新世紀元年十一月十一日。
晴れのち曇り
 
 こんにちは、この日記を読んでくれている皆さん、ダルグニィです。
 今日からホームページに日記を公開するに当たり、取り敢えず何を書こうかと云う事で悩んだのですが、時空融合当時の記憶を書き留めて置こうかなと思い立ちましたので、それを書いておきます。
 まず、私は元の世界ではそれなりに大きな、しかし素材メーカーの為あまり有名ではない化学に強い会社のグループ企業の一部門だったのですが、現在は時空融合によって独立会社となった某製造業株式会社製造課の製造オペレーターとして勤務している極めて普通の男です。
 ただ、普通の人と云いながらかなりオタクであるのは仕方がないので諦めている、と云うか諦める気がないと云うか。取り敢えずこのままGO! としか。
 私がどんな野郎かと云うと、経歴としては〜東京出身で二十歳に就職し一人暮らしを始めて今に至ると。


 最初の勤務地は神奈川県で大規模集積回路の製造業をしていました。
 ちなみにDRY Etching工程担当で、クリーンルーム作業でした。
 DRY ETCH工程とは、端的に言うと『プラヅマです。プラズマで説明できます』と云う風に、超高真空のチャンバーに希ガスを投入しつつマイクロ波を電極間に発生させて対象を垂直に(異方向性)削り取る作業です。詳しくは専門書をどうぞ。
 何しろクリーンルームですから、頭の先までフードの着いた全身ツナギに安全眼鏡、防塵マスクにヘアネット、静電防止ブーツにゴム手袋、と完全装備で八時間立ちっぱなしでしたから、疲れたびーってな感じでした。
 そんな環境の中、就職して初めて迎えた八月からコミケには欠かさず通い、同人誌を買い漁る等、稼いだ給料を自由に趣味に注ぎ込む楽しさを知ってしまう。なかなか金が貯まらないからケチ臭くなるけど趣味は止められないと、悪循環。
 そうして貴重な二十代を趣味に浪費してしまったのだが、全く危機感は無かったですね。

 そんなこんなで十年間を神奈川県で過ごし、西暦一九九九年に転勤によって初めて関東地方から離れた訳ですだが、何の因果かこちらの製造業務の仕事を覚えたと思った途端、時空融合に遭ってしまったのでありました。
 ちなみに四組三交替勤務に就いているのだが、その為に時空融合現象が発生した瞬間をはっきりと目撃した数少ない人間のひとりとなってしまった。
 あれはそう、〇時に勤務を引き継ぎ〇時三〇分に外回りに出て、一通りプラントのチェックが終わり中央制御室に戻ろうとした時だった。
 いきなりバリバリバリ〜ッ!! と空気を引き裂く様な激しい音と共に閃光が走ったので「雷か?!」と思わず空を見てしまった。
 その瞬間はかなり緊張していた。
 何しろ瞬停、つまり瞬間的な停電でも起こったら各機器の制御装置が誤動作を起こし、工場のプラントはイチコロでストップしてしまうのだ。
 すると工場内が3つの区画に分かれているのに、ひとつの組にはたったの四人しかいないのだ。一つの区画の立ち上げには最低三人から四人は必要だっちゅうのに。
 そうなったら勤務しているオペレーターだけでは手が足りないので、他の組の人間を呼び出して再立ち上げを実施する必要がある。しかも、夜勤明けに残業は確定だ。
 何故瞬停等が発生するかと云うと、雲一つ無い空の下でも、送電線の遙か先に発生した雷雲によって落雷が高圧送電線に落ちると、防御システムにより瞬間的に電圧降下が発生する為、瞬停が発生してしまうのだ。秋、冬、春も危険だが、なんと言っても夏場は注意が必要である。
 雷にしては季節はずれだなと思いつつも空を見たら雷じゃなかった、どちらかというと日本晴れ? 夜だけど。
 そこに見えた光景は東京よりもかなり澄んだ空気の綺麗な夜空が、文字通り切り裂かれていたという想像を超えたショッキングな物だった。
 例えるなら割れたガラスの縁みたいなヒビが空一面に走っていて、欠けた部分のその向こうは何も見えないのっぺりとした黒だった。
 何しろ、満月がブロークンペンダントみたいにギザギザハートの半分に割れているのだ。
 それを目撃しただけで尋常ではない事が起こったってのは分かった。けど、最初は天動説が正しかったのかぁ? 等と考えてしまいました。
 しかし・・・確か、その向こうから何かがこっちを覗いていた様な・・・イヤ、気のせい気のせい。
 そんなこんなで呆然と空を眺めていると、いきなり汽力ボイラーから轟音が響いて来た。
 何事かっ! と無線で中央制御室に連絡を入れようとしたら、全く反応なし。無線のハム音すらしやしない。
 これはまさか!
 思わず膝の力が抜けそうになる気分になってしまった。
 そうこうしていると、キューン↓とそれまで汽力ボイラーから蒸気を供給されていた汽力タービン発電機の甲高い高回転の音がトーンダウンして行く音を聞くハメになる。
 と、同時に場内を照らしていたライトがプツプツプツと切れていったかと思うと、工場内にあるポンプや圧搾空気によって開閉している自動弁の軋む音などの騒音があっという間に聞こえなくなって行ってしまった。
 俺は物凄い絶望感を味わっていた。だって、現場で対処のしようが無いんだもんな。ガックリだ。
 ともかくその時は原因は不明だった訳なのだが、無線も切れてしまったので後から聞いたところ、何でも電力会社からの送電がいきなりシャットアウトしたそうな。
 工場で使用していた電力系統は汽力発電とDG発電、そして電力会社からの受電の三系統で、いざとなったら工場内の電力負担を軽減させた上で汽力発電とDG発電の発電量だけで必要な電力を賄う事も出来るのだが、受電解列は手間と時間が掛かるから、前もって計画していなければ出来ないのだ。
 いきなり一つの系統が途切れると、自動的に他の系統で補おうと電力制御をしているコンピューターが出力補正に走るが、元々ギリギリの電気容量で作業しているってのにそんな事したら過負荷が掛かって装置が壊れてしまう。そうならない為にインターロックが組み込まれていて壊れる前にそれら発電装置の電力系統は停止してしまう仕組みになっている。
 しかも、今回の停電は雷という予想出来る気象現象ではなかったのだから、前もって対処が出来て無くて当然だった訳だ。
 その時は、ともかく取り敢えず出来る事をやって置こうと、慌ててプラント内にある最優先で閉止しなければならない緊急閉止弁を締めて回った。
 走り回って(工場内は走ってはいけません)閉める事、数十カ所。なんとかタンクオーバーや配管詰まり、薬液や重油の漏洩等、重大事故を起こさずに済んだ事を確認した俺は汗だくの状態で中央制御室に戻った。
 現状の報告と再立ち上げのミーティングを行う必要があったからだ。
 戻った時に中央制御室に居たのは職長とDCS担当オペレーターのふたりで、残りのメンバーは現場に出ている様だった。
 取り敢えず自分が行った作業を報告し、現状の説明を受けた所、重要な事実を知った。
 なんと電話回線が完全に途絶している為に呼び出しシステムが全然動いていないとの事である。
 つまり、応援の人は誰も出て来ないと!? Oh My Godness!
 取り敢えず工場内のボイラーだけで電力を回復させるべく下準備をしていたので、その時はもう、時空融合現象なんて知った事じゃ無くなってしまったのであった。
 結局、超忙しい仕事が終わるまで休憩無しで動いて、家に帰って風呂に入って、そのまま寝てしまったのでGGGの放送も、インターネットや新聞、テレビも見ることなく、世界が変わってしまった事を知ったのは丸一日以上経ってからなのだから、困った物だ。
 そんなこんなで大混乱な時空融合当日を迎えたのだが、色々と物が手に入り辛くなったのには困った。
 幸いな事に漁業の町として有名な江名漁港や小名浜漁港もあり、食料が手に入らなくなるという点については問題なかった。
 もっとも仕入れを一元化してコスト削減に努めているファミレスや有名牛丼のチェーン店は材料が入って来なくて閉店している所が目立っていましたが。
 私個人としては自炊をしている気力もなかったので開いている小料理屋で腹を満たしていたのですが。
 その他には、燃料についてであるが、国際港である小名浜港には石油の備蓄も、工場用の石炭やDC(ディレート・コークス=石油の絞りかす。混焼ボイラー用の燃料)も山積みされていたし、驚いた事に閉山した筈の湯本の炭坑まで出現していたのだ。
 しかも、ウチの工場の目の前には石炭を液状燃料に変換する実験施設があったのだが、いつの間にか本格的なプラントとして稼働していた。
 山の向こうに火力発電所もあるし、立地としては結構良い方ではないかな、と今になってみれば思える。
 当時としては東京にいた筈の親兄弟、親戚一同が心配だったのだけど・・・。
 数週間して会社も販売先が消失してしまったので在庫が一杯になってしまった為に、工場を停止して様子を見る事になったので、その休転期間を利用して東京へ行く事にした。
 まあ、帰ってきたら既に工場が稼働していたのには驚いたが。
 さて、時空融合以来、近くを通っている常磐線から鉄道の音が聞こえてくるのだが、疑問に感じている事があった。
 何故かいつもより甲高い警笛が聞こえて来ていた訳で。
 それは兎も角、休転前の休みを利用して泉駅からいわき駅に出てみた。
 イヤ、ちょっと駅前のアニメ屋を覗こうとしただけですが。
 家で時刻表を見てから自転車で泉駅に行ってみたら、当然の事だがダイヤが変わっていた。それでも三〇分で来る所だったのでホームで待っていると、来た電車が国鉄色だった。
 常磐線と云えば白地に青、若しくは緑の帯だったのに、到着した電車はあずき色にクリーム色の帯が入っていた。
 まあ、時空融合とかで色々ごちゃ混ぜになっていると聞いていたので、それほど驚かなかったのだが、七分位で湯本駅に到着。話には聞いていたけど、石炭を満タンに積み込んだ無蓋貨車が群れを成していた。
 それから八分位でいわき駅に着いたのだが、今度は本当に驚いた。
 俺が生まれる前の一九六〇年代まで平駅、現いわき駅から先は磐越東線みたいな無電化区画だったと資料で見た事があったけど、いわき駅の半分は当時の平駅だった。
 ガランとしていた筈の場所に扇状の車庫があって向きを変える為の転車機があり、見た事無い位沢山の蒸気機関車が待機していたのだ。
 近郊旅客用蒸気機関車C11とか長距離急行用蒸気機関車C62とか代表的貨物用蒸気機関車D51が暖機運転してるとは。う〜む、大井川鐵道よりも凄い。
 駅で駅員さんに訊いてみたら、スーパーひたちはいわき駅までで、ここから先はC62が客車を引っ張って行くそうだ。
 話によると非電化区間はいわき駅から大隈駅−岩沼駅間の東北本線合流部までだそうで、ぶっちゃけ東北本線は全然問題無しだそうだ。
 実はこれでもマシになって来た方だそうで、時空融合直後の常磐線は上野駅から直接蒸気機関車が仙台まで直通していたらしい。送電設備が調子悪かったとの事。
 これから電化するにしても時間が必要だし、仙台方面への接続がかなり悪くなりそうな気がする。
 いっその事、電源車を着けていわきで分離する仙台行きのスーパーひたち三輛を直接牽引すれば乗り換えの手間が・・・駄目だ、鉄道マニアに聞かれたら鼻で嗤われそうだ。
 ・・・とは言え、ここまで蒸気機関車が活躍している路線は珍しいだろうし、都心からも二時間ばかりで行けると成ればもう少しして世間が落ち着いたら人気が出るだろうなぁ、と予想する。
 平日の一般利用者向けには優秀なディーゼル気動車が磐越東線で運用されているんだし、そっちの方が運用の手間が省けそうだ。
 そうそう、大黒屋が復活していた以外はいわき市平市街の方は特に変わりありませんでした。ちなみに宝くじ売り場で有名だったデパートです。
 
 その後に訪れた休転を利用して向かった東京の方なのだが、引っ越し先を順々に追ってはみた物の、結局家族と伯母さん叔父さんの姿はありませんでした。
 そこら辺の冒険を話にすると長くなるので、割愛しますが。
 不幸中の幸い、と言っちゃ何ですが、私個人の本籍をこっちに移しといたので戸籍の問題は特に無し。
 扶養家族もいないし、気楽と云えば気楽だぜ。てやんでぃ。