NG○○○二年六月三日
曇りのち濃霧。ジットリと濡れるほど。
 
 
 今日はおっかさんの誕生日である。
 ただ、本人の行方が分からないが・・・と言うか元の世界で行方不明になっているのは恐らくオレだ。
 世界は観察することによって存在が確定する、また、観察したことによって存在に影響を与える。
 まあ、素粒子レベルのミニマムな極小次元のレベルの話であるが。
 良くある例えでは「シュレディンガーのネコ」が有名だ。
 内部の様子が観察出来ない箱の中にネコを入れる、蓋を閉じた後そのネコが生きているかどうか確定するのは観察の結果生きていることが確定された時点であって、それまでの間は生死は不明なのである。
 云うまでもないが聴診器を使おうが、監視カメラを使おうが監視した事には変わりないので。
 ならば、観察していた観察者が複数だった場合はどうなのかというと、その結果は必ず一致する。
 何故ならば同一対象を観察して違った結果が出た場合、それは観察者が元々別の世界の存在だと云う事であり、同じ結果を共有出来る者同士だけが同じ認識世界に居るという事になる。
 簡単に言えばコレが本来の意味でのパラレルワールドである。
 だがそれでは果てしなく分岐を続ける一方で、そのエネルギーはどうするのかという問題があるが、そんな物は一般人の私には想像も出来ない。だが、抜け道はある。
 それは結果を観察した存在、つまり人間のコミュニケーション能力が限定されていることである。
 つまりどういう結果が生まれるかと云えば、とある時点で同じ結果を認識した二人の観察者の前時点での観察結果が異なっていたとしても、前の時点での認識を共有しない限り現時点での認識空間を共有することは可能である。言うなれば未来の分岐する可能性と同じだけの数の過去が存在する可能性があると云うことになる。
 概念的に言えば、あみだくじの様に前方にも後方にも分岐点がある網のような構造になっている筈である。
 と言う事は、数多くの過去と未来の数だけ現在の数も存在するという結果になる訳だ。
 例えばイ世界とロ世界のふたつの認識世界で異なるふたつの認識実験を二回行い、観察者が二人いた場合、第一実験でイとロはそれぞれAとBと言う結果を認識する。
 この時点での観察者の名称をイ世界はイ−1とイ−2、ロ世界はロ−1とロ−2とする。
 第二実験でイ世界はCとロ世界はDと言う結果を認識した場合、イ世界でCと言う結果を認識しているのはイ−1とイ−2とは限らず、イ−1とロ−2、若しくはロ−1とイ−2の可能性がある。それはそれぞれの過去を語り合っていない状態で続くが、第一実験での結果を共有した時点で破綻する事になる。だがその時点で既に次の瞬間に移って居るため、最も存在しているのに相応しいX−1やX−2がその場に居る事になる。
 その結果、その観察者N−1が確実に言える事は、「現時点で私が認識している世界は認識が及ぶ範囲に限定してコレだ」と云うことであり、その認識を共有出来る周囲の観察者も同じ観察結果を述べる事になる。出来ない存在は別の世界の存在になっているからだ。
 ただし、その認識をどの程度までの精密さを求めているのか、それとも二者間の認識を埋めるコミュニケーションを図った時点で情報差が補間されるのかは分からない。
 また、もしも超越的な能力者が完全的にどの世界にも強要出来るだけの強力な認識を確定してしまった場合には、その時点で他の可能性の世界は存在し得ず、未来も一つしかあり得ない事になるのだ、考えの中では。
 とは言え、ハッキリ言ってこんな思考実験は只の高卒程度の能力を超えているので知恵熱が出そうだ。 はらほろひれはれ〜♪熱。
 まあ、もしも今言ったことが正しければ、今ここにいるHNダルグニィがこの混乱した世界にいるのは「時空融合現象(政府発表)」を観察してしまった結果であって、観察しなかった私は未だに家族と一緒にいるのかなぁ〜っと、おっかさんの誕生日に想像してみました。
 →冷静になって読み返してみるとコレではただの宗教ですな。アホラシ。

 注:連合政府の公式サイトには今回の時空融合に関しての研究が発表されていますので、興味のある人は覗いてみると良いかも。
 鷲羽博士監修の公式ホームページでは正統派の平行時空論。異なる時間線を前提とした平行宇宙論が公式な現象であるとされています。
 
 
 
PS.一昨日と昨日(6月1日と2日)の日記について早速突っ込みを頂きました。
 「M.Koba@573」さんよりの感想メールで色々情報を頂きました。
 
『そう云った路面軌道車輌の中でも特に変わっているのが帝都区を走る為の路面蒸気だ。
<中略>、時代情緒を感じさせるこれら路面蒸気が廃止される予定もない。』と書いたのですが、実際の所は路面蒸気が架線区間に乗り入れた時にスチームなどによって架線が熔けてしまうトラブルが発生しているそうです。
 このトラブルに対しては鉄道総研にて研究、実用化が進められている燃料電池式の駆動方式を近い内に実用化させて、新型車両と順次交換して行くという発表が都市交通局からあったばかりだそうで、かなりお恥ずかしいです。
 それで少し調べてみましたが、私の元の世界に比べて技術が進歩しているのか既に実用段階に入っているらしく新世紀二年度前半には試験走行を行っており、現在は実用車輌を制作中だそうです。
 しかも、帝都区の都市景観に合わせてレトロ調の外観を再現した車体になっているそうで、帝都区での景色にもマッチングした路面燃料電池気動車となるんだとか。
 試作機は二種類有って、一台は行き先掲示板が布製で警笛まで汽笛になっている復古調、もう一台は行き先掲示板は電光掲示板になっていて汽笛を模した電子フォーンを積んでいるそうです。
 両方とも車体は強化木材を使用した外坂で出来ていて、郊外で大量に杉花粉を発生させている杉林の削減と代替植物の植林を進める『新里の森計画』の一環に組み込まれて居るそうです。
 植物、特に樹木の場合は二酸化炭素をより多く吸収する時期が成長期だという事もあって地球温暖化防止用に人工林を中心に再植林計画が進められています。現在の製材技術は杉のように真っ直ぐな樹木でなくても使用に十分な木材にする事が出来るとかで、成長の早い種類の樹が実験として植えられているそうです。
 やはり、森の動物層とかも念頭に置いて計画が立てられているのでしょうか。
 それはともかく、帝都区の路面蒸気も今の内に記念乗車して置かなければ、いつの間にか姿を消してしまっているかも知れませんね。
 
 「M.Koba@573」さんにはもう一つ指摘を受けました。
 『 何とか自由席車に乗り込んだけど、ボンネットのある一五一系だった。<中略>時空融合前は水戸駅で練習車と書いてあるのを見掛けた事があるけど、<後略>』と書いたのですが、コレもまた勘違いで、常磐線には151系が入線した記録は何処の世界にも無いそうです。どうも485系ひたちと間違ったのでは無いかと言われてしまいました。
 あー、恥ずかしい。
 「生兵法は怪我の元」と言う通り、つい最近はまったばかりでぬるい知識しか持っていない為に鉄道マニアの方には許せない初歩的なミスを連発してしまいました。
 どうも素人目にはボンネットの特急電車だからコレだろう、くらいの認識しか無いんですよね。調べてみると中身は全くの別物って事で「M.Koba@573」さん、ご指摘大変にありがとうございました。
 
 もう他にチェックの入る所はないだろうな・・・ビクビク。