作者: ペテン師さん&山河晴天さん
北海道は4月になってもなかなか気温が上がらないため、コートやジャンパーが着られている事が多い。
札幌商工会議所のロビーにいる北日本鉱業社長 尾上二郎も例外ではなかった。
現在、北海道・樺太・千島列島の企業は民間・半官半民問わず、そのほぼ全てが「北海道圏経済団体連合会(道圏連)」に加盟しており、相互協力体制によって北海道圏経済の底上げを行っている。
その道圏連の中でも中核を占めるのが、製紙・パルプ製造の『ダイワ製紙』、スキー場やホテル経営等観光業の『北稜グループ』、融合後旧エアドゥと旧日本エアシステム北海道支社が合併して出来た『北海航空(HAS)』、北海道の石炭採掘のシェア約三〇%を誇る『太平洋炭坑』、自動車・トラック製造の工場が内地の本社から独立して出来た『いすゞ北海道』と『トヨタ北海道』、そして鉱山・造船・海運業によって急成長を果たした北海道の新興企業『北日本鉱業』。
非公式ながらこの七つの企業は『北の七星』『セブンス・スター』と呼ばれ、北海道圏を代表する企業として内地でも名を馳せていた。
ちなみに北海道圏とは北海道本島、千島列島、そして時空融合後日本に加盟した樺太島を指して付けられた呼称である。
二郎が札幌まで来るのは道圏連での会議位で最近は殆ど来ることはなかった。
普段は地下20000メートルの地底都市か実家、あとは気分転換のためニセコや道南のスキー場で滑るくらいであった。
北海道も新世紀2年から各種レジャー施設が再起動し始めており、内地からの観光客も増加してきていた。
最も、滝川市以北は現在に至るも民間人の立ち入りは制限されている。
散発的ながら「赤い日本」及び「極東ソ連軍残存部隊」と自衛隊との戦闘が行われているせいだ。
そして現在の札幌市は、自衛隊の後方基地としての役割も果たしており、その自衛隊員達が北海道各地の歓楽街やレジャー施設で落としていく金は既に北海道経済において無くてはならない物になっている。
新世紀2年4月現在、北海道には陸上自衛隊の主力部隊が全道各地に駐留しており、他にも航空自衛隊の北部方面航空隊が増強、海上自衛隊も大湊地方隊が大幅に増強された他、新規に北部方面艦隊が編成され余市や函館、室蘭や苫小牧にも護衛艦が配備されるようになった。
特に陸上自衛隊は従来の第2,第5,第7,第11各師団の他、新たに編成された第60師団という新師団が配備されている。
この部隊は新世紀元年に行われた東欧からの大移送作戦「エクソダス」で日本連合に移住してきたドイツ陸軍・武装親衛隊の将兵により構成された大規模機甲師団で、編成地こそ富士であったが編成して直ぐに北海道に派遣され留萌〜旭川〜富良野地域の防衛任務に就いていた。
現在の北海道には、機甲師団3(第2,第7,第60)、歩兵師団1(第5)、政経中枢師団1(第11)、他にも戦車旅団1(第1戦車団),砲兵師団1(第1特科団)等、陸上自衛隊が保有する戦車部隊の大半が北海道に配備されている。
理由は勿論、道北にいる共産主義という周りには傍迷惑で当人達以外には全く有り難くないイデオロギーを掲げている「日本民主主義人民共和国(赤い日本)」が存在するためだ。
詰まる所、今の北海道は「戦場」以外の何物でもない場所なのだ。
それでも人の営みは変わることはなかった。勿論、前線で戦う自衛隊員達の奮闘があるからだが。
「あ、二郎さん。どうも」
不意に二郎に声を掛けてきた青年が居た。
長髪を尻尾のように首の後ろで纏めた、人の良さそうな青年である。
「やあ、駿平君。君も来ていたのか」
その青年─久世駿平はどこかオドオドした様子で、知り合いに会えた事を喜んでいるような表情だった。
「ええ、養父さん、渡会健吾の代理でして」
駿平は元々東京の生まれだったが、紆余曲折を経て静内の馬産農家へ婿養子に入った、ユニークな経歴を持っている。
20を少し越えた程度だが既に息子もいた。
出来ちゃった結婚をしたから。
「へえ、社長代理かい、君も。出世したモンだね」
「ははは・・・。社長代理って言えば社長代理ですけど。でも、ウチは社長よりも奥さんの方が偉いですよ」
汗をかいて苦笑する駿平。
渡会家は女性の方が強い。
実は社長も婿養子なのだ。
「そう言えば、馬の調子はどうだい? そろそろ出産のシーズンだろう」
「はい。今年は三頭の肌馬が無事に子馬を出産したんですよ」
馬の話をするときの駿平の顔は、とても嬉しそうだった。
「・・・でも本当に良かったです。またこうして馬を作る仕事が出来て」
時空融合直後、馬産農家にとっては地獄であった。
一部のオーナーブリーダーを除く、大半の馬産農家は馬主との契約によって競走馬を育てる。
馬産農家はその馬主やレースの賞金等から収入を得て生活をしている。
しかし時空融合によって、その馬産農家の殆どが馬主と切り離されてしまったのだ。
時空融合直後は中央・地方競馬のレースも行われなかった。
それによって収入の術を失った所も多く、競走馬を野生に放逐したり馬肉として売り払った牧場もあった。
JRAが活動を本格的に再開させたのは新世紀2年の1月から。
日本連合政府農水省から馬産農家や騎手、調教師等の競馬関連職従事者に一定の補助金が出始めたのは新世紀元年10月頃からだった。
ただ一部の地方競馬は、各地方自治体・地元企業によってそれよりも早く再開されたため競馬業界が全滅、と言う最悪の事態は免れることが出来た。
その影響を受けたのか、中央競馬界も新世紀元年10月以降断続的にレースが行われ、その年の12月には「新世紀有馬記念」が開催されるまでになったのだ。
北海道地方競馬(ここではホッカイドウ競馬、ばんえい競馬両方を指す)はその中でも真っ先に立ち直っていた。
それは北海道そのものが日本有数の馬産地でもあり、「困った時には助け合う」共同体型社会だったからだ。
北海道の一企業であった北日本鉱業もその中の一つであった。
企業の貢献度、要は幾ら金を出したかだが、北日本鉱業は北海道の企業内でもトップだった。
何しろ、かつては借金に喘いでいた地方競馬界だが、新世紀徳政令によってその借金の全てがチャラになったのだ。
ここで本格的なテコ入れをすれば、短期間の内に地方経済に多大な影響を及ぼすくらいの収益が上げられるだろう。
北日本鉱業がこれまでも良く行ってきた「企業採算度外視・公共利益優先」は今は半ば社是のような物になっている。
このテコ入れに関して言えば、北日本鉱業は「若干の赤字」を出していた。確かに利益は上がったのだがそれを上回る損失が出てしまったのだ。
それでも東京にいる副社長の清水に言わせれば「今損をしても各方面から信頼を得られた方が、将来的には遥かにプラスになる」らしい。
事実、それによって日本連合政府中枢とのコネクションが出来たのだから。
もっとも現在の北日本鉱業は、一部において不利益を出しても別方面(室蘭のドッグ、鉄鋼製材所等の重工業)で利益を上げられる経営状態なのだが。
そして最近業績が上がった部署に、倒産寸前で買収された某大手食品メーカー(現社名:スノーカンパニー)があるが、現在は北日本鉱業の子会社である北海食品のそのまた子会社になっている。
特に品質管理は「其処までしなくても」と他の企業から言われるくらい、徹底的に行われていた。
だが、この前身の会社が倒産直前にまで陥った経緯を調べれば当然かも知れない。
その介有って最盛期には及ばないまでも、スノーカンパニーは業界内において確実にシェアを伸ばしている。
「それで、二郎さん」
駿平は唐突に切り出す。
「今年の当歳、買っていただけますか?」
「はっはっは、今度時間に余裕が在れば見に行くから。その時考えさせて貰うよ」
「お願いします。出来れば東さんも一緒に」
「駿平君、なかなかの営業マンぶりだね〜。そう言うので在れば結構期待できそうだな、今年の当歳は」
共に二〇代という事もあって親しげな二人だ。
何故この二人が知り合いかと言えば、それは去年の事。
北海食品の社長の東が馬主資格を得たとき競走馬を買いに偶々渡会牧場を訪れた。
そして、東に「尾上、地底に籠もりっぱなしなのもあれだし、気分転換に静内の方に一緒に行ってみないか」と誘われたのがきっかけだった。
渡会牧場とはそれ以来の付き合いだ。
他にも醍醐ファームと言う駿平達と同じ世界の大手馬産農家からも馬を買っている。
「じゃあ出来るだけ近い内に、東も連れて寄らせて貰うよ。3年後のダービー優勝予定馬を見るのも悪くないし」
そう言って二郎と俊平は共に笑った。
もっとも二郎がオーナーをしている馬は未だG1を獲っていないし、俊平が自分で直接手がけた馬も残念ながらG1を獲ってはいない(度会牧場生産の馬で最も活躍した、菊花賞、春の天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念の優勝馬である「ストライクイーグル」は俊平が度会牧場に来たときには既に走っていたので除く)。
それでも俊平が出産からデビューに至るまで手掛けた「アダタラヨイチ」と言う馬は日本ダービーに出走したことがある。
しかも本来で在れば双子の片割れであった体の小さいこの馬は出産直後、薬殺される所だったのだが、俊平は決死の説得でこの馬の命を救った。
そしてそれがきっかけで俊平はこの世界に本格的に入る事になったのだ。
最終的にこの「アダタラヨイチ」は引退するまでの約5年間の競走馬生命において、とうとうG1を制する事は無かったが、それでもG2を2回、G3でも4回重賞を優勝している。
それによって「双子は走らない」と言う説を見事に覆している。
それで久世俊平は競馬の世界でもそれなりに名前が知られるようになってはいるのだが、本人だけはその事を知らない。
彼の妻が「あの人は褒め過ぎると調子に乗るとこがあるし」と言って局地的な情報操作を行っているせいでもあるのだが。
「そう言えば二郎さん、ニュース見ましたけど。大変でしたね、室蘭の方は」
「ああ、そうだな。でも死傷者が出なくて良かった。不幸中の幸いだ」
新世紀2年3月中旬、北日本鉱業は創設以来最悪の事件に遭遇した。
室蘭ドックが何者かの手によって襲撃されたのだ。
被害は、ヘリ搭載護衛艦へ改装途中だった「おおよど」(元大淀型軽巡洋艦「大淀」)、後にオーストラリアで使徒発見の第一報を報せてきたハーマイオニ同様に、対空砲能力を強化された防空護衛艦「さかわ」(元阿賀野型軽巡洋艦「酒匂」)、海上保安庁の大型巡視船「しきしま」が中破、同じく改装巡視船「きさらぎ」(元睦月型駆逐艦「如月」)、改装護衛艦「しらゆき」(元吹雪型駆逐艦「白雪」)が小破、施設の被害は全体の約一〇パーセント。
被害総額数十億円と言う、大惨事だった。
ただ、他の大型艦、コマンド空母に改装途中だった「ひよう」(元改装空母「飛鷹」)と「じゅんよう」(元改装空母「隼鷹」)や、新規に建艦されていた新型の「天馬」型強襲揚陸艦の一番艦「天馬」と二番艦「白馬」、航空機搭載打撃護衛艦としての改装を受ける為に入渠していた戦艦「伊勢」「日向」等の艦艇は襲撃箇所との距離があったため事なきを得ていた。
そして事件発生時が土曜の深夜だったので人的被害はない。
後に北海道警と警察庁の調査に寄れば、使用されたのは旧東側の有名な対戦車ロケット砲「RPG−7」と82ミリ迫撃砲であったという。
それによって犯人は赤い日本の破壊工作員と断定された。
北海道警察本部は室蘭ドック襲撃の第一報後、直ちに東京の警察庁に伺いを建てSATの出動を要請。
しかし警察庁から出動許可が出た時点で、破壊工作員達は全員が射殺されていた。
警察庁警備局公安一課課長補佐の亀井静香 警視が事件発生後に現場にて調査をした所、内地から派遣されていた実弾訓練に向かう途中の陸上自衛隊一個小隊が、その数名の破壊工作員とばったり遭遇してしまいそのまま銃撃戦を展開してしまったらしい。
突然の遭遇に破壊工作員の一人が突然突撃銃を発砲してきたため、小隊長の島和武 二等陸尉が応戦を命じ、遭遇戦開始から10分後には全破壊工作員を射殺してしまった。
時空融合以前に自衛隊員がこんな事をしたら、間違いなく大騒動になっていただろうが、現在の日本連合に置いては「自衛官として適切且つ臨機応変に対応した」として、その小隊指揮官の能力を高く評価していた。
何しろ自衛官側には3名の軽傷者を出しただけに過ぎなかったからだ。
陸上自衛隊北部方面隊司令の斎藤三弥 陸将も調査報告を柳田昇吉 統幕会議議長と土門康平 陸上幕僚長に提出する際、「島 二尉の行動は軍人として何ら恥ずべき事はありません。もしも島二尉に何らかの処罰が与えられたら、全自衛隊員の士気は最低にまで落ち込むでしょう」と発言し、島の対処法を支持した。
このユニフォーム組2人も全く同意見だったので、その後、島 二尉以下小隊員全員に何らかの功労が与えられた。
「早く北海道の戦争が終わると良いですね」
駿平は心底そう思った。戦争反対・平和主義と教育されたこの世代はごく自然にそう思うことが出来る。
「まったくだ」
二郎もそう思った。しかし駿平のように純粋にそう思った訳ではない。
戦争というモノが莫大な利益を上げる事、そして莫大な負債も生み出すことを知っているからだ。
戦地から離れていれば戦争というモノは他人事に写るし、自分に直接的な害が為されなければ余計だ。
だが二郎の元居た世界では異常気象による食糧不足から、あわや第三次世界大戦が勃発しそうな状況であった。
ソ連とアメリカが元気だった世界だったから、何時日本がその渦中に巻き込まれ無いとも限らない世界情勢だった。
その為二郎には、駿平よりも「戦争」と言うモノを少しだけ「現実的」に見ることが出来た。
しかし二人の願いは虚しく、まだまだ戦争は続くのだった。
陸上幕僚監部。
陸上自衛隊を統べる部署で、旧軍式に言えば陸軍参謀本部である。
住所は東京都新宿区市谷本村町5−1
海上自衛隊や航空自衛隊、特機自衛隊に比べて今一存在感が希薄な陸上自衛隊であるが、その任務の重要性は他の3軍に何ら劣るものではない。
泥臭いイメージがあるのは否めないが。
純粋に隊員の構成人数だけで言えば増強著しい海上自衛隊よりも多いくらいだ。
デフコン1が発動されれば、現役自衛官と召集動員される予備自衛官・即応予備自衛官の合計は陸上自衛隊だけで40万に迫る。
隊員個々人の質も決して低い物ではない。
寧ろ太平洋戦争や日露戦争、旧ソビエト・ロシア等と戦ってきた旧軍や自衛隊の幹部(将校)・隊員(下士官兵)も多数居るため実質的な部隊戦闘力は非常に高いレベルにある。
旧軍出身者でも最新式の兵器を長くても半年の習熟訓練で扱えるようになった程だ。
「随分久しぶりな感じがするな、半年ぶりくらいか?」
飲み物の自販機前のベンチに座りながら二人の男の内の片割れが、もう一人の男にそう話しかけた。
「うん、大体ソレぐらいかな」
もう片割れの方の男も相槌を打つ。
服装から見れば二人とも陸上自衛隊の二等陸佐(中佐)という幹部である事が解る。
しかし最初に話しかけた男が30代後半なのに対し、話しかけられた方は20代後半に見える。
「所で、家には連絡はしたのか? 聞くところによると正月も帰らなかったそうじゃないか」
「連絡はしたけどね。でも一寸気恥ずかしくてさ。時空融合で実質赤の他人でしかない俺を本当の子供みたいに気遣ってくれるのは嬉しいけど」
「確かにその気持ちは分かるけどな。俺もまさか、融合後に実家に帰ったら弟が増えているとは思わなかったからな、舞哉」
「俺は、自分が実家に帰ったら、自分と婚約者がもう一人居て、家族が一気に老けていた事に驚いたよ、祐介兄さん」
そう言って「はっはっは」と笑う二人。
30代後半の方が渡良瀬祐介 二等陸佐。
元居た世界では、宇宙怪獣レギオンとの戦闘で活躍した化学科の幹部で、現在は大宮化学学校に所属している。
20代後半の方は渡良瀬舞哉 二等陸佐。
元居た世界で陸上自衛隊ではなく日本陸軍に所属しており、第二次世界大戦で分列した共産主義国の北日本軍と死闘を繰り広げてきた、まだ若いが歴戦の戦車指揮官である。
現在は富士教導師団第31戦車教導大隊の大隊長を務めていた。
会話でもあったが、この二人は兄弟である。
しかし時空融合により生まれた「良く知る赤の他人」なのだ。
しかも渡良瀬舞哉の方は自分の婚約者以外の家族と呼べる人間は居なかったのだが、京都にある実家には別な世界の(何年か年を取った)自分と婚約者が結婚した状態で住んでいた。
もっとも婚約者同士は直ぐに意気投合したし、家族も割合あっさり受け入れてくれたが。
「それで、北海道での『出張』はどうだった? 聞く所によると随分と活躍したそうじゃないか」
「別に俺が云々と言う訳じゃなかったよ。何せ連れていったメンツがメンツだったし、凄く楽だった。それに・・・」
「噂の『新型』か?」
「まあね。今日陸幕に来たのもそれに関した事だし」
この二人が此処に来ているのは、別に兄弟の再会を果たすためではない。
仕事で来ていたためだ。
「大隊長」
二人の後ろから一人の女性自衛官が話しかける。
ブリーチにした髪をボブカットに揃え、大きめの眼鏡をかけた彼女は秋山好香 一等陸尉。
第31戦車教導大隊付きの幹部で、大隊の副官を務めている。
「そろそろ会議が始まりますので、会議室の方に行きましょう」
「ああ、もうそんな時間か」
そういって壁に掛けられていた時計を見た。
確かに会議の開始まであと10分少々だ。
「じゃあ俺もう行くわ、そろそろ時間だし」
「そうか。なら今度時間がとれたら飯でも喰おうや」
「あ、いいね」
二人はそう言って立ち上がり、分かれた。
「続いて渡良瀬舞哉 二等陸佐の報告に移ります」
陸上自衛隊の幹部が勢揃いしている大会議室。
既に殆どの議事はつつがなく進行され、最後の発表者である渡良瀬の出番となった。
富士教導師団第3戦車教導連隊第31大隊指揮官の渡良瀬舞哉 二佐です、と自己紹介をした後、
「皆様ご承知の通り、自分は臨時に編成された『教導戦車隊』と共に、2月10日から3月29日までの約一月半の間、 北海道で新機材の実用試験を行ってまいりました。本日はその件についての報告をさせていただきます」
と続けた。
「教導戦車隊は新型戦車『XTK−1』、現在『2式1型戦車』と呼ばれている戦車を主力とし、基幹要員として富士教導師団、 第60師団から人員を選抜して編成致しました。編成は隊本部に戦車小隊が3個、機械化された普通科中隊が2個に迫撃砲小隊1個の増強大隊でした」
実際に戦争をする場合、いかに強力な戦車と言えども、単独で用いてはほぼ役には立たない。
その為、戦車部隊を運用する場合は必ず歩兵(普通科)をその編成に加える。
相手の歩兵が対戦車兵器を抱えて肉薄し、至近距離でその武器を使われたら、いかな陸戦の王者たる戦車であっても只では済まないからだ。
そして、敵歩兵を戦車に接近させないために一番有効なのは、歩兵でもって接近を妨害することなのだ。
敵歩兵は味方が撃つ小銃の弾丸を一発喰らいさえすれば戦闘不能になり、外れたとしても今度は迂闊には接近は出来なくなる。
そして離れてさえいれば、戦車は自らが持つ強大な砲で敵の歩兵を無理矢理あの世へ転属させる事が可能である。
「そして2式1型戦車ですが、基本スペックの方も説明させていただきます」
この新型戦車「2式1型戦車(Type2−1MBT…以下『2式』と称す)」は時空融合が生み出した、奇跡のような日本製戦車であった。
開発が開始されたのが新世紀元年6月なのだが、試作1号車が完成したのがなんと11月。
僅か半年に満たない時間で新たな戦車を開発してしまったのだ。
勿論コレには訳がある。最大の原因は、脅威となる敵が直ぐ身近に存在したためだ。
言うまでもなく、かつて居た世界では世界屈指の陸軍国であった日本民主主義人民共和国(赤い日本)である。
赤い日本が保有する主力戦車「82式改2戦車」は原型がソビエト・ロシア製「T−80」である。
一般的にロシア製の陸戦兵器は優秀である。
湾岸戦争でボロクソにやられたイラク軍のT−72もロシア製ではあるが、これはモンキーモデルと言われる本来の性能よりもランクが落とされている手抜き商品だったためだ。
だが赤い日本はT−80の設計図を購入し、更に改造してT−80をレベルアップさせて「82式戦車」として配備していた。
主砲は125oなのは変わらないが、ガンランチャー(戦車砲からミサイルも発射できる機構)をオミットしたため扱い易く、故障しにくい構造に変えていた。
そして時空融合直後の陸上自衛隊戦車部隊が保有戦車の主力は74式戦車である。
74式戦車は「第2世代の最優秀戦車」と呼ばれることがあるが、82式戦車は第3.5世代戦車である。
軍事の一般常識として「1世代違う戦車がやり合ったら、一方的に破壊されて終わり」と言うのが定説であった。
そして融合初期に第2師団の第2戦車連隊と赤い日本の戦車隊で戦闘が起こり、保有戦車の半数が74式戦車であった第2戦車連隊を初めとする第2師団は甚大な被害を出して後退した。
もしも急遽駆け付けた陸自最強の機甲師団である第7師団が居なければ、旭川はおろか札幌まで赤いスチームローラーに蹂躙されていただろうと言われていた。
このような事があったため、連合政府、自衛隊、各民間軍需企業は危機感を持ち一刻も早く強力な戦車を開発する必要に迫られたのだ。
勿論ゼロから開発していたのでは早くても試作まで2年は掛かったであろうが、幸い時空融合によりサンプルとなる戦車も各種出現しており、また優秀な戦車技術者、第3新東京大学にあったMAGIまで使用し、常軌を逸した開発期間で曲がりなりにも試作車両を作り上げてしまった。
勿論、融合で出現した各研究機関等の技術もソレを可能にさせていたのは言うまでもない。
話を会議に戻す。
会議に出席した幕僚達が待つ中、2式戦車のスペックに関する説明を終えた渡良瀬は一度咳払いをすると続いて『教導戦車隊』が一ヵ月半の間に挙げた戦果について発表した。
「まず、同戦車隊の挙げた戦果ですが45日間の実戦テスト期間中に発生した33回の戦闘で『赤い日本』のMBT、AFVそのほか輸送用トラック、小型車両等の計150両を撃破し200名以上を捕虜としました」
発表の直後あちこちからざわめきが起こる。
誰もがまさか一ヵ月半の実戦テストでこれだけの戦果を挙げるとは予想できなかったのだろう。
「ほー、流石じゃのう。僅か半年に満たない間に作った戦車じゃと聞いたときは大丈夫じゃろうか、と思ちょったが。いやいや、帝國陸軍の新型戦車はまっこと精強じゃ」
統合作戦本部長 児玉源太郎 陸将の御国訛りの言葉による賞賛に苦笑する者が多数。
しかし、その中に三人だけはこの結果が予想通りのものであったと満足そうにうなずいていた。
その三人とは渡良瀬の直接の上官である神部隆 一佐と彼等と共に2式戦車の開発で指揮を執り、この日の会議でも技術者側の代表として出席した原乙未夫 陸将と陰山拓真 三佐だった。
「続いて、同戦車隊の損害についてですが戦闘により損失した車両は18両の内一両もありませんでした。故障車両については走破試験中の段階でエンジントラブルを起こしたものが1両、懸架装置の故障を発生させたものが2両でした」
「やはり試作車両が中心だからか。新型にとって故障は宿命みたいなモノだからな」
かつて幾度と無く最新型戦車を試作の段階から乗り回してきた神部にしか言えない言葉だろう。
この「旭日の鉄騎兵」の言には、それだけの重みがあった。
「はい、やはり厳寒の土地での運用でしたから、富士の裾野とは違って氷点下15度に下がる気温や、吹雪による凍結が原因と思われる故障でした。幸い、戦車回収車で牽引の後、整備を行った結果、どの車両も次の日には復帰できました」
「いやー、それは何よりです。まあ、そう言う風に作ったんですから、そうなってくれないと困るんですがね」
2式1型戦車の開発者の一人である陰山三佐が慇懃に答える。
階級は渡良瀬の方が上だが歳は陰山の方が上なのだ。
「渡良瀬 二佐、一つ聞きたい。 先ほどの懸架装置を故障した2両についてだが」
そこへ思い出したかのように原が手を挙げると渡良瀬に質問する。
彼も技術者としては試験運用中に生じたトラブルが当然気になるという事だろう。
すかさず渡良瀬もどうぞ、と返答する。
「今回貴官の指揮した戦車中隊にはトーションバー式と油気圧式、それぞれの懸架装置を搭載した車両が配備されていたが、故障を生じたのはどのタイプだったのか知りたいのだが?」
原の言うように今回の実戦テストで渡良瀬の率いた中隊は縦置き型トーションバー(通称ポルシェ型)式と油気圧式という2種類の懸架装置をそれぞれ装備した車両を装備していた。
試作段階ではどちらの方式も甲乙付けがたかったこともあり、開発現場では今回の実戦テストによって最終的に判断が下る事となっていた。
質問の意図を読み取った渡良瀬もすぐに自分の手にするファイルへ書き込んだメモを元に報告する。
「故障を生じた2両はいずれもトーションバー式を装備した車両です。 油気圧式についてはテスト期間を通じて順調に稼動していました。」
「そうか、ありがとう」
報告を聞いた原は、これで決まったな。という表情で隣に座る陰山へ目で合図し頷く。
元々彼等は油気圧式懸架装置を推していた事から今回の結果に満足していた。
トーションバー方式の性能を低く見ていたわけではないが、油気圧式ならば現在研究中であるアクティブ・サスペンションへの技術導入等が比較的スムーズに進むと考えていた。
「小官からも質問があるのだが」
続いて手を挙げたのは融合直後の戦闘で大損害を被り、現在は再編成が完了して北海道の前線で防衛任務に従事している第2師団の師団長として新たに着任した宮崎繁三郎 陸将である。
彼は元の世界において武装SSの一人として日本人部隊(その設立経緯は話すと長いものとなるが)を率いて第二次大戦を戦った経験を持っており、大戦末期のドイツ本土におけるハルベ脱出戦や融合直前の満州におけるソ連軍との大戦車戦を経験するなど前線指揮官としてはうってつけの人物であった。
「各実戦部隊への本格的な配備は何時からになる? 実戦テストでこれだけの結果が出たならすぐにでも量産に移って貰いたいのだが」
第2師団は戦車連隊を保有する、歴とした機甲師団である。
当然、再編成に際しても90式戦車を配備されているし、19式戦車、10式戦車と言う神部 一佐や原 陸将の世界から出現した、電子装備以外なら90式、74式戦車を凌駕する戦車も配備された。
この19式戦車や10式戦車は2019年や2010年ではなく皇紀2619年(昭和34年)と皇紀2610年(昭和29年)の意味だ(!)。
勿論、FCS(ファイヤーコントロールシステム:火器管制装置)を21世紀型に改造してだ。
逆に言えば、半世紀前の戦車がFCSだけ改造すれば、21世紀初頭型のMBTとして十分に使えるというのも奇妙な話ではあるが。
一方、話を振られた渡良瀬は困惑気味だ。彼は実戦部隊の指揮官であって、兵器の配備に関しては何も約束できる立場ではない。
「申し訳在りません。その件に関しては、自分は何も言える立場にはありませんので」
そう言うのが精一杯であった。
「ああ、宮崎 師団長。その件に関しては私から」
原が宮崎の質問を受ける。
原乙未夫 陸将の現在のポストは「陸上自衛隊 装甲車両開発局」と言う融合後新設された部署の局長である。
此処では陸上自衛隊の装甲車両(戦車・装甲車等)の開発・配備計画等を専門に担当する部署で、2式1型戦車の改良や配備についても原の職掌にある。
「現在、2式は第1ロット分の生産が名古屋、宇都宮で開始されています。 今回の運用試験で浮き上がった問題点を解消した第2ロット以降については盛岡、千歳、下丸子(東京)、亀有、小樽、相模の各工場で治具及びラインの配置が終わり次第開始される事になります」
原の言葉を前にした幕僚の反応は様々だったが、おおむね好評をもって迎えられた。
勿論、彼の発言に対して「それまでに生産した分はどうなる?」という声も挙がったが、それらの意見については彼を補佐する陰山が「第2ロット以降の仕様に合わせる形で改修しますよ」と軽く受け流してみせた。
続いて原は2式が何時実戦部隊へ本格的に配備されるかという宮崎の質問に応える。
「2式戦車の配備についてですが、当面は富士教導、第7、第60の各師団と第1戦車団に重点配備されることとなります。以後も東部、北部の二方面隊へ重点的に配備されることとなるでしょう」
「2師(第2師団)への配備は当分先ということでよろしいですかな?」
原の発言に宮崎は少々気落ちした様子で確認を取る。
「残念ながら先に挙げた3個師団と1戦団への配備が最優先なのです。 月産150両、日産5両を当面の目標として量産を急ぐよう要請はしているのですが」
「優先している配備先はいずれも戦略予備の部隊ばかりです。 通常部隊より予備や方面隊の直轄が弱いと言うのでは話になりませんからね」
原の言葉に続けて発言したのは陰山だった。
流石にここでは彼も渡良瀬への対応と異なり腰の低い態度であった。
そして、二人からの説明に納得したのか宮崎も「ふむ、なるほどな」と頷く。
二人に続いて発言したのは第3教導戦車連隊長である神部である。
彼もまた渡良瀬と同様、02式の開発当初から実戦部隊側の代表として参加しておりテスト走行、射撃試験を始めとする数々の運用実験で不具合を発見し問題点の改善に心血を注いだ一人だった。
しかも彼は融合前に3式、10式、10式改といった戦車を駆って欧州、中国大陸、東南アジア、中東、満蒙と幾多の戦場で戦い抜いた生粋の戦車指揮官であり、教導部隊の指揮官としても新型戦車の開発スタッフとしても申し分の無い人物と言えた。
「既に原 陸将からお話がありましたが、2式戦車の戦略予備部隊に対する優先配備は運用側の小官としても極めてまっとうな判断と思います」
更に神部は続ける。
「融合前ならともかく、現在の専守防衛を基本とした自衛隊の軍事ドクトリンから考えると機動防御(バックバンドブロウ)に徹する必要がありますしその為にも02式は当面の間、戦略予備部隊への集中配備とするのは致し方ないでしょう」
「ふむ、確かにそうかもしれんがのぉ」
神部の発言に対してそう言ったのは2式戦車の運用試験結果に感心していた児玉 陸将であった。
「じゃが、それまで前線の部隊には旧式の戦車で戦えとでも言うのかのう? そんなことは無いと思いたいもんじゃが」
ここで神部に代わって原が再び発言の為に立つ。
「本部長の仰る通り2式戦車の前線部隊への配備には時間を要しますし、それまでの間は融合前からの戦車を主力としなければならないのも事実です」
「勿論融合前の戦車をそのまま用いるという事はありません。 現に性能を向上するための改修計画が進められております。 詳しくは皆様のお手元にある青い表紙のファイル、その12ページを開いてください」
児玉以下、参加している幕僚達は手元のファイルを開いて該当ページに掲載されている数点のイラストと写真に目を向ける。
それらの写真とイラストはいずれも陸自では未だに数の上で主力となっている74式戦車と90式戦車の改修案であった。
そして、再び渡良瀬が改修された90式と74式についての説明に立つ。
「まず、90式戦車についてですが火力と防御力の向上に重点を置いたものとしています」
渡良瀬の言葉どおり、そこに掲載された写真に写る90式戦車は砲塔の正面と側面にドイツのレオパルド2A6の様な楔形の増加装甲を取り付け、車体側面にもブロック型の爆発反応装甲をとりつけていた。
また、主砲も44口径から55口径120oに換装されている事が詳細な説明により分かった。
何人かの幕僚からは「ほう」といった感心する声が上がったが、そのうちの一人が彼に質問する。
「確かに防御力と火力が向上しているのは理解できるが、機動力についてはどうなのだ?」
「機動力に関しましては当初の予想通り重量の増加に伴って若干低下しております。 しかし、富士教導で試作車両による試験を行ないましたところ実戦で問題が生じる数値ではないという判定が下っております」
実際にドイツのレオパルド2の改装型、レオパルド2A6は今回の90式と同様の改装を施されて強力になり、その改装によって4トンの重量増加があっても尚最高時速は72qをキープしていた。
90式戦車も基本のエンジン出力が1500馬力と大きいため多少の重量増加では速力は落ちないのだ。
「74式戦車ですが、コレは戦車その物に大規模な改造を施す余裕がないので、当面は10式戦車に搭載されていた70口径105o戦車砲を搭載して急場を凌ぎます。この砲でAPDS弾を撃った場合、距離1500でT72の砲塔正面装甲も撃破できるとのテスト結果も出ましたので、日本製鋼所の方にラインの確保をお願いする予定です」
74式戦車の51口径105o戦車砲では、例え劣化ウラン弾を使っても1000メートルまで近づかねば撃破は出来なかったが、70口径105o砲でタングステンのAPDS(装弾筒付き徹甲弾)ならば、1500メートルまでならばT72の如何なる場所をも撃ち抜ける様になったのだ。
「そして93式APFSDS(装弾筒付き翼安定徹甲弾)を使用した場合では、2000メートルで確実にT72を撃破できるようになったという試験結果も出ました」
渡良瀬の発言は74式が改修すれば相手次第でまだまだ戦えることを示していた。
しかし、車体のサイズから発展性に余裕が無いのも事実であり74式は改修した場合でもあくまで2式戦車の数が揃うまでの「つなぎ」として考えられていた。
正面から1500〜2000でT72を撃破可能という報告に幕僚の間から「改修だ」「それも緊急に」という声が次々と出る。
74式は長く陸自の主力であったことから愛着を持つ幕僚が少なくなかった。
「成る程、それは朗報じゃのう。所で装甲と速度の方はどうなっとるンじゃ。幾ら突っ張りが強力でも、打たれ弱くて足腰の弱い力士では千秋楽まで勝ち続けられんぞ」
児玉の指摘することも又事実であるが、ここで渡良瀬が再び発言する。
「皆様が74式の改修を支持してくださるのはありがたいことですが――私も融合前は74式に搭乗していましたから――本部長の仰られる通り、そう簡単に事が進むわけではないのです」
一言おいて渡良瀬はこの改修によって90式の改修時よりも速度が低下するというデータを提示した。
そう、砲身の換装や装甲の追加による重量の増加は90式以上の速度低下を招くこととなった。
もっとも、その対処方法としてエンジンそのものの換装からチューニングによる馬力向上まで数段階に分かれた「処方箋」があることも述べたのである。
「ファイルにもありますが最も効果的な手段はエンジンそのものを新規開発し、換装してしまうことです」
こう述べたのは原の隣に座っていた陰山 三佐である。
彼もこの手の話は実戦部隊の渡良瀬より、自分の方が話しやすいだろうと発言したのである。
「が、我々にそのような開発をしている余裕は有りません」
「今は数を揃えることが重要であり、エンジン一つ開発していたらその間に国会議事堂に赤旗が翻ることでしょう」
陰山の発言に何人かの幕僚は苦笑する。
誰もが今の「赤い日本」にそれだけの機動兵力が無いことを分かっていたからだ。
もっとも、陰山を含めて彼等の眼は笑ってなかったが。
「話を本題に戻しますと、74式のエンジンについては従来のものを改良して用いる方向で改修を進めています」
「とりあえずは改修前の最高速度である時速53qを確保するのが最重要としています」
この質問有ることを考えて用意してきたのであろう、資料をめくりながら陰山は幕僚達に74式の改修案を述べる。
流石にエンジンの改良については専門用語が続出したので話についていない者が出たのは仕方が無いことであったが……。
「あー、陰山三佐、出来れば我々のような老人にも解るように説明して貰えないだろうか。技術的なところは端折ってくれれば有り難い」
そう言って陰山の専門用語の(聞き慣れない人間にしてみれば)呪文の羅列を遮ったのは、陸上自衛隊東部方面隊総監 友永幸一郎 陸将である。
彼は渡良瀬舞哉 二等陸佐の元居た世界の上官でもあり、元居た世界では「南日本一の知将」と言われていたほどの戦上手である。
撤退時に長野から日本アルプスを岐阜まで徒歩で走破した程であり、テロリストの攻撃で右目を失った時も、判断力が鈍るからと麻酔無しで摘出手術を行った「武人」である。
それで60間近の老人であるので、技術論に関してはあまり詳しいわけではない。
勿論、軍事上欠かせない知識は持ち合わせているが。
友永 陸将の言葉に対し陰山は改めて説明することとした。
「簡単に言いますと74式改のエンジンについては改修を行なわず、外付けの過給器を搭載して出力を向上させるという方法を採用しました」
ここで陰山は会議場のプロジェクターに映像を出すように指示する。
そこに映し出されたのは74式戦車の機関室上部に取り付けられた箱状のものであった。
陰山は指示棒のレーザーポインターを箱状の物に当てつつ説明を続ける。
「これが先ほど申し上げました過給器(スーパーチャージャー)です。元は90式、74式双方の性能向上にあたって開発したものでしたが90式改は試験の結果速度の低下が予想より小さなものであった為、
74式のエンジン出力向上に用いる事としました」
「具体的にはこの過給器を用いてエンジンへ強制的に空気を送り込み、燃焼効率と出力を引き上げています。おかげで74式改は重量増加後も最高速度は時速51qと改修前の2q減とすることが
できました」
友永 陸将もこの説明には納得がいったようで何度も熱心に頷いていた。
「もっとも、戦闘時や緊急の際にしか使えないという問題があります。 常時使用するとなれば過給器がエンジンより先に焼きついてしまいますから」
「その点は仕方が無かろう。 それに最大速度で起動させ続けるわけでもないのだからな」
陰山の言葉にそう付け加えたのは彼の説明を聞いていた原だった。
この辺は彼の上司としてフォローを入れたといえる。
「確かに仰るとおり、戦闘時以外で最高速度を出すことは殆どありません。普段の移動はトランスポーターですし、仮に自走するにしても20〜30qで走るのが精々です」
神部も一応戦闘部門の代表者と言うことで2人の裏付けをした。
そして再び陰山の発言となった。
「皆さんもお聞きの通り、74式改は戦闘時を除けばそれほどの機動力を発揮できるわけではありません。2式戦車の配備が軌道に乗り戦車部隊へ十分な数が行き届けばこの問題は解消されるでしょうけどそれにはまだ時間が必要です」
「その為、74式改については02式や90式改とは異なる運用方法を採るべきではないかと考えました。以降は提案者である渡良瀬 二佐に解説していただきます」
その後、渡良瀬が引き継ぐ形で説明を始める。
この流れは事前に決まっていたのか、議場のプロジェクターも、それまでの映像から「赤い日本」と睨み合う北海道の地図が映し出されていた。
「先ほど陰山 三佐の報告にもありましたが、74式改は攻守ともに合格点を与えられるとともに戦闘中の機動力についても申し分のない性能を発揮する事ができます。しかし平時における機動力の低さは配置転換時やトランスポーターの無い状況下では問題となります」
「この事から74式改は待ち伏せによるアンブッシュ戦法、敵の側面、後背から攻撃を仕掛ける機動防御といった運用方法をとるのがベストであると提案します」
渡良瀬の提案は、74式改の技術的問題点を考えれば理にかなったものだった。
話を聴いていた幕僚達にもこの意見に頷く者が何人もいる。
もっとも、これら二つの戦法はいずれも、渡良瀬自身が融合前の戦闘で性能に勝るT−72を相手に「無改造」の74式で戦わざるを得なかった際、最も効率よく戦える方法として選んだものであったのだが。
負け戦であろうと撤退戦であろうと「経験」は「経験」だし「歴戦」は「歴戦」である。
渡良瀬もまた「負けから学んだ」のだ。
「成る程、十二分に検討の余地はありそうじゃのう。島田師団長、教導師団で至急に渡良瀬 中佐の提案の運用研究を行えるじゃろうか」
児玉から質問を向けられた富士教導師団師団長の島田豊作 陸将は、微笑を浮かべながら返す。
島田豊作は、太平洋戦争初期において、マレー半島で日本で最初の電撃戦を行い、シンガポールの早期攻略に貢献した戦車将校であり、終戦後は分断国家となった日本で行われた北海道戦争でも活躍した。
その時は国家警察予備隊 第7特車(戦車)群の指揮官となり、北海道渡島半島に閉じこめられた国連軍の一大反攻作戦「アイアンフィスト」でM26重戦車を率いて赤い日本とソ連の地上軍を包囲殲滅させるという大戦果を挙げている。
その後も警察予備隊、保安隊、自衛隊で機甲戦の専門として在籍、ベトナム戦争では自衛隊ベトナム派遣部隊の総司令官として、ベトコン最期の反攻作戦「テト攻勢」ではベトコン2個連隊を殲滅するという手腕を見せた。
「はい、既に運用の予備研究は前年度から行っております」
「ほお、流石じゃ」
島田の話によれば、大半の部隊での主力戦車である74式戦車の急な更新は不可能、ならば小規模な改造でも有効な運用方法は。と、富士教導師団機甲科幹部の有志が集まり何度も検討会を開いていたらしい。
そしてそこに陰山 三佐等の戦車技術者も協力、小規模な改造の青写真を画いて廃棄予定の74式を現地改造し、予備的な運用研究を行っていたという。
因みに、改造費用は師団に割り振られた予算で処理されたようだ。
90式については74式よりも前に改装プランがあったようだが。
「それでは、改装した74式、便宜上『74式改』と呼称しておりますが、の機動状態にある映像を公開いたしますのでご覧下さい」
渡良瀬はそう言って副官の好香に目配せる。
「セシル、お願いね」
「了解デス」
そして好香は自分の部下であり教え子でもあるセシル・ド=ゴール 三等陸曹を促した。
ビデオデッキにテープが差し込まれ、大型のテレビに画像が映し出される。
そこに映し出されたのは74式戦車であった。しかし、彼らが見慣れた74式戦車ではなかった。
オリジナルより明らかに長い105o戦車砲、前面装甲に取り付けられた追加装甲、エンジンルーム上面へ置かれた箱形のスーパーチャージャー、転輪を覆うようなアーマースカート。
三菱10ZF2サイクルV型10気筒ディーゼルエンジンの720馬力と共に、ホンダ技術研究所が開発した外付けの120馬力スーパーチャージャー2基、合わせて960馬力の咆吼が富士の裾野に響きわたっていた。
時速20q弱で走行していた74式改がその咆吼がなるや、ゼロヨンのダッシュの如き急加速で忽ち時速50qにまで増速する。そして遮蔽物になるくらいの葉の落ちた樹木に急接近し、
『きゃー、ジェニファー、そっちじゃないわよ〜〜!』
『き、樹で前が見ないのよ〜! ナターリャ、エリカ、樹を退けて〜!』
『む、無茶言わないでよ! そんな曲芸出来るわけないじゃない!!』
『じぇ、ジェニファーが止まれば良いんじゃない?』
樹は激突の衝撃でへし折れたが運の悪いことに操縦席の点視口(覗き窓)を枝で塞いでしまい、操縦者は前が見えなくなってしまったようだ。
そして操縦者は前が見えないこともあり、車長の「右だ左だ」の声に過剰に反応してしまい酔っぱらいもかくやと言う、あっちへフラフラ、こっちへフラフラと蛇行していた。
あまりと言えばあまりな映像に、一同唖然。
「あ、コレはヒルダ達のを撮った面白作品集の方デス」
セシルは「テヘッ」と可愛いしぐさで誤魔化そうとした。
だがしかし、そんなモノでは誤魔化されない女が一人。
「セシル〜、ちょ〜っとコッチ来なさい(ハ〜ト)」
無駄に良い笑顔を向ける好香。残念なことに、目元がひくついていて青筋が立っていなければ素敵な笑顔なのだが。
「あ、あの。教官、今は会議中デスけど」
「うふふふふ。・・・良いからコッチこいや、あぁ?(ハ〜ト)」
ムンズと襟首を掴みながらセシルをずるずると引きずっていく好香。
そして先程とは違う意味で唖然とする会議参加者一同。
「それでは皆さん、映像の方をご覧下さい」
渡良瀬が何事もなかったかのように会議を進行させる。
セシルの座っていた場所には「せしる・ど・ご〜る(兄者)」という名札が付いた「指先でつつかれたら其処から腐りそうな戦車のぬいぐるみ」が置かれていた。
目つきにやる気が全く感じられない、後進ギアが5段ほど入っていそうな感じだ。
そしてここで改めてテレビの画面に映像が映し出された。
画面に出てきた74式改はいきなり主砲を後ろに向けると最初に流された映像と同様に木へ突っ込みそれをへし折ってみせる。
先ほどと違うのは倒れてきた巨木へ易々と乗り上げ、そのまま軽快に走り去ったという点だ。
しばらくすると、すると74式改の横で無改造の74式が併走する。
「これより74式改の不整地走破能力をお見せする事になりますが、今回は比較対象として無改造の74式を出しております」
渡良瀬の説明が続く中、74式改は演習場に設けられた沼地に突っ込んでいく。
沼地に突っ込んだ2両は一気に走り抜けようとするが、ここで74式改が一歩リードする。
続いて画面に映し出されるレンガとコンクリートで作られた障壁へ二両が突っ込む。
ここで、74式にハンデをつける為か砲身の長い74式改が主砲を後方に向けている間に、74式が先に壁を破壊して見せた。
が、程なくして74式改も後方から追いついてみせる。
そして、二両が停車したかと思うと、画面には新たな戦車が出てくる。
新たに登場した3両の戦車は、いずれも茶碗をひっくり返したみたいな砲塔に長い砲身を装備している。
そのうち一両は車体の前面部と砲塔を、ブロック上の追加装甲で覆っていた。
再び渡良瀬が説明を入れる。
「これより模擬戦に入ります。 今回74式改の相手となるのは北海道で鹵獲された82式改2型、T−72、T−72の爆発反応装甲を装備した装甲強化型の3両です」
直後、画面上では模擬戦が開始される。
まず無改造の74式が主砲を撃つと通常型のT−72がペイント弾の直撃によって砲塔を青く染める。
しかし、画面上に出たテロップでは「砲塔に直撃、損傷軽微」と表示されてT−72へ「小破」の判定を出すのみにとどまり、逆に直撃弾を食らって撃破の判定を受ける。
続いて74式改の番になった。
先ほどの74式と異なり、無改造のT−72へ初弾で直撃を出すや「正面装甲貫通、乗員全員死亡、機関部破壊、撃破」の判定を与えると続けざまに追加装甲装備のT−72へ演習弾を放つ。
初弾で「砲塔直撃、照準器破壊、車長負傷、中破」の判定を出してみせると、すぐさま後方に回り込んで再び主砲を発射した。
これにより追加装甲装備のT−72も「後部装甲貫通、機関部破壊、乗員全員重傷、戦闘続行不能」の判定を受ける。
そしてついに82式改との戦闘に突入する。
先ほどの二両とは異なり82式改の側も積極的に動きまわり格闘戦さながらの様相を呈する。
双方共に距離をとる動きを見せるが、その距離が数百メートルほどになった時74式改が82式改の側面を取る格好で先に主砲を発射した。
が、82式改には熟練の乗員が搭乗しているのか主砲発射のタイミングに合わせたかの様に車体を旋回させて正面から74式改の主砲弾を受け止めてみせる。
直後画面上に「車体正面直撃、損傷軽微、小破」の文字が表示され、反撃に移った82式改が最大速度で前進し距離を詰めながら主砲である125o砲を放つ。
これにより74式改の砲塔へ直撃弾が生じ、それにより「砲塔正面命中、追加装甲破砕、照準器破壊、中破」と判定が表示され同時に74式改の動きが損傷の程度にあわせて緩慢になる。
一方の82式改は相変わらず軽快に走り、74式改との距離を詰めていく。
映像を見ていた児玉以下多くの幕僚は誰もが「82式改が最後のとどめをさせて勝負をつける」と思っていた。
しかし、その予想は次の瞬間覆された。
突如別方向より飛来した砲弾が82式改の車体側面に命中し、一瞬にして82式改の車体を鮮やかな緑に染める。
判定についても「車体貫通、砲塔爆圧により脱落、弾薬誘爆により乗員全員即死、撃破」の結果が表示され、その直後に「模擬戦闘終了」のテロップが表示された。
これには見ていた幕僚の間からも思わずどよめきが起こる。
74式改を追い詰めた82式改を一撃で撃破した存在はなんだったのかと誰もが思う。
その疑問は次の瞬間、画面上に新たな戦車の姿が見えた時氷解した。
74式改より一回りほど大きく、角ばった車体と砲塔に楔形の追加装甲を備え長大な主砲をもつ戦車……そう、90式改である。
遠距離からの一撃で82式改を撃破したのはこの戦車だったのだ。
「先ほど82式改を撃破したのがお手元のファイルにもありました『90式改』です。説明にもありましたように主砲を従来の44口径120oから長砲身の55口径へ換装し、 装甲貫徹力を向上しております。また、ドイツのレオパルド2A6を参考としたショト装甲を砲塔前面及び側面に装備しています」
渡良瀬の言葉通り、カメラによって全貌を見せられた90式改は配布されたファイルに載っていた試作型と異なりレオパルド2A6に酷似していた。デザインその物は日本的なモノがあるのは確かだったが。
ここで渡良瀬は一旦言葉を切り、改めて説明を続ける。
「なお、今回の模擬戦闘において90式改は完全にゲスト扱いです。そして、この映像から分かりますように74式改は性能面で完全に74式を圧倒しT−72系とも互角に戦える事を証明しましたが82式を始めとするT−80系列と戦うにはまだ苦しいところがあります」
「以上をもちまして、模擬戦闘を含む性能比較試験とそれに関する資料映像を終わります」
そう渡良瀬が述べた直後、幕僚の間から歓声と拍手があがる。
が、それらは児玉の一声で中断された。
「ふむ、確かによく動き回るちゅうのはよう分かった。じゃが、染め粉を詰めただけの弾を撃ち合うというのでは今ひとつ威力がわからん。もっとよく判る活写(活動写真)はないものかのう?」
「そう仰られると思ってました。すぐに射撃試験時の映像を準備します」
渡良瀬がそう言うとすぐに新しいビデオテープがデッキに差し込まれ、すぐに先ほどと同じ演習場の映像が映し出された。
標的となるのは先ほどの模擬戦闘でも撃破されたT−72であり、テロップには「距離2000メートル」の表示が出る。
そこへ無改造の74式戦車と74式改が併走してくるのが映し出され、やがて横一線に引かれたラインの前で停車した。
暫く時間をおいて、射撃が開始された。
先に撃ったのは無改造の74式だったが、その一撃はT−72の車体正面へ命中するも直後に鈍い音を発して弾かれてしまった。
だが、これは予想通りの展開であるのか児玉以下の幕僚達は流れる映像を平然とした顔で見ている。
続いて74式改による射撃が映し出される。
けたたましい轟音とともに長砲身の主砲から放たれた93式APFSDSは先の74式による射撃時と同様に標的であるT−72の車体正面へと命中した。
先ほどの74式と異なるのは命中後に起こった出来事だ。
74式改の砲弾を正面から喰らったT−72は命中直後に爆発を生じ、砲塔が車体から脱落したのである。
これには映像を見ていた幕僚の間からも驚きの声が上がる。
それは、児玉が言った様にペイント砲弾を用いた模擬戦闘では分からなかった74式改の主砲たる70口径105o戦車砲の威力をまざまざと見せ付けた瞬間でもあった。
「大した威力じゃ。しかし、標的にしては随分と派手に爆発するものじゃのう?」
「今回標的としたT−72には実際の戦闘でどれほどの損害を与えるかを検証するのを兼ねて弾薬と燃料を積み込んでいます」
感心する児玉へ渡良瀬が今回の射撃試験に関する説明を加える。
その間に映像は残骸と化したT−72からダミー人形を降ろす場面へと変わっていた。
乗員への被害状況を検証する為にT−72へ乗せられていた3体のダミー人形が映し出され「イワン君」「ボリス君」「ヨシフ君(髭付き)」とテロップが表示されたときは幕僚の間からも思わず笑い声が漏れたがダミー人形の損傷具合が詳しく映し出されるとその笑いも消える。
3体のダミー人形はいずれも表面が完全に焼け焦げており、素人目に見ても「全員死亡」と分かるものであった。
引き続き渡良瀬が説明を続ける。
「現在映し出されているダミーの状態からもご理解いただけますように、74式改による射撃はT−72を戦闘不能とするにとどまらず乗員も完全に戦闘不能――端的に言えば死亡――にすることを証明しました。」
「そして、この画像からT−72系統の戦車に対抗するのは74式改でも十分可能ということが皆様にもご理解いただけたと思います」
参加者全員が頷く。
「本部長も御納得頂けたでしょうか」
「ああ、よう解った。スマンな、渡良瀬中佐。儂のような年寄りは自分の目で見ん事にはどうも納得できんでな」
児玉も上機嫌に頷いた。
「それでは改めまして、2式1型戦車の実戦運用報告及び関連報告である74式戦車の改良型試験運用報告を終わります」
「以上で、本日の報告会は全てのプログラムを終了いたしました」
司会進行役の幹部は起立してそう宣言する。
「それではコレより、各報告に対する追加質問に移らせていただきます。質問のある方は挙手の上お願いいたします」
此処からは、フリーな質議応答の時間となった。
最も質問が多かったのは、普通科部隊へ試験的に配備された新型小銃「2式突撃銃(通称J−AK−2)」と、新型機関銃「2式機関銃(通称J−MG2)」に関してだった。
前者の2式突撃銃は、旧ソ連が生んだ傑作アサルトライフル「AK(アブトマット・カラシニコフ)47」の流れを強くくんだライフルである。
取り回しやすく、市街地や接近戦での運用に適したサイズなので、歩兵・普通科出身の幹部は強い興味を持っていた。
使用する弾薬も、89式自動小銃で使われている現用の5.56oなので弾丸の互換性も問題はない。
唯一欠点らしい欠点と言えば、銃身が短いので中長距離での撃ち合いには向かないと言う点だろうが、これは無反動砲や分隊機関銃、旧日本陸軍が使っていたが現在でも十二分に使える制圧兵器である89式重擲弾筒でカバーできることが試験運用により分かっていた。
後者の2式機関銃は、第二次世界大戦中にドイツが開発した汎用機関銃「MG(マシーネン・ゲーヴァー)42」――より正確にはその戦後型であるMG3――の日本連合版とでも言うべき機関銃だ。
こっちについては、ドイツ難民の大移動作戦「エクソダス」に際して大量の実物とマニュアル、弾薬、スペアパーツ、整備用工具が日本連合に持ち込まれていた事から、試作〜制式化までの期間も非常に短くすんだこともあり、量産・配備については2式突撃銃に先行して進められている。
2式機関銃の凄いところは、その構造が基本的に原型たるMG42やMG3と比較して殆ど変化していないところだろう。
使用する弾薬についてはMG3と同じ7.62o弾を使用し、プレス加工を多用して量産性を高めている点や、オプションの三脚を取り付けることで重機関銃として運用することが可能な点もそのまま継承している。
日本連合で改良された点と言えば、照準装置として光学スコープやダットサイトの取り付けが可能なように本体上部の形状が若干変更されている事ぐらいだ。
これらの改良点は、試作時に参加したドイツ人技術者や試射試験に携わった元ドイツ軍人から提案されたものである。
また、2式機関銃は2式戦車の車載機銃として採用されており、02式を実際に運用した渡良瀬をはじめとする戦車兵からも好評をもって受け入れられていた。
もっとも、運用した際に全く問題が無かったわけではなく、既に試験運用をしている富士教導師団からは銃身の交換に際して厚手の耐熱手袋や熱された銃身を置く為に耐熱マットレス等が必要というのは実戦の際、確実に支障が出るという報告がもたらされている。
この為、制式配備される量産型は銃身の交換について側面から引き抜く方式から、米軍のMG−MAGやMINIMIの様にキャリングハンドルを用いて本体上部から取り外す方式へ変更される事がこの場で発表された。
制式小銃に続いて話題に挙がったのは、現在富士教導師団で試験運用されている2種類の新型装軌装甲車――「J−BMP」「J−AIFV」という仮称を与えられている――に関してだった。
現在、陸自が装備している兵員輸送車・装甲車は融合前から用いている60式装甲車、73式装甲車、89式装甲戦闘車を中心に在日米軍が撤収の際置き去りにしたAAV7や「赤い日本」から鹵獲した83式装甲戦闘車改三型、
一部の平行世界で自衛隊が大量にアメリカから導入したM113装甲兵員輸送車などであったがこれらの車両には部品の共通性がなかったり、高性能な車両は一両あたりのコストが高価すぎる事が前々から問題視されていた。
この事から、陸自の装備改変に合わせて新型の装甲車を開発し、車種の統一を図る事が必要という意見が昨年から多数出ていた。
防衛省も2式戦車の開発と同時期に各メーカーへ新型装甲車の開発を依頼しており、その結果として現在試験運用まで到ったのが先述の2装甲車だったのである。
2装甲車に関しての詳細は以下の様なものだ。
前者の「J−BMP(Japanese-Boyevaya Mashina Pekhoty…日本の歩兵戦闘車)」は融合直後の北海道における「赤い日本」の陸軍との戦いで鹵獲した装甲車「83式装甲戦闘車改3型(BMP83J3)」を参考にして開発された車両である。
そのデザインは車体の車高を低く抑えたものであり、BMPシリーズの特徴を受け継いでいる事が分かる。
ただし、J−BMPの外観については開発の上で参考としたBMP83よりもむしろ旧ソ連・ロシアがこの装甲車の原型となった「BMP−2」の後継として開発した「BMP−3」に近い。
これは鹵獲したBMP83の調査を行なった際に技術者・実戦部隊双方が指摘した「兵員の居住性に問題有り」という問題点を解消する為、車体の設計時に車体高を高くした為である。
事実、BMP83の原型であるBMP−2もその前身となったBMP−1も歩兵の居住性に問題があり重武装の時は乗り降りすら困難になる欠点があった。
この問題点は車体を新規開発したBMP−3に到ってようやく解消したほどであり、これらの経緯からJ−BMPは車体設計に際してBMP83を参考にしながらも車体高を高く取り、更に車体の延長、車幅の拡張を行なったのである。
結果としてJ−BMPの外観はBMP−3のそれに近いものとなったのだ。
武装については89式装甲戦闘車と同じ90口径35o機関砲を主砲として装備するほか同軸機銃として7.62o機銃を装備し、このほかにも対戦車戦闘を想定した重MAT発射装置を砲塔の両側面に1基づつ取り付けている。
ただし、現在富士教導師団にて試験運用されている先行量産型は開発を急いだため新規開発の車体に89式の砲塔を搭載していた。
量産型に搭載される新規開発の砲塔は生産性とコストパフォーマンスを高めるため直線と平面を多用したシンプルな形状になる事が決まっている。
後者の「J−AIFV(Japanese-Armoured Infantry Fighting Vehicle…日本の装甲歩兵戦闘車両)」は、日本連合でも運用されているM113装甲兵員輸送車の改良・発展型であるAIFVに日本独自の改修を加えて開発した車両である。
原型であるAIFVの姿は、M113の車体各部に増加装甲を装着し、車体上部に25o機銃と7.62o同軸機銃を装備した砲塔を載せたというもので、J−AIFVの外見も基本的に変わりは無い。
しかし、その増加装甲は最新の素材を用いたものになっており、防御力は向上している他サスペンション系統が改良され、その不整地走破能力は若干向上していた。
また、砲塔についてはJ−BMPと同様に、試験運用中の先行量産型は87式偵察警戒車の砲塔を載せられている。
J−AIFVの量産型砲塔については、87式の砲塔から偵察機材をオミットして量産効率を高めたものが採用されることが決定しており、外見については先行量産型の時点で決定したと言える。
これら2種類の装甲車は、その原型になった車両からして異なっている一方で共通化した部分も幾つか存在する。
その共通点とは「追加装甲ユニット」と「浮航ユニット」の共通化、「ガンポート(銃眼)の廃止」であった。
追加装甲については戦局に応じて装備する為の物だが、2種類の装甲車開発にあたっては追加装甲をブロック化してこれらを組み合わせる事でどちらの装甲車にも使用可能としている。
一方、浮航ユニットは2装甲車の原型となった車両に元々装備されていた浮航装置をオミットした結果として生まれたものだ。
当初の案では最初から車両に浮航能力を持たせる方向だったが、それぞれ異なる浮航装置を搭載するのは工程や整備面で色々な不都合が生じる事は確実だった事と乗員の搭乗スペースを大きく取る為にも浮航能力はオミットする必要があった。
その代わり、2装甲車に共通した外付け式の浮航ユニットを開発する事になったのである。
3番目のガンポート廃止についてだが、これは純粋に車体の防御力を重視してのものだ。
確かに、歩兵が装甲車に搭乗したまま射撃が出来るという点ではガンポートの存在は心強いかもしれないが、主力戦車や航空機、戦闘ヘリによる火力支援を得られるならば装甲車に乗っての銃撃戦は必然的に少なくなり、追加装甲を取り付ければガンポートは塞がってしまい無意味となる。
こういった条件まで含めた上で検討をした結果、実戦部隊側からも「ならば、最初から銃眼をオミットして防御力を向上すれば良い」「万一射撃する時は、車体後部上面にハッチを付けて其処から射撃出来る様にすれば問題は解決する」という意見が出され、ガンポートは試作車両の段階でオミットされた。
戦闘装甲車についての質疑応答においては、J−BMP、J−AIFVのどちらが優れているか、或いはどちらを採用するかについての意見交換が行なわれた。
長時間の話し合いにおいて、2装甲車については以下の様な意見が出された。
曰く、
「J−BMPは確かに高性能でコストも安いが、やはりJ−AIFVと比較すると性能に見合ったくらい高い」
「だが、J−AIFVは値段が安いけど、それなりの性能しかない」
「こっち(J−AIFV)は兎に角数を揃えられる、常備師団の完全機甲化も容易だろう」
「あっち(J−BMP)は戦車師団の完全機甲化程度しか揃えられないが、J−AIFVと殴り合ったら確実に勝てる」
どちらを採用するかは、それぞれの言い分が有ってなかなかまとまらなかったが、最終的に「ハイローミックスということで双方共に運用すればいい」という形に落ち着いた。
そして、2装甲車の制式名称については、J−AIFVを「2式戦闘装甲車A型」、J−BMPを「2式戦闘装甲車B型」と命名する事もこの場でほぼ確実になった。
ちなみに、それぞれを識別するA型、B型については、それぞれの仮称である「AIFV」「BMP」の頭文字からとっている。
採用後の配備については、A型が通常の機械化師団に、B型は専ら機甲師団へと配備されていく事になるがそれはまた別の話である。
この他にも、開発中の戦闘車両については、74式や90式の車体を用いた新型自走砲や対空戦車に関しても随時開発中との報告がなされ、同時に複数の概念図が公開された。
多くはまだ設計あるいは試作車両の製作段階であるが、いずれも今年中には試作車両が完成し富士教導師団にて試験運用も行なわれる見通しとなっている。
順調に行けば、新世紀3年にはこれらの車両が量産されて前線部隊へと配備され、これに伴い陸上自衛隊の装甲化・機械化は急速に進む事が期待された。
そして、今回報告された開発中の車両の中で最も注目を集めたのが、まだ設計途上にある装輪装甲車――仮称「Jストライカー」と呼ばれている――だった。
Jストライカーが注目を集めた最大の理由はその先進性にある。
02式戦車や2式装甲戦闘車が技術的な冒険を避け、極力融合以前からの既存技術を用いる方向で開発されたのに対し、Jストライカーは融合後の新技術を用いる方向で設計が進められていた。
この為、今回の発表では簡単な概念図の発表に終わったが、その新型複合装甲を用いた車体と、インホイールモーターを採用した駆動系、ハイブリッドエンジンという様々な新機軸の盛り込みは幕僚の注目を集めるのに十分だった。
勿論、装輪装甲車の新規開発についても既存技術の応用したものを大量に配備すればという声が無かったわけではない。
事実Jストライカーの開発計画がスタートした当初は、新技術を大量につぎこむその設計思想に不安を抱く者は、技術者の中にも多かった。
設計に入るまでの検討会議でも「まだ、新技術の取捨選択にしても方向性が定まっていない、もう数年待っては……」という声も幾つか挙がっていたぐらいだ。
しかし、その後幾つかの経緯(その最たるは4月に発生する技研騒動であろう)を経て技研がMBT及び装軌式装甲車の開発を凍結し、それらの人員がJストライカーの開発へ回った事。
また、Jストライカー開発計画の会議上で「既存の装輪装甲車については技研が近代化改修に全面協力する」という条件を提示する事で引き続き開発続行が決定したのである。
続行が決まった段階でも実物の完成については、早くても新世紀5年の上半期ぐらいと思われていたが、6月に北海道へ出現するDoLLsのもたらした幾つかの技術がJストライカーの開発を加速させることになる。
もっとも「試作車両の完成」と「実戦部隊への大量配備」は別問題である故に、まだまだクリアする問題は多数あるのだが、その点は今後の課題とするべきだろう。
今後の事はともかく、今回の会議においてJストライカーに関する出席者の感想は「問題点をクリアすれば、将来的に期待できる」というものだった。
開発スタッフにすれば太鼓判を押してもらいたいところだったかもしれないが、現実はそう甘くは無いというところか。
だが、その一方で出席者の判断は妥当なものと言える。
どれほどの最新テクノロジーをつぎ込んでいても、まだ概念図の段階で評価を下すのは性急すぎるというものだ。
恐らく、その評価は実物が完成し実戦配備されるその日まで出る事は無いだろう。
なぜなら彼ら軍人達は基本的に現実主義者であり、また実用主義者なのだから。
そして既に夕方になり、会議終了の時間となった。
会議の参加者も真っ直ぐ家路につく者、仕事の続きがあるため勤務場所に戻る者、そして会議では聞ききれなかった事を聞こうとする者等々様々居た。
「所で宮崎君、この後の予定はどうなっとる」
「はい閣下。参加希望者はこの後2000時に予約を取っている料理屋に向かう手はずになっております」
児玉が確認のために宮崎に尋ねる。
この後は旧軍及び自衛隊の将官級幹部の懇親会を行うことになっていた。
旧軍と自衛隊出身者はこの手の「腹を割った飲み会」を頻繁とは言わないまでも偶に開くことがあある。
やはり最大100年もの年代の開きはそう簡単に埋まるものではない。
だからこそ、日本伝統の「飲みニュケーション」による意志疎通と横の繋がりを図ろうと、時空融合の混乱時期が終わってからこの手の懇親会は行われてきた。
勿論、尉官級、佐官級の幹部同士でも同様のことは行われていた。
もっとも、佐官級の集まりに将官が来たら、正直盛り上がらないが。
一般社会人でも、社員同士の飲み会に社長や専務が居たらどうなるか――つまりそう言うことである。
宮崎は思わず閣下と言ってしまったが、自衛隊では「閣下」と言うモノは存在しない。
しかし相手は児玉源太郎。日露戦争の英雄の一人で、日本よりも遙かに国力が上だったロシア相手に戦術的勝利を重ね続けさせた智将である。
戦前の軍人である宮崎繁三郎にしてみれば、敬称を付けないで呼ぶには非常に憚られるのだろう。
「そう言えば、あの文筆家の戦車屋も来るんか」
児玉の言う「文筆家の戦車屋」とは、富士教導師団で幕僚長を務め、来月から北海道の第一戦車団団長に移動になる福田 定一 陸将補の事である。
この福田 陸将補も軍歴はかなり長い。太平洋戦争中は予備士官として満州の戦車師団へ配備され、その後部隊事北海道に移動し、北海道に攻め込んできたソビエト赤軍戦車隊(日ソの戦車には圧倒的な戦力差があったが)と死闘を演じている。
戦後は復員し、新聞社で記者をしていたが赤い日本とソ連軍が北海道に侵攻した時、当時の警察予備隊に志願し(当時の新聞社の仲間は罵声と共に彼を送り出した。勿論、その記者達はこの戦争では何もしていない)特車(警察予備隊に置ける戦車の呼称)中隊長として一個戦車連隊と渡り合いこれを殲滅するという武勲を立てている。
その後は自衛隊において戦車の専門家として在籍、ベトナム戦争では第1独立装甲連隊連隊長として参加し、北ベトナム軍のテト攻勢で敵2個歩兵連隊を包囲殲滅するという戦果を挙げたが、これを左派野党議員に「虐殺」として叩かれた。
それでも福田とその指揮下にあった第1独立装甲連隊は外国では非常に高い評価を受けていたのだった。
福田はその左派野党と、それによって狼狽えた防衛庁に嫌気がさして自衛隊に辞表を出し、営門陸将補として退役する所だったのだが退役直前に時空融合に遭遇し、現在でも陸上自衛官をしているのだ。
因みに、児玉が福田の事を「文筆家の戦車屋」と称したのは、福田が退役した世界で少なからずの書籍を執筆していたためと、自衛官になっていなかった世界において、日本屈指の歴史小説作家となっている事を知っているためだ。
「今回の会合は、異動者の歓送迎会も兼ねておりますので。全員参加とのことです」
「そりゃ良かった。北海道に配属される連中は、特に慰労してやらにゃあな」
何しろ戦力差があるとは言え、北海道は最前線である。
隊員もそうだが、幹部にかかるストレスも非常に高い。
「本部長、そろそろお時間ですが」
いつの間にか側に来ていた友永が児玉を促した。
「そうじゃな、そろそろ行こうかの」
出口に向かいかけた児玉は、途中で会議室の窓から外の景色を見た。高層建築のビル群、それと不釣り合いな木造一戸建て、煉瓦作りの大正モダンを感じさせる建物。
「なんとしても、護らんといけんな」
彼の護りたい世界が、そこにあった。
日本連合自衛官達は、戦い続ける。
日本連合に住む人々、その誰もが、平穏なる明日を迎えられるように。
終わり
おまけ……
陰山「そう言えば渡良瀬三佐。この報告書にあった『事故12、内:負傷8、その他4』。その他って一体何です?」
渡良瀬「えー、非常に言いにくいのですが、いわゆる『一酸化炭素中毒』と言うやつです」
陰山「一酸化炭素中毒!? なんでまたそんな事が」
渡良瀬「えー、北海道の冬は思いの外厳しく、支給された防寒服だけでは、鋼鉄の戦車の中にいるのは非常に寒いので……」
陰山「寒いので?」
渡良瀬「練炭を焚いて暖を取っていまして」
全員『な、なんだってーーーー!!!』
ざわ、ざわ……
ざわ、ざわ……
児玉「練炭って。自殺でもする気だったんか!?」
神部「僭越ながら本部長。満州の冬を体験したことがある閣下なら、容易に想像が付くと思いますが、あの寒さでは戦車の中は冷凍庫のようになります。
底冷えが非常に辛いのです」
島田「酒でもって体を温めるという手段がないわけでもないのですが、今の自衛隊の情勢では、任務中のアルコールの摂取は禁止されております」
渡良瀬「それに大きな声では言えませんが、寒冷地や富士の裾野にある戦車や装甲車を使用する部隊では、寒さ凌ぎのために練炭をよく使っています。
何しろ零下所か−15度位にまで冷え込むことがありますので。使い捨てカイロや厚着しただけでは凌げません。凍死するかどうかの瀬戸際ですので」
原「……わ、解った。先行分と第1ロット分は取りあえず小型ヒーターを順次増設、第2ロット以降はデフォルトでエアコンを取り付ける」
こうして、2式1型戦車は世界初の「エアコンを装備した戦車」となった。
だが、その影に多数の戦車乗りの犠牲があったことを知る者は余り居ない。
元ネタ・登場人物及び出典解説……
尾上二郎(地底元年:原さとる):
北日本工業社長。いわゆる青年実業家で、実家にあった廃坑道を掘り進めたら金鉱を発見。
更に掘り進めたら地底大空洞にぶち当たってしまい、本人の予想を遙かに上回る資産を手に入れてしまった。
元は中学校の社会科教師。地元の次男坊達で「次男会」を結成し、そのメンバーが北日本鉱業の幹部連である。
原作者が「左より」な為、原作の随所にソッチ方面の(お約束とは言え)ご都合主義満載。尾上二郎の元の職業を見ても「ソッチ方面」のイデオロギーの持ち主であることが解る。
拙作では、ソッチ方面と縁を切らせるために、赤い日本によるテロの被害者になって貰いました。
まあ実際、赤い日本にしてみれば、憎むべきブルジョワであり打倒すべき資本主義者な訳ですから。
久世俊平(じゃじゃ馬☆グルーミンUP:ゆうきまさみ):
馬産農家 度会牧場の入り婿。
性格は「お人好し」や「良い人」の典型。
東京生まれの東京育ちだが、馬にかける情熱は本物。
長く伸ばした髪を首の後ろで縛った姿がトレードマーク。
夢は「自分の手掛けた仔で日本ダービー優勝!」
渡良瀬祐介(ガメラ2 レギオン襲来):
陸上自衛隊 大宮化学学校所属の二等陸佐(化学科)。
レンジャー資格保持者で、兵科将校もかくやの活躍をすることも暫し。
映画では小型レギオンに接近し、拳銃弾を叩き込むなど勇気にも不足はしていない。
渡良瀬舞哉(レーベンスラウム1985/LF:ホビーデータPBM/同人PBM):
分断国家であった民主主義国家の日本陸軍軍人。階級は中佐。戦時特進により2週間で大尉から中佐になった。
まだ20代であるが74式戦車でT72との死闘を繰り広げてきたベテラン戦車指揮官。後述する友永と同じ世界の人物。
渡良瀬祐介とは兄弟。ただし別に同一存在の「渡良瀬舞哉」がいるので、厳密に言えば良く見知った赤の他人。しかし渡良瀬家では「家族が増えた」と言う思いしかない。
遺伝子学上の父親がドイツ人なため、髪の色は見事なプラチナブロンドだが、肌の色と顔の作りは日本人のモノ。顔つきは何処の学校のクラスにも1人は居そうなハンサム。
京美人な婚約者が居るが、結婚しようとする度に戦争や重大事件が起きるのでまだ結婚できていない。
人間翻訳機と言う渾名もあり、英独仏露語を流暢に操り、罵声やジャンクだけなら更に後5カ国語ほど増える。海外派遣の経験もあり。
(ペテン師註釈:私がPBMで使用していたメインキャラなので、他よりも贔屓気味です。各種設定は当時のマスターからの了承をうけたオフィシャルです。半分冗談だったのに)
遺伝子学上の父親は、武装親衛隊のクルト・『パンツァー』マイヤー。婚約者の名前は青山鶴子、実家は剣術の道場で、神鳴流を使える。以上、繰り返すがオフィシャル(汗)
秋山好香(萌えよ!戦車学校シリーズ:野上武志・田村尚也):
イカロス出版の名(迷?)作、萌えよ!戦車学校で作中で教官を務める、20代の眼鏡っ娘。
陸上自衛隊 一等陸尉(機甲科)。見た目は文学少女でも、かなりに毒舌家。
戦車将校としては非常に優秀(年の功と言うとぶっ飛ばされるので注意)。
日本戦車のことを語らせると泣く。
某作品に出ていた某大山一等陸尉にそっくりだが、気にしてはいけない。
姉と姪が居る。
児玉源太郎(203高地/史実):
日露戦争で活躍した、日本帝國陸軍随一の知将。
軍歴は明治維新の頃にまで遡ると言う。帝國陸軍大将、伯爵。
日露戦争の前には大臣職や台湾総督を歴任していたほどだが、満州軍の参謀長に相応しい人材が全員病死してしまったので、大山巌 元帥が頼み込んで降格抜擢された異色の総参謀長。
イメージは映画「203高地」で児玉源太郎役を演じていた丹波哲朗。
神部隆(旭日の鉄騎兵シリーズ:陰山琢磨):
世界中の戦車の楽園=地上の地獄で戦い抜いてきた歴戦の戦車将校。
第二次世界大戦、中国国共内戦、インドネシア独立戦争、中東戦争、ソビエトによる満州侵攻等で常に戦い続けてきた。
優秀なエリート軍人ではあるが、それ故に偉い人たちに扱き使われてきた苦労人。
原乙未夫(旭日の鉄騎兵シリーズ/史実):
「はら・とみお」と読む(断じて「はら・おつみお」ではない)。
史実では「日本戦車の父」と称されている人物であり、まだまだマトモな自動車産業もなかった戦前の日本で国産戦車の設計・開発に携わった。
近い将来戦車が戦場の主力になると考えていながらも、時の帝国陸軍が戦車は歩兵の支援兵器に過ぎないと認識していたことから彼が設計し、太平洋戦争の全期間を通じて陸軍の主力となった97式中戦車は米軍の主力であるM4シャーマンには苦戦を強いられた経緯がある。
一方、本作の出典である「旭日の鉄騎兵」シリーズでは史実での鬱憤を晴らすかのごとく陸軍第四研究所の所長(この点は史実も同様)として三式中戦車、一〇式中戦車という強力な戦車を開発している。
陰山拓馬(鉄獅子の咆吼:内田弘樹):
元大日本帝國陸軍少佐。戦車と酒と美味いモノが何より好きな小太りの陸軍将校。
日本が第二次世界大戦に参戦しなかった世界の人間で、ドイツ日本大使館駐在武官時代に後述する宮崎繁三郎達のハルベ脱出戦を支援し、その後に起こったソ連の満州侵攻前に6号戦車の改造型で105o砲を装備した「パンター2」を開発。
ノモンハン事件の生き残りでもある。
嫁さんは凄い美人らしい。
モデルは架空戦記作家の「陰山琢磨」氏。
代表作は「旭日の鉄騎兵」シリーズ、「空挺砲艦火龍」シリーズなど。その作風から「プロジェクトX架空戦記作家」とも呼ばれている。
宮崎繁三郎(鉄獅子の咆吼/史実):
大日本帝國陸軍中将。ノモンハン事件当時、歩兵第16連隊長として同事件ほぼ唯一の勝利を上げる。
その後、陸軍参謀本部の密命によりドイツへ渡航。武装親衛隊「オスト」旅団司令官として世界大戦に参戦しなかった日本軍のために戦訓を送り続ける。
最初の投入場所が東部戦線であり、クルスク戦などにも参加。
西部戦線ではファレーズ脱出戦での後衛(殿部隊)、ドイツ敗北後に行われたハルベ脱出戦では米軍支配地域へ多数の民間人を逃がすための脱出戦の先鋒を務める等、死戦をくぐり抜けてきた不屈の名将。
ドイツ敗戦後、日本人義勇兵の生き残りと武装親衛隊による傭兵部隊として、今度はアメリカ軍の戦訓収集の為に満州に侵攻してきたソ連戦車部隊と死闘を繰り広げる(仕掛け人は日本政府・帝國陸軍。それに乗ったのがナチや日本人よりも遙かに共産主義者が嫌いなジョージ・パットン)。
史実ではインパール作戦などビルマ方面での陸戦に従事。
無能な上級司令部により塗炭の苦しみに中で撤退戦や後衛戦闘や防衛戦を繰り広げてきた。
インパールからの撤退戦では「白骨街道」を負傷者を収容、死体は埋葬しながらも自ら殿として部隊を撤退させた。
その「日本陸軍の良心」振りもさることながら、あらゆる不利な状況でも最善の努力を尽くして部隊を指揮し続けた事から、日本陸軍屈指の名将と今なお言われている。
友永幸一郎(レーベンスラウム1985/LF):
分断国家であった南日本(自由主義陣営)の陸軍軍人で60間近の高齢だが、いまだにその軍事的思考は衰えを知らない老齢な指揮官。
自らの足で長野から岐阜に向けてアルプス越えをやってのけた事もある。
かつての戦争で敵特殊部隊の攻撃を受け片目を損傷。その際「判断力が鈍るから」と、麻酔無しでの摘出手術を行った、真の武人。
同盟国のアメリカ海兵隊司令官に「友永が日本軍の最高司令官か我が国の海兵隊にいたら、俺はパリスアイランドで新兵をしごいているだけで良かった」と言わしめた名将。
島田豊作(征途:佐藤大輔/史実):
太平洋戦争初戦のマレー攻略戦で、夜間に戦車による夜襲を行い、英軍の強固な陣地を見事に突破したマレー電撃戦の立て役者の1人。
史実では、戦後故郷の中学校で教師をしていた。
征途世界では警察予備隊 一等警察正(大佐)として第7特車群(戦車旅団規模)の指揮官として赤い日本との北海道戦争に従軍、敵軍の包囲殲滅戦に従事した。
後のベトナム戦争では陸上自衛隊ベトナム派遣部隊の指揮官としても活躍していた歴戦の雄。
セシル・ド・ゴール(萌えよ!戦車学校):
秋山好香の生徒でフランス人。オタクでコスプレマニア。ヒンヌーなボケ担当。
福田定一(征途/史実):
学徒動員で満州四平にあった戦車学校に入学、その後、久留米戦車第1連隊に少尉として配属された。
北海道に侵攻してきたソビエト軍と死闘を行い、命辛々逃げ延び、赤い日本の侵攻の際は新聞社を退職して警察予備隊に入隊。
その後、数々の武勲を立てた戦車のエキスパート。
自衛隊を退職した後は、作家活動を行い数々の著作を残した。
代表作は3代に渡り海軍に奉職した藤堂家を描いた「海の家系」等。
史実では「梟の城」「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「功名が辻」「国盗り物語」「坂の上の雲」「翔ぶが如く」等の名作を多数世に送り出した日本屈指の大作家「司馬遼太郎」氏。
征途の原作者 佐藤大輔 は1994年に初版を出したが、当時まだ司馬遼太郎氏はご存命だったそうな。
後書き
初めまして、もしくは、お久しぶりです。ペテン師でございます。
長かった……我ながら、本当に長かった(笑)。
新作がようやく完成しました。
本当は半年で上げるはずだったのですが、何故か2年以上も。
世の中不思議で一杯でございます(マテ
冗談はさておき。
SSFWでは、何故か他の海空特各自衛隊よりも影が薄い陸上自衛隊の、取り分け機甲科に日の目を当ててみました。
好きなんですよ、戦車(笑)
特に74式戦車の、あの正面から見た愛嬌のある顔、45度の角度から見る凛々しさが萌え、もとい、燃え(笑)
今回の登場人物、色々な方面から引っ張って来ましたが、全員解ったら凄い。解る人は日本中で50人居るか居ないかだと思うけど(オヒ
最期に、今回の作品を共同執筆してくれた山河晴天さんと、2式戦車に対して考察を行ってくれた架空戦記作家 陰山琢磨氏に対し、感謝を。
それでは、次回作でお会いしましょう。
後書き その2
皆様お久しぶりです。山河晴天です。
今回は私も共同執筆に参加させていただいたということで後書きを書かせていただきました。
ペテン師さんもおっしゃっていましたが本当に完成までたどり着くには本当に長かったです。
作品のアイデアは殆どペテン師さんによるものですが、執筆はアイデアをメールで受け取った私が行ない、
それをペテン師さんに送り返して意見交換するという作業を延々と行なった結果完成までにここまでかかりました。
遅筆の私に延々とつきあっていただいただけでなく、私の考えていた2式戦車のついてのアイデアを採用してくださったペテン師さんにはただただ感謝です。
ペテン師さんの後書きにもありますが、2式戦車については実際に架空戦記作家で陰山琢磨先生に設定を送って監修・考察をしていただきました。
また、陰山先生への仲介をしてくださいました「ていとく」さんにもこの場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
2式戦車そのものに関するエピソードについてもいずれはSSFW本編で紹介することになります。
では、近いうちに次回作でお会いしましょう。
スーパーSF大戦のページへ