新世紀元年12月15日
晴れ
 
 夜勤明けの休日。
 基本的に夜勤中は食事を摂らないので、仕事帰りには寮扱いの社宅から自転車で8分くらいの所にある24時間営業のコンビニ弁当か、牛丼チェーンで豚汁納豆朝食(大盛り)を食べるのだが、偶に気まぐれを起こしてフラフラと遠出することがある。
 で、今日は気まぐれを起こして会社から海岸通りを小名浜漁港へと向かい、漁港の市場食堂に向かったわけだ。
 だが、今日はその途中でとんでもなく珍しいモノを目撃してしまったのでそれを報告しようと思う。
 右手にセメント工場のサイロを眺めながら鼻歌なんかを唸りつつゆっくりのんびりと進んでいると、後の方からシュッシュポッポシュッシュポッポと珍しい駆動音の乗り物が近付いてくる気配を感じた。って言うか遠赤外線か?
 基本的に産業道路なだけに、幅広な直線道路は自動車が思いっきり飛ばすところなので、明らかにこちらの傍を通ると判断した時には一時停車してそちらを見る習慣が出来てしまっているのだが、見た瞬間メチャクチャ驚いた、と言うかビビった。
 自分のすぐ後を小型の蒸気機関車が走っていたのだ。
 正面のボイラーに掲げられた形式表示は『K−100』。
 片側3個、両側に6個ののゴムタイヤを履いたそれは蒸気を吐きながら車道を走っていたのだ。
 幾ら蒸気機関車が多数出て来たからって、蒸気自動車なんてアリかーっ?! とか思って呆然と見ていると、隣に並んだK−100の後部、普通の蒸気機関車の運転席に座った兄ンちゃんがニカッと笑いながらオレのすぐ前で停車した。
 何か変わった形をしている自転車に乗った自分が目立っていた為、道を聞くついでに声を掛けようとしていたらしい。そこにオレが停まった為、都合が良いやと一緒に駐めたと言うことだ。
 まあ、確かに背もたれ付きアメリカンスタイルの自転車は珍しいわナ。
 取り敢えず道と今の時間帯に開いている食堂の場所を訊かれたので、値段の張る市場食堂ではなく、漁師のオンちゃん達がよく使う朝からやってる食堂の場所を教えたのだが、ついでにオレも一緒にそこまで同行する事になっていた。
 まあ、良いけど。
 で、道々お互いの事なんかを喋っていたのだが、何でもこの兄ンちゃんは鹿児島出身の九州男児で、元板前だったのだが、この蒸気機関車KE−100をスクラップ置き場からレストアした所、新聞の全国紙に掲載されたそうな。
 それを見た元機関士のお爺さんが北海道に住んでいて、自分が死ぬ前にもう一度KE−100の姿を見てみたいと言った事から一念発起。
 このKE−100を北海道まで持って行くべく道路を自走出来るようにゴムタイヤに換装し、向きも戦車と同じ方式で変更出来るように左右のピストン駆動部分を別々に動かせる様に改造。
 更に陸上だけでなく水上も動ける、水陸両用蒸気自動車へと改造したというのだ。
 その際にKE−100では長いので少し省略してK−100にしてしまったとの事。
 しかも既に広島と芦ノ湖で水上走行の実用テストも済ませたと言うのである。
 それを聞いた途端、おれはこの目の前の兄ンちゃんが物凄い腕前のエンジニアである事を確信した。
 そんなこんなでこの兄ンちゃんは所々でアルバイトをしながら資金を集めて全国縦断、鹿児島北海道間の旅をしているらしい。
 まあ、その旅の途中で時空融合に巻き込まれてしまったので北海道に行ってもそのお爺さんがいるのかどうか分からないらしいのだが、初志貫徹だ、とか言って旅を途中で打ち切る積もりは毛頭無いらしい。流石は九州男児である。
 オレも一緒に飯を食って、別れ際に「頑張って下さい」と声を掛けると、「応」と爽やかに笑ってK−100と共に北へと走っていってしまったわけだが・・・あのK−100、人が乗っていないのに警笛とか鳴っていたけども・・・何故だろうか。不思議だ。
 
 まあ、ノンビリと慌てずに陽気に行って下さい。応援してます。