笑いを浮かべた。
「はは、ゲオルグの奴、慣れない日本語で書くから、字、間違ってやがる」
「それどころやありませんわ、源道はん」
「どうしました」
「この脱出ポッド、一基壊れてます」
「なにぃ?!」
 慌てて源道が並んでいる脱出ポッドを確認すると、確かに一基故障しており残りは一基しかなかった。
 はぁっ、と源道は溜め息をついた。
「仕方がありませんな、碇さん。あなたが脱出して下さい。」
「イヤです」
「イヤしかし」
「源道はん、貴方の体重は?」
「ええと、八〇キロですが、」
「すると最大搭載量がコレですから、なんとかなります」
「何とかと言うと・・・」
 源道は唯と自分を交互に指さした。
 すると唯は顔を真っ赤にして肯いた。
「ええ、それはまずいですよ」
「死ぬよりマシでしょ! つべこべ言わない!」
「むむむむ・・・分かった、分かりました。ええと最大搭載量は・・・」
 唯は源道が読み始めた説明書きをバッと手で覆った。
「乙女の秘密を!」
「あ、失礼」
 慌てて脱出ポッドに乗り込む源道であったが、その背中を唯に掴まれて引きずり出された。
「服は脱いで入って下さい」
「イヤ、それは流石に・・・・・・」
「本当にギリギリなんです。恥ずかしいのはどっちだと思っているのですか」
 興奮のあまり唯の言葉は標準語になってしまっていた。
 源道は重い耐寒服を脱ぎ、猿股一丁になると脱出ポッドに飛び込んだ。寒かったのだ。 中でガタガタ震えていると唯がアンダーウェアのみの姿となって入ってきた。
 狭い脱出ポッドにふたりが潜り込むとかなり狭苦しく、源道が唯の背中から抱きかかえる感じになってしまった。
「変な事、考えんといて下さいね」
「知識の神ラーダに誓って」
「なんですの? それ」
「この前アニメでやってた」
「あっそ」
 唯は目の前にあったコンソールを操作し、脱出ポッドの発射シークェンスをスタートさせた。
 彼らが入ってきた狭い扉が閉じると背後の保護ベッドから拘束帯が伸びてきて二人の体を雁字搦めに縛り付けた。
 ディスプレイにカウントダウンが表示された。
 それがゼロを示した瞬間、彼らの足元から振動が伝わってきた。
 彼らが身構えると最初の打ち出しの際の衝撃が彼らの体を下へと押しやり、一瞬の静寂の後、2次加速を開始、足元のロケットモーターが生み出す物凄い轟音と振動で彼らは生きた心地がしなかった。
 その脱出ポッドはまず垂直に成層圏上層部まで打ち上げられた後、ロケットバーニアを吹かして姿勢制御し、赤道方面への弾道軌道に乗ってM10ものスピードで南極から離れていった。
 一方、アダム再封印作業現場では。
 厚い氷に覆われた地表部分ではいつもと変わらぬ夏が続いていた。
 しかし、一瞬地下からの衝撃波が地上に伝わり四方10キロの地表から白煙を上げ、氷が砕け散っていった。
 そのまま治まるかに思えたのだが、その中心部から白煙が舞い上がり5分経ったその直後、直径50キロの氷が一瞬で蒸発した。
 その際に発生した衝撃波と振動により、南極大陸を中心としてチリ津波以来の大津波が発生した。
 高さ60メートルの大波は世界中の海岸地域を壊滅させ、世界人口の5%を死滅させた。
 更に10年間海面水位が1メートル上昇、世界中の穀倉地帯に被害が及んだ。
 しかし、直接アダムが目覚めれば地球上の生物すべてのATフィールドはアンチATフィールドによって崩壊し、死滅していた事を考えればその被害も軽いものであると言えた。



 西暦二〇〇〇年 11月
 セカンドインパクトと名付けられた一連の大異変、大津波と南極大陸中央部の巨大クレーターの発生の原因は国連調査団により大規模隕石の落下による物と発表された。
 世界経済に大きな混乱は見られていたが、国連加盟国間での大規模な戦争は勃発せず、混沌の時代は訪れなかった。
 セカンドインパクトの前、最後のお別れかも知れないと響子が成田から碇唯と六分儀源道、ジョージ・ゲオルグ・ラングレー見送ってから既に3ヶ月が過ぎていた。
 校内の噂では唯とゲオルグの仲を嫉妬した源道が無理心中を図ったのだ、等と無責任な噂が飛び交っていたがある日、ひょっこりと唯が姿を現わした。
 彼女は黒塗りのクラウンで京大に乗り付けると、彼女を見て噂する人々を無視して形而上生物学助教授である冬月助教授の部屋へ乗り込んだ。
 そこでしばらく話し込んでいたようだが、最後に1枚の葉書を手渡すとそそくさと部屋を後にした。
 その後、普段は物静かな冬月助教授の部屋から驚愕の声が上がったとか上がらなかったとか。
 惣流響子ツェッペリンはその時校庭の片隅でひとりベンチに座ってボーっとしていた。 実際、ここの所集中力が低下していたため些細な失敗を繰り返していた。
 この4年間いっしょにいた碇唯も幼馴染の六分儀源道もあのセカンドインパクトの時より連絡がない。
 人類がこうして生存している以上、計画は成功したはずであった。
 彼らが生き残っていれば必ず連絡を入れてくれるはずなのだ。
 考えたくはないけど、もしかして! いえ、それは考え無いことに決めてたじゃないの、響子のバカバカ。
 実は結構寂しがり屋の彼女は落ち込んでいたのだ。
 そこへ来て、あの噂。
 事情は知っていたとは言え、皆が自分だけ置いてどこかへ行ってしまった様な妙な寂しさが彼女を包んでいたのだ。
 はぁっ、とアンニュイな溜め息を吐くと新聞紙を折った袋から石焼芋を取り出して頬張り出した。
 蒸かし芋と違い凝縮された甘味がホコホコとした口当たりと共に心地よいハーモニーを醸し出していた。



 

焼きイモ万歳。





 彼女は心の中で喝采を上げた。
「だ〜れだ」
 突然響子の目は誰かに塞がれた。
「誰って、こんな事すんのは唯しかいないでしょ・・・・・・・・・・・・・・って唯いぃ!?」
「はぁ〜い!」
 響子が慌てて後ろを振り返ると明るい笑顔で唯が手を振っていた。
「あんた今まで何処で一体、何をどうして」
「まぁ落ち着きなはれ、別に逃げ隠れしませんよって」
「はぁ・・・。で?」
「ハイ?」
「今まで何処で何してたわけ。南極での一件から随分と日が経ってるんだけど」
 響子の目は危険な光を宿していた。
 唯は乾いた笑いでそれをかわした。
「アハハハハ、いや別にどうと云う事はありませんでしたんですけどもな、まぁ色々とプライベートな事とか
ありましたよって。」
「また、実家の都合ってやつ?」
「ん、まぁ、そんな所ですわ」
「ふぅん」





しばし沈黙。





「ねぇ・・・響子」
「ん、なに?」
「ひとつ質問がありますのやけど」
「うん、なに?」
「あのね、その、源道さんて響子のお兄さん的存在なワケどすか?」
「うん、血はつながってないし、ただの幼馴染だけどね。いつも私を守ってくれてたの。勿論初恋のひとでもあるって唯には散々聞かせてきたはずだけど?」
「ええ。そうだったわね」
 唯はひとつ溜め息をついた。さて、どう切り出そうか。
「あのさ」
「何?」
「ここの所、身近に接していたから私も源道さんの事、色々気付いた事があるんよ」
「ふーん、どんな事」
「えーと、そう。今まで源道さんてずっとフリーだったみたいね」
「ゲン兄ってそう言うことに無頓着だから」
「ってよりも女性に対して免疫がないって事の方が強いようどすけど」
「なによ、それじゃまるで私が女じゃないみたいな感じじゃない」
「う〜ん。つまりズバリ言っちゃうと源道さんは特に意識してなかったって事ね。貴女のことをひとりの女性としては」
 グサッ!!
 流石の響子も衝撃を受けた様である。
 言葉が返せなかった。
 思い当たることは多々あったからだ。
 それに自分も自分の思いを打ち明けたことなど無かったし。
 源道がかなり鈍い人だと言うことは知っていたが。
「それでね、最近彼に好きな人が出来たようなんだけど。知ってた?」
「ここの所、誰かさん達と何処かへ雲隠れしていたし。私が知るわけないでしょう」
 そう言いつつも響子の心中は嵐のように乱れた。
 ゲン兄に恋人が。ガガーン!
「それもそうね。で、どうする、かなり深い仲みたいだけど」
「フン、別に知らないわよ。ゲン兄のことなんて、どっか知らない人とでも結婚すれば良いんだわ」
「それって源道さんが結婚するとしたら祝福するって事?」
「お、幼ななじみの人が結婚するんだったらそりゃ祝福するでしょうよ」
 響子は何か嫌〜な予感がしていたが、特に深く考えずにそう言っていた。
 唯はそっと胸を撫で下ろした。
「それは良かったワ」
「何よ」
「ハイこれ、招待状」
「何よ招待状なんて、クリスマスパーティーならまだ早いんじゃないの?」
 響子が受け取ったのは可愛い天使の絵が描かれた葉書だった。
「えーと、何々・・・結婚披露宴の招待状! えーっ! 唯結婚するんだ」
「うん・・・先読んでおくれやす」
「結婚します、碇 源道(旧姓・六分儀)、唯・・・・・・・・・・・・・・、イカリ・ゲンドウ、げんどう、げんどう?」
 響子はしばらくそこの部分だけを繰り返し読んでいたが、少しも頭に入っていないようであった、否、入れたくないようであった。
 その内に顔をクシャクシャにして唯のほうを向いた。
「碇 源道?」
 唯はコクリと肯いた。
 響子は数秒の間黙っていたが突然大声を出した。
「ゲン兄の、唯のバカァァァァァァァ! 裏切り者ぉぉぉぉぉ! えーん!」
 響子は叫びながらどこかへ走っていってしまった。
 唯は追いかけようとしたが、彼女が立ち上がった時には既に校舎から姿を消していた。


 結局響子が見つかったのは京都市内の救急病院であった。
 呼び出しを受けた唯は、もしや衝動的に自殺を図ったのではと心労で顔を真っ青に染めて駆けつけた。
 唯が病室に駆け込むと、響子には意識が無いらしかった。
 響子は苦しげな表情でベッドの上で唸っていた。
 唯はすぐさまベッド脇に駆け寄り響子の手を握り謝り始めた。
 彼女の目からは涙がほとばしり、両眼を真っ赤に染めていた。
 そこへ担当医らしい白衣を着た男が入ってきた。
 唯は必死の表情で彼に響子の容態を訊いた。
「響子は大丈夫なんですか、ああなんて事ですやろ、私があんな事をしたばかりに響子が自殺しようとするなんて、先生、包み隠さず教えて下さい。響子は大丈夫ですやろか」
 医者は唯の勢いに押されてしまったが、何とかそれを押し返した。
「まぁ、落ち着いて下さい。話はそれからにしましょう」
「はぁはあ、はい。すぅはぁすぅはぁ、分かりました。ふー。もう大丈夫です。説明お願いします」
「分かりました、ではこの患者の容態ですが」
 ここでどの様なことが起きていても響子のためなら何でもする気になっていた。
 たとえ障害が残ったとしても、この時の唯なら懸命に介護しただろう。
「ただの食べ過ぎですな」
「・・・・・・・・はぁ?」
「専門的に言えば、消化器官に於ける急性過食症によって引き起こされた消化器官機能不全症候群です(出鱈目なので本気にしないように)」
「・・・・・・はぁ、食べ過ぎ・・・?」
「そういうことですな。やけ食いする様な事でもあったんですか?」
「ええ、まぁ。色々と」
 原因が自分にあるとは言え、思ったような悲しい想像が外れて安心した唯は何とも情けない顔になってしまい、ヘラヘラと笑うことしか出来なかった。
「処置はしときましたから、時期目を覚ますでしょう。今晩泊まっていけば明日には退院できます。それじゃあ」
「あ、どうもありがとうございました」
 唯はぺこりと頭を下げると響子のベッドの脇の椅子に腰を下ろした。
−−う〜ん、失敗したかぁ。上手く行くと思ったんだけどなぁ−−
「ゴメンね、響子」
「別に、いいけどさ」
「! 響子、起きてたの」
「お約束でしょ、こう云う場合」
「それを言っちゃぁお終いよ」
「へへ、いつからなの。ゲン兄ぃとつき合いだしたのって」
「う〜ん、まぁそのお付き合いの期間は余り無かったんだけどぉ。興味を持ったのは出会ってすぐだったかな。だって貴女から散々惚気られていしね」
「あの、ゲン兄ぃの何処に惹かれたっての。ハッキリ言ってもてない人なんだけど」
「最初はね、私のこと全然気にしてないようだったから、物凄くプライドが傷ついた訳ですねん」
「なるほどね」
「それから観察していたら、妙にその、カワイイかな、なんて思ってしもうてね」
「ふむふむ」
「それでいつの間にか」
「へーっ。はぁ、私の初恋もここに終わったわけね」
「う、その点はどうも何とも言い訳は出来ないけど」
「あ〜あ、結局油断してたのかな」
「油断?」
「そう、ママから聞いたんだけど、私とゲン兄ぃのお祖母さん達が小学校卒業式の時に約束したんだって、自分たちの子供を結婚させようって」
「へぇ、少女漫画みたいでおますなぁ」
「本当、それでねその子供達なんだけど、ふたりとも出来たのは女の子だけだったんだ」
「それはいけませんなぁ」
「それで、私たちのママ達は小さい頃からの知り合いで仲のいい友達だったわけ、で、結局2代にわたって、自分たちの子供を結婚させようって約束したんだけど」
「原因は、ふたりの歳が少し離れ過ぎていた事と源道さんが響子の保護者になってしまったせいですなぁ、これは」
「わたしは小さい頃からママにこの話を聞いていたから、いつかそうなるのかなと思ってしまって何もしなかった」
「私はした」
「そうよ」
「でも、次に掛けたら良いわけですやろそれなら」
「え?」
「つまり4代目で結婚させれば、良い訳やないの」
「唯の子と、私の子供って事?」
「そうそう、それもできれば幼なじみで同級生、このシチュエーションが一番燃えますやろ」
「なるほど」
「急がんといけませんで、響子。何しろこの子の予定日は6月6日ごろ・・・・・・」
 口を滑らした唯は顔を蒼ざめさせると、急に明後日の方向に関心を持ったようだ。
 そんな唯を響子はジト目で睨み続けた。
 背後から突き刺さる怖い迫力に唯は焦りの為、冷や汗をかき始めた。
「・・・・・・・・・・・ほぉう、つまり出来ちゃった結婚って訳?」
「え、いや、まぁ、その、あの状況じゃ仕方なかった訳だし」
 途端に唯はしどろもどろとなってしまった。
 これが本当にあのゼーレの老人達の命を絶った、あの碇唯と同一人物なのか、信じられない豹変ぶりである。なにしろ私がそう思うんだから間違いない。
 ちなみに唯と源道がいつ何処でそうなったかは想像にお任せする。



 西暦二〇一五年 7月改め新世紀元年7月下旬のある朝の事。
 第3新東京市。
 碇夫婦は学者夫婦である。
 碇源道は日本でも有数の大学へと発展していた第3新東京大学分子生物学の教授として活躍し、その分野では知らぬ者のいない程であった。
 碇 唯は現在源道と同じく第3新東京大学で冬月教授の後継者として勢力を増していた。
 そして惣流 響子 ツェッペリンは源道の配下で助教授として活躍していた。その仲の良さ故に源道はいつも唯の追求を受ける羽目になっていたが、あくまでも兄妹としての仲の良さである。
 ジョージ・ゲオルグ・ラングレーは響子と結婚、日本に帰化するのに手っ取り早かったため今では惣流・ジョージ・ゲオルグ(戸籍では惣流ゲオルグ)となった。
 現在は多国籍企業第3新東京支部に在籍していた。ここの所の時空統合による取引先の消滅から、新規業務開拓で目の回る忙しさだそうだ。


 今日もいつもの朝が始まった。
 唯が朝食と弁当の準備をしていると同じマンションの隣の家から赤味掛かった金髪の女の子がいつものようにやってきた。
 彼女は小学生の時から同じように毎日、学校のある日はこうして碇家の息子を起こしにやって来ていた。
「おはようございまーす、おばさま」
「あらあら、いつも済まないわね明日香ちゃん。真司まだ寝てるから、叩き起こしてきてちょうだい」
「はーい、わかってまーす」
 彼女はにこやかな笑みを浮かべて真司の部屋へ上がっていった。
 唯はそんな様子を見て、ニヤリと笑う。
「ふふふ。計画は順調に進行中ね」
「ああ、LAS計画は10パーセントの遅れもない」
「それはそうとアナタ、早く支度して下さい。今日は会議なんですから、まったくもう、遅刻して冬月先生に小言言われるのは私なんですからね」
「ふ、君はもてるからな」
「何言ってるんですか、まったくもうー。真司はきっとあなたに似たのね、まったくもう、早くして下さいね」
「ああ、わかってるよ唯」
 新聞から顔を上げようとしない源道であったが突然真司の部屋の方から響いてきた破裂音(明日香が真司の頬をひっぱたいた音)が聞こえると思わず首を竦めてしまった。
「ふむ、相変わらずいい音を出しているな」
「本当に、響子も明日香ちゃんを積極的な性格に育てたのはいいけど、大丈夫かしら」
「まぁ、明日香くんの性格なら真司を引っ張って行くだろうから多分大丈夫だろう」
「本当に、アナタと真司って性格似てますモノね」
「どういう意味かな、それは」
「言わなくても分かってるでしょ」
「フンだ」
 源道が顔に似合わぬ拗ね方をしていると真司の部屋から顔を真っ赤に染めた明日香と、彼女の平手打ちを喰らって顔に赤い跡が浮かんでいる真司が出てきた。
「それじゃあおじさま、おばさま、いってきまーす」
「いってきます」
 ブスッとした顔をしている真司の背中を押すようにして明日香たちは登校していった。


 さぁ、西暦1939年に始まった誓いは4代目にして適うのか、それともこれまで同様上手く行かないのか、それはまだ誰にも分からない。






<後書き>

 この作品は、会員制EVAルームさんへ投稿した学園版の前世代ものとして投稿したプレ・ゼネレーションズと言う作品をベースに加筆訂正した物です。
 アイデア的には「彼氏彼女の事情」のストーリー展開を抽象的に取り入れて、特にスーパーSF大戦に多くでてくる碇唯のパートを増やしてみました。
 彼女が如何にして自分の親友の初恋の人をゲットしたかという話になっています。
 通常TV版の碇ユイもですが、この碇唯もかなりいい性格をしております。
 また、本当なら、投稿した物を使うことは良くないのですが、かなりスーパーSF大戦用に訂正しましたので大丈夫だと思いますので掲載しました。
 まぁ、何故学園版の碇博士達と惣流博士達がエヴァンゲリオンのことを知っているかと言うことの説明みたいな物です。
 じゃないと一般人の筈の彼らがエヴァに関わってくる事が不自然になってしまいますから。
 ではでは本編で。




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